四つ折りにされたハンドタオルの上に、ごちゃついたネックレスのような銀色が、表面に残った小さな水滴まできらきらさせて鎮座していた。
「……」
洗面台の端に置かれたそれを、悦はしゃこしゃこと歯を磨きながら横目にする。半円に開いたままの2つのリング、細い鎖、根本が少し膨らんだ棒、小さな南京錠。対応した鍵は傑が持っているので、ここには無い。
視線を正面の鏡に戻して、昨日は蜂蜜を食べてそのまま寝てしまったので念入りに磨いていた口を濯ぐ。濡れた口元をタオルで拭い、体質と過去の客にされた脱毛の効果で殆どヒゲの生えない顎をひと撫でして、もう一度洗面台の隅っこに置かれたそれを見た。
今日はベッドで一緒に起きた傑は、暑い、とその腕の中から抜け出した悦が足と腕と背中を伸ばしても、ベッドを降りて取り敢えず下着とTシャツだけを着ても、前衛的なアクセサリーのように擬態した貞操帯をつけようとはしなかった。
ボトル2本分のローションと職人技の力加減のお陰で、悦の体に残った痕跡と言えば自分でぎしぎしやっていた股縄の痕と、下腹部のふわふわ感くらいだったが、傑は手首に巻き付けていた小さな鍵を自分の首に提げながら「今日はお休み」だと言って、装着の為に差し出した悦の下腹にキスだけをした。
傷も熱も無いのになんで、とは思ったが、調教師が着けないと言っているものを奴隷が「着けろよ」と凄むわけにもいかない。巣蜜は栄養価抜群とはいえ流石に腹も減っていたし、寝起きだったし、悦も「ああ、うん」と頷いてスウェットを履き、その頃になってやっとベッドから起き上がった傑を後目にバスルームに入った。
用を足して、顔を洗っている時に貞操帯がそこにあることに気づき、歯を磨いて、そしてじっと華奢な銀色を睨みつける今に至る。
「……」
そう、悦は「休み」の意味を掘り下げずにここに来てしまったのだ。
昨日散々外と言わず内と言わず責められまくったから、過保護らしく大事を取って貞操帯は着けない、という意味だと思って頷いたのだが、それだけではない可能性があった。
つまり、最強な化け物らしく貧弱な人間の心身の健康に対して異常に配慮したがる傑が、ドブ育ちの元男娼の肉体的耐久値と精神的図太さと精力的淫乱さを過小評価した結果、監禁調教プレイ自体を一時休止にしやがった可能性だ。
もしそうだとしたら、悦は今すぐにでも寝室に取って返してあのお綺麗な面を蹴り飛ばさなければならない。人間代表として、人間の煩悩をナメるなよと言って脛骨の1つでも砕かねばならない。
「……」
締め切ったバスルームの扉越しに、ぺたぺたとキッチンに歩いていく傑の方をじろりと見て、足首を回しかけた悦はぐっと洗面台についた両手を握る。
今すぐ扉を蹴破って欠伸をしている野郎に躍りかかるわけにはいかないのは、もう一つの可能性の為だ。
傑が言ったのは本当に貞操帯を着けることのみに絞った「休み」であり、プレイ自体は恙無く進行するつもりであった場合、傑の脛骨以外にも何もかもがぶち壊しになってしまう。
どうせ「いてっ」で済む化け物の骨は兎も角として、折り返しに来てやっと調教らしい派手さになって来たプレイの流れを壊すことは避けたい。まさか拘束台の上に縄吊りまで出てくるとは思わなかった。いくらなんでもテンション上がりすぎだろ変態、が建前で、今でこれならこれからの後半は何をされてしまうんだろう、というのが偽らざる悦の本音だ。ぜひこのままのテンションで駆け抜けたい。
「……」
キッチンで冷蔵庫を開けている傑から視線を戻して、味気ないグレーのスウェットを履いた自分の下肢を一瞥する。最近はずっとそこに華奢な銀色が絡んでいたから、逆に落ち着かない。俊敏性を最重視している悦は、現在の職業柄重量の変化には敏感なのだ。
そして過去のメインだった職業柄、傑がどういう腹づもりかによってこの後の立ち回りが変わってくる。プレイ自体休みだと言うならその気にさせなくてはならないし、そうでないなら夜までそわそわしながら好き勝手していなければならない。
人間相手なら性欲が絡んだ腹を探るのくらい朝飯前だが、相手は傑だ。
「……このバカ」
返す返すも、あの時に「なんで?」と聞いておかなかったのが悔やまれる。鏡に写った瑠璃色を睨んで吐き捨て、最後にもう一度きらきらした銀色を一瞥してから、悦はバスルームを出た。
ベーコンエッグとトーストで簡単に朝食兼昼食を済ませ、食休みもそこそこに、悦はきっちりとエプロンを着けてキッチンに立った。
調理台とシンクの半分に渡した大きなまな板の上に、謹慎初日にオンラインで注文していた色とりどりの瓶を次々と並べていく。パッケージからして陽気な異国情緒溢れるそれ等を段ボールから出し終わった後は、1つ1つ跳ね上げ式の蓋を開けて香りと、パウダーだったり原型を留めたままだったりする中身を瓶の底から確認した。
クミン、コリアンダー、ナツメグ、ペッパー類辺りは普段の料理でも使うので馴染みがあるが、シナモンやクローブはお菓子にしか使ったことが無いので不思議な感じがする。カレーリーフとガラムマサラとターメリックは匂いからして如何にもだ。
35種類の瓶を確認し終わり、一先ずカウンター側に寄せておいて、壁際の木箱から玉ねぎを取り出す。とにかく大量に要るので大きなボウルに2杯分、10個ほどを掬って調理台とまな板にごろごろと転がし、とにかく細かく刻まなければいけないのでブロック肉もミンチに出来る大型ミキサーをドンと調理台に据えて、悦は特大のボウル3つと漉し器、スパイスが入っていた段ボール箱をリビングのローテーブルに運んだ。
「凄ぇな。量が」
「何回で出来るか解んねぇから。半分は裏ごし、半分は手で潰すだけでいい。よろしく」
「はいよ。最大何食出来る予定?」
「30か40。頼んだ」
「ナンかチャパティつけてくれるなら」
「冷凍のヤツあるから勝手に焼け」
段ボール箱の中に残っていた15個のトマトホール缶と、これから大量に生産する試作品の始末をソファに座った傑に託して、キッチンに戻る。
「よし」
洗面所に手を洗いに行った傑を横目に1つ気合を入れて、悦は業物の包丁を握って玉ねぎの下処理に取り掛かった。
玉ねぎにトマトに大量のスパイスで出来る料理は星の数ほどあるが、悦が大量の材料を注ぎ込んで作ろうとしているのはカレーだ。それも、ある特定の味に限りなく寄せたただ1つのカレーである。
傑と共に両手で足りないくらいに通ったB地区のスパイスカレー専門店の、全ての基盤になっている基本のカレーを再現することが、今日の悦の目標だった。違法移民として流れ流れて”街”に落ち、その舌と腕だけで”一層”に店を構えるまでにのし上がった店主が、四半世紀ぶりに見つかった生き別れの姉弟と故郷で暮らすために、来月には店を畳んでしまうからだ。
スパイスを炒めながら強盗の指を切り落とす豪快な店主は、閉店前に基本の味の再現が出来たなら、深みが半端じゃないマトンカレーのレシピを教えてくれると言った。俺の配合は特殊だから、ちょっと料理を齧っただけの男娼さんには難題かもしれないなと、おまけのラッシー感覚で煽りも添えて来やがった。客として寝たことは一度も無いが、あのオヤジは悦の男娼時代の裏ビデオのファンなのだ。
散々オカズとして世話してやったんだから普通に教えてくれと思わないでも無いが、そんな風に煽られてはレシピの対価に”本物”で絞り上げて首を縦に振らせる訳にもいかない。
昨日ローションと体液まみれで失神しているいつかに届いていたスパイス達を前に、悦は店主からの挑戦を正攻法で受けて立とうとしていた。
「……どう思う?」
「んー……近い。近いんだけど遠い」
「ガラムマサラいらねぇのかな……アレに大分振り回されてる気がする」
「辛さがな、ちょっと」
「あ、待て言うな。限界になったら聞く」
文字通り人間離れした味覚と嗅覚によって、その気になれば一滴のスープから精密機器レベルの成分表を作れる純血種の助言を片手で遮り、悦は取り敢えずの試作品10皿を乗せたトレイをそのままにキッチンに戻る。
スパイスの節約の為に出来るだけ少量で作っているとはいえ、数が数だけに総量は現時点で2食分を軽く超えていた。悦は味見と確認の為に各種スプーン2、3杯を食べるだけだから、試作品の残りは全て傑に食べて貰う形になるが、辛味の方向性によってナンとチャパティを使い分けている純血種に「満腹」は存在しない。これまたその気になれば人間離れした消化能力と代謝によって、ものの数秒で胃を空に出来るからだ。
あまりにカロリーが多いと50度近くまで体温を上げる事で余分なエネルギーの浪費を行うが、まだ傑は人間ストーブにはなっていなかった。本人は平気だと言うが急に滝のような汗を流し始めるのは見ていてハラハラするので、出来ればそうなる前に正解に辿り着きたい。
洗ったアルミパンを空焚きしながら、悦はガラムマサラの瓶をまな板の方に避けた。
「遠のいた……絶対遠のいた……」
「そうか?コレとかいい線いってるだろ」
「マジで?……えー……そうかぁ?こんな辛かったっけ?」
「シナモンに鼻やられてる」
「……傑、まだ食えそう?」
「余裕」
炒められるものは中華鍋まで使っている所為で流石に疲れてきた右手を振りながら、頼もしく即答した傑の腹を盗み見る。袖は肘まで捲っているものの、板チョコのようにバキバキに締まった腹はいつも通り、ストンとグレーのシャツを平面に落としていて膨らんでいる様子も無い。
舌を洗う為の氷水を飲んでごく、と喉仏が動く様子を眺めてから、悦は舐めたように綺麗に空になった先の10皿を持ってキッチンに戻った。
「あっ……傑、傑!」
片手にフライパン、片手に味見用のスプーンを持ったまま、試作31品目を煮詰めていたコンロの火を膝で消して悦は傑をキッチンに呼び寄せる。
悦の直感はこれだ、と告げているが、スパイスに毒された口と鼻では正直自信は持てない。はいはい、とキッチンに入ってきた慣れも鈍りもしない精密機器の口に、いっぱいにカレーを掬ったスプーンを有無を言わさず突っ込んだ。
「……お」
「あの野郎……!」
スプーンの柄を歯で咥えた傑の表情で勝利を確信し、フライパンを置いた拳をぐっと握ってから調理台に叩きつける。あの裏モノ好きの雑食オヤジめ、何が「特殊」だ。
「ド級の基本じゃねぇか……!!」
シナモン、カルダモン、コリアンダー、ターメリックにレッドペッパーの王道スパイスと、玉ねぎとトマトと生クリーム、そして深み出しのカシューナッツ。ナッツがペーストじゃないのが特殊と言えば特殊なのかもしれないが、血にまでスパイスが流れているような野郎が「特殊」と言えばそれはスパイスの配合の事だと誰もが思う筈だ。
まんまとしてやられた。お陰で少なくとも20種類は余計に傑に試作を食わせた。
「許してやれって、十分早い方だろ。ペーストじゃないってまず気づいてたし」
「……30も無駄に作って?」
「無駄じゃねぇよ、全部美味かった」
「……」
けろっと言われたド直球の賛辞がくすぐったくて、悦は俯いたまま口をもにょもにょさせる。満足な具も無い上、中には使い慣れないスパイスの効果を探る為に作った酷いものもあったのに。
そりゃあ傑に食わせるのだから最低限味は整えたけども、人間を遥かに凌ぐ味蕾を持った純血種にとっては美味い不味い以前に無駄でしかない回り道だ。にも関わらず、シンクに積んだ皿はどれも使ったのか怪しいくらいに1枚残らず綺麗になっている。
「……俺の作った飯ならなんだって美味いって言うんだろ」
「悦が俺に食わせてくれる飯が不味かったことねぇからな」
「……」
そんな奴の言うことが信用出来るか、と憎まれ口を叩こうとしたのに、益々恥ずかしいことを言われて二の句が告げなくなる。更にはちゅ、と赤くなった耳にキスまでされて、顔から火を吹かない内にこの話題を終わらせる為、悦は横に立つ傑の腹をとんと手の甲で軽く叩いた。
「腹、平気か?」
「あと50は食えるぜ、悦が作ってくれるなら」
「俺の腕が死ぬっての。……ありがとな、付き合ってくれて」
「どういたしまして。温くなる前にラッシー飲んじまえよ、後やっとくから」
ちゅ、ともう1つ額にキスをした傑が後頭部と腰に回した手でくるりと立ち位置を入れ替え、ローテーブルに置きっぱなしの甘い飲み物を理由にして、6時間ぶっ通しでキッチンに立っていた悦を労る。さらっと荒れ放題のキッチンの片付けを買って出ている辺り、本当にこの男前の男前っぷりは隙がない。
悦がマトンカレーのレシピに食いついたのは、行けば必ず頼むくらい傑がそれを気に入っているからだが、それにしたって。
「……傑、お前さぁ」
「ん?」
「ホントに俺のこと好きだな」
早速スポンジを握っている傑から一歩下がって、恥ずかしいのを通り越して感心しながら独り言じみた声で言うと、袖を捲りながら振り返った美貌が雄の色気を極上のスパイスにして笑った。
「好きだよ。知ってるだろ?」
指どころか髪にまで染み込んだスパイスをシャワーで念入りに洗い流し、1ミリも動いていない洗面台の銀色をちらっと見てから、悦はカウチソファのカウチ部分にごろんと寝転がった。
食洗機が動く音を聞きながら端末を確認して、”地元”の知り合いや物わかりのいい元客からのメッセージを一通り流し読む。半月前に瓦礫に潰されたテトラの両足は、結局どうしようもなくて膝下から切断になったそうだ。
あいつもいい年だから丁度良かったのかもしれない。16歳以下の子供、が不文律の”鴉”だが、自力で群れを出られない者や頭の中がいつまでも大人にならない者だけは例外として巣立ちを免れ、巣の奥に隠される。大抵そういう者は大規模な縄張り争いが起こると脱落していくが、テトラは変な方向に頭が良いから、いつまでも8歳のままでにこにこ”餌番”をしているボーナのように上手くやるだろう。
一報を入れてくれた闇医者のスーダに「テトラに言われて切ったんならお前を殺すからな」と脅しと口止めをして、他は大した話では無かったので端末をローテーブルに置き、悦は背もたれから頭を出して傑が洗い物を終えるのを待った。
この男の一番の魅力は薄っぺらい表皮には無いと骨身に染みて知っていても、それでも、顔が抜群に良いのはこういう時便利だ。見飽きない。
「なに飲む?」
「りんごジュース」
最後のフライパンをフックに掛けて早々に聞いてくれる低くて甘い声に遠慮なくリクエストして、大きめのコップにたっぷりのりんごジュースと、もう片手に氷の入っていないロックグラスと酒瓶を持った傑がソファの定位置に座るのを待ってから、ソファの上をずり上がってその隣に座る。
慎重に座り心地を確かめて2人で買ったソファは勿論ふかふかで心地いいが、どれだけ酷い体勢でぐんにゃりと弛緩しても、抜群の安定感で抱き留めてくれる腕に勝るものは無い。爽やかに甘いジュースを一口飲んでから、悦は傑がグラスに酒を注ぎ終わるのも待たずに、空いた腕の下に頭を突っ込んだ。
「あれ見たい。続き」
「あぁ」
瞬きでもするような自然さで肩に回された腕に懐きながら、テレビが点き、最短ルートで画面を操作され、2日前に配信されていたドラマの最新話がそこに映し出されるのを待つ。
途中で飽きるか忘れるかでなかなか続き物が追えない悦も、この異能力刑事クライムホラーサスペンスアクションドラマだけは傑と共に追えていた。基本的には一話完結なので筋が単純で分かり易いし、節操なしに詰め込まれた要素のお陰で画面が派手で飽きないし、あの時のアレが今回のコレに繋がっていると傑に解説して貰うのも楽しいし、外見は冴えない凄腕刑事である主人公の家が毎度様々な理由で爆発するのが面白いからだ。
大袈裟な引きもなく50分きっかりで本筋の起承転結を終える割に、1クールをかけての複雑な裏筋の伏線も散りばめたり回収したりしているらしく、視点の深い傑も楽しんでいる。今回は宅配ピザに仕掛けられた爆弾によって、主人公が煙草を吸いに出たベランダだけを残して仮住まいのモーテルが爆発四散していた。
「絶対これ背中刺さってる。破片とかガラスとか」
「避けてんじゃねぇの?第六感とかいうので」
「すげーな第六感。俺も欲しい」
「お前は箱持った瞬間に気づくだろ。重さと匂いで」
「五感がザコいよな、こいつ」
お決まりの炎上する家からのパンで「あんまりだ……」と主人公がキメ顔で嘆く合間に、下らない野次を言い合い、場面が切り替わったのでまた画面に集中する。
今回の本筋は、過去の逮捕を逆恨みした犯人による地下への誘拐と、そこからの脱出だった。
主人公はシワシワのスーツの下にムキムキの肉体を隠したゴリゴリのマッチョなので、時代錯誤な道具を使って拷問しようとする犯人をあっという間にノシたのだが、捕らえられた地下室は過去にそこで惨たらしく殺された人々の怨念が染み付いており、やけに造りが複雑で、方向音痴気味の主人公は怨霊達に脅かされて30分も野太い悲鳴を上げながら、這々の体で地上へ脱出した。
出口には相棒でヒロインの新人女刑事が同僚と共に待ち構えていて、お決まりの「……またですか、ヨン」に主人公が情けない顔で笑い、こんなものを流す時間など無いと言わんばかりの爆速のエンドロール。
「……硫酸ぶっかけられてもあんな溶けない」
緊迫感ある音響で散々煽ってからシーンとしてドン、と来るタイプのホラーパートの所為でしがみついていた傑から離れながら、悦は制作陣の執念を感じるメイン怨霊の特殊メイクに実地の文句を言った。
怨霊だの幽霊だのの、殴れない殺せないタイプのホラーは対処法が解らないから普通に怖いし、驚いた弾みでついナイフを抜きそうになる。反射で体が動かないように掴んでいた傑のシャツの首元が皺になっていたので、腰元をくいくいと引っ張って伸ばしておいた。
「もっと強い薬だったんじゃねぇの?」
「あんな風に溶ける薬あるか?」
「フッ化水素とか。フッ酸」
「アレは骨までいくだろ。目玉なんて残んねーよ」
「目は溶かせなかったんだよ、アイツと同じ色だったから」
視聴者心理を計算し尽したジャンプスケアを食らっても眉一つ動かさなかった傑が、悦が揺らす所為で飲めなかったグラスを一息に干して言う。四肢をデタラメに動かして這う動きがキモすぎるとか、その顔面は煮込まれでもしないと有り得ないとか、こっちから触れないのにそっちは足首を掴めるのはズルだろとか、そんな事ばかり考えていた悦は怨霊の濁った目の色なんて注意していなかった。
「目?何色だった?」
「明るい緑」
「みどり……?」
上体を屈めて酒を注ぐ傑の肩に凭れ掛かったまま、教えられたヒントを元に記憶を辿る。緑色の目。
悦のような鈍い視聴者にも、どうやらこれは重要な伏線っぽいな、と察せるよう大写しにされたエメラルドグリーンの瞳の映像は、制作側の気遣いのお陰で流石に覚えていた。でもどこの話でどんな流れだったのかは思い出せない。
水のように、でも美味そうに、ストレートのコニャックを飲む傑に見守られながらうーんと考えて、さっぱり思い出せずに悦は白旗を上げた。
「わかんね。誰?」
「予知夢で出てきたリンダの妹。幼稚園の帽子被った、5歳の」
「よーちえんの帽子?何の話?」
「あなたはお姉ちゃんの傷を知ることになる、って言ってた。観覧車のてっぺんで凍死しかけた話」
「あー……あぁ?あのヤりそうでヤらねぇ話?」
「それ。キスなんかしてねーでしゃぶれよ、ってキレてたの覚えてねぇか?」
「覚えてねぇ……妹なのに緑?女の目って金だろ?」
「腹が違ぇんだよ。背中の、見られたくないって言ってた傷あっただろ?あれつけたヒス女が実は継母で、父親とは政略結婚で、叔父が黒幕と繋がってるっぽい」
「へぇー……全っ然思い出せねぇわ。もっかい見よ、もっかい」
幸いこのドラマは動画サイトの配信物なので、頼りない記憶を辿るよりそっちの方が手っ取り早い。”よーちえんの帽子”とやらがどんな物かも見たいし、と自分はカウチに足を伸ばしたままねだると、傑はグラスを呷りながらリモコンを操作して、最新から5つ前の第4話を再生してくれた。
ひと月も前に見た話を相変わらずよく覚えているな、とその横顔に感心しながら、ちらりと壁の時計を見る。8時過ぎ。
この流れであと2、3話見ていれば、丁度いい時間になる。
すっかり乾いた銀色のことを思い出しながら、横から拝借したコニャックをどぼどぼと自分のジュースに注いで、悦は車中泊を試みた主人公の愛車が景気よく吹き飛ぶ画面へと意識を向けた。
7話目の半ばで肩から膝に頭を預ける所を変えてみて、瓶を空にしてグラスも置いた傑がそれでも動かないので、しっかり見覚えのある8話の冒頭で悦はテレビに背を向けた。
ごろんとソファの上を転がって、傑の下腹に顔を押し付ける。吐息がシャツをしっとり湿らせるまでになっても背中に置かれた手が動こうとしないので、そのままぐりぐりと額を押し付けた。
「悦」
「……」
「くすぐってぇよ」
「……」
やっと背中から動いた手に期待を隠さず見上げたのに、傑はあやすように柔らかく髪を梳くだけで動く気配が無い。もう一度顔を埋めてぐりぐりと擦り付けても、ぽんぽんとやはり柔らかく撫でられるばかりだ。よろしくない方の可能性が出てきた。
「……ベッド、行かねぇの」
半分だけ顔を上げて、水没していくバスの中で痴話喧嘩をしているドラマの音声に紛れるくらいの声量で聞く。悦に付き合って完璧に覚えているだろう画面を眺めていた傑が、ようやく伏し目がちに手の中の瑠璃色を見た。
「今日はお休み、って言ったろ?」
「……なんで」
すかすかした太腿を擦り合わせる足はもう使い物にならないが、返答によってはそのエロい喉仏と頸動脈をきゅっとしてやる気概は、実行に移せるかは別にして人間代表として気概だけは持って、悦は摘んだシャツの裾を緩く引く。
「別に、どこも痛くない」
「知ってる」
「じゃあ」
「”溜め”がな、要るんだよ」
じゃあなんで、とシャツを噛む蜂蜜色の頭を撫で下ろし、少し赤くなった耳の形を指先で辿りながら、傑はぴくりと肩を震わせた悦を甘い声で説き伏せる。
「昨日は予定よりたくさんイかせたから、流石に少し煮詰めねぇとな」
「な、んで」
昨日の今日でもう腹の底を疼かせている淫乱の欲を煮詰めるなんて、傑にとってはカレーを煮詰めるよりも簡単な筈だ。こしょこしょと軟骨をくすぐる指先に上がりそうになる声を飲み込んで、精一杯目元を険しくして見せると、ふっと溢れるように笑った傑が悦の上に体を屈めた。
「……その方が、明日最っ高に気持ちいいから」
内緒話のように後ろに手を当てられた耳にそう吹き込まれて、ぞわあ、と背筋が震える。面に引けを取らないほどに声が良い。
他でもない傑がこう言うのだから、と条件反射で力が抜けそうになる指先をぎゅっと握り、容易く骨抜きにしてくる声から逃げるようにして、悦は裾からシャツの中に頭を突っ込んだ。傷一つ無い滑らかな肌に顔を押し当て、鼻先で腹筋の凹凸を辿り、座っている所為で力の抜けた柔い肉に歯を当てる。
上から順番に降りて来ている調教の日程からして、明日最高に気持ちいいのは悦だけなのは明白だった。腰砕けになりそうな顔と声で好きだ、と宣う恋人を凄まじい快感にその手で頭から沈めて、それに煽られて藍色の底を焦がしている癖に、どう考えてももっと重要な事に使うべき能力を自分の欲を抑える為に回して、傑は制御とやらを続けるに決まっている。監禁最終日のセックスを極上のものにする為に。
あぐあぐと食む口を徐々に下げていきながら、悦はもう半分転がって傑の太腿に伏せ、片手を裾が捲れたシャツの下に潜り込ませた。臍に舌先を突っ込みながら脇腹をつうと撫でると、内に秘めた膂力とは裏腹にぼこぼこと隆起することもなく、芸術的に締まった腹斜筋がぴくりと震える。
「えーつ」
明確に窘める響きで呼ばれるのに、額をくっつけたままいやいやと首を振った。顔を隠していたシャツが胸元の辺りまで捲りあげられ、眩しさに目を細めながら悦は片目だけで傑を見上げる。
退屈な10日間を鮮やかに染め上げて至上のセックスで締めくくる傑の計画は解った。上がりに上がった期待を裏切られた試しが無いから悦もそれには異論は無い。瞳と同じに底無しの愛情を満たす為なら自身の肉体的快楽を捨て置けるのも知っている。
それでも、悦はやんわり頭を退けようとする傑の手に逆らって、色違いでお揃いのスウェットを顎でずり下げた。
「……口でするの、下手だから」
それでも、藍色の底を焦がすだけの興奮と劣情を悦の前で隠す、制御とやらは気に食わない。こちとらそれで食って生き抜いてきた男娼だ。魅せ方を考慮する余地もないありのままの痴態に、嬌声に、そう何日も冷静でいられては沽券に関わる。
「いるだろ、……調教」
ずり下げたウェストに指を引っ掛けながら、埋めていた顔を上げて、悦はぱかりと開いた口から舌先を覗かせた。
「……」
どんな音響にも映像にも眉一つ動かさなかった美しい目元が、真っ直ぐに悦を見下ろして僅かに揺れる。それを隠すように細められた藍色の底で、抑え付けられていた恐ろしいまでの灼熱がどくりと溢れ出して渦を巻いた。
手摺に置いていた手で目元を覆いながら、ふー、と熱の籠もった吐息を一つ。
「そうだな」
流れ続けていたドラマをテレビの電源ごと切って、傑は肩幅だった足を座ったまま大きく開いた。
覆っていた手と制御を外して再び悦を見下ろした藍色が、照明を背負った逆光の中で昏く濡れ光る。度し難いほど熱い血の通った、悦の大好きな目が。
「……あつい」
ぐぐ、と下から掌を押し返してくるモノをスウェット越しに撫でながら、悦は陶然と蕩けた瑠璃色と同じ声音で呟いた。分厚い生地が邪魔だったので太腿の半ばまで引き下ろし、薄い下着越しに、制御されていた血が流れ込んでいく熱にうっとりと頬ずりする。
あつい。あつくて、かたい。
じゅわりと溢れた唾液を喉を鳴らして飲み込み、足を畳んで体勢を整えて、悦はもう隙間が空いているボクサーパンツの幅広なゴムを歯で咥えた。恭しくすらある慎重さでそうっと引き下ろし、顕になった美しく雄々しい全貌にもう一度喉を鳴らした唇が、自然と心から淫蕩な笑みを浮かべる。
フェラチオは嫌いだった。加減無しに血が滲むまで喉奥を突かれる痛みや、窒息の苦しさや、器具に抉じ開けられた口内に胃液と精液を混ぜられる不快感を思い出すし、何より上で咥えるのは下で咥えるよりも気持ちよく無いからだ。
傑はそんな雑にはしないけれど、上より余程上手に咥え込める下に挿れられる方が圧倒的に気持ちいいから、それは今でも変わらない。おっきいから顎が疲れるし、喉よりナカの方が自在に締められるし、感じてる傑の顔だって間近で見られる。
だから嫌いなのに、今日貰えるのはここだけだから、仕方なく。どんどん溢れてくる唾液をもう一度飲み下して、悦は乾いた唇を舐めた。
おいしそう。
自分の為の下手な言い訳を背景に、欲望のまま舌を伸ばそうとして、ふと後頭部に注がれる視線を思い出す。
「舐めて、いい……ですか?」
横向きにその足の間に頭を突っ込み、下着を押さえた手ですりすりと根本を撫でながら、プレイの体裁の為にお伺いを立てる。何を言われても止める気なんてさらさら無いのが解っていたのだろう、手遊びに悦の髪を梳いていた調教師は小さく笑って、いいよ、とお許しをくれた。
「いっかい、好きなようにやってみな」
そんな風に甘く滲んだ声に言われてしまえばもう我慢できず、大きく口を開けて先端をぱっくりと含む。
はぁ、と頭上で溢れた吐息に目を細めながら、悦はたっぷり濡れた舌を平らにしてつるりと丸い亀頭を舐めた。唾液をまぶすようにぴちゃぴちゃと舐めて、唇でカリを食んで、頬の内側にもごもごと擦り付けて、もう十分にかたくてあついそれを丁寧に育てる。
顔も体も美しい傑はそこだって完璧に美しいが、麗しい唇はZ地区育ちも竦むような荒っぽい舌打ちをするし、屈むのを面倒くさがって長い脚を手の代わりに使うし、海の底みたいな藍色の瞳はぞっとするほど嗜虐的に嗤う。
そういう、傑といういきものを構成する他の部分と同じに、そこにも行儀が悪くて品の無い獰猛さがあることを悦は知っていた。
横から咥えている悦のこめかみが傑の鳩尾に擦れるくらいの角度に反り、座っていても皮の欠片だって引っ掛からないカリが凶悪に張り出し、逞しい幹にびきびきと品無く血管が浮いて、獰猛で完璧な姿になった所で、一度口を離す。
「はぁ、あ」
下腹がきゅうきゅうと疼くのを膝を擦り合わせて宥めて、真上から咥えていた頭を少し傾けながら舌を出した。じわりと唾液に溶けるように滲んだ先走りを舌先で舐め取り、はぷ、とまだ濡れていない裏筋に唇で噛みつく。
ぴく、と震えるそのかたさが、この部分でごりごりと前立腺を擦られる快感を鮮やかに悦の脳裏に呼び起こした。カリに引っ掛けるようにして抉られるのも気持ちいいけど、それだと奥が疼くから、深くをさっきびしょびしょに濡らした所で突かれながら、この裏筋に痙攣するしこりをすり潰される方が好きだった。
乱暴なくらい突き上げられるのも当然に好きだけど、傑のモノは悦にとって丁度いい痛くない太さだから、隙間なくぴったり埋められたまま揺するように柔らかく捏ねられるのも堪らない。この辺りから、この辺りまでに。はぷ、はぷ、と歯を立てずに噛みついて濡らしていきながら、苦も無く入るだけ開かれた足の間に頭を突っ込んで、張ったタマの片方に舌を這わせながら根本に鼻先を埋める。
純血種の代謝は人間のそれとは程度が違うので、傑の体臭というのは殆どしない。ぎゅっと抱きついて首筋に顔を埋めてようやく、甘いような、香ばしいような匂いがする程度だ。そんな傑という以外に例えようのない、途方もなく安心しながら背筋が痺れる匂いがやっと少しは濃く嗅ぎ取れて、悦は犬のようにくんくんと埋めたままの鼻を鳴らす。
「んぁ……は、ぅ……」
くすぐったかったのか、言ったとおりに好き勝手させてくれている指先がかり、と柔くうなじを掻いたので、悦は顔を上げて先端のしょっぱくて苦い雫を舐め取り、反対の腹側にじゅるりと濡らした舌を這わせた。
この反りの、数回出したくらいでは緩まりもしないバキバキな角度が本当に、最高なんだよな、と瞳を潤ませながら丹念に濡らし、全体が粘膜に引っ掛からない潤いを持った所で、淡く痺れた自分の両足をソファから滑り落とす。
「んむ、……っ」
傑の足の間に体を入れ、ラグの上に膝立ちになって、改めて舐めて濡らした唇でキスをするようにしながら先端を、その先を、ゆっくりと飲み込む。手を置いている内腿がぴくりと震えて、気持ちいいんだ、よかった、と思った。
傑は悦とは違って、表面だけをくすぐるような刺激では感じはしても微塵もイけないし、もどかしい刺激があまり続くと切ないとか焦れったいとかをすっ飛ばして苛ついてくるらしい。これは種族差ではなくてポジションの違いだ。根っからバリタチなその性質をよく知っているから、悦は唇で裏筋を扱きながらしっかり圧をかけて上顎に亀頭を擦り付け、頭を動かす。
ただ単純に上下するだけじゃなく、時々斜めとか横とか、そういう不規則な動きを混ぜられるとどこの性感帯であろうととても効く、ということは傑に教えられて覚えた。
「ふっ……んんぅ……ぅぐ……っ」
自分ではそこまで呑めないから、根本近くを指で扱きながら懸命に、今日はその先が無いと知っているからこその真摯さで忙しなく動く悦の頭に、はぁ、とまた熱っぽい吐息が落ちた。
「……かわいいなぁ」
とろとろと崩れそうに柔らかい中に、ぞっと首筋を慄かせるなにかを孕んだ声が呟いて、髪をもてあそんでいた手がひたりと悦の頭の上に乗る。
「そんなにかわいくされると、意地悪したくなる」
相変わらず甘く滲んだ声とは裏腹に、後頭部を覆った長い指に角度を調整された頭を掌で強く押え付けられ、ずるりと口を超えて喉の粘膜を擦りながら強引に呑まされた熱に悦は目を見開いた。
「っんぐぅう……!」
「悦、飲んで。ごっくんって」
気道を塞がれた息苦しさと喉を内側からみっちり塞がれる苦しさの両方に呻いた悦に、傑は少し輪郭を取り戻した声で言いながら頭を掴んだ手を動かす。咄嗟に顔を上げようとするのをびくともせずに許さず、喉仏の裏側まで塞いだままずるずるとそこを擦られて、悦はぎゅっと目を瞑りながら言われた通りに喉を動かした。
「あぁ、めっちゃイイ。もっかい。ごっくん」
「んぶっぅうぅ……!」
「あー……ちょっと浅ぇんだよなぁ……」
下生えに鼻先が埋まるまで引き下ろしておいて何が浅いのか、傑はイイと褒めた舌をもどかしげに軽く打って、有無を言わさぬ力で引き下ろしていた悦の頭を有無を言わさぬ力で引き上げる。歯を当てないように顔を背けようとしたが、掴まれた頭は微塵も思い通りには動かなかったので、悦は口を開けたまま小さく咳き込んだ。
「なんでもよく噛んで食べるもんな、お前」
くく、と喉奥で低く笑って、さっきまでの重さが嘘のように力の抜けた手が悦の頬を撫でる。酸素を取り込みながらしばらく待ったが、意地悪は終わったらしく、傑はもう無理矢理に頭を押さえつけることはしなかった。
飲む。浅い。よく噛んで食べる。
たらりと裏筋に溢れた雫を舐め取り、薄く笑みを刷いたままこちらを見下ろす傑の表情を伺いながら、悦は十分に酸素が入っても痺れたように鈍い頭を回す。かぽ、かぽ、と音を立てて亀頭を咥えて苦みの強くなった先走りと自分の唾液を喉奥に溜めて、丸まっていた背筋を少し伸ばした。
いつもだったら、こんな事は絶対に考えない。自動的に濡れるのだけが唯一の取り柄の穴で、本気で傑を満足させようだなんて思ったことも無いからだ。だけど今日使えるのはここだけだから、悦は真剣にさっきの、あまり吐き気無くずるんと奥まで呑めた角度を再現して、深く息を吸ってから頭を下げる。
「んむぅう……っ」
「ん……」
ビビった方がきっと苦しいと一気に喉奥まで迎え入れたモノは、粘度の高い唾液のお陰かさっきよりも幾分スムーズに入った。でも、みっちり埋められるのはやっぱり苦しい。まともな食料が無かった昔からの習慣で悦は何でもよく噛んで食べるから、この半分の質量だって普段はそこを通らない。隙間がなくて吐きも吸いも出来ないから、後頭部の方がだんだんとぼんやりしてくる。
ごく、と喉を鳴らす。水を飲む時みたいに。びく、と舌の上で裏筋が脈打つ。まだ浅い。これじゃない。
「ぷぁっ……は、ぁ……んんン……!」
一度カリまで抜いて、息継ぎをしてから、角度は覚えたので平らにした舌で裏筋を押しながら同じ深さまで迎え入れる。物理的に呼吸を止められる息苦しさは、滅茶苦茶にイきっぱなしになって横隔膜が痙攣して、肺がまともに膨らまないあの息苦しさとよく似ていた。
じんわり腰元に熱が広がるのを感じながら、今度はごく、ごく、と連続で喉を鳴らしてみた。
「んぐっ、う……うぐっ……」
「……は、」
手を置いている内腿が少し強張って、傑の吐息が弾む。このままこれを続けてもイかせる事は出来そうだったが、どうせなら一番気持ちいい方法をしてやりたい。きっとまだ浅い。出来るだけ喉を締めながら抜いて、短く息継ぎをして、咥え直す。つるりとしたカリが上顎の奥を擦って、頭の深い所がざわざわした。
むず痒さに自然と喉が動く。ずっと意識していた敏感な亀頭がある喉の半ばじゃなく、上顎から、筋張った肉の塊を無理矢理に飲み込むようにごっくん、と動いた瞬間に、自然と下生えに鼻じゃなく唇が触れる。
「んんン……!」
ある意味では噛み切れない筋張った肉の塊であるモノが引き込まれた喉奥でどくりと跳ね、これだ、と悦は確信した。
こういう事に関しては悦の勘は鈍ることが無いから、いちいち傑本人に確認を取る必要もない。方法が解れば、後は自分の呼吸との兼ね合いだけだ。
「んぶっ、う゛ぅうっ、はぁっ……ぁむ、んぐっぅ」
「……悦」
腹に収めるように喉奥でごっくん、ごっくん、と絞りながら濡れた粘膜で締めて、呼吸の間も舌の付け根のざらざらした所でカリを擦って、また奥で絞り上げて、唇で扱きながらじゅぽ、じゅぷ、と音を立てて無心にしゃぶっていると、こめかみの辺りを撫でていた傑の手がまた悦の頭に乗せられた。
「奥で出す。飲めたもんじゃねぇから」
「んんっ……」
自嘲するような声音に小さく頷いて息を吸い、今度は自分から頭を下げる。気道に入らない深さで僅かに頭を動かしながら喉で絞ると、後頭部に置かれた手にぐっと力が入り、それにきゅうっと腹の底が捩れるのと同時に喉奥でモノが大きく跳ねた。
塞がれた所を更に内側から拡げられた粘膜に、どろりと熱いものが直接流し込まれる。傑が言う通り、いつも腹の中で受け止めているものよりも濃くて重い気がした。
「っはぁ……」
「んぅ、う……」
気持ちよさそうな吐息に自然と目を細めながら、ちゅうっと残りを吸い出して、やっぱりいつもより粘度の高い苦くて青臭い精液を飲み込む。さっきまでの名残で思いの外大きく、ごくりと鳴った喉の音を聞いて、傑がよしよしと頭を撫でてくれるのが気持ちいい。
がくがくと震える膝を折ってラグに座り込みながら、もっと撫でて、褒めて欲しくて、悦は傑を見上げて口を開けた。覗かせた舌の上に白濁の名残もないのを見せびらかすと、掌で頬を包むようにしながら指先でうなじをくすぐってくれる。きもちいい。
「上手に出来たな、悦」
優しく褒めながら撫でてくれる手に自分から頭を擦り寄せる為、膝立たせようとした足に全く力が入らず、悦は咄嗟に傑の右膝に縋った。それを支えに体を起こそうとするのに、腰が上がらない。もう呼吸を邪魔するものは咥えていないのに、何故だか呼吸も整わない。
「気持ちよかった。苦しいの嫌いなのに、ありがとな」
「あぇ……?」
ちゅ、と背もたれから体を起こして額にキスをしながら、傑は悦がずり下げていた下着とスウェットを纏めて引き上げる。口でも片手でも褒めてくれているのに、もう片方の手でご馳走を取り上げられる意味が解らず、悦は間の抜けた声を上げて間近の藍色を見上げた。
「まだ、いっかい……」
「あれでいい。深さ以外はもう俺好みにしてあるから今更直すトコもねぇし、さっきので百点満点」
「……でも、」
「休み返上で頑張ったいい子にはご褒美やんねぇとな。どこがいい?足?」
きっと初日から我慢してくれている傑には1度や2度で足りるとは思えないし、なのに今日は口しか使えないし、これが爆発すると俺が困るのに、と言い募ろうとする悦を遮って鼻先にキスを落とし、手ほどに器用な傑の左足が悦の下肢を撫でる。
「あっ、ぅ……!」
ぐじゅ、と濡れた音を聞いた途端に回路が切り替わったように背骨を甘いものが駆け上がり、咄嗟に傑のシャツを握った。降って湧いたような吐精感にぶるりと身を震わせた悦を、傑は小さな子どもにするように抱き上げて自分の膝に座らせる。
「手の方がいいか?」
「わっ……やぁ、あっ」
ぐんと体が浮いたのに驚く暇もなく、分厚いスウェットの上から裏筋を中指に撫で上げられて、咥えるのに夢中になっている間にぐっしょり濡れていた下着が擦れた。逆手にしなる指にそこをくすぐられたらその瞬間に出してしまいそうで、思わず傑の手首を握る。
「嫌?じゃあ、」
思わせぶりに言葉を区切って、傑は口を開けた。
悦がそうしたように舌を出して、その赤さに目を奪われてぽかんと開いている唾液と体液に濡れたままの唇を、キスと間違えないようべろりと大きく舐め上げる。
「……あ……っ」
その舌に、唇に、咥えられたら。
傑と比べればお手軽にイける悦はきっと3秒と保たない。現に今、足でも手でもないご褒美の存在を匂わせられただけで、キスと同じ距離で見据えられているだけで、背筋がぞわぞわ痺れてイきそうだ。
想像するだけでも堪らなくて手首を掴んだ指を震わせると、爛々と濡れ光る藍色が笑う。
「……今日は手にしとくか」
問いかけではなく決定として言って、下腹を撫でた指が悦のスウェットに掛かった。はぅ、と落胆とも安堵ともとれる息を吐いた悦の唇を自分のそれで塞ぎ、残滓を押し流すように舌を絡めながら、熱い掌がするりと下着の中に潜り込む。
「楽しみは取っとかねぇとな」
キスの合間に囁いて、透けるほど濡れた布を挟んでいない傑の掌が悦のモノを包んだ。
「んうぅうっ!」
一往復するかしないかの所で射精してしまったが、傑はソファを汚さないように厚い生地の中に突っ込んだ手も、柔らかく後頭部を支えたもう片方の手も離さず、震える悦の舌を自分の口内に引きずり込む。
「ふぁっ……ん、んぅ……はぁう……っ」
気づいたら崖っぷちだった自身の状態も含めて色々理解が追いつかず、悦は忙しなく瞬いたりあちこちへと視線を飛ばしていたが、傑に舌をしゃぶられるのが気持ち良すぎて結局全てを放りだした。
悦より長くてずっと器用に動く舌は巧みで、舐めるのも辿るのも絡めるのもまさに自由自在だ。これで舐めて貰ったら絶対にすごく気持ちいい。最後のセックスの時にはそれをしてくれる。今からもう待ち切れない。気持ちいい。
傑の手はまだゆったりとモノを扱いてくれていて、苦しくない加減で甘やかすように高められるのがまた、悦の思考をずぶずぶに溶かしていた。応えて舌の表を重ねて擦り合わせながら、傑にも良くなって欲しいな、と純粋に思う。だって2回目を優しく促してくれる傑の方は、まだ1回だ。
「はっ……すぐる、も……っ」
キスの合間に一緒がいい、とねだって、傑のスウェットに手を伸ばす。舌先をじゅうっと吸われるのを許しだと勝手に解釈して、同じように分厚い生地の中に手を突っ込んだ。
舌が疲れたのでキスの方はされるがままになる代わりに、掌で先端を包むようにしてなるべく優しく撫で回す。溢れた熱い雫を絡めて親指と薬指の輪にカリを通し、引っ掛けるように扱きながらもっと滑りが良くなるように尿道口を指の腹で擦ると、低く喉奥で笑った傑が舌を解いた。
「くすぐったい」
「うそだ……」
「マジだって。仕返しならもっと強くして」
「……この、くらい?」
「ふっ……その、くらい」
悦なら仰け反るような強さで擦られてようやく、眉を少し顰めた傑がまた唇を合わせる。吐息混じりの小さな喘ぎと低い声をもっと聞きたいから口を塞ぎたくは無かったが、開いたままではキスが出来ないので、やむを得なかった。
根本までぐっしょり絡むキスをしながら、初心に手で扱き合っているチグハグさが可笑しい。変なの、と思っている内にぞくぞくと背筋に伝う快感が強くなり、強弱もなく人差し指にぐちぐちと抉られている傑が耐えるように目を閉じたので、悦はしどとに濡れた手で脈打つサオ全体を扱き上げる動きに変えた。
んん、と口の中から響く掠れた声を聞くだけでイきそうで、同じように限界が近いモノを扱いてくれている手から少し腰を引く。傑がまだだ。
「……先イけよ」
「ゃ、だ」
いつものように後追いをしようとする傑の舌を甘噛みしながら、指で作った輪を狭めて手の動きを早くする。半分意地になっていた。絶対に一緒にイってやると、そう思っていたのに。
「……ぁ、は……っ」
舌を噛まれている所為で口を閉じられない傑が、喉奥で噛み殺しかねたようにそんな声を出すから。
「っぁああぁ……っ!」
傑の喘ぎ声にとことん弱い悦は、ヤバいと思う暇もなく連日の2回目で薄い白濁で傑の手を濡らした。歯を立てないよう舌を離す代わりにぎゅうっと強く握られた傑の方も、息を詰めながら一拍遅れて悦の手を熱く濡らす。
「……」
「ん、……悦?」
たった一拍。それでも悦の方が早かった。
「……いっしょって言った」
「怒るなよ。ほぼ一緒だったろ?」
「俺がはやかった……」
「うわ、塗り拡げんな。引っ張るのもダメ。……わかったわかった、それも取っとくから」
「……」
苦笑する傑に頭を撫でられて、悦は手を濡らす精液をべちゃぐちゃと傑の肌に塗ったくりながらばったりとその胸板に倒れ掛かった。肩口に頭を預けて下腹全体に塗り拡げ、滑りが悪くなってきた所で手を引き抜く。
「……風呂入るか」
「……はいる」
Next.
5日目はフェラチオ。
誰かさんが毎度ギチギチに絞り上げるので、強過ぎるくらいが傑は好きです。
調教されているのはどっちなんでしょうね。