4-play



「…どう思う?」
「どうって…なぁ?」

 書類の端まで揃えられた執務机に肘を置き、頬杖をついた鬼利の背後。
 簡易クローゼットに背中を預けるようにして立つ傑が、苦笑混じりに軽く首を竦めた。

「1回くらいヤってンの?」
「何を」
「イイコト」
「今のところはまだ1度も。フェラ止まりだよ」
「妬いてる?」
「まさか」

 退屈そうな声音で即答し、鬼利は普段ほとんど使う事の無い椅子の背もたれに体を預けた。


 2人の目の前にある黒塗りのモニターには、武器庫に設置された監視カメラの映像がリアルタイムで映し出されていた。カメラは画質だけではなく集音機能も優秀なようで、古いデスクの上で実に濃厚なキスをしている悦と幽利の息使いまで余すことなく拾っている。

「お前はどうなの?」
「抜くには温ィな」
「見せるにしてもね」
「そーいうんじゃねぇんだろ」

 気だるげな口調で言いつつクローゼットの扉から体を離した傑を横目に一瞥し、鬼利は薄らと微笑んだ。

 傑はナニをナニしなければ浮気にすらならないと思っているし、そもそも“純血種”なので嫉妬などしたくても出来ない。鬼利は今更確認するまでもなく、双子の弟の精神の根底には自分しか居ないことを理解しているので、目まぐるしく回転するその脳内には嫉妬のしの字も出て来ることはない。
 この光景を見ても妬きはしない。恋人の愛情を疑うことも無い。だが一般に言う「恋人の浮気現場」を目撃した、それぞれの意味で一般では無い2人の思考は、先の傑の一言に集約されていた。


 そう言うことでは無いのだ。


「…どう?」
「大歓迎」

 藍と橙の視線が一度だけ絡み、離れた。










 「キスの練習」という建前で、それぞれの恋人とは色々な意味で正反対の“友達”とニャンニャン(ネコだけに)していた悦と幽利は、完全に油断していた。


「ふ…ぁ、…それ…きもちい…っ」
「んンッ…だ、んな…っそこ、は…!」


 武器庫の扉には鍵を掛けておいたし、目的も無くこんな所に来る者など、管理人の幽利か、悦か、偶にフラっと暇潰しに訪れる傑くらいのものだ。
 そして幽利は”千里眼”というチート性能の目を持っていて、目隠しをしていても締め切られた鉄扉の向こうまで”視え”ているし、悦は悦で壱級指定の登録者。暗殺等の依頼を得意とし、50メートル先の足音を聞いただけで大体の装備と実力が解るという、その道のプロだ。


「はぁ、あっ…っ旦那、が…ズルする、ンなら…ん、俺も…っ」
「あぅっ…ぁ、あ…それ、ヤバ…ッゆーり…!」


 そんな、それぞれ非凡な才能を持つ2人は忘れていた。
 幽利の双子の兄が、本来ならFが管理している本部塔内監視カメラの映像を、何時でも自由に閲覧出来る“ILL”の事実上の最高権力者であることを。
 悦の恋人が、幽利の“千里眼”をも上回るチート性能を持つ、正真正銘完全無欠の化け物であることを。


「あ、ぁっ…も、ゆー…り…っ!」
「っふ…ぁ、…だ…んな…ッ!」


 一番忘れてはならないことを忘れてニャンニャン(ネコだけに)していた2人は、まさかこの逢瀬がバレることは無いだろうと、完全に油断していたのだ。


「んぅ、う…っ…な、ゆーり…足、こっち…」
「あッ…な、にする…ンです、か…だんな、ぁ…?」

「そーそー。ナニするんですかー?」


 悪魔は最悪のタイミングで、降って湧いたように現れた。

「「…っ…!!」」

 先ほどまでのおピンクな雰囲気など何処へやら。一瞬にして顔を蒼白にし、床の上に座って足を絡めて抱き合う体制のままで凍りついた2人が、揃ってゆっくりと壁際に置かれたデスクを振り返った。

 薬莢やネジ、工具などが幽利が作業を中断した時のままで乱雑に散らばるデスクに、悪魔―――基、傑が腰掛けていた。


「…ぁ…!」
「す、傑…!」

 小さく体を震わせてペタンと後ろに手をついた悦と、庇うように悦の肩に回した手に力を込めながら己の名を呼んだ幽利に、ぷらぷらと足を揺らしていた傑がにっこりと笑う。
 非の打ち所のない美貌に浮かべられたそれはまるで御伽話の天使か神のように優しげだったが、床の上から見上げる2人には、獲物を前に舌舐めずりをする悪魔にしか見えなかった。


「…仲良くティータイムにしちゃぁ、長いとは思ってたけど」

 硬直したまま、逃げることも出来ずに震える哀れな子羊の様子を堪能し、傑はいつも通りの飄々とした口調で言いながら、音も無くデスクから降りる。
 千里を見通す幽利にも、ネズミの足音すら聞き逃さない悦にも、傑がいつからそこに居たのか全く解らなかった。世界最強の本気である。

「こんなイイコト、してたなんてなァ?…悦」
「ひっ…!」

 子供と目線を合わせるように両手を膝に置き、身を屈めた傑に甘い声音で名前を呼ばれ、悦は小さく悲鳴を上げた。
 純度100%の化け物である恋人が、この程度では少しも機嫌を損ねたりしないことを悦は十分に知っていたが、恋人であるが故に、こういう目をしている時の傑が何を考えているのかも、悦は嫌と言うほど解ってしまうのだ。


「傑、あの……悪ィ、俺が…悪ノリしちまッたンだ」

 絡めていた足をそっと解きながら、ひと足早く硬直が解けた幽利が小さく頭を下げた。悪ノリと言えば幽利だけではなく悦もそうなのだが、傑に至近距離で見据えられて軽く涙目になっている悦の姿が見ていられなかったのだ。


「悪ノリっつーことは、なに。お前が誘惑したってこと?」
「ゆ、ゆーり…!」
「あァ。…旦那が優しィんで、調子に乗っちまった」

 物言いたげな悦の視線を黙殺し、幽利は背を伸ばした傑を見上げて確りと頷いた。
 悦と違って今直ぐにというわけでは無いにしろ、幽利とてこの逢瀬が双子の兄にバレてしまえば悦と同じく、いや、悦以上に危険なのだが、事実に反して悪いのは自分1人だけだと言うような口ぶりである。何とも美しい友情だ。

「へぇ?お前が、ねぇ」
「っ…すまねェ」

 皮肉げに笑う傑の手が伸び、普段とは明らかに違う乱雑さで肌蹴た幽利の襟を引き摺り上げる。“純血種”に胸倉を掴まれるなど、壱級指定の登録者でも卒倒するような絶体絶命の状況だが、幽利は揺るぎもしなかった。道徳の教科書に載りそうな程の自己犠牲の精神である。

「…っ…」

 毅然とした表情で退屈そうな傑の藍色の瞳を見上げる幽利の横で、悦は更に涙目になっていた。
 幽利の行動に感動したからでは無い。悦は解っていたのだ。普段の傑なら幽利の根性に免じて許してくれるかもしれないが、今の傑にそんなことを言えば「元男娼を陥落させるほどのテクなら、是非見せて貰おうじゃねーか」とかなんとか言って、幽利をもその毒牙にかけかねないことを。つまり幽利の言葉は全て、せっせと墓穴を掘っているだけなのだ。

 幽利逃げて、俺はいいから地の果てまで逃げて!というのが悦の本音だったが、それを言う事は出来なかった。“純血種”にしてみれば「ちょっと目が良くてドM」程度の幽利が、傑から逃げられる筈も無い。


「どーやって誘った?」
「そ、れは…」
「っ…ゆーり、幽利…!」
「だ、旦那が…お前の為にキスが上手くなりたいッて、言ってたから…それなら俺が練習台に、って…」

 スコップでなく、パワーショベルで墓穴を掘りだした幽利を悦は必死に止めようとするが、悦の必死の呼び掛けが「罪を被ろうとしている自分を止める為」だと思っている幽利に、その言葉は届かなかった。互いを想うが故の悲劇である。


「でもキスだけ、には見え無かったぜ?」
「最初は、それだけのつもり…だったンだけど…」
「……あ、?」

 鋭く藍色の瞳を細めた傑に、さすがに怖くなったのか声を震わせながら、それでも答えようとする幽利の言葉を悲痛な思いで聞いていた悦は、そこで違和感を覚えた。

 …傑が妙にしつこい。

 本心では悦と幽利のイチャつきなど何とも思っていない筈なのに、やけに掘り下げる。その軽薄な外見の通りの性格の傑(悦を性的に苛める時は除く)が、こんなにあれこれ聞き出そうとする理由が、悦には思い当たらない。
 幽利を巻きこむ為の誘導にしても、頭の回る傑なら最初の一言を聞いた瞬間にいくらでもこじつけられる筈だ。これではまるで、

 …まるで、時間稼ぎをしている、ような。


「それじゃあさっきのは、お前が悦を誘ってキスして、それじゃ物足りなくなって手も出して…って状況だったわけだ」
「あ、あァ…」
「ふーん」

 どうでも良さそうに気の無い相槌を打つ傑に、幽利の指先がきゅっと作業着を握り締めた。完璧な美貌というのはそれだけでもかなりの迫力なのだ。そして相手は“純血種”、生き物として怖くない筈が無い。

「……」
「…ッ…」

 それでも尚、傑の美貌から目隠し越しの視線を反らそうとしない幽利を、呑まれそうに深い藍色の瞳はしばらく退屈そうに見つめ、


「…らしいぜ?お兄ちゃん」

 幽利からも、悦からも反らされた瞳が、言葉と共に愉しげに笑った。

 ギィ、と錆びた蝶番が立てる軋んだ音が、一拍遅れて静まり返った武器庫に響く。

「ッあ…!」

 続くコツ、コツ、という静かな足音に、悦は弾かれたように武器庫の扉を振り返り―――その瞬間、“それ”を見てしまったことを心の底から後悔した。

 喪服のような漆黒のスーツに、染み1つ無い同色の革靴。薄いフレームの眼鏡の奥の、絶対零度まで凍てついた橙色の瞳。
 “ILL”に所属する悪辣非道の犯罪者が“魔王”と畏れる男が、そこにいた。


「……」
「ぁ…あ……!」

 ギギギ、と音がしそうな緩慢さで振り返った幽利が雨に打たれる子犬のように震え出し、悦が思わず傑の方に後ずさるのを、路傍の石ころでも見るような冷たい瞳で眺めながら、鬼利はゆっくりとした足取りで武器庫の中を進み、幽利の3歩ほど前で立ち止まった。

 その華奢な片手に提げられていた黒革のバックが、ガシャンと音を立てて床に落ちる。


「……それで」

 傑の声は鉄扉に阻まれて聞こえていなかった筈だが、最高幹部の明晰な頭脳は、今の3人の姿を見ただけであらかたの状況を把握したようだ。悦、傑、と右から滑って幽利で止まった橙色の瞳が、すぅと細まる。

「何か言い訳は?」


 その瞳に見据えられた瞬間、びくんと肩を跳ねさせた幽利の体が、襟を掴んでいた傑に手を離されてぺたんと床に沈む。“純血種”にも毅然と立ち向かったその表情は、最早怯えを通り越して呆けているようにも見えた。

「っ、き…鬼利!あの、これはっ…俺が、元はと言えば俺が誘ったからで…!」

 先程とは立場が逆転した悦が叫ぶように言い、その必死の訴えに、鬼利が視線だけを動かして悦を見る。

「最初は、幽利は嫌がってたんだ。こんなのダメだって。それを、俺が無理矢理誘って…だから…っ!」

 傍に傑がいるのを解っていながらも、悦はこのままだと精神が死んでしまいそうな友達をなんとか守ろうと、自分一人が罪を被る言い方で訴えた。美しい友情再びである。

「そう」

 だが。

「…それで?」

 …魔王には、悪魔のように哀れな子羊の弁明を聞いてくれる茶目っけなど、欠片も存在しなかった。

 誘惑したのがどちらであろうと、その理由がなんであろうと、悦と幽利が隠れてイチャついていたことに違いは無いのだ。悦がどれだけ自分が悪いと主張した所で、鬼利にしてみれば「だからどうした」という話なのである。

「だ、…だから…っ」

 それでも悦は幽利を庇おうとしたが、悦がそうだったように、幽利にとっても悦のそれは墓穴だった。幽利は弟として、恋人として、下僕として、鬼利が確信も無く動くことが無いのを嫌と言うほど知っている。
 今回は勿論、過去の所業に関しても全て証拠を押さえられている筈だ。鬼利にとっては、特定の時間の監視カメラの映像を手に入れることなど造作も無いのだから。


「き、…きり…」

 今にも消え入りそうな声でその名を呼びながら、幽利は無駄と知りつつ、悦がパワーショベルで墓穴を掘るどころではなく、自分で棺桶に入ろうとするのを止める為に、震えながら鬼利の足元に這い寄った。

 千里を見通す幽利の目には、鬼利の持ってきたバックの中に何が入っているのかが、見たく無くとも見えてしまっている。そして鬼利がこれから、それらを使って何をしようとしているのかも解っていた。
 幽利もまた、本心では旦那逃げて下さい、全力で!と思っていたが、やはり言う事は出来なかった。傑と鬼利、この2人から逃げられる存在など、3次元には存在しないからだ。


「ご…めん、なさ……」
「……」

 蹲るようにしてその足元で土下座し、悲痛なほどに震える声で幽利が謝っても、鬼利はそちらに視線すら向けなかった。その姿を見た悦がそれ以上言葉を次げないのを確認し、つまらなそうな橙の瞳が愉しげに状況を眺めていた傑を見る。


「以上みたいだね」
「だな。…どう思う?こっちの淫乱か」
「っ…ぁ…!」

 笑みを含んだ言葉と共に悦の傍らにしゃがみこんだ傑が、その頬を優しげな手つきでそっと撫でた。

「それとも…」

 小さく声を上げてぎゅっと目を閉じた悦から反らされた鬼利の瞳が、自らの足元に這い蹲る双子の弟を見る。

「…この愚弟か」
「ッ……!」

 ゴッ、という鈍い音と共に容赦なく頭を足蹴にされ、ひくんと小さく体を震わせた幽利を一瞥しながら、傑が思案するように視線を虚空に向けた。


「そーだな、やっぱり…」



【分岐選択】

 >> 悦Ver.
 >> 幽利Ver.







Anniversary