ひとりじめ -7日目-



 今日は傑の方が先に起きていた。

「おはよ」
「……んー……」

 全てを放棄した気持ちいい熟睡の起き抜けに、形が無いからどうにか成立している愛とか情とかが万一形を持ってしまったらきっとこんな風になるんだろう、という目と至近距離でかち合った悦は、慣れの賜物で呆れも驚きもせず、手を伸ばして傑の頭を引き寄せる。
 髪を梳くようにして後頭部のあたりをさりさりと撫でつつ、近づいた唇をちろりと舌先で舐めると、開いた柔らかな紅唇にちゅ、と啄まれる。そのまま引き込まれそうになるのに逆らって舌を引き、唇の端を悪戯に突っつくと、今度は唇じゃなくつるりとした歯に甘く噛みつかれた。

「んぁ」

 シーツの下から出てきた傑の手が悦の首の後ろを捉えて引き寄せ、捕まった舌をそのまま食べ進められる。3口くらいで引き込まれてしまった悦の舌は、傑の口内で器用な舌に表と言わず裏と言わず、それはもう丁重に饗された。

「ふ……んぅ……んっ……」

 そう言えば、昨日はあまりキスをしていない。気づくと角度を制限する枕が邪魔になってきて、悦はもう片方の手も伸ばして傑の頭を抱き込みながらその腰に跨った。寝相がいいので大して乱れていない暗い色の髪に両手を突っ込み、好きなように掻き乱しながら絡み合った唾液を飲ませて、吸って、吸われて、いいだけ粘膜を擦り合わせた所で顔を上げる。

「っはぁ……なに食いたい?」
「悦」
「飯の話だ、バカ」

 ぐしゃぐしゃになった前髪の合間からぺん、と傑の額を叩いて、悦はベッドを降りた。











 ドラマは見てしまったし、ゲームにも集中出来る気がしなかったので、ナイフを磨く事にした。

 銃も人並みには使えるが、銃火器の類はどう使ったとしても音も痕跡も大き過ぎる。影も見えない長距離射撃が出来る狙撃ライフルならともかく、拳銃の有効射程は意外と短いし、アサルトライフルは微妙に長くて微妙に重くて絶妙に邪魔だ。相手が引き金を引くより早く、存在を認識されるより早く、死角から這い寄って致命傷だけを残してとっとと逃げるのが悦の一番得意なスタイルだから、必然手に選ぶのは嵩張らず静かなナイフになる。

「そーいや、昨日どこ行ってたんだよ」

 ラグの上に古いシーツを折って敷いて、その上に足を投げ出して座ってソファに背を預け、袖口に仕込む用の細身のナイフから砥石で磨いていきながら、ソファの座面に足を伸ばして座っている傑に聞く。

「キュケッヴァの第三宮殿」
「宗教のなんかじゃねぇの?」
「ガワだけ王家で、中身はそう。替え玉立てて危篤だって誤魔化してるけど、一昨日死んでんだよ、あそこの主教」
「ヤバそう」
「鬼利がな。改革派のバックは王家と宗家がついてるし、教義派の方は宝物庫の鍵握ってるしで、どっち勝たせるか相当悩んでると思うぜ」

 そう言って傑は他人事みたいにくつくつ笑っているが、最高幹部が悩む程の案件の斡旋先は大抵が零級だ。粗研ぎを終えた刃を布で拭きながらちらと背後を振り返れば、どんな修羅場に叩き込まれても上手く収めて帰って来るとびきり高精度の暴力装置は、滅多に出さないノートパソコンを組んだ足の上に乗せてぱちぱちキーを叩いている。
 傑の姿勢にも指の動きにもやる気はまるで感じられないが、角張った機械には色とりどりのケーブルが各方面から伸びまくっているし、覗き込んだ画面も5つくらいに区切られた中に文字や数字が蠢いて、なんだかとても混み合っていた。

「また呼び出されるんじゃねぇの?」
「取り敢えず今日は大丈夫。3時より前に呼び出しやがったら一帯更地にする、って昨日脅しといたから」
「鬼利に脅しって通じるか?」
「これだけ色々混み合ってれば、嫌がらせのネタには困ンねぇからな」
「……なら、いいけど」

 チョコレートの名産地である王国の水面下がどうなっているのかも、壁の配線から直接ケーブルを繋がれたパソコンがどんな”悪さ”をしているのかも、悦には解らないし興味も無いし、7日目の内にまた傑が呼び出されて行かないのならそれで良い。
 視線を手元に戻して、足で押さえた仕上げ用の砥石にバケツで濡らした刃を滑らせる。角度も回数も感覚の目分量で、切っ先を特に鋭く研ぎ上げて行きながら、悦はふと、3時か、と傑の言葉を心の中で反芻した。

 流石にそこまで遅い時間なら後始末まで全て終わっているだろうけど、身も心もすっぽり包まれての添い寝は真っ最中だ。傑と寝ると何も気にせずぐっすり熟睡出来て気持ちいいから、あと隣にあった体温が無くなった一人寝はちょっと寒いから、できれば朝まで居て欲しい。今日は多分、いつもより疲れるだろうし。

「……」

 傑に回される依頼がどれだけヤバいのかは解っているから、仕事なら仕方ないけど。夜中に無粋な着信が入らないことを願いながら研ぎ上がったナイフから顔を上げると、ふ、と意表外に溢れたものが零れ落ちたような声がした。いつの間にか気怠げなタイプ音が止んでいる。

「……ンだよ」
「これで狙ってねぇんだから怖いよな、才能が」
「はぁ?」
「緊張してる?」

 何の話だと必要以上に眉を顰めた悦の疑問符に脈絡のない質問を重ねながら、傑はパソコンを閉じて足を床に下ろす。だから何の話だと八つ当たり気味に舌を打とうとした手から、研ぎ上げたばかりのナイフがするりと背後に抜き取られていった。

「いつもより3回多い」

 さりり、と許容量の限界まで薄くなった刃を親指で擦った手が、滑らかに手の中でナイフを回して元通りに悦の手の中に鈍色を戻す。滑り止めの溝が掘ってあるだけで、袖やベルトに引っ掛からないようにゴムも巻いていない金属の柄には、薄っすらと傑の体温が残っていた。

「……」
「待ち切れない?」

 必死に気付かない振りをしていた内心を言い当てられて押し黙る悦に目を細めながら、傑は軽く首を傾げてざわざわとした感覚の表現を言い換える。揶揄いの気配も無く余裕綽々なその態度にイラッとしたが、そのささくれが八つ当たりなのは悦も気付いていた。
 緊張なんてものをするほど初心でも貞淑でも無いが、純粋な期待にそわそわしているのともちょっと違う。尻込みする気持ちと早く何もかも傑の手に委ねてしまいたい気持ちとがせめぎ合っていて、結局傑が元男娼のプライドに配慮して言い換えてくれた言葉が、今の悦の心境を表すには一番しっくり来る気がした。

「……ちょっと」

 何を甘ったれてんだこいつ寝言は寝てからか死に際にだけ言っとけ、と自分に舌打ちせずにするっと頷けてしまったのは、紛れもなくこの一週間の調教の成果だった。
 眩しいものを見るように目を細めた傑に、所在なく手の中で転がしていたナイフごと手を握られて、促されるままに腰を上げた悦はすとんとその腕の中に収まる。握ったままにしていた端切れの綺麗な部分で濡れた手を拭いて貰いながら、背を丸めて傑の肩口に頭を擦り寄せた。

「……合言葉でも決めとくか?」
「合言葉?」

 端切れをローテーブルに放った傑の腕に体を預けたまま、その横顔を見上げる。

「これ言われたら絶対に止める、って合言葉。安全装置代わりに」
「……」

 傑の口調は殊更に軽かったが、振り返って真っ直ぐに悦を見る瞳は真剣に深い。その海の底みたいな藍色を見上げたまま、悦は首筋を撫で上げて後頭部に手を回し、傑の頭をそっと抱き寄せた。


「……おままごとでもしてるつもりか?てめぇ」


 手にしたナイフの切っ先を延髄にぴたりと当てたまま、瞳孔をかっ開いて藍色を見据える。
 確かに昔と比べれば容易く半身も、時には全身も預ける腑抜けにはなったが、それでも安心安全なプレイの為のセーフワードなんてものを与えられる程、鈍っても腰抜けてもいない。

「つまんねぇ寝言ほざくな。クソ萎える」
「あー……場所が悪かったな」

 急所を捉えた刃にも、睨むことすらしない瑠璃色にも一切怯まず、傑はのんびりと苦笑した。

「ベッドの上で言えば良かった」
「だから、」
「泣き入ったら塞いでやろうと思ってたのに」

 いい加減にしろと凄もうとした唇を人差し指でちょんと突いて、悦の何もかもが可愛くて堪らないという目をして、傑は美しく唇の端を吊り上げる。

 本当の本気で嫌だと泣いて喚けば、セーフワードなんて無くても傑はいつだってどこでだって止めてくれる。
 けれども、悦が嫌いだと思っていた事を手間暇を掛けて手管を尽くして嫌じゃなくしてきたのもまた、紛れもない事実だった。安い脅しだ、場を取りなすための言い訳だとは、とても断じきれなかった。そんな程度の男ならこんなに惚れ込んでいない。

 ベッドの上で悦の何もかもを蕩かす甘い声で安全装置を言い含めて、それを言おうか言うまいか悩みだしたタイミングで、ワードどころか哀願も懇願も、傑の名前すら呼べないように口を塞ぐ。
 そんな、ひどい。と絶望と恍惚に見開かれた瑠璃色を、優しく甘やかすようにひどくされるのが好きな悦を、きっと今と同じ目で傑はたっぷり愛でて可愛がる。
 簡単な想像だ。顔をぐしゃぐしゃにして塞がれた口で泣き呻きながらシーツの上でのたうつ画まで、くっきりと浮かぶ。

 散大していた瞳孔と、お誂え向きの化け物にタゲられた奥の奥がきゅう、と収縮するのが自分で解った。

「……手加減しやがったら、ここ、マジで抉るからな」
「頼まれたってするかよ。また動けねぇじゃねーか」

 くるりと返した柄で首と頭蓋骨の継ぎ目を辿る脅しにも軽く笑って、傑は嫌味なくらいに通った鼻梁を悦の鼻に擦り付ける。動物の愛情表現みたいに数回擦り合わせて、飢えた獣だって敵わない獰猛さすら溶かし込んだ藍色の有様を見せつけながら、肩を抱いていた手で悦の顎を上げさせた。
 唇を親指に撫でられて開いた口の中に、肉と骨を震わせて低く甘い声が直接注ぎ込まれる。


「覚悟しとけよ」


 どこまで操られていたのかは知らないが、不安も躊躇も尻込みも、気付けばもう跡形も無い。
 つくづく、何から何まで”上手い”野郎だと、悦は舌を絡ませながら思わず笑ってしまった。










 

 ここは一生俺の指定席ですが、という面で足の間に座った傑から遠ざけるように曲げた膝を胸に引きつけ、太腿の内側を滑らせた両手で谷間を割り開いて、悦は自分で解してローションを仕込んだ後腔を藍色の前に晒す。

 あからさまで下品なポージングを傑はあまり喜ばないから、理性がはっきりしている時にこんな格好をするのは久しぶりだった。羞恥や躊躇を放り投げて骨の髄に叩き込んであった言動の数々を、「これは恥ずかしいことだし、それは置いておくとしても俺を不用意に煽ろうとするのはとても危ないこと」だと体と頭に叩き込まれたのは一度や二度では無い。
 また”矯正”を掛けられるかもと思うと足先が震えるし、他の誰でもなく傑だからとんでもなく恥ずかしくて大して開けないが、言いつけ通りにして来たことを証明する方法が他に思いつかなかった。

「……」
「……ぁっ……」

 はしたなく口を開けた縁からたらりとローションが溢れて、谷間に伝うその雫を傑の指先が掬い取る。
 客を煽るように義務的に演じているわけじゃなく、悦がちゃんと羞恥も躊躇も感じているのを全ての反応を観察して確かめてから、容赦なく値踏みするようだった藍色はやっと和らいだ。零れたものを戻すように開かれた所に逆手に指を差し込んで、中に溜まった粘液をぐちゅりと掻き回す。

「あぁ、ちゃんと解れてるな」

 悦には恥を教え込んでおきながら、当の傑の指の動きは淫猥極まりなかった。使い難いナイフ1本貸して、と言うのと同じ調子で「自分で解しといて」と命じた結果を確かめるには絶対に必要の無い粘着質な水音を立てながら、震えながら広げている縁をわざわざ指の背で擦るようにして、2本に増やした指を根本まで入れる。

「奥までぐちょぐちょに濡れてるし、傷も付いてない」
「っあ、ぁ……!」
「これなら”仕上げ”は無しでいいか。よく出来ました」

 曲りなりにもプロの下準備を何だと思ってやがる、と睨みつけてやりたかったが、色気がついに波形になったような声が言う卑猥な擬音のいやらしさと、こちょこちょ前立腺をくすぐられる快感と、褒められた嬉しさと、それに体の外側も内側もひくひく悦んでいる様も見られている恥ずかしさと、傑の手で”仕上げ”をして貰えないことを惜しむ気持ちが一緒くたに押し寄せたので、とろんと潤んだ目には全く力が入らなかった。

 元々、悦は自分の情動の機微を汲み取るのが上手くない。複雑に膨れ上がって押し寄せる全ては雑なフィルターを通って単純化し、解り易い欲望に集約される。


 腹が立って悔しくて、恥ずかしくて、気持ちいい。もっと虐めて欲しいし、それに悦ぶ淫乱さを褒めて欲しい。


「傑、すぐる……ぁ、っ」

 そっと割り開いていた手を放して中の指を咥え込むと、傑は唇の端で笑いながら3本に増やした指でぐぱりとそこを開げ、もう片方の手で小さな鍵を握った。粘膜を撫でる空気に悦が息を呑んでいる内に手早く錠を外し、確認を終えてずるりと引き抜いた手も使って、涼しげに細い鎖を鳴らす貞操帯のパーツを全て外す。

 華奢な銀色を枕元に畳んだタオルの上に置いた傑は、代わりにそこに初めから置かれていた黒いベルトを持ち上げた。厚みの割に幅広なベルトには一定の間隔で4本のストラップが伸び、先端にはそれぞれ歪なV字型の金具がぶら下がっている。

「ちょっとキツく締めるからな」
「ん……」

 浮かせた腰下に膝を入れて支え、腰骨の上にじゃらじゃらと金具のついたベルトを回した傑の手がバックルを締める。貞操帯と違ってしっかりした重さと厚みのある金具は冷たく、悦は邪魔にならないように胸元に引っ込めた両手をきゅっと握った。

「それ可愛い。でも逆」

 枕元に準備された手枷を意識した姿勢をからかわれながら抱き起こされ、胸元に引っ込めていた両手を背中に回されて、分厚い革の首輪と、それとベルトで一連になった手枷を、ぎゅっと前から抱きしめるようにして着けられる。
 ついに7日目にして初めての、子供騙しじゃない本物の首輪を嵌められてしまった。下手に暴れればそれだけ首が締まるから、上半身の自由はこれで殆ど奪われてしまった。

 そしてこれから、体の内側まで拘束されて嬲られる。

「は、……はぁ……っ」
「可愛いな」

 想像だけで息を上ずらせてぶるりと震える淫乱さを愛でながら、傑は引き寄せたクッションの上に悦をうつ伏せに寝かせた。胸の下に敷いて首輪に締められた首が痛まないように整え、自分から腰を上げた従順さを脇腹を撫でて褒めながら、だらりとベルトからぶら下がった金具をローションでたっぷり濡らす。
 まずは腹側に垂れたうちの1つが、ストラップが繋がっていない方の辺が倍以上に長く、どう見ても何かを引っ掛ける形をした歪なV字の金具が、ストラップを右足の付け根に沿わせながらつるりと埋められた。

「ふっ……!」

 悦が知っていることを解っているから、傑は大袈裟に跳ねた腰を宥めるように撫でるだけで、何も説明してくれない。弛んだストラップを調整して金具の谷間をぴったり食い込ませ、もう1つの金具も同じように埋めて、しっかり解れた縁を指2本分横に広げながら左足の付け根に沿ったストラップをぴんと張る。

「ぅあ……っあ……!」

 拡張が目的では無いから、背中側から伸びた2つの調整はより丁寧だった。すうすうとした空気に熱を持った粘膜を冷やされて手足の先を丸める悦を他所に、中に食い込んだ金具の角度と、4本のストラップの張り具合を傑は念入りに調整して、最後にぐるりと一周撫でながらぽんぽん、と悦の腰を撫でる。

「できた」
「ひぃ……っ!」

 いっそ無邪気にさえ聞こえる声と共に、四方向から引っ掛けられたフックによって拡げられたまま拘束されたナカにふぅ、と息を吹き掛けられて、悦はびくりと首を竦めた。明るい照明の下に晒された媚肉も今更怯えるようにうねって、その様も傑に見られてしまっているから喉奥でくつくつと笑われて、まだ何も始まっていないのに息苦しいくらいに息が上がる。

「もうイきそうじゃねーか。ホントに縛られるの好きだな」
「あぁっ、や……ぁあぁ……っ」

 シーツに滴るほどに濡れたモノをくちゅりと戯れに撫で上げてから、背中に覆い被さるようにして悦の頭の傍に手を突いた傑は、ローションと先走りに濡れた手を伸ばしてタオルを引き寄せた。
 隅っこの貞操帯ごと、寝室に入った時にはその上に準備されていた道具も引き寄せて、右頬をシーツに預けている悦の眼の前に持って来る。

「放っといたらお前イきそうだし、もう始めるか。やっぱり怖いとか寒いとかあったら言えよ」
「っ……こわく、ない」
「へぇ?」

 精一杯の虚勢を張って横目で睨みつける悦におかしそうに笑って、傑はうつ伏せた悦の視点からは柄くらいしか見えていなかった道具の1つを持ち上げた。

「今からこれで、奥の気持ちいいトコだけマッサージされて、」

 親指くらいのサイズの楕円にイソギンチャクみたいな突起がびっしり生えたそれを、長くて細い柄をぷらぷら揺らしてしなる様を見せてから、真ん中の一際ごつい道具を持ち上げる。

「これにミリ単位で感じるトコ探られて、」

 いかにも強力なバッテリーとモーターを仕込んでいそうな持ち手の先、悦からは見えていなかった部分は、前の薄ピンク以上に細長かった。性感帯をピンポイントで責め抜く事にのみ特化した雫型の先端は、スイッチを入れると想像以上の振動数の細かさと速さを示して、みぃー、と高い音で空気を震わせる。

「頭もナカもぐずぐずになったらこれで何回も抉られて、気絶も出来ないくらいイかされンのに?」

 最後に持ち上げられたのもシリコンで、他と同じように標的を限定した長い柄の先端には、先から徐々に直径が大きくなる玉が4つ並んでいた。一番大きな部分だとピンポン玉くらいあるそれをタオルに戻し、傑はぐっと上体を下げて悦の左耳に唇を寄せる。

「拘束されただけでイきそうになる淫乱なんだから、ここは怖がっとくとこだろ」
「っは……」
「あぁ、痛いとか苦しいとかの逃げ道があるって思ってたのか?他と違ってココは慣れてないから?」
「はぁ……は……っ」

 ひくりと震える悦の下腹を丸く撫でて、心底おかしくて堪らないと嗤う声が低く囁いた。

「ねぇよ。残念だったな」










 あたかもひとつずつ段階を踏んで使うような口ぶりだったが、全くそんなことは無かった。

「ああっ、や、いくっ……またいくぅっ……ぁあ゛あぁあっ!」

 指定席である悦の足の間に胡座をかいた調教師の両手はフリーだし、用意された道具はどれも最奥を責める為に柄が細くて長いから、いっぺんに挿れられても小振りな本体部分が互いに干渉する事がない。右手に持たれた薄ピンクのシリコンに、柄のしなりを利用して柔らかい突起で曲がり角をくちゅくちゅと捏ねられながら、左手に持たれた強力なバイブに、剥き出しにされた前立腺のど真ん中に振動を叩き込まれてぐりぐりと抉られる。

「あ゛ぁ―ー―っ!……うぁあ―ー―……!」

 丁度傑のモノと同じくらいに開かれて固定された悦に防ぐ術は無く、気持ちいい所ばかりを苛める道具を締め付けてほんの少し動きを邪魔する事も、感じたら感じただけびくびくと痙攣する素直な粘膜の反応を隠す事も許され無い。
 イったばかりで敏感になった突き当りを触手のような突起にじっくり撫で回され、もうとっくに陥落して緩んでいる奥の肉輪を戯れに突っつかれ、バチバチと白い火花が弾ける視界が暗くなるまで甚振られて、失神する寸前で2本の道具を抜かれる。

「っはぁ――……はぁあ……っ」

 シーツにうつ伏せて腰だけを上げた体勢も、拍車を掛けていた。両腕を肩甲骨の上で纏めて拘束されているから、胸も首も思いっきり反らすようにしないと、悦自身の肩が邪魔で傑の方は見られない。割り開かれる感覚が無いから、どちらをどのくらいの深さで挿れられているのかも、次にどこを責められるのかも、当てられるまでは解らない。
 今度はどこを、どんな風に、とビクビクしながら待っているからますます神経が研ぎ澄まされて、どこにも触れないままどちらかの道具が中に入ってくる空気の動きだけで、フックを締め付けてしまう。手元を見るために背を反らせる余裕なんて、ある筈が無かった。


「ここと、」
「ひっぃ……いぁああぁっ!」

 半ばまでをフックに開かれた奥深くにくちゅりと潜り込んだバイブが、曲がり角の背中側を軽く押し上げてからスイッチを入れられて、甲高く震える。背骨に響く鋭い快感に悦が額をシーツに押し上げて悲鳴のような嬌声を上げると、ものの数秒でスイッチを切られた先端が、角度を変えてまた別の所を押し上げた。

「ここ」
「あうぅう゛うっ!」
「どっちが気持ちいい?」

 精嚢の奥側を震わせられてどぷりと濁った雫が溢れる様も傑には見えているのに、なんなら足の震えや体のびくつきから悦以上に察しているのに、素知らぬ振りで聞かれる。
 言ったほうを集中的に苛められるのが解っているから心底言いたく無かったが、調教師の質問にはちゃんと答えないとお仕置きされてしまうから、悦はぶるぶると膝を震わせながら正直に答えた。

「あと、の……ほう……っ」
「こっち?」
「あッ……そ、っち……そこ、ぉ……!」
「じゃあ、こことだったらどっちがいい?」

 ここ、と言いながら先端の雫型が曲がり角につぷんと入り込み、ぞわっと骨盤が波打ったような感覚が脳に辿り着く前に、かちりとスイッチが押し込まれる。

「――――ッ!」
「悦?どっち?」
「っ―――、っッ―――!!」
「……今更だんまりはねぇだろ。もういい子ちゃんのフリ止めたのか?」

 体の芯が崩れるような重い絶頂に8割意識をすり潰され、がくんと喉を反らして声にならない嬌声を上げる悦の奥深くを、傑は腰下のシーツが濡れていくのを眺めながらバイブの先端で撫で回した。慣れた前立腺の快感と合わせて丁寧に解されたそこを、強震動をまんべんなく浴びせて更に緩ませ、直近の鮮烈な記憶を呼び起こすようにちゅぷちゅぷと小刻みに出し入れして、10割すり潰された悦の意識を即座に引き摺り戻す。

「あ゛っ、あ゛っ、ぁっあッ!」
「あ、じゃ解んねぇよ。どっちだ、って聞いてんだけど」
「っはぁあッ……ぁ――っ……あ゛ァ―――っ……!」
「体はこんなに素直になったのに、頭ン中はまだ反抗的なのが直んねぇな。そんなに俺の言う事聞くの嫌いか?」

 自分の首を締めるだけの無駄足掻きを続ける奴隷に形ばかり嘆いて見せて、実際に悦が深く重いまま連続する絶頂に拘束された腕をじたばたと藻掻かせて手枷に繋がった首輪を締め始めたので、調教師はスイッチを切ったバイブを引き抜いた。
 重力が反対になったような勢いで高みに引っ張り上げられている途中で、抜かれたという感覚すら朧気に全ての刺激が取り上げられたが、頭が真っ白に焼け付く絶頂は止まらない。それまでと同じように叩き上げられて、その癖に燻るような不完全燃焼の感覚を残しながら、高さの分だけ落ちたそのままの勢いでずっしりと深い余韻が全身と意識に伸し掛かってくる。

「はぁーっ……はあー……っ……あ゛、ぅ……?」

 ぴりぴりと全身の神経が余波に震えるむず痒いような感覚に身を捩ろうとして、背中に回ったまま動かない両腕がぐんと頭側に引っ張られ、悦は力尽きたままシーツに突っ伏していた顔を巡らせた。
 一纏めに手首を拘束する手枷、そこから首輪に繋がる短いベルトを、引かれている。

「っあ……!」

 まだ焦点の定まらない視界にそれでも見間違いようのない藍色が見えて、すり潰されたままひしゃげていた意識が少し明瞭になった。実際には傑はベルトを引いている訳ではなく、寧ろそこを保持することで首が締まることを防いでくれていたが、それを把握出来るだけの頭が働いていない悦は、咄嗟に首輪を引かれて叱られているのだと理解する。

「……こ、っち……」

 懸命にバイブに貫かれる前の会話を思い出して、掠れた声で背後の傑に答えた。喘鳴混じりの小さなそれは殆ど吐息と変わり無かったが、幸いにして近づいていた距離のお陰で聞き逃される事は無く、身を屈めた傑の体温が背中に近づく。

「なんか言った?」
「こっち、……こっちが、いい……」
「あぁ、気持ちいい方?」

 聞き返してくれる声が思いの外優しくて、それにほっと肩の力を抜きながら悦はこくこくと頷いた。ベルトを離した傑の手が汗に張り付いた髪を梳いてくれる心地よさにうっとり瞬くと、叱られる、と強張っていた表情をじっと観察して見定めていた藍色もそれを見て僅かに細められる。

「やっと頭の方も素直になって来たな」
「……?」
「あれだけイってりゃ聞こえてねぇか。喋る余裕無かっただけで、答えたくなかったわけじゃないもんな?」
「ちが、う……」

 もう一度頷くと、涙に濡れている眦に甘やかすようなキスを落とした傑は、粘度の高いローションで濡れそぼった2つの道具を元のタオルの上に戻した。やっと痙攣が収まった膝が崩れそうになるが、太腿の裏にスウェットを履いたままの傑の太腿を押し当てられて支えながら止められる。
 道具があと1つ残っているからだ。いい子いい子、と頭を撫でる手も声も目元も優しいけれど、まだ姿勢を崩すのは許されていない。

「抜かれるの嫌いだったのに、あとの方が良かったのか?さきに弄ってたトコの方が慣れてるだろ?」
「ん……きもちよかった」
「なんで?」

 そんなの、傑が上書きしてくれたからに決まっている。

 本物の処女相手にするより紳士的に、額に汗が滲んでも我欲を抑え込んで境界線を侵す事だけに終始してくれたお陰で、悦の本能と精神に食い込んでいた忌避感はもう綺麗さっぱり消え失せた。心理的な抵抗を快感で押し流して有耶無耶にする事も出来ただろうに、それだけの技術を持っているのに、傑はあの時それをしなかった。
 望み通りに抜くだけ抜いてその後の行程の一切を悦の記憶には残さず、淫乱が当然に”その後”に抱いた強い期待と羨望によって、僅かに心の奥底に残っていた澱まで洗い流す為だ。

 お陰様で、期待が大きく育ち過ぎて多少尻込みはしたものの、体温の無い道具に開かれても悦の頭は一度だって冷めていない。

「……わかん、ない」

 あれだけビビってた癖に結腸まで突っ込まれて滅茶苦茶に犯されるのが待ち遠しかったからです、と言うのはぷかぷかと余韻に揺蕩うような頭でも流石に恥ずかしくて、誤魔化した。シーツに頬を擦り付けて視線からも逃れようとしたが、耳を軽く噛まれて阻まれる。

「解んないわけねぇだろ、お前が」

 ぴく、と震えて逃げるのを止めた悦を、爛れるどころの騒ぎではない過去もひっくるめて愛しているからこその陰のない声音で嗤った傑の手が、うなじを撫で下ろして首輪に触れた。

「中からも外からも指じゃ届かないし見えねーし、流石に手探りなんだよ。どんな風に気持ちよかった?」
「ぁ、……っ」
「教えて、悦」

 肌との隙間に指が差し込まれ、ぴたりと狭まった分厚い革の存在感が増す。ねだるように甘えた声と強められた支配との対比に、頭の奥がじわりと熱く溶ける。

「い……いっぱい、奥のとこ、くちゅくちゅされた、から」
「うん」
「おく、の……なかの方が、じんじんして、て……」
「……してて?」
「っ……疼いてたとこに、いれられたからっ……きもち、よかった」
「あぁ、だからイきまくってたのか。何回も、何回も」

 素っ気ない声と裏腹に、甘えるように擦り寄せられた髪が耳元をくすぐって、思わず竦めた首をくん、と指が引く。


「俺のじゃないのに」


 喉笛を潰すにはまだ幾らも猶予がある首輪の下で、ひゅっと息が止まった。

 皺の寄ったシーツを見ていた瞳をそろそろと動かして、傑を見上げる。
 伺った藍色には理不尽な嫉妬や憤りなんて欠片も無い。当然だ。道具を用意したのもそれを操っているのも傑だし、悦がそうなるように時間を掛けて仕込んだのも傑だし、何もかもを放棄してその庇護の下に溺れることを覚えさせたのだって傑なのだから。

 それなのに、分厚い革に締められた首の後ろがぞくりと冷えた。

「まあ、それを挿れる為にやってんだから当たり前なんだけどな。可愛い悦を痛がらせたくねぇし」

 鳥肌立った首筋をくすぐって、飄々と言った声音と同じくあっさり離れていった手が、タオルの上に残されていた最後の1つを持ち上げる。どれだけ甘く見積もっても初心者向けではないモノを痛み無く通して、引き抜いて、それを何度も繰り返す為に選ばれた、緩くカーブしている長い柄の先に4つ連なった球体。
 もう手は離れているのに、首輪がずしりと重みを増したように感じた。傑が用意して傑が操る傑のじゃない道具に、傑に捧げた深くを犯されてイくのがとても、どんな酷いお仕置きをされても文句が言えない程、いけない事のように思えてくる。

「……ゃ……やぁ……っ」

 上手く動かない上半身を捩って、悦は小さく首を振りながらシーツの上をずり上がろうとした。媚びと甘えに濡れた声でやだ、やだ、と血の通わない道具を拒絶しながら、拘束されていない膝で蹴るでも抉るでもなく、ただもぞもぞシーツに皺を寄せる。
 背徳感に煽られて寒く感じるほど興奮しているのも傑にはバレているから、十数センチの逃避行は手枷に繋がったリードを引かれて元に戻され、そのまま置かれた掌にぐっと体重を掛けられた。

「ふぁ……や、あぁぁ……!」

 形ばかりの抵抗もさせて貰えない粘膜に、ぼとりと重いローションが滴り落ちて指先が引き攣る。辛うじて閉じている僅かな距離を詰められ、先にあった分と混ぜ合わせるように曲がり角をぬちゅぬちゅと捏ねられると、期待に腰が揺れるのを止められなかった。

「入れる時より抜かれる時の方が気持ちいい、って奴が多いらしいけど」
「あ、ぁあ、あ゛っ」
「悦はどっちだろうな?」
「ひう゛っ!」

 他には感覚を散らせないように拘束されたまま、1つめの小さな球がぬぷ、とそこを超える。バイブに超えられた時よりも強く、骨盤から大腿骨までがざわっと波打って、鈍痛に似た背徳的な快感に頭が白んだ。
 道具なんかで気持ちよくなったらだめなのに、と噛み締めた奥歯が、一回り大きい2つめを呑まされて呆気なく嬌声に緩む。じっくり壁越しに嬲られてむずむずと疼いていた粘膜を、つるりとした丸みに柔く擦られるのが堪らない。3つめは更に一回り大きく、まだ慣れない場所を拓かれるのは少し息苦しかったが、傑のモノで犯される為に作り変えられているのだと思えばそれさえも頭の芯を痺れさせた。

「はぁっ……はぁー……っあ゛、あっ!」

 最後の1つを残したままくん、くん、と引かれて、4つのフックが食い込む。この先に与えられる衝撃に怯えているのか、取り上げられたくないと縋り付いているのかは悦自身にも解らない。どちらにせよ満足な抵抗にはならず、滑りのいい球が逆向きに結腸の狭いくびれを押し開いて抜けていった瞬間、視覚と思考が真っ白に焼き切れた。

「っ~~~~!」
「こっちか」

 がくん、と顎を跳ね上げた勢いのまま仰け反ろうとする悦の背中を押さえたまま、試すまでもなく結果を知っていた傑は痙攣する結腸の入り口に抜いたばかりの球を2つ呑ませ、脆い粘膜を傷つけない範囲で持ち手を捻る。

「ァ、がっ……!!」

 襞と襞の合間を抉じ開けるように捻り、爪先までぎゅうっと丸めてシーツから浮いていた膝下がぱたりと落ちたら、また引き抜く。

「や゛っぁ……―――っ!…~~~~っっ!」

 焼き切れたままバチバチに弾け続けている視界がふっと暗くなり、直後に一際大きい4つめまでを一息に突き入れられてまた全身に閃光が駆けた。深い。苦しい。頭がおかしくなる。

「あーあ、全部食っちまって」
「ッ………いぅ、う゛……ぃぎっ……ぅあぅう……っっ!!」

 イってる、ずっとイってるから、もう動かさないで。自分で挿れておいて他人事みたいに言う傑にそう懇願したいのに、喉も舌も痙攣しているから全く意味のある言葉にならない。せめてと懸命に首を巡らせて背後の傑を振り返ろうとしたが、先の3つとは比べ物にならない質量をくぷん、と引き抜かれて、なにもわからなくなった。

「あ゛あぁああっ!ぁあ゛――っ、あ゛ぁあ゛―――ッッ!」
「一気に抜かれンの好き?これは?」
「かひゅッ……あ、う゛、うぁあ゛、あ、ぁっ!」
「これも好きかぁ。じゃあこうされるのも堪んねぇよな?」
「っ―――っっ!!」











「……ぅ……ん……?」

 トんだ、という感覚すら無く吹き飛んでいた意識が戻った時、悦は傑の上に寝ていた。
 文字通りの意味だ。4本のストラップを緩められただけで手枷も首輪も外されていないのに、仰向けにシーツに寝た傑の胸板にうつ伏せに頭を乗せて、その他の全体重も遠慮なく各所に預けた上に片足を傑の足と絡めていた。

 悦にはどうやらそういう習性があるらしい。色々と剥ぎ取られて詰め込まれて意識も記憶もかっ飛ばして本能だけになると、安全と庇護を求めた本能が本能的に傑にくっつきたがる。朦朧を超えて泥酔より酷い状態に混濁している最中の記憶はさっぱり無いが、状況から察するに、今日は追突するような勢いで傑に伸し掛かってそこで力尽きていたのだろう。

「……起きたか?」

 悦が覚えている数倍の回数この習性を食らっている傑も慣れたもので、無抵抗に全身を敷かれながら、腰のベルトをなるべく摩擦無く回して互いの腹に潰されたバックルを救出しようとしていた。
 んん、と100%悦由来の水分に濡れたシャツに顔を擦り付けると、大人しくマットレスになっていた傑の腰下が半分捻られて器用に隙間を開け、地道に臍の上から脇腹にまで移動していたバックルの救出を完遂する。


 「やだやだ、怖いのが来るから傍に居て」と言わんばかりの擦り寄り方をする癖に、その本能はどうしようもなく壱級に指定される賞金首のものでもあるから、下手に抜け出そうとすると「逃がすかよ」と言わんばかりに鯖折りしたり、腕が使えなければ足で関節を極めたり、酷い時には噛み付いてでも引き止めようとするから逆に危ないらしい。
 我が本能ながらドン引きを禁じ得ない執念だが、寝室とリビングの境目で2人揃ってひっくり返っていたある朝に、自分でも知らなかった”習性”の説明をした傑は嬉しそうだった。加減も程度もすっ飛ばしたドブ育ちの重犯罪者が背中に捻り上げていた右肩は完璧に外れていたので、理性を取り戻した悦は理性的にドン引きした。


「……じんじん、する……」

 既に外されていたフックがじゃらじゃらと揺れるベルトが解かれ、元通りに傑の足の付根に下腹を擦り寄せながら、悦はその奥に感じる違和感をなるべく殊勝に訴える。もじもじと揺れる自分の腹が傑のモノを押し揉んでいるのは意図の内だ。

「痛いとか重いとかは?」
「……ない……」
「よかった。……腕、外すからいい子にしてろ」

 あやすように軽く体を揺らしてささやかな誘惑を袖にされた上に、つむじに押し当てられた唇に釘まで刺されて、むぅと不満げに唸りながら体の力を抜く。
 今が何時なのかは例のごとく解らないが、3時を超えれば傑はいつ呼び出されてもおかしくない情勢だ。ごねると添い寝の時間がその分短くなるから、両手首の拘束が外されて、自由になった手を取られて関節に無理のない向きに頭上に持ち上げられ、過保護な純血種の許容範囲外の傷がついていないかの確認を大人しく受ける。

 順番に手首の内側にキスをされるのも、確認を終えてあっさり繋いでいた手をシーツの上に離されるのも、まだ皮膚一枚隔てて余韻が薄く残る背骨を撫でられるのも大人しく受け入れたが、その手が首輪に掛かるのにだけは抵抗した。

「やっ」
「苦しかったな、今外すから」

 砂糖漬けに甘い声であやされるのにそうじゃない、と額を胸に擦り付けて、自由になった両手でぎゅうっと傑にしがみつく。首輪を引かれて首を締められるのを嫌がったわけじゃない。

 ベッドの外で媚びへつらうのは趣味じゃないが、今の悦はそういう気分だった。小洒落た貞操帯より遥かに存在感を持って、それでいて四肢も呼吸も阻害しない首輪をまだ取り上げられたくない。遊びを全力で楽しむのに都合の良い小道具であるだけでなく、傑の手で締められた革の輪にはその意思が映っていたし、きっと始まる留守番のお供としてこれ以上無く相応しく思えたからだ。

 趣味じゃない上に柄でも無かったが、悦の頭はまだ理性より本能の方が優勢だったので、可愛がられている証である首輪を取り上げられるのは寂しい、と思うがままに鍵もついていないバックルに伸ばされる手を振り払う。

「……首、さむい」

 振り払う為に動かした頭は胸板にむにむにと頬を押し付けるだけだったし、抵抗の理由として脳を介さず零れた言葉は何の説明にもなっていなかったが、それでも傑は首輪から離した手で悦の頭を優しく撫でた。

「わかった。じゃあこっちだけ」

 言葉通り全てをわかってくれた傑はそう言って、付属の手枷とそれに繋がるベルトだけを首の後ろで外して枕元に放る。ボタンじゃなくてそういう装飾かとかつて悦が疑ったことがあるほど、固い3連のスナップボタンが外される音が1回に聞こえた。

 それでこそだ、と満足げに目を閉じて、戻って来た傑の手に頬を擦り寄せる。
 悦が1つ外すのに30秒は掛かるボタンを一瞬で3つ全て外してしまえる。どんなに地獄みたいな死地にも両手をポケットに突っ込んで出向いて、そして必ず帰ってくる。そんなお誂え向きの化け物だからこそ、悦は馬鹿みたいにぽやぽやしたまま甘美な陶酔に浸りきって、8日目の事を当たり前に考えていられる。

「リードは後で繋ぐから、先にシャワー浴びような」
「ん……」

 ぽんぽんと頭を撫でる傑の首に緩慢に両腕を回して、悦はこくりと頷いた。



 Next.




7日目は結腸。

ここに来て初めての「調教」らしい仕込み。
精神面の経過も順調のようです。

因みに悦の習性は後天的なもので、それを知るのは後にも先にも傑だけ。


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