一級の遮光カーテンに守られたベッドの上、早朝に規則正しく爽やかに目覚めました、という顔で悦が典型的不健康夜型午後2時起床をすると、隣に傑は居なかった。
気持ちよく伸びをしながら上半身を起こして見れば、リビングへの扉が10センチほど開いたままになっている。いつもはなんだかんだ一緒に惰眠を貪るか、眠る悦が邪魔だと蹴っ飛ばしたくならない絶妙なラインで髪を梳いたり背中に寄り添うか、激高顔面偏差値を全面にゴリ押した蕩けるような眼差しで飽きずに寝顔を見ていたりする事が多いので、割と珍しいパターンだ。
急な仕事が入ったのか、それとも何か面倒事があったのか。そう思いつつも相手は傑なので特に焦りも心配もせず、欠伸をしながらアッパーシーツをごちゃっと足元に蹴り避けた悦の下腹で、
しゃり。
「あ、」
それらしい雰囲気を出す為に素肌に傑のシャツのみを着て悦がリビングに顔を出すと、貞操帯なんて着けた割には寝ている間に首輪も鎖もつけず、床にセンサーを張り巡らせたり扉にごつい鍵を追加したりもしなかった放任主義の調教師は、ソファで辞書ほどに分厚い紙束を捲っていた。
「おはよ」
「……はよ」
傑が持っているのとは別に、ローテーブルには鈍器になりそうな分厚さの書類束が更に2つ乗っている。ついいつものテンションで「うっわまたかよ」と言いそうになるのを飲み込み、いつもは「んー」か「おー」で流す傑の挨拶にまともな返事をして、悦はリビングと寝室の境目で立ち止まった。
ジャンルと傾向が何であれ、”遊び”と名のつく事を楽しむのに重要なのはノリとテンションだ。
「どした?」
「……」
正直な所、こんな貞操帯なんて悦にはどうってこと無い。ちゃちな南京錠なんて針金一本あれば3秒で外せるし、こんな見た目重視のアクセサリー程度、鍵を外さなくてもなんとでもなる。
しかし、それでは面白くない。
「トイレ……行きたい」
「……あぁ」
紙面から上げられた藍色が見ている前で膝を擦り合わせると、傑は何もかも察した顔で薄く笑った。細かい活字がびっしり並んだ紙束を傍らに投げ出して”恋人”の指定席を塞ぎつつ、裸足の爪先がとんとん、とフローリングを叩く。
カーテンを開けたリビングは寝室と違って真っ昼間に明るい。天然に限りなく近い人工の陽光に小さく息を飲んでから、悦はいつもより気持ち狭い歩幅で指定された場所に、ソファに座った傑の目の前に立った。
「持ってろ」
「んっ……」
肩幅に足を開いた途端、無造作にシャツの裾を胸元近くまで捲りあげられて、端的に命じられる。貞操帯の存在と共にそれを着けられた昨夜の記憶を思い出してからこちら、ギリギリ朝勃ちの言い訳が通用しない状態になっているモノが明るい中に晒され、悦は思わずきゅっと唇を噛んだ。顔が、傑の顔が近い。
「痛いのと気持ちいいの、どっちがいい?」
「……きもち、いいの」
声が上ずらないように一呼吸置いてから悦が答えるより早く、最初から答えを知っていた傑はローテブルから持ち上げたチューブ容器の蓋をさっさと外していた。ハンドクリームのような白い中身を手の甲に出し、人差し指でそれを掬い取って、そうするのが当たり前のような顔で冷たいクリームをブジーを飲まされた先端に乗せる。
「あっ、ぅ……!」
ブジーと粘膜の間にぬるりとクリームが塗り拡げられ、腰を引いてしまいそうになるのを悦は足先を丸めて堪えた。すっかり馴染んでしまった金属を潤いも無いまま引きずり出されるのは結構痛い。たくし上げられたシャツを両手で握ったまま、少し前屈みになってぞわぞわと腰を疼かせる感触に耐える。
もったりとしたクリームはすぐに体温に溶けて緩くなったものの、ただ塗られただけでは中まで濡れない。いや、クリームが入り込んでいかないというだけで実際にはこのままでも悦自身の自給自足で濡れてはいくのだが、傑はそれまで待つつもりは無いらしく、少しクリームの残った指で鎖の通ったブジーの頭を摘んだ。
「んぅっ」
「痛かったら言えよ。すぐ止める」
びくっと震えて裏筋を這う鎖を揺らした悦の腰を宥めるように撫でながら、声音と同じく優しい手付きで傑がブジーを揺する。痛みになる手前の少し引き攣れる感覚があったのは最初だけで、直ぐに隙間に染み込んだクリームがくちくちと微かな音を立て始めたが、普段悦の体にもっと凶悪なあれこれをぶち込んで来やがる化け物はサドの癖して過保護だ。
とても見ていられないくらい真剣な目で悦の顔をじっと見つめたまま、ほんの少しでも痛みがあったら「痛い」と言う前に表情や仕草から察して手を止める雰囲気で、縦に揺すっていたブジーを今度は横に揺らし始める。念入りに行き渡ったクリームとそれ以外が空気を孕んでくぷくぷ言い始めた所でやっと揺するのを止め、たと思ったらぐるりと鎖の通った頭で小さな円を描くように回し、南京錠が掛かったままの繊細な鎖が許す限界、ほんの数ミリだけをそっと抜いて、またそっと戻す。
焦らして苛めるつもりの手付きと目じゃない。痛くないように細心の注意を払いつつ悦の反応を見て、この貞操帯を使い続けるか決める為の慎重さだ。それは解っているが、今の悦はぐっすり9時間眠って爽やかに起きたばかりで、そろそろ刺激されている快感以外の感覚の方がヤバい。
「すぐる……っ苦し、い」
「あぁ、悪い」
起き抜けにアブノーマルプレイはしたくないと訴えると、傑はやっと、思い出したようにローテーブルに無造作に置かれていた鍵を取った。キャラメルくらい小さな南京錠に少し捻ったら折れ曲がりそうな鍵を一発で通し、かちん、とブジーを固定していた鎖を外す。
「抜いて平気か?」
「ちょ、待って………今」
息を整えてから頷くのを待ってゆっくり膨らんだ根本が、そこを超えた先の凹凸のない部分はどこにも掠ることなく素早く抜き取られ、なんとも言えない開放感に思わず溜息が漏れた。
「はぁ……」
「ここで漏らすなよ」
「漏らすか。ナメんな」
からかう傑の手をぺっと腰から払い落とし、悦はシワの寄ったシャツの裾を一応直しながら踵を返す。いつもの歩幅でトイレに向かいつつ少しだけ背後を伺ったが、傑はソファに座ったままついて来る気配は無い。ムードもテンションもぶち壊して脛骨をぶち折る回し蹴りをする必要は無さそうだ。
「……」
恋人との性癖の一致に取り敢えず安堵の息を吐いた悦は、だがまだ熱の籠もった吐息が空気に溶け切らぬ内に、歩きながら口元に手を当てる。
ああ、でも。こんなアクセサリーじみた貞操帯くらい、なんでも無いと思っていたのに。
あの調教師は軽薄な癖に過保護で、悦に甘い癖に容赦が無いのだ。
生きて食って飲む以上出すのは当然なのだから、さっきのように外してと請うこと自体に羞恥は無い。痛くされないと解ったから、抵抗も無い。でも、その度にさっきみたいなことを、きっとあの数分で悦を痛がらせないコツをすっかり掴んでしまった傑に、されると思うと。
これは、思っていた以上に。
「……悪くねぇな」
いくらプレイの一環とはいえ、朝から晩まで媚びへつらうのは趣味じゃなかった。一日二日ならそういうのもアリかもしれないが、今回の遊びは今日から数えてもあと9日間の長丁場である。ベッドの外でそう何日も抑え付けられていたら、きっと途中でウザさがテンションを上回って傑の顎を蹴り上げてしまう。
そんな悦の性格と性癖を知り尽くしている傑は、昼間のうちは全くいつも通りだった。
普段のオフと同じように一緒に遅い昼食を作って食べて、お互い好きなことをしてだらだらして、時々ちょっとエロいちょっかいを掛けてきて、こっちが乗り気じゃない時は深追いしない。夕飯前に貞操帯を外して貰った時は悦もノッてしまって臍を舐められたり下腹を揉まれたりして少し危なかったが、それでも雰囲気はあくまでもじゃれ合いで、食事前にリビングで漏らさせたりバスルームに連れ込むようなことはしなかった。それからはまたふさげながら一緒に夕飯を作って食べて、傑が先にシャワーを浴びて、悦も今度はじゃれ合い無しで貞操帯を外して貰ってからシャワーを浴びて。
そしてリビングに戻ってきた時には、恋人はすっかり調教師になっていた。
「悦」
昼間の内は好き勝手にさせてくれるのに、締める時はきっちり締めてくる。しかもその切り替えのタイミングが抜群だ。なんだこいつ完璧かよ、と思わずタオルを被ったまま固まった悦を、傑はラストひと束になった書類を捲りながら見もせずに呼び寄せる。
ふらふらと呼ばれるまま隣に座り、自主的に下着とスウェットを引き下ろした悦に目元だけで笑って、傑は小さな南京錠をかちんと締めるとまた手元の書類に視線を戻した。
「先行ってろ。すぐ終わる」
うんざりするほど活字が詰まった書類はまだ本2冊分ほどの厚みがあったが、傑が「すぐ」と言うならそれは必ず10分以内に終わる。例えその中身が、たった一つの依頼の裏で絡んで縺れあった諸々の事情を解りやすく纏める暇の無かった鬼利が偶に寄越す、関連のある事柄を根こそぎ印刷しただけの複雑で不親切極まりない傑用の依頼書だとしてもだ。
「わかった……」
涼しい顔をして凄まじい量と密度の情報を処理していく藍色をほとんど見惚れるようにして少し眺めてから、悦は期待にふわふわした足取りで先にベッドへ向かった。
幅広の枷の前に揃えて差し出した悦の両手を、傑は啄むようなキスをしながら足首に繋いだ。
右手首を右足首に、左手首を左足首に、それぞれ昨日のアイマスクと同じく上質な枷で繋いで、鼻先が触れそうな至近距離から綺麗な藍色が意地悪く笑う。
「もう邪魔出来なくなったな」
誰の目にも明らかなただの事実を言葉にされただけなのに、それが傑の声だというだけで過剰にぞくぞくと背筋を震わせる悦を、傑は胸板を軽く押して仰向けにベッドへ寝かせた。
首から上を少し高めのクッションにふかりと受け止められた悦の目元を、前髪を払った傑の片手がそのまま覆い隠す。こういう学習能力だけはずば抜けて高い元男娼は昨日の調教をちゃんと思い出して薄く唇を開いたものの、この10日間だけは最高の恋人からジョブチェンジしている調教師は、期待を無視して押し倒した時のまま胸の真ん中に置かれていた手を滑らせた。
「はっ……ぅん……ッ」
今日はどこを調教されるのか、昨日と違って絶対に邪魔も抵抗も出来ないように拘束されたまま、何をされるのか。それを解らせるように、大きな掌が脂肪なんてろくに乗っていない薄い胸をゆっくり撫でる。マッサージでもされているようだが、柔らかくない胸を揉むこの一見不毛な行為が後々に効いてくることを、半年掛けて恋人に前戯の重要性を教え込まれた悦は知っていた。
こちらの体温が上がっている所為で少し冷えて感じる掌に、時々ぐっと圧を掛けられながらじっくり撫でられていると、触れられている場所がぽかぽかと暖かくなっていく。寄せるものも無いのに下から上に押し揉まれるとくすぐったいようなムズムズした感覚が次第に先端に集まってきて、貞操帯に飾られた場所と同じようにつんと期待に尖った乳首の周りをそっと指の腹で撫でられるともう、一切触れられていないそこを滅茶苦茶にイジメめられたくて堪らなくなる。
はぁはぁと息を荒げながら差し出すように背中を浮かせて、早く早くと身を捩って誘ってみるが、恋人の時ならこの辺りで許してくれる調教師は非情にも、中指だけで浮いた背をシーツに押し戻した。
「寝てろ」
視界を塞がれたままの耳元に低く囁かれて、ぞくんと背筋に甘い痺れが走る。
「ごめん、なさ……ぁ、あっ……!」
甘えた謝罪が終わらない内に柔く爪を立てた五指で胸を引っ掻かれ、悦はクッションを押し潰すようにして喉を反らした。触れるか触れないかの絶妙な加減で外から内へ集まった爪先は一番引っ掻いて欲しい所の寸前で止まり、今度は内から外へ、粟立った肌に堪らないもどかしさを刻み込みながら広がっていく。
「ふっ、ふぅう……!」
思わずいやいやと首を振ろうとした頭まで目を覆う手にクッションへ押し付けられ、ぎゅっと両手でシーツを握り締めた。鼓動にあわせてじくじくと疼く頂きの際の際、本当にギリギリの所を意地悪く撫で擦られるとそれだけでは耐えられなくなって、背中が浮かないように繋がれた足をじたばたと藻掻かせる。
「んん、ぅっ……くぅう……ッ」
片手が目隠しで塞がっているのでいつもの倍以上の時間を掛けて、もうどこを触られても指先が震え、強めに爪を立てられる痛みにも感じるようになるまで高められた所で、不意に視界が明るくなった。
目元から離れた長い指がそっと目尻の涙を拭ってから、ぱちんと胸元で鳴らされて眩しさに目を細めていた悦の視線を誘導する。
「あ、ぁっ……!」
「お待たせ」
冗談めかしたそんな言葉と共に、心底待ちかねていた悦が瞬きを忘れて凝視する前で、胸に置かれた左右の手の親指と人差し指がゆっくりと、触られてもいないのに赤く色づいてぷっくり膨れた乳首に、近づいて。
きゅ、と。
「ひぁっぁあッ!」
摘まれた瞬間信じられない鋭さの快感が背筋を貫き、悦は背を仰け反らせて絶頂した。普段から甘イキはよく乳首だけでさせられるが、今日は、今のは違う。本物のドライだ。
「ぅあ……あぁぁ……っ」
薬どころか、ローションすら使われていないのに。乾いたままただ撫でられていただけなのに。
我慢させられたとはいえたったあれだけでこの有様なら、これから、どれだけ。
「今日の”ゴール”、教えといてやろうか」
半ば呆然と天井を見上げて期待と恐怖に震える悦を他所に、さっきは敢えて追い打たなかった指先が楽しげにたとと、と胸の上で踊った。
「今日は、ここだけで、」
「ひっ」
まだじんじんと余韻が残る乳首を弾かれて身を竦めた悦を嗤いながら、底無しに深い藍色を嗜虐的に据わらせた調教師がぐっと身を屈める。
「喉潰れるまで泣き喚いて、枷ぶっ壊す勢いで暴れて、ぜーんぶ吹っ飛んで漏らすくらい派手にイけたら、終わり」
「そ……そんな、の……っ」
そんなの、今日の分の調教だけじゃなくて正気まで終わるやつだ。ついでに変な癖をつけられて男二人が絶好調にギシギシやっても潰れない高級なマットレスの寿命まで将来的に終わるやつだ。
そんなのやだ、むり、と悦は首を横に振ったが、今の傑は調教師なので当然その懇願を聞いてはくれず、口の利き方がなっていない奴隷に自分の立場を解らせるようにぞろり、と震える左乳首を舐め上げる。
「ひぅうッ!?」
びりびりと痺れるような感覚に、手足を繋ぐ短い鎖がガチンと鳴る。ちゅる、と舌全体で覆うようにされると指先にまで震えが走って、寸前に感じていた今後についての恐怖なんて直ぐにどうでも良くなった。
感じてる場合じゃない、と往生際悪く理性が鳴らす警鐘は指ほどに器用な舌先で優しく押し潰されただけで半分以下に音量が落ち、柔らかい唇にぱっくり咥えられてしまった所で完全に消え失せた。だって、どれだけ怖がって怯えたところで結局は傑のいいように全部ふっ飛ばされてしまうのだし、それなら下手な抵抗なんてするだけ無駄だし、こんなに気持ちいいし。
「はぁああぁぁ……っ!」
根本近くを甘噛みされて固定されたまま、濡れた口の中でころころと舌に転がされるのが特に堪らず、悦は喉を反らして後頭部をクッションに擦り付ける。鳩尾の少し上に傑の右手が置かれてしまったので、もう我慢なんてするまでもなく背中は一ミリだってシーツから持ち上がらない。
「ひっぐ……っっ!」
舐められていない方の先端をかり、と強く引っ掻かれてまた簡単にイった所を、労るように優しく舐められて追い打たれ、咄嗟に目を瞑る。一度目よりも高い二度目の波が、きっと来ると思っていたのに、いくら待ってもよく慣れた連続絶頂の快感は悦の意識を押し流してくれなかった。
足りない。
こんなに気持ちいいのに、これだけじゃ足りない。
「んぅうう……ふぅうっ……!」
少し痛いくらいに甘噛みされながらぐりぐりと乱暴に押し潰されても、それだけされてももう一段高い頂きどころかついさっき登った場所にすら辿り着けず、泣き出したくなるような切なさに悦は枷を鳴らして身悶えた。
いくら普段と比べれば信じられないくらいに敏感になっていても、甘イキじゃなくて本当のドライでイけたとしても、ずっしりと深い快感が響くのはどうしようもなく下腹だ。胸から伝わった感覚が下腹に溜まって、溜まりきってからやっとイける。直接そこを押し上げて捏ねて貰えたらすぐにでもいくらでも最高に気持ちよくなれるのに、身を捩らずにはいられないぞわぞわした快感が分水嶺を超えるまで、どんなに乳首が飴玉みたいに舐め溶かされてしまいそうでも、それだけではまだ高い所にはいけない。
昨日からずっと、間接的な生温い絶頂の余韻だけを浴びている前立腺が、腹の奥でずぐんと疼く。
「いれ、てぇ……っナカ、ついて、ください……っ!」
とても我慢できずについに強請ってしまった悦に、顔を上げた調教師は怒りも嗤いもせず、呆れたような顔をした。
「今日はここだけだって言っただろ。話聞いてたか?」
「だって、こんなっ、くるし……あぁあっ!」
「知らねぇよ」
冷たく突き放されて消えていた警鐘が今度は本能の方から鳴らされたが、どれだけ鳴り響いた所で悦の逃げ道はとっくに無かった。
「んっ……んん゛……ッ!」
昨日と同じアイマスクに覆われた暗闇の中にヴヴヴ、と低く唸るようなモーター音が響き、悦はシーツに押さえつけられた体を捩りながら首を横に振る。
貞操帯が邪魔で逆流する精液に大暴れするのを鬱陶しがられてX字のベルトを追加され、もののついでのように口に棒状のギャグまで噛まされてしまったので、それが今の悦に出来る精一杯の意思表示だった。鳩尾の上で交差して二の腕と内腿を押さえ付けるベルトの下でいくら藻掻いてもシーツの皺を少し増やすのが精々で、いくら首を振ろうが棒の隙間から唸ろうが、ローションを垂らされただけで腰が跳ねるまでの感度にされた乳首は剥き出しのまま震えるばかりだが、それでもじっとなんてしていられない。
見えなくても音で解る。傑が持っているのは、サイズ感に反して電マ並みの振動数を叩き出す卵型のローターだ。
あんなものをこの状態で押し当てられたら、きっと10秒も保たない。すぐに両方でイって、快感と射精を堰き止められる苦しさの両方にのた打ち回ることになる。手足を繋ぐ枷と違って全身を押さえるベルトは一晩中暴れたってそうそう千切れず、満足に叫べない喉だってそう簡単には潰れないから、傑が言う”ゴール”に辿り着くまで何度も何度も、何時間でも。
そんなの嫌だ、と伝える為に悦は精一杯藻掻いたが、目を塞いでからは一言も話さなくなった調教師は分かりきった無駄足掻きから何も汲み取ってくれずに、獰猛に唸るローターを右の乳首に押し当てる。
「んぐっ!!」
息が止まるような衝撃が2回来た。
1つ目はつるりとした震える曲面にローションを巻き込みながら強く押し潰されたことで。もう1つは、その状態のまま骨まで響く強振動を叩き込まれたことで。
結局10秒どころか3秒で、真っ暗な視界に今日一番の白い火花が散った。右半身を少しシーツから浮かせた所で硬直していた体がベルトの圧力に負けてシーツに落ち、まだ指先までがくがくと震わせたまま反らした喉さえ戻せていないのに、ぴったりとついてきたローターは捕らえた小さな獲物を離さない。
「んぅう゛うううッ!んんっ!ん゛ンーーっっ!」
時間を掛けて念入りに、神経を剥き出しにしたように敏感にされた乳首を押し潰しながらびりびりに震わされ、悦はベッドの枠に固定されたベルトを鳴らして身悶えた。銀色の表面を漏れ出した白濁に汚した貞操帯がしゃらしゃらとどこか遠くに鳴っている。
―――ほら、こうなるって解ってたから嫌だったんだ。
なんて考える余裕も無く、殆ど間を置かずにまた強い火花が散る。がくんと顎を跳ね上げてほんの少し反らした胸の先端をぐりぐりと躙るようにされると、一番気持ちいい瞬間が倍以上に引き伸ばされて、悦はアイマスクの下でいっぱいに目を見開いた。
「んむ゛ぅうっ!うぅう゛うっッ!」
絶えず叩き込まれる振動でどろりと重い余韻を掻き乱され、真っ暗な視界が真っ暗なままぐにゃりと歪む。気持ちいいのに意識を吹き飛ばすにはどうしたって足りない快感と、子供騙しみたいなブジーで押し戻され堰き止められる絞られるような切ない苦しさが下腹でぐるぐるととぐろを巻いて、爆発しそうだ。
意識ではもう無理、もういっぱい、とそう思うのに、手足の感覚さえ無くなるような快感に慣らされた体の方には足りない。ぱちぱちと気泡のように弾ける軽い絶頂の合間にずっしり重い深イキが来て、その余韻に浸りきってそのまま気を失ってしまいたいのに、息苦しい下腹の熱と蕩けるような快感が意識を現実に引き戻す。
「んぅ゛ーーーっ!」
後頭部をシーツに打ち付けながら悶える悦の反応など全く気にせず、淡々とローターが右胸に押し付けられていたのは、時間にすれば5分ほどだった。
強張って痙攣しながらシーツを握りしめていた手足から久しぶりに力が抜けて、たった5分でびっしょり汗に濡れた体にシーツが張り付く。こんな大掛かりな拘束をしておいてこれで終わる筈が無い、と警戒しつつも少しでも休む為に全力で脱力して息を整えていると、呼吸を邪魔していた口枷がパチンと軽い音と共に外された。
「はぁっ……は、……ぁむ……っ」
どうしてこのタイミングで外されるのか解らないながらも深呼吸を2回した所で、唇をひやりとした傑のそれに塞がれる。添えられた手で頭を少し持ち上げられながらまだ冷たい水が流し込まれ、思いの外乾いていた悦は味を探ることもなくそれを飲み込んだ。
「もっと?」
久しぶりに聞く気がする傑の声に頷くと、厳しいんだか甘いんだか解らない調教師はもう3回、口移しでほんのり甘い水を飲ませてくれた。恐らく少し薄められただけの健全なスポーツ飲料の雫を指先で拭い取ってから、ほうと息を吐いていた悦の口にまた硬い棒を噛ませる。
舌を噛ませないようにしているのかもしれない、と精一杯好意的な解釈をしようとしたが、アイマスクに接続してがっちり留めつけられるのと同時に響いた低い唸り声に、甘ったれた幻想は秒で打ち砕かれた。
「んっ、んぅっ!……っんくぅううぅぅッ!」
今度はローションで濡らすだけ濡らして放って置かれていた左乳首に、少し根本が沈むくらいの強さで唸るローターが当てられる。押し潰されていないので少し身動ぐだけでつるんと丸い表面がにゅるにゅると滑り、それまでとは違う種類の刺激に水を貰って回復した分だけ藻掻いているのに、絶対に完全には逃してくれない。
体が跳ねる度に矛先が反れて弱まる上、振動が芯まで響いては来ないので、短くなりつつあった絶頂の間隔は今度は無限に引き伸ばされることになった。鋭敏になった神経を撫でるように震わされてイきそうになると、どうしたって腰が跳ねてローターは簡単に反れてしまう。自分から押し付けようとベルトの下で精一杯背を反らせばその分だけ遠ざけられる。それならと身を捩って逃げようとしても、他でもない傑の手に持たれたローターはぴったり張り付いたように追いかけてきた。
「ふぅっ……ふぅうッ……んんっ!?」
休んだ分だけ暴れて流石に疲れてきた所に追加のローションが垂らされ、大人しくローターの刺激を甘受していた体が不自由に跳ねる。掌で温められていない冷たさに襲われたのは、ずっと途切れず焦れったい振動に嬲られている左ではなく、散々強振動を芯まで叩き込まれてじんわり痺れの残った右だった。
冷たさにびくついている悦には見えない手が、振動が伝わって微細に揺れながら脇腹に零れていくローションを掬い取る。ぽとり、粘度の高い雫を落として標的を知らせてから、冷たい膜の中に確かに体温を感じる長い指が焦らさずそこを押し潰した。
「ぅんっ、ん、ふっ……ん゛ーー……ッ!」
揃えられた二本指の間に挟むようにしたまま、ローションとの間にくにゅくにゅと捏ねられる。殆ど圧の無い、撫でられるようなその緩さが却ってローター責めの後にはよく効いて、強い刺激に鈍っていた感度がまた今日引き上げられた上限まで高まっていく感覚に、悦は限界まで喉を反らして甘い悲鳴を上げた。
根本をベルトに押さえられた手足を繋ぐ2つの枷はガチガチと鳴るばかりで、まだ金具の1つも欠ける気配は無い。
水を貰えたのは最初の一度きりだったが、1分の短い休憩は必ず挟み込まれた。
5分ローターと指で滅茶苦茶に責められて、1分だけ全ての刺激が止む。ローションを足したりベルトを締め直したりするのさえ5分の間に済まされて声を掛けてくれることも無いから、急に暗闇に一人放り出されるような感覚だった。
仕事柄人間の心をバキバキにへし折って絶望に突き落とす手法に詳しい悦はすぐに調教師の意図に気付いたが、こういうものはどれだけ訓練と対策をしても必ず一定以上精神を崩せるからこそパターン化しているので、気づいたからと言ってどうにもならない。
何の合図無くぽんと放り出されれば心細いし、”次の5分”の始まりを告げるローターの唸り声には体が震える。
「ぅ゛ッ……ふ、う゛ぅ……っ!」
中途半端なインターバルの所為で気絶することも許されず、強制的な緩急に振り回され続けて朦朧とし始めた頃、髪まで湿るほど涙に濡れそぼった目隠しが外された。
……あぁ、終わったんだ。
こちらを真っ直ぐ見下ろす藍色が甘やしてくれる時の色をしているのを見て、思わずひく、と小さくしゃくりあげる。一人ぼっちで暗闇に拘束されたまま、満足に悲鳴も上げられずに体と心を苛まれる時間が、やっと終わった。
「気持ちよかったか?悦」
「ん、……ぅん……っ」
こんなに苦しいのも頭がおかしくなりそうなのも、全部乳首を苛められるのが気持ちいい所為だ。素直に頷くと、傑は優しく頭を撫でてX字のベルトを外してくれた。まだ朦朧としてぐすぐす泣く悦を抱き上げて、自分の胸に凭れかからせるように座らせる。
頬に流れる雫を拭ってくれる傑の手首に、暖色の照明をきらきらと反射する鎖が巻き付いていた。簡単に千切れてしまいそうな細い鎖の先には小さな鍵が繋がっていて、それに気付いた悦があ、と声を漏らすのを合図に、頬を撫で下ろした指が首筋を滑り落ちる。
「素直に言えるいい子には、ご褒美やんねぇとな」
鎖骨の形を確かめるようにそこを撫でてから、赤く腫れた乳首の真ん中をなぞって、戯れに臍をつんと突いて、手首をくるりと返して二重に巻かれた鎖を解いた手が小さな鍵を握った。
昼間と同じようにすんなりと一度で鍵穴に通し、ずっと身の内で渦を巻く重苦しい熱に苛まれていた悦にはあまりにも甘美な音を立てて、ちゃちな見た目の割にしっかりその役目を果たし続けていた南京錠が外される。裏筋をくすぐりながらピンと張っていた鎖が緩み、殆ど無意識の内に悦は両膝を開いた。
「はぁぁ……ッ」
ブジーを抜かれた端から重たく燻っていた熱の一部がどろりと溢れ出し、溜息のような嬌声を上げながら喉を反らす。勢いを無くしてどろどろと溢れるのは開放感とは程遠い筈なのに、ずっとあった重さが軽くなるだけでも随分救われて、元から半分トんでいたような意識が更に霞がかった。
「とける……っとけちゃう……」
「溶けンのはこれから」
理性も知性も溶けた譫言を呟く悦の腰をあやすように撫でながら、傑は外した貞操帯をベッドの端に放り、代わりに枕元から革張りの小箱を引き寄せる。
なんだろう、と思う暇もなく留め金を弾かれて開いた中には、金食器でも入っていそうなビロードの窪みに埋もれて、毛束を紙紐に括られた金属の柄のブラシが1本、収まっていた。
「これ、覚えてるか?」
「ぁ、あ……!」
勿論覚えている。双子と4Pをさせられた時に鬼利が傑に横流ししやがった、あの金と技術を注ぎ込む先を45度間違えた山羊毛のブラシだ。
「忘れるワケねぇか。お気に入りだったもんな」
咄嗟に腕の中から逃げ出そうとした悦を肩を掴んで簡単に引き戻し、傑はあの時話していた通りお古じゃなく新品のブラシの紙紐を解く。質を確かめるように親指に擦られた毛並みは傍目にも繊細で柔らかく、その感触と快感を思い出した体にざっと鳥肌が立った。
最初に傑が言っていた今日の”ゴール条件”と、あの時の鬼利の言葉を思い出す。
「や……やぁ……っ」
足首に繋がれたままの手では解りきった標的をブラシの毒牙から隠すことも出来ず、悦は傑の胸にぴったり背中を貼り付けながら小さく首を横に振った。腰に腕が回されて元から密着していた体を更にぐっと引き寄せられ、どこに逃げることも、隠すことも守ることも出来ない乳首に、乾いたままのブラシが近づいてくる。
まずは右が、ふわりと夢のように柔らかな毛先に包み込まれた。
「ひぁっ……ぁ……あぁ……!」
ローターと指で散々にいたぶられていたそこを慰めるように、ふわ、ふわ、と押し付けられては離され、身構えて強張っていた体中から吸い取られるように力が抜ける。無数の毛先にそっと抱きしめられては撫で上げられる、くすぐったさと紙一重の淡い快感が夢のように心地よくて、怯えて見開かれていた瑠璃色はあっという間にとろんと蕩けた。
ローターの暴虐と比べればその優しさと穏やかな快感は本当に夢のようで、さっきまでこの毛先から逃げようとしていた癖に、どうしてブラシは1本しか無いんだろうと思った。
2本あったら、寂しそうに震えている左側も一緒に可愛がって貰えるのに。
「傑、すぐる」
思いついてしまったら左が寂しくて堪らなくなって、それに引きずられて心地よさに一瞬忘れていたナカの切なさまできゅうきゅうと疼きだし、悦はむずがるように枷の短い鎖を鳴らす。シーツに押さえつけられ続けるのは苦しかったけど、こんなことならベルトはそのままで良かった。アレが無くなってしまった所為で、傑の片手が腰を抱くのに塞がってしまっている。
それなら、と悦は身動いでどうにか自分一人の力で座ろうとしてみたが、暴れ疲れている上にこしょこしょと乳首をくすぐられる度に力が抜ける体では到底無理だった。これじゃ手を離された瞬間にシーツに滑り落ちてしまうから、傑は両手を使えない。
もう一度、傑が好きな甘え声で名前を呼んで縋ると、わかったわかった、とすぐ耳元にある唇が笑った。
「俺の足、跨げ。両方」
言っている間に傑の足が開いたままの悦の腿の下に伸ばされ、言い終わると同時に膝が緩く曲がる。本当に緩く、ふにゃふにゃになった今の悦でも跨げそうな角度に曲げられただけなのに、そうされると今にもシーツを滑っていきそうだった足が根本からしっかり傑の太腿に支えられて、抜群の安定感が得られた。痛くも苦しくも無いし、ベルトよりこっちの方が断然良い。
いくら体重を預けても小揺るぎもしない傑が盤石過ぎて片足でも十分に思えたが、外でもない調教師が「両方」だと言ったので、性奴隷の悦は抜けていく力をなんとか集めて左足も同じように傑の足を跨いだ。
「でき、たぁ」
「出来たな。頑張ったご褒美、どこに欲しい?」
「こっち、こっちもして、ちくびいじめて」
「どうやって?」
もう支えて貰う必要の無くなった腰から解けた手が、指が、脇腹を這い上がって意地悪に空気を撫でる。誘導されるまま撫でて、とねだれば撫でる以外にしてくれないのは明らかだった。引っ掻いて、とさっきの声でまたねだればそうしてくれるかもしれないが、言った通りにして貰うだけでは一人遊びと変わらない。そんなの嫌だ。
優しく撫でて欲しいし、乱暴に弾いて、引っ掻いて、摘んで、捻って、悦には考えもつかない事を他にも沢山、ブラシも使って、こっちの反応なんて「知らねぇよ」と冷たく笑ってイジメて欲しい。
「……ぜん、ぶ」
思いつくこと全部、自分では思いつけないことも全部、して欲しいと欲望のままにねだった悦を、耳朶に触れた唇がくつりと低く笑う。
「淫乱」
「あぅ゛っ!」
頭の奥が痺れる声を吐息ごと吹き込まれるのと同時に、イジメて欲しくて痛いくらいに張り詰めていた左側をきゅっと摘まれて、悦は願い通りにどこにも逃げられなくなった背を仰け反らせた。そうすることで胸を突き出してますます差し出す格好になったそこを、金属の柄が鈍く光るブラシの毛先がひたりと覆う。
こんな風に乳首ばかりを責め抜かれてもよろこぶ淫乱だと傑にバレてしまったから、今まで右を甘やかしてくれていたブラシだって、もう手加減はしてくれなかった。
「ぅうっ……ぅ、う゛ぅうーーっ!」
根本を摘まれて括り出されてしまった敏感な先端を、本当は凶悪な手触りの良さを持つブラシが幅をめいいっぱい使ってこしゅこしゅと擦り上げる。さっきまで優しく抱きしめてくれていた細くて滑らかな毛先の一本一本に一斉に牙を剥かれ、直ぐに悦はぎゅうっと爪先を丸めて新しい白濁で自分の下腹を汚したが、飛沫さえ掛からない上半身に食い付いたブラシにはそんなの関係ない。
「……悦、口開けろ」
「ぁはッ、あぁ……ぁああぁあ……ッ!」
「そのまま、噛むなよ」
言われるがままに食い縛っていた口を開いてこくこくと頷く間もブラシは止まらず、指を離された乳首を柔らかく押し潰しながら、僅かな隙間も逃さず磨いていく。ブラシを持ち替えた傑の右手が左を磨きながら右をかりかりと引っ掻き、指先まで震えながら今度は潮を吹いても、傑の肩に頭を預けて見上げた天井にちかちかと星が散っても、吹き飛ばされるような激しさが無い代わりにずっと一定のまま下がることもない快感は終わらない。
刺激に慣れられないように細かく当てる角度や強さを変えられるブラシだけでも十分過ぎるのに、乳首は2つあるから、一方が丹念に磨き抜かれている間にもう片方も傑の指でイジメられてしまう。擦り切れてしまうんじゃないかと思うくらい強く擦られている隣で触れるか触れないかの際を爪で撫でられたり、反対にブラシの方で先端だけをくすぐられながらくにゅくにゅと形が変わるほど捏ねられると、焦れったいのと気持ちいいのがぐちゃぐちゃに混ざり合ってもう訳が解らなかった。二点責めなんて慣れたものの筈なのに、これはあまりにも距離が近すぎる。
「ひっ、はひっ……ひぃい…ッ…!」
こんなの無理だ。せめて焦らすか責めるのかのどちらかにして貰わないと頭がおかしくなる。どっちか片方にして、と言ったら意地悪な調教師は延々焦らし続けるだろうから、ブラシが右から左へ持ち替えられるほんの一瞬の間に、「もっと強くして」とねだる為に悦は首を巡らせて傑を振り返った。
涙の膜に滲む藍色を見ながら傑、と呼びかけようとしたその横で、パチンと乾いた音が鳴る。
「……へぁ」
咄嗟に音のした方を見てしまった悦の口から、傑の名前とは子音どころか母音もかけ離れた間抜けな声が漏れた。
「なんて声出してンだよ」
悦の反応をくつくつと喉の奥で笑いながら、傑は持ち替える為にしてはしっかり肌から離されたブラシの上で、蓋を跳ね上げたローションボトルを傾ける。真新しい毛並みを指先で扱きながら根本まで透明な粘液を行き渡らせ、毛の一本まひたひたに濡れそぼる様子を余さず見せつけてから、ボトルを放った手を悦の腰に回した。
両足は傑の足を跨いだままだから、もう支えて貰う必要は無くなった筈なのに。
違う。本当は解ってる。今度は支える為じゃなく、押さえつける為に回されたんだ。
「両方いっぺんじゃ処理追いつかねぇだろうから、片方ずつな」
「ひっ」
奇しくも言えなかった筈の悦の願いを想定していたのとは正反対の方向に叶えてくれた傑が、じっとりローションを滴らせるブラシをとん、と気軽に乳首の上に置いて、縦に引く。
溶けた、と思った。
「ぁ、あっ、……ッあ゛――っっ!」
あの手この手で散々責められ続けて鋭敏になった神経に押し付けられた快感があまりにも、経験に基づいた予想を遥かに越えて鋭すぎて、細くて柔らかくて沢山の舌先に一瞬で舐め溶かされてしまったんだと、本気で思った。
勿論、思っただけだ。
現実には乳首は溶けも無くなりもしていなかったから、傑の舌にだって真似できないやり方で捩れ絡みつきながらじゅるりと舐め下ろされて、それで辛うじて残っていた薄皮一枚も削り落とされて神経が剥き出しになってしまった小さな粒は、そのまま最初の位置まで舐め上げられた。
ぷち、と普段聞いているのに比べれば随分呆気ない音が頭の中で鳴る。
なけなしの理性が消える音だった。
「あ゛、あ、あーー……ッ!」
「早ぇよ」
たった一往復で色んな箍をすっ飛ばしてじょろ、と漏らしてしまった呆気なさを笑う傑の声も、今の悦には届かない。自分の下腹だけでは収まらず、腰を抱く傑の腕まで濡らす間にも、一往復で芯まで叩きのめされた乳首に食い付いたブラシは獲物の捕食を続けていたからだ。
元からそこだけでイけるくらいには仕込まれていた所を更に調教されて、もう息を吹きかけられるだけでも芯まで痺れるくらいに敏感になっているのに、それでもまだ許されない。いっそ噛み砕いて息の根を止めてくれればいいのに、その毛先一本一本でローションの消化液を刷り込みながら、もう瀕死になってぴくぴくと哀れに痙攣するばかりの乳首を丸呑みにして、山羊毛の触手でじゅくじゅくといたぶる。
このままじゃ本当に食われてしまうから、縦に横に強弱をつけて貪る毒牙から必死になって悦は逃げようとしたが、どういうわけだかガチャガチャと耳障りな音が響くばかりでどこにも行けなかった。
「とける゛ぅ……ひっぅ……とけちゃぅう゛ぅっ……ああッ、やらぁあ゛あ゛……っ!」
とうとう体力が底をついて身を捩ることも出来なくなり、やっと開放されたと思ったのに、今度はまだ乾いたままの右の乳首がブラシに襲われる。
テープでローターを貼り付けられていたこちらは左よりも赤くなっていたから、ローションをたっぷり追加されてゆっくりと擦られた。そんな風にされたって、もう叫ぶだけの気力も残っていない悦に出来るのは、噛み合わない奥歯をかちかち鳴らしながら時々思い出したように痙攣することくらいだ。さっき全部出してしまったから、もう漏らせるものも無い。
なのに、終わってくれない。枷を壊せていないからだ。
「しゅぐる、しゅぐるぅっ……こわ、してぇ゛……っ」
「これ以上?狂いたいってことか?」
「ちが、こっち、……これ、ぇっ……!」
毛先でぴん、と弾かれた乳首は両方とも、十分過ぎるくらいに調教されて壊れてしまっている。そっちじゃなくてこっち、と悦は感覚の鈍い手を握りしめて足首との間に繋がった枷をかちゃかちゃと鳴らした。
「まだこっち初めたトコだろ」
「も、もぅいいっ……ぃ、…いたい、からぁ……っ」
「嘘つけ」
叱るようにじゅるっ、と強くブラシで擦られても、傑の言う通り壊れてしまったそこは快感しか拾わない。それでも、悦はひんひん鳴きながら痛い痛いと下手な嘘を吐き続けた。信じられないくらい敏感にされてしまった乳首を嬲られ続けている間もずっと、締め付けるモノも無いのにきゅうっと締まったまま痙攣している内側からの疼きに苛まれ続けていたから、もう怪我をしないようちゃんとした作りの枷を壊せるだけの力なんて残っていない。
「いたいっ、いだ……ぃいっ……!」
「痛いじゃなくて気持ちいい、だろ」
「ひが、ぅっ……ぃた、ぃい……っ」
「熱いんじゃなくて?痛い?」
「い、たぃい……ぁっ、あ゛っ……いた、ぁあぁ……ッ」
「喘いでんじゃねぇか」
どんなに冷酷を装っていても、顔色や反応から本当は痛みなんて微塵も感じていないのを解っていても、「痛い」と泣かれるのは趣味じゃない傑が、呆れたように笑いながらブラシをシーツに置く。締める所は締めるけど根本的に悦に甘い調教師は、そのまま手を伸ばして悦の右手と右足を繋いでいた枷の短い鎖をぱきん、と指の間に砕いてくれた。
ああ、やっと。
自分では出来なかったけど、これでやっと、傑が決めたゴールに辿り着けた。
「まだ痛い?」
「……ぃたく、ない……」
「そっか。……頑張ったな、悦」
「っひ……ぅ……!」
頑張りたくて頑張っていたわけじゃないのに、そんな優しい声で褒められてしまったら全てが報われた気がして、悦は調教師から恋人に戻った傑が体勢を変えてくれるのも待たず、上半身を捻って右腕だけで抱きつく。
結局指の一本も挿れて貰えていないナカはまだきゅうきゅうと切なかったが、ちゃんと自分で出来なかったんだから、あんな見え透いた嘘まで吐いて傑に手伝って貰って、それを許して貰えたんだから、ご褒美を貰えないのは仕方ないと素直に思えた。まだ何も知らない初物じゃなく、一通りのことはとっくの昔に仕込まれているのに、ちゃんと出来なかったのが情けなくて悲しい。なのにそれを傑に許して貰えたのが嬉しくて、頑張ったのを認めて褒めて貰えた事にどうしようもなく安心して、鼻の奥がつんと痛くなる。
「ぅっ、く……ぅあぁぁ……!」
「よしよし、偉い偉い」
いつもはどうせ破れるか焼けるからとボタンを留めないことも多いのに、今日に限って傑はシャツの前を第三から全部留めていたから、同じように鎖を壊して貰った左手は裾から突っ込んで背中に回した。体をひっくり返して貰って正面から、抱きつくというよりはしがみつくような格好で傑の肩に顔を押し当てて、子供みたいにわあわあと声を上げて泣きじゃくる。
安心して泣くなんて、子供の頃にはしたこともあったのかもしれないが、悦が鴉の稼ぎ頭でも男娼でも無かった時間は本当に短い上に遠い昔の事だったから、殆ど初めての経験だ。そんな風に振る舞える環境じゃなかった。いつどこから襲いかかってくるか解らないあらゆる外敵から意識を反らすことが出来たのは、今も昔も悦にだけ完璧な純血種の腕の中だけだ。
この腕に抱かれて、この藍色に見守られている間だけは、悦は全てを放棄してその安寧に浸っていられる。
頭が真っ白になるような快感に泣き喘ぐ時とは違って、感情のままにただ泣くのは頭の中が空っぽになる心地だった。こんなに危ない事をしても大丈夫、守ってくれるから、と考えると涙が溢れて、そんな場所をくれる体温をもっと間近に感じたくて右腕もシャツの下に潜り込ませた。素肌に触れるとその感触にまた安心して、満たされてまた涙が溢れてくるから夢中で掻き抱いて、悦は結局今日まで焼けも破れもせずにいたシャツのボタンを幾つか引き千切ってしまった。
それでも傑は好きなようにさせたまま優しく頭を撫で続けてくれるから、それが嬉しくてまた泣いた。
「あぅ、…………ぁ?」
泣いて、泣いて、泣きすぎて頭がガンガンして来たので泣くのを止めて、すんっと冷静になった頭がボロ布のようになったシャツの残骸と、しがみついて傑の肩どころじゃなく背中まで濡らした涙の量と、さっきまでの自分の思考のヤバさに気づく。
「落ち着いたか?」
「…………」
優しい声で気遣う傑が、服を引き剥がされたレイプ後みたいな格好で頬に残る涙を拭ってくれたが、その優しさと寛容さと飴鞭の使い分けの見事さに惚れ惚れする気持ちはあれど、もうさっきまでのような激情は湧いて来なかった。当然だ。SかMかで言えば間違いなくMである自覚はあるが、そもそも悦は相手の色に塗り替えられるのを恥じらいながらも無垢に喜ぶような殊勝な質では無い。
それが、それがあんな。なんだあれ。誰だ。もしかしてさっきまでのアレが本当の本心なんだろうか。そんなワケが無い。悦はMはMでも素直でいい子なMじゃなく、きっと大切な筈の色んなものをぐちゃぐちゃに掻き回されながら、そんな事をされてしまう程相手を、というか傑を、自分に心酔させて虜にしていることにゾクゾクとした悦びを感じる、割と面倒なタイプのMだ。それが、専門家も御用達の拷問技術を応用した調教で一時いい子ちゃんにさせられたのだ。
今日の調教は乳首だけだって言った癖に。
そう気付くと急に背中をぽんぽん撫でてくれる恋人の手が憎たらしく思えて来たが、散々暴れた上に頭をカラにして泣き喚いたものだから、もう体力は底を突き抜けてしまっている。
それでも、この思いを抱え落ちするのは癪だった。そういう所が本当に真髄の、悦が悦たる所以だった。
「……うそつき」
掠れた声でそう一言詰って、取り敢えず満足して、ストンと悦は眠った。
Next.
2日目は乳首、少し精神。
情緒を掻き回していくスタイル。