頭をかち割られないように一歩下がった隙を見逃さず、コンパクトに振られたハンマーが長く太い釘を骨に埋める音を聞いて、悦は袖から滑り落としたナイフを握りながら鋭く舌打ちした。
「……もう死ね、お前」
低く呟いて、握ったナイフをそのままに2歩下がる。明らかに何らかの性的興奮を覚えて息を荒げていた形の悪いハゲ頭は、一瞬前まで悦の頭があった空間を薙いだ真っ赤なシャベルによって、ぱきょ、と間の抜けた音を漏らしながら体ごと壁際に吹き飛ばされていった。
悦の胴回りほどに太い両腕でシャベルを握った大男がずんずんと背後を横切り、一撃で頭蓋骨を潰されながら首をへし折られたスキンヘッドに鈍器の平面を振り下ろすのを横目に、はぁ、と溜息を吐く。タイル張りの床と人の頭だったものが叩き潰される音を聞きながら退いた3歩をだらだらと近づいて見ると、持ってきた中で一番太い釘は半分以上が頭蓋骨に埋まってしまっていた。
「あーあ」
しかも額のど真ん中に。壁に凭れ掛かる形で体中に大小の釘を打たれ、苦痛に引き歪んだまま硬直した”標的”の眉間近くに突き立った鈍色を傍らにしゃがみ込みながら眺めやって、悦はもう一度溜息を吐く。
バカならバカらしく、意気揚々と旗でも立てるように髪に隠れる脳天に打てばいいものを、よりにもよって額だ。一時間掛けてハンマーを振るった悦が首から上だけは徹底して避けていたのを、そこに釘を打つのは裏切り者に対する龍鱗楼一家のお家芸なのを、真横で見ていて親切に教えてもやったのにまるで覚えていなかったんだろうか。数ある選択肢の中で一番悪いものを迷いなく選び取るなんて、これだからバカは。
もう名前も覚えていない、今は頭さえ無くなった参級を一頻り心の中で罵って、悦はべったりと血濡れた壁に手を突きながら立ち上がった。
「そのくらいにしとけよ、パッチ」
「……」
反対側の壁際に設置したカメラを取りに行くついでに、まだべちゃぐちゃとシャベルを振り下ろしている分厚い背中に呼びかける。ぐるん、と振り返った顔は何で縫ったのか不思議なくらい荒い縫合痕が縦横に走り、その上に返り血とそれ以外までもが飛び散ってホラー映画の怪物のようだったが、正真正銘の化け物を恋人に持つ悦は同じく返り血の飛んだ顔で軽く笑った。
「肩まで潰れてんじゃねぇか。もういいって」
「……」
でも、と言いたげに足元の血溜まりとこちらを見比べるパッチ―――参級指定の”パッチワーク”に、悦はナイフを袖に戻しながらひらひらと手を振る。悦の手前、無礼なバカに「フランケンシュタインみたいだ」と一番嫌いな悪口を言われても耐えていた腹の虫がそれで収まるのなら、頭でも胸でも好きにシャベルで挽き肉にすればいいが、そのバカのお陰で憂さ晴らしに付き合うだけの時間は無い。
とっとと電波の届く場所まで戻って鬼利に報告を入れないと、今日までILLの登録者として扱われていたバカの”飼育料”だけでなく、3桁近い女子供を攫って嬲ったゴミクズの一時間に及ぶ絶叫と死に様まで無駄になる。
録画を止めたカメラを緩衝材がぎっしり詰まったケースに収め、畳んだ三脚を筒状の袋に仕舞い、冗談のように肩紐が太く長いバックパックから一人分の死体袋を出して、と悦がてきぱき撤収の準備をしていると、パーカーの腹ポケットに入れた端末がぽよん、と気の抜ける音で通知を知らせた。
カメラケースをバックパックに詰める片手間に確認すると、【悦が怒ったみたいに見えた 怪我は?もう怒ってない?】と、相変わらず外見に似合わない穏やかさで横の怪物からのメッセージが届いている。唇と喉の2箇所にある縫合痕の✕印が示す通り、パッチワークは喋れないのだ。
「お前も見てただろ。そのバカ、よりにもよって頭に打ちやがった」
喉が潰れているだけで耳は聞こえているので、悦は三脚をバックパックの側面に縛り付けながら舌打ちする。因みにパッチワークは人相からついたあだ名で本名は別にあるが、正しく呼ぼうとすると名前だけで20文字を超える上、略すと怒るので悦は覚えていない。
【頭がなにか悪い?】
「龍鱗楼一家のやり方に似てるんだよ、頭に釘打つと」
【りゅうりんろう マフィア?】
「去年弐級の”時計屋”が片足ふっ飛ばされて、ガチで熨斗付けて返されて爆笑しただろ。その相手」
【軍隊蟻】
「そう、そこ。金じゃ引かねぇから面倒なんだよ、コナかけると」
【……もう少し潰す?】
事の重大さを理解したらしいパッチワークが一度は下ろしたシャベルを再び持ち上げるのを、悦は血に濡れたペンチやホチキスや電動ドリルをぽいぽいとバックパックに放り込みながら、いいって、と止めた。
「そんなバカの死体一つじゃもっと引かねぇよ。上から銃痕重ねるか、いっそ針山にして誤魔化すか、鬼利に聞かねーと」
【肉で塞ぐのは?】
「……」
ぬちゃ、と元の部位も解らない赤い塊を差し出してくるパッチワークの太い腕を、悦は一瞥すらせずに無視して、さっさと動けと顎をしゃくる。体重150キロを超す巨漢がハンマーで打ち込んだ肩と膝の釘は、悦の体重ではバールを使っても死体と壁から引き抜けない。
【だって】
【リーダーは悦だから】
【悦が叱られちゃう】
一応持ってきていたバールを使わず、ハンマーの後ろについた簡素な釘抜きで標的を磔けていた釘を抜きながら、ぽよよよんと連続した通知音と意外と大きな緑の目が気遣わしげに悦を伺う。
見た目こそ断末魔を子守唄にして育った生粋の殺人鬼のようだが、悦が依頼通りの拷問と惨殺をする間は耳栓をして壁を向き、マフィアより厳しいILLの制裁のことを”叱られる”と表現するくらい、気の小さい男なのだ。怒らせなければ。
「そりゃ、バカがバカだって解ってるのに、止められなかった俺が悪いし」
【でも】
「ぽよぽようっせぇ」
メッセージで言い募るパッチワークを舌打ち混じりに一蹴し、悦はばさりと死体袋をその足元に投げ出した。
胸から上が砕けたタイルと融合したバカのハンマーを受けずに避けたあの瞬間から、「命令違反」と「意向無視」への制裁として爪の5枚や10枚を剥ぎ取られる覚悟は出来ている。頭を守る為に利き腕の骨を砕かれ肉を潰されるよりもマシだ、と判断したからこそ悦は回避を優先して、怒れる怪物に始末を任せたのだ。
だからヘマの代償が爪や手足の一本で済むように、縫い跡だらけの頭より体を動かせとせっついて、悦はバックパックを背負ったパッチワークに”標的”を入れた死体袋を担がせる。掃除はまた別の、それに長けた登録者か下請け組織の仕事だ。予定に無い死体の処理と予定外の傷が増えた死体の処理、そして悦の処遇を考えるのは、それに長けた最高幹部の仕事だ。
【おれ、魔王に言うよ 悦は悪くないって】
「お前の”話”なんて鬼利が聞くかよ」
大荷物を担いで詰まりそうに細い階段を登りながら、肩との境目が曖昧な首を巡らせて振り返る継ぎ接ぎ顔を、悦は端末を横目にしながら笑い飛ばした。
こういう時、甘く見積もって良かった試しは一度も無い。
まぁ物凄く痛くて完治が遅いだけで死ぬわけじゃ無いし、切り落とされない限りは骨も爪もいつかは治るし、とポジティブに最悪を覚悟してシャワーも浴びずに執務室に直行した悦に、札付き共に魔王と恐れられる最高幹部が下した処分は、
「10日間の謹慎と、4等罰金」
「…………それだけ?」
それだけだった。
報告が迅速だったのと、指示通りに”解剖フュージのシャンプーハット”を模したカモフラージュが依頼人的に高評価だったので、ILLで2番目に重罪の「意向無視」にはギリギリ当たらなかったらしい。
処分の内訳は、「バカの手が届く所に釘を置いておいた」不注意で罰金。事前報告無しに登録者を勝手に処分したので、生死問わずの参級指定の死刑を早めた所で誰の罪状が増えるわけでもないが、「他が真似をすると困る」から見せしめの意味を込めて謹慎だそうだ。
随分と優しい処分でちょっと拍子抜けしたものの、鬼利がそれで良いというなら勿論悦にも文句は無い。登録者というのは9割くらいが言っても聞かないバカばかりなので、見せしめは大事だ。”群れ”で育った悦は理屈は解らなくとも、感覚でその重要性をよく知っている。
だから処分自体に文句は無いのだが、問題が一つ。
「キンシン、って何すりゃいいの?」
湯上がりでホカホカした体でチョコレート色のカウチに寝っ転がり、重いハンマーを振っていた右手を隣に座る傑にマッサージして貰いながら、悦は首を傾げる。特に「自室」とは指定されなかったし、自分の部屋から出て来ないよりは零級の部屋から出てこない方が見せしめ度が上がるだろうし、悦の部屋には今は保存食くらいしか置いていないので、いつものように傑の自室である。
目端の利く鬼利が「自室謹慎」と言わなかったのだからそういう事だろうと、こういう計算は得意な悦だが、失敗したら殺されるし成功しても場合によっては殺されるようなド底辺育ちで、しかも金払いのいい雇い主には基本的に従順な優等生重犯罪者なものだから、謹慎なるものを命じられるのは生まれて初めてだった。
映画で不良警官や軍人がよく上司から食らっているので家で大人しくしてるもの、ということくらいは解るが、映画の主人公達は大抵一日と保たずに飛び出して行くか、数日かけて回想をしたり家具に八つ当たりしたりして最終的にはやっぱり飛び出していくので、謹慎中の正しい過ごし方は見たことが無い。
「大人しく引き篭もって、何が悪かったのか考えて反省する、ってのが普通」
「……釘はパッチに持たせときゃ良かった」
「あと、血に興奮してるんじゃなくて発作起こしてるってもうちょい早めに気付いて、殴るなり血抜きするなりして大人しくさせるともっと良かったな」
「うん」
確かにそれはそうだ。血や悲鳴に興奮するバカは多いので、基本的に絶叫をBGMにスプラッタな仕事をすることが多い悦はそういう場合の対処はよく知っているが、死体の頭に釘を打ち付けるのが性癖のバカというのは初めてで、対処が遅れた。
考えてみれば、そもそも何の役にも立たない面倒で邪魔なだけのバカを殺さず無力化するというのが、まず悦には無い発想だった。既に過ぎたことをぐだぐだと考えながら、体を動かすわけでもなくだらだら喋るのは、なんか議論っぽくて謹慎らしい感じがする。
成る程謹慎中はこうするものなのかと、悦は雑談感覚でいた反省に本腰を入れて、クリスマスに買ったカウチの上でだらけきっていた体を半分起こした。
「次からはそういうのも見とく」
「それでいいと思うぜ。そういう種類のバカもいる、って前提入れときゃ後は動けるだろ」
「殺さなきゃいいなら、健切るのはアリ?」
「死なないトコなら骨まではアリ」
「……コンボセットとか決めといた方がいいかな」
ついゲーム好きが高じて出た、本人的には大真面目な発言に、傑は「次そっち」と左手をマッサージしながら小さく笑った。人が珍しく真剣に頭を働かせているのにと軽く睨むと、世界中の達人全部を集めてもまだ届かない境地に居る純血種は、悦の左掌をむにむにと揉み解しながら首を竦める。
「お前の動き方でどうやってパターン組むんだよ」
「別にガチ近接ヤるわけじゃねぇし、大物の時はこうするとか、小物の時はこうするとか、よくやってんじゃん」
「処理追いつくわけねーだろ。自分がいつもどんだけメチャクチャな動きしてると思ってんだよ」
「俺そんな酷い?」
「酷いんじゃなくて早い。見て避けて勘で捌いて反射で殺してる。……殺す時何考えてる?」
「どうやって殺そうかなって」
「こうやって崩して、そしたらこうなるから、ああなったらこうやってみよう、なんて考えるか?」
「そんなちんたら考えてたら出遅れるじゃねぇか」
「だろ?勘とセンスと嗅覚で動いてる奴は、無意識に相手の癖読んでそれに合わせて動くからパターン化向いてねぇんだよ」
「へー」
じゃあどうすれば良いんだろう。勘と慣れ頼りに自然と体が動くのを止めて、考えてから考えたように動くようにすれば良いんだろうか。残念ながら悦の頭は体ほど自在には動いてくれないので、考えてる間に暴走バカの無力化どころかこっちが殺されそうだ。
「殺さないやり方を考えるんじゃなくて、いつものやり方で殺すのだけ止めろよ」
「首じゃなくて指狙うとか?」
「そーそー。一番守りたがる首裂けるなら、腕削ぐのも足落とすのも簡単だろ。狙いだけ変えればいい」
「あー……そっか」
そういう感じか。カウチの側面に貼り付けているナイフを握って、悦は横に座る傑の、マッサージの為に少し前屈みになった体を俯瞰で見る。染み付いた感覚でそれを振るおうと考えると、自然と意識は首筋や心臓や太い血管が通る場所に、刃を駄目にせず一振りで致命傷に足りる場所へと狙いを定めた。
逆に言えば、ここだ、と本能が告げる場所さえ避ければ重傷の範囲で収められるということだ。
「わかった。次は上手くやる」
「あぁ」
両掌をマッサージし終わり、今度は右肘から手首に掛けてをもにもにと揉みながら、傑はいっそ無感動に聞こえるほどあっさりした声で頷く。
「……」
「……」
頼んだわけでも無いのに甲斐甲斐しくマッサージなんてしてくれる癖に、こと仕事に関しては「お前なら出来るだろ」と言わんばかりのこの素っ気なさが、悦は好きだ。生き死にに関わる事で1から10までべたべた構い倒されるのは性に合わない。出来なければ死ぬだけだ。
そういう価値観をよく理解して実力を認めてくれていると解るので、傑とのこういう沈黙が悦はとても好きだった。
好きなのだが、ここで傑に黙られると謹慎が続かない。
「なぁ、反省終わったんだけど」
「こんなもんだろ。元から大した話でもねぇし」
「これ以外ってなんかねぇの、謹慎の時やること」
「ねぇよ。謹慎なんだから」
「マジかよ」
二の腕を揉み解す傑の手の下に潜りこむようにして、悦は起こしていた上半身をばったりとその膝の上に倒す。やってしまったものは仕方が無いが、既に済んだ反省以外にすることもなく、怪我一つない体で残り9日と22時間をただ引きこもって過ごさなければいけないなんて。
「絶対ヒマじゃん……」
「そういう罰だからな」
「えー……何しよ……」
他人事だと思って平気な顔で言いやがる傑の腿に頬杖を突いて寝そべりながら考えるが、引きこもったまま出来る暇潰しなどたかが知れている。一番時間を忘れて没頭出来るのはセックスだが、悦と違って傑は仕事があるので、10日間ヤりっぱなしというわけにもいかないし。
「ゲームは?」
これなら爪を剥がされた方がマシだったかもしれない、とぼんやり自分の手を眺める姿を哀れに思ったのか、半乾きの髪を指で梳きながら傑が提案してくれるが、悦は手遊びに爪で爪をかりかり引っ掻きながら首を横に振った。
「この前クリアしたばっか」
「料理」
「動けねぇのに食ったら太る」
「映画、も無理だよな」
「2日で飽きる」
「んー……じゃあ、」
鬱陶しくない絶妙な加減で髪を弄っていた手まで止めて、思わせぶりに言葉を区切った傑を、悦は誘導されるままに振り仰ぐ。
警戒心ゼロで「なに、なんかある?」と誘いに乗って見上げた傑は、安い餌にチョロく引っかかった悦にほくそ笑むでもなく、いっそ無垢な目で軽く首を傾げた。
「監禁する?」
「……は?」
いつもは頼んでもいないのにダダ漏れに溢れかえっている色気をわざわざ引っ込めて、ただ退屈に半殺しにされそうな悦を気遣っているような面で、ことここに至ってはある程度のプレイは暇潰しに快諾してしまいそうな状況なのに、よりにもよって監禁である。10日間一歩でもこの部屋から出たら向こう一ヶ月は固形物を食えない体にされる、ILL仕様のガチ謹慎処分だって言ってんだろうが。
もしかして傑が監禁される方か。このド変態めとうとうその境地までイキきりやがったのかと呆れながら「お前が?」と人外の美貌を指差すと、傑はゆったりソファの背に頬杖を突きながらまさか、と首を横に振った。意味が解らない。
「どうせ10日は身動き取れねぇんだから、少しでも愉しい方がいいじゃねーか」
「……お前が?」
同じ台詞をそっくりそのままリピートした悦に「違ぇよ」と唇の端で笑って、傑は頬杖をついたままのんびりと片手を伸ばした。
風呂上がりで引っ掛けたままにしていたバスタオルを長い指でゆったり掴んで、そのまま、くるりと手首を返して首に掛かったタオルの輪を緩く締め上げる。
「部屋でじっとしてるのは嫌いだけど、こーゆーのは好きだろ?」
「……」
軽く揺らされたそれが首輪を模していると気づくのと同時に傑の意図を察して、つい悦は分かりやすく「沈黙は肯定」を体現してしまった。すっかすかに緩い所為で苦しい痛い何しやがるとキレて振り解くわけにもいかず、これまた分かりやすくふいと視線を反らして、申し訳程度に眉を顰めて見せる。
「楽しかったら罰になんねぇだろ」
「見せしめの為の謹慎だって言われたんじゃねぇの?」
「……言われたけど」
相変わらず瞳の底を落ち着かせたままの傑にノッてやるのもなんだか癪で、そういうのはなんか、流石にダメなんじゃねぇの、と常識ある真人間みたいな事を言う悦に、傑は確かにそれもそうだな、と何もかも解っている顔で頷いた。
「監禁と言えば調教だよな」
「……っ」
文脈をまるで無視して放り込まれた今日イチのキラーワードに、思わずちらっと視線を向けた悦の見ている前で、唯一の反抗材料だった藍色の静かな底がごっそりと抜けて落ちる。
「好きだろ、そういうの」
「……」
ことここに至っての沈黙は何よりも雄弁に、肯定だった。
ひたりと肌に吸い付くように上質な革のアイマスクが、綺麗な藍色と見慣れた寝室を黒く覆い隠す。
紐の代わりについたベルトが後頭部で締められると僅かな隙間も無くなり、悦の視界は闇一色になった。二番手の感覚を邪魔しないように無意識に聴覚を研ぎ澄ます体が、左肩に置かれた手で優しくシーツの上に押し倒される。
「嫌、ってよく言うよな。本当は好きなのに、恥ずかしいからって」
「ぅ……うん」
大人しく手足を投げ出して仰向けになりながら、悦は渋々頷いた。いつもなら、それこそ恥ずかしいのでどうにか傑があまりにも変態にテクい所為だと責任転嫁して言い訳する所だが、今の悦は謹慎にかこつけて恋人と監禁調教プレイを愉しもうとしている身である。下手に反抗して初日から飛ばされると後半が大変なことになるので、出来るだけ従順な姿勢を心がけた。
「今までは演技無しのセックスに慣れてねぇから許してやってたけど、嘘吐くのは悪いことだよな?」
「……」
「口も塞いで欲しいか?」
「わっ……悪い……です」
見えない所為で一層腰に響く低音に、道徳のどの字も無いような犯罪者同士で今更嘘がどうとか言われてもという戸惑いや、別に全部が全部嘘ってわけじゃ、そりゃまあ大変に悦んでるんだから結果的に嘘みたいになってるけどもう許してとかキツい辛いでもそれがイイって気持ちを込めたら甘えた「いやぁ」になってしまうだけで、という思いを飲み込んで、慌てて頷く。他ならウザいばかりの尊大な物言いも、期待値が他とは雲泥の差がある傑に言われるとぞくぞく来る。
「だよな」
「っ……」
きし、とマットレスが軋む音から予想したよりもずっと近く、殆ど耳朶に唇が触れようかという距離で囁かれて、悦はびくっと身を竦めた。大袈裟な反応をくつりと嗤った傑の唇が、頬を掠めるようにしてちゅ、と啄むように悦のそれに触れる。
「正直に言えよ。キスは?」
「嫌い、じゃない……」
「……あァ?」
「すっ、すき……」
実はこういうシチュエーションでは大変に好みのドスが効いたガラの悪い声で問い詰められ、悦はこくこくと頷いた。普段の頭が痺れるように甘い声もいいが、本能的に背筋がぞっと冷えるこの声も良い。めっちゃ怖い。かっこいい。ぐちゃぐちゃにされたい。
「耳は?」
「好き、すき……だから……っ」
「ホントは嫌なトコなんてねぇんだろ。目隠しされただけで勃たせるド淫乱だもんな」
耳元で囁かれるのもぞわぞわして好きだから、淫乱なのも解ってるからそこで喋らないで、と控え目に顔を逃がそうとした悦を耳朶に柔く歯を立てて止めた唇が、突き放すように冷淡な声で嗤う。確かに元から悦は気持ちよければ大体平気な淫乱だったが、それをアイマスクされて囁かれるだけで下着を濡らすようなド淫乱に仕上げたのは傑だ。
もうすっかり傑好みの体にされてしまったのに、これ以上なにをどう調教されてしまうんだろうという期待からきゅっとシーツを握ると、噛み跡に優しいキスを落とした恋人がふっとその気配を緩ませた。体の芯からじわりと力を吸い取るような、あの盤石な気配の中に悦を閉じ込めて、全部わかってるから安心しろと言わんばかりに、長い指がこめかみから滑るようにして頭を撫でる。
「嫌、なんて嘘でも言えなくなるようにしてやるよ」
思わずはくりと漏れた吐息は、重なった唇に頭から丸呑みにされた。
くちゅり、と濡れた音が頭の中に響く。
どこをどうされているのか追えるくらいの緩さで舌を舌に絡め取られ、解かれ、また絡められて、隅々までを味わうようにされていく音が。頭を抱くようにして両耳を傑の掌に塞がれているので、塞がれた視覚を補おうと鋭敏になった悦の聴覚に逃げ場は無く、少し強めに吸われる感触とその音だけで指先にまで震えが走った。
「はふ、ぁ……んんっ……!」
敏感な上顎をつぅと舌に舐め上げられて、思わず顎が上がる。足の間に膝をついて覆い被さる傑の太腿に、半ば乗り上げるようにして大きく足を広げられて自由の効かない腰も控えめに跳ねた。履かされたままの下着はもうじっとり濡れているし、アイマスクの下もどうしたって滲んでしまう涙で少し湿っている。
気持ちいい。
甘やかすようにゆったり絡められるのも、くすぐるようにして口の中の敏感な所を暴かれるのも、根本から引きずり込まれるようにして甘噛みされるのも、そのまま差し出した舌をいいように舐めしゃぶられるのも。どれも息継ぎを忘れてしまうくらい気持ちよくて、水音で飽和したような頭がぼぅっとする。言いつけ通りに傑のシャツを背中で掴んでいる両手が滑り落ちてしまいそうだ。
「あ、ぁ……ぁぁあ……っ」
どんな生き物よりも鋭い牙の前に喉元を晒すようにしていた顔を戻され、大きく口を開けさせられたまま、柔らかい唇で舌を扱くようにされる。両手で大事そうに抱え込まれたまま、好き勝手に薄い肉と濡れた粘膜を嬲られる行為は、もうまるっきりセックスだ。焦れったくて、もっと強い刺激が欲しくて自然と腰が揺れ動くのに、いつまでもこの微温湯の心地よさに犯されていたいとも思う。
互いの体温がすっかり溶けて混じり合い、輪郭さえ曖昧になった頃、不意に耳を塞いでいた両手が離された。こしょこしょと耳の裏をくすぐられてまた顎を上げてしまう口からも、最後に上顎をひと撫でしてから唇と舌が離れていく。もう触れて絡んでいるのが当たり前になっていたから、乾いた外気が無性に寂しくて味気なくてつい後を追いかけようとしたが、身を起こした傑には届かなかった。
「開けてろ」
「……あ……っ」
きし、と顔のすぐ横のマットレスを軋ませて下にいる悦を潰さないように姿勢を整える傑の手が、言われるがままに閉じかけた口を開いた顎を捉えて横向かせる。すっかり蕩かされた舌と開いたままの口では溢れた唾液を上手く飲み下すことが出来ず、唇の端からたらりと零れてしまうそれを、枕代わりに敷かれたバスタオルが頬の下で吸い取っていった。
折り畳まれているからそうそうシーツに染みることは無いとはいえ、意識があるのに垂れ流しにするのはなんだか情けない。口を閉じないように気をつけながら悦が少しずつ喉を鳴らしていると、片手で濡れた唇をふにふにと辿りながら、ぐっと傑の気配と体温が口の代わりに眼前に晒された左耳に近づいた。
「は……ぁっ……!」
アイマスクのベルトに押さえられた横髪を、傑の唇が軽く食むようにしてさらりと退かす。見えない悦にも熱さで真っ赤になっていると解る耳が、慎重なほどに緩慢な動きで癖のない蜂蜜色を取り払われて、無防備に晒されていく。
舌に掻き分けられた髪を耳の後ろに撫で付けられてぶるりと震えると、宥めるように唇を撫でていた指が舌を撫でながら差し込まれた。
人差し指と中指、早く突っ込んで欲しくて懸命にしゃぶって濡らす時と同じ、傑の指の中でも一際、うっとりするほど長い2本。
「んぅう……っ」
歯を立てないようにそっと口を閉じて咥え込むと、褒めるように舌の付け根を撫でた指が口の中で緩く曲がり、ざらついた第二関節が上顎を擦る。それにまたぶるっと震えた悦を2本指であやしながら、髪の一筋も残さず丁寧に下拵えされた耳に、
くちゅ。
「ひっ、んン……!」
ぞわわ、と尖った舌を挿れられた小さな穴から足の先まで、鳥肌が立った。
耳を塞がれたキスされていた時よりずっとクリアな水音が、ダイレクトに頭の中に流れ込んでくる。思わず首を竦めて強張った体を喉奥で笑われる低音にぐらぐらと目眩がする。にゅぐ、と広がりようのない狭路をこじ開けるようにされてから熱くなった耳朶をぞろりと舐められると、もう堪らなかった。
「……びしょびしょだな」
「はぅっ……ん、んぁあ……!」
触ったわけでもなければ、顔も寄せたままなのに、悦の体がどういう反応をするかを解りきっている傑がじゅわりと先走りが染みた下着を指して、耳元でふっと笑う。舐められて濡らされた所を吐息に撫でられると信じられないくらいに感じて、キスで緩やかに高められていた体の奥底にずしん、と重い熱が落ちた。
「イきたい?」
「ふっ……ふぁっ……!」
「いいぜ、イけよ」
耳を責められるのに合わせて上顎を優しく擦ってくれる指をしゃぶりながら、無理、と微かに首を横に振ってみるが、悦の体を悦以上に知り尽くしている傑は甘やかすように笑うだけだった。かぷかぷと軟骨を甘噛みされる仕草は戯れのようなのに、痛みにすらなっていない、くすぐったいようなその刺激がいつもとは逆向きに背骨を突き抜ける。
いつもなら一段飛ばしに駆け上がっていく階段を、一歩一歩確かめて登っていくようだった。
むず痒いくらいにもどかしいのにちりちりとした焦燥感さえどこか遠くて、緩慢なのに確実に頂きには近づいている。いつもならぱつんと弾け飛ぶ理性もしっかり仕事をしていて、明瞭な意識は一番情報量の多い視覚を塞がれている分、じわじわと高められて上がる息と体温をくっきりと感じ取る。
「ん、んぅっ……はぁぅう……っ!」
どうやってイくかなんて、意識したことは無い。悦にとってそれはあまりにも日常で、全てにおいて疑いようもなく盤石な純血種相手でさえなければ、そうと思うだけで簡単に迎えられるものだった。息をするように、とまでは流石にいかないが、平らな地面で宙返りをするくらいの感覚だ。ふっと息を吐いて、必要な所に必要なだけの力を入れれば、身軽な悦の体は容易くそれを出来る。
そうやって当たり前に、自然にしていたことを、傑の指と舌は1から10まで段階を踏んで、どこがどうなっているかをこと細かに自覚させながら、悦にさせようとしていた。
恥ずかしいなんてもんじゃない。アイマスクの無い藍色にその様を間近に見られていると思うと、頭の芯が熱くなって塞がれた視界にちかちかと星が散る。こんな恥ずかしくて気持ちよくて体がどろどろに蕩けていくような事を、よくも「宙返りくらいかな」なんて気軽にやっていたものだ。ド淫乱じゃねぇか。
ぞく、ぞくん、と背筋の震えが間隔を狭めるのに応じて竦めていた首が勝手に伸び、これから駆け抜ける感覚が滞りなく頭の中で弾けるように反っていく慣れきった体に反して、意識の方はぐちゃぐちゃだった。こんなの覚えたら絶対にヤバい、と経験が警鐘を鳴らしているのに、ひたひたとより深くに沈んでいくような心地が気持ちよくて堪らない。わけもなく泣きたくなってくる。どこが痛いわけでも苦しいわけでも無いのに。
「大丈夫、気持ちいいだけだ」
知ってるだろ?なんて、体と同じように丁寧に下拵えされて隠すものも逃げる先も無い耳元で、とろりと甘い声が囁く。
伊達に恋人なんて酔狂に付き合ってるわけじゃない。声を聞けば、傑が今どんな顔をして目をしているのかは解った。見ているだけで熱が移るようなぐらぐらに煮立った溶岩を、あの藍色は悦の前で欠片だって隠さない。きっと初めて血が通って底が抜けたあの瞬間から、冷酷に凍えて見えるような時だって、深みにはいつも恐ろしいまでの灼熱があった。
愛とか言うこっ恥ずかしいものを溶かせるだけ溶かして呑んだあの藍色が、きっと一層に蕩けるようになって悦を見ている。見えなくても、悦にはそれが解った。
解ってしまうくらいには、悦も傑を見ていた。
「……悦」
踏みしめるようにして登ってきた最後の一段を、頭の奥が甘く痺れる声がとんと背を押して飛び越えさせる。
越えてしまえば、後は落ちるだけだ。
「ふぁああぁ……っ!」
舌の上に乗った傑の指に歯を立てる事もなく、どろどろに蕩けた声だけを上げて、悦は首から上への愛撫だけでくっきりとイった。余所事ばかり考えていた頭の中が真っ白になって、傑の背に回した両手と腰を挟んだ両足がぎゅうっと抱きつくように強ばる。
「ほら、イけただろ?」
「はぁっ……ぁあ……っ」
まだぱちぱちと残り火が弾けている悦の中から、上顎をするりと撫でるようにして指を抜いた傑が、笑みを含んだ声で言う。くったりと力の抜けた耳元と頬にちゅ、ちゅ、と労るようなキスが落とされて、リップ音が蕩けた頭の中にぐわんぐわんと反響するようだった。
唇同士でキスをする時、傑は目を閉じない。でも、唇以外の場所へ触れるだけのそれを落とす時は、長い睫毛に縁取られた綺麗な藍色を閉じていることが多かった。
今日は、今は、どっちだろう。
「すぐる、とってぇ」
考えると見たくて堪らなくなって、悦はきゅっと甘えた力でシャツを握りながらむずがるように頭を動かした。今みたいに頭の下敷きにしても痛くないよう、殆ど凹凸の無いベルトに留められたアイマスクはそのくらいでは外れもずれもしない。
顔が見たい、ちゃんとイけたからこれ取って、とご褒美をねだる悦の頬を、意地悪に笑った傑の唇が撫でていく。
「まだダメ」
手だって背に回したままにしていたのに、そう言って傑は離れていってしまった。慣れない方法でイかされた悦の頭はまだ芯からどろどろに溶けたままで、完全に体を起こされたわけじゃないのは音と触覚から解っているのに、遠のいた体温が寂しい。傑は全部見ているのに、あんな綺麗な顔を見せてくれないなんて酷い。
「やぁ」
「やぁじゃねぇよ、可愛いな。まだ半分だろ」
半分。
苦笑交じりの声と共に濡れていない指で髪を梳かれ、悦はアイマスクの下でゆっくりと瑠璃色を瞬かせた。まだ半分。
もう半分。……もう片方。
「ん……」
その”片方”がどっちを指しているのかは解らなかったが、このまま駄々をこねてもアイマスクは取って貰えそうにないので、ひとまず悦はもぞりと頭を動かした。濡れた左耳をタオルの枕に擦り付けるようにして、まだ半分以上が髪に隠されたままの右耳を傑の前に差し出す。
どっちの意味だとしても、両方だとしても、傑ならこれで上手いことやってくれる筈だ。溶けたままの頭でそう考えた悦の期待を、今度は唇や舌ではなく、乾いた指を使って手早く下拵えを済ませた恋人は裏切らない。
「いい子だ。……頭ン中、もっとぐちゃぐちゃにしような」
「ぅんん……っ!」
もうなってる、の一言を、場慣れた”調教中”の悦は傑の指と一緒に飲み込んだ。
結局、傑がアイマスクを取ってくれたのはそれから4回イかされた後だった。
枕にしていたバスタオルの上、ヘッドボードを背に頭も体もぐずぐずにされた悦を座らせて、薄く噛み跡が残されたままの手で頭を抱くようにしてベルトを外す。間近にこちらを覗き込む藍色は期待通りに嗜虐的に熱烈で、見据えられただけなのに軽くイった。
「もう履けねぇな、コレ」
「あ、ぁっ……!」
2回目と4回目はもう片方のイき方をしてべったり白濁に濡れた下着の幅広なゴム部分を撫でられ、思ったよりも酷い有様になっていた腰が跳ねる。濡れてぴたりと張り付く布地が微かに勃ったままの先端を擦る快感と、耳と口だけでこんなにされてしまった羞恥が合わさって、ずっと甘く痺れたようになっている背筋が泡立った。
「見てろ」
「っ……!」
とても見ていられない、と反らそうとした途端に低く命じられて、もう悦は順調な調教の成果から視線を外せなくなった。言いつけ通りに見つめる瑠璃色をちらと見上げて確認してから、もったいぶるような丁寧さで傑の両手が味気ない黒のボクサーパンツにかかり、濡れた中でひくんと震えたモノを極力刺激しないように、下ろされる。
にちゃ、と肌との間に体液が糸を引くその様があまりにも卑猥で、瞬き以外に出来ない視界がぐらりと揺れた気さえした。
「ぁ……あ……っ」
まだ散々に擦られた感触の残った唇から、なんの意味も無い譫言じみた声が漏れる。それでも気の遠くなるような羞恥と快感を「嫌」とだけは言わないようにしていると、またちらりと綺麗な藍色で一瞥をくれてから、傑は軽々と悦の腰を持ち上げてスムーズに下着を足から抜き取った。脱がされるのに合わせて少し閉じていた両膝をぐいと片手と片足で開かせて、吸いきれなかった分を悦の内腿に擦りつけていった布切れをべちょりとゴミ箱に放り込む。
「あーあ、酷ぇな」
一度も触れられていないのに既に2、3ラウンドを、しかもかなり激しめのを熟したような惨状を呆れたように突きつけて、悦とは対象的にシャツに強めの皺が寄っただけの傑はベッドを下りた。
ひやりとした外気にべちゃぐちょに濡れた肌と粘膜を撫でられる感覚から我に返った悦が引き止める暇もなく、ぺたぺた素足を鳴らしながら寝室から出ていって、キッチンでザーッ、と卑猥じゃない水音を立ててから、行きは持っていなかったハンドタオルを何枚かと、銀色のアクセサリーみたいなものを手にしてぺたぺたと戻って来る。
後始末と言えば抜群の安定感で抱きかかえられてバスルームに、という純血種水準が当たり前になってしまっていて、悦は服を着たままの傑の足に置かれた濡れタオルが何の為のものなのか、咄嗟に解らなかった。その横、シーツの上に無造作に置かれたごちゃついたネックレスのような銀色が何なのかも、足の間に座った傑が見ているので露骨に視線を向けるわけにもいかず、視界の端に捉えるだけでは解らなかった。
なんだろう、と期待とも怯えともつかない感情でひくんと震えて濁った先走りを零したモノに、傑は口では何も言ってくれない代わりに、今絞られましたという風情のタオルを広げて被せる。
「っ……ひぁああッ!?」
準備段階と同じく無造作な仕草だったが、微温湯に湿ったタオルがもたらすざらついた刺激は容赦なく悦の背を仰け反らせた。
傑の雰囲気が事後のそれだったから、てっきり今日はそこはお預けで、これじゃ寝れない足りないと泣かされるのだと思っていたのに。それがこんな、急に、なんで、と天井を見上げたまま唇をわななかせる悦を他所に、傑は反射的に出てしまった精液を受け止めたタオルを冷静に内側に折り畳んだ。下腹と内腿の残滓を綺麗な面でざっくりと拭って、汚れたそれをやっぱり無造作にゴミ箱に放り込み、新しいタオルを広げながら片手を伸ばす。
「あぅっ……ひ、……!」
ぐい、と長い指に頭を掴まれて強制的に元に戻された視界に、少し萎えたモノがまた濡れタオルに襲われるまさにその瞬間が映り、悦は咄嗟にシーツを握りしめた。伏し目がちの藍色は本当にただ”掃除”をしているように平然としているが、見て身構えていても、やっぱり濡れタオルに包まれて拭き上げられる刺激は体の奥へガンと響くほどに強い。
「んくっ……ぅ、あぁあ……っそ、そこ、こすら、なっ……あぁああ!」
サオはともかく、ざらついたタオルで先端の粘膜を擦られれば痛い筈なのに、傑の加減が絶妙なのかおかしなイかされ方をされて感覚が狂っているのか、滲んだ端から雫を拭い取られても少しも痛くはなかった。いやいやと掴まれたままの頭を小さく横に振る悦を一瞥もしないまま、清潔なタオルの水気を移すように押し付けられて下生えが拭われ、折り畳んでから更に谷間にまで滑って袋と後孔までを拭き上げて、傑はまた新しい一枚を手に取る。
目に見えて解る汚れは粗方拭き取られていたが、撫でられる度に新しい雫を滲ませてしまう先端だけは何度タオルに拭われても綺麗になりようが無い。タオルを氷水にでも漬けない限りは絶対に無理だ。
「も、もう……っ」
やめて、と続ける言葉を飲み込んだ悦を、ようやく傑が視線だけで見上げる。今の立場で静止の言葉が許されるかは賭けだったが、敢えて目を合わせないようにしていたのが良かったらしく、今にも先端を掠めそうだった最後のタオルは清潔なままゴミ箱に放られた。
「もう気持ち悪いトコない?」
「な……ない……」
「ならいいか。後でちゃんと流そうな」
「ん……」
最初から気持ちいいばかりで気持ち悪い所なんて1つも無かったが、押さえつけられていた頭を撫でる傑が何やら機嫌良さそうなので、悦はそろりとその美貌を見上げながら頷く。あからさまに命じられた場所から視線を外しても、傑はぞっとするほど色っぽく目を細めるだけでもう押さえつけたりはしなかった。
「そのまま、もうちょっといい子にしてろよ」
「ん、」
「今日はこれで最後だから」
いつものようにバスルームに運んで貰うつもりでシーツから手を離した悦の額にちゅ、と甘やかすようなキスを落として、体の側面を柔らかく撫でていった長い指が銀色の何かを持ち上げる。
視野の中心に捉えてまじまじと見てみても、悦にはやっぱりごちゃついたネックレスにしか見えなかった。銀色の細い鎖に、細い棒と大小2つの輪、何の役にも立たなさそうな小さい南京錠が繋がっている。首輪代わりだろうか。
一度気持ちよくイけて気の抜けた悦が図らずもいい子に大人しくしていると、今度は鼻先に褒めるようなキスが落とされた。あ、やっぱり目閉じてる、と呑気にも見惚れていると、ネックレスの装飾だと思われていた輪の1つがするりと金属の冷たさを伴って通される。
勿論首でも、腕でも、指ですらもなく―――まだ淫乱に勃ったままの、モノに。
「へぁっ!?」
「大丈夫、痛くないヤツにしたから」
素っ頓狂な声に小さく笑った傑の声は宥めるようだったが、片腕は咄嗟に逃げようとした悦の腰をがっちりと掴んでいた。
「な、なにっ」
「貞操帯。毎晩パンツぐしょぐしょにするのヤだろ?」
「は、ぁっ!?」
痛くない貞操帯ってなんだとか、二人っきりの部屋に監禁された上に貞操帯なんて何の意味があるんだとか、お前がパンツ脱がせりゃ済む話じゃねぇかとか、いつの間にこんなモン用意してやがったんだとか、叫んでやりたいことは幾らもあったのにシャラシャラと繊細な鎖を上品に鳴らして装着していく傑の手際が良すぎて、悦には何を言う暇も無かった。
金属の冷たさにびくついている間に小さな輪がサオの根本に、短い鎖で繋がった大きな輪が袋の下の本当の根本にそれぞれ締められて、小さな輪と鎖で繋がった10センチほどの棒の先端が先走りを零す尿道口にくぷり、と埋められる。
「ひっ」
棒には鎖を通すこれまた小さな輪があって固定されてはいなかったから、根本だけが簡単に抜けないように膨らんだ棒をするすると呑まされていく間も、無理矢理モノを倒されて痛いとか引っ張られて痛いとかいうことは無かった。そしてそれが悦にとって慰めになることも無かった。
棒に通った鎖がシャラシャラと涼しげに鳴りながら引っ張られて根本に巻き付いた輪に、腹側で小さな南京錠を使って留めつけられてしまえば、短いブジー部分が抜けなくなったそれは立派に射精管理が出来る痛くない貞操帯だ。
「っ……うぁ、あ」
ネックレスと見紛うほど繊細な、やろうと思えば簡単に引き千切れる華奢な銀色が、こんなことをされても悦んでいる淫乱さの証を飾り立てている。僅かな違和感だけの装着感に反して見た目の暴力が凄まじく、どうすることも出来ないのに思わず伸ばした手を、傑が掴んでまた目を伏せたキスを落とした。
「偉かったな、悦。いい子だ」
「ぁ……ん……」
指を絡めて手を握られたまま、ちゅ、ちゅ、と優しく顔中にキスされながらそんな風に褒められたら、もう何も言えない。他に幾らもある選択肢の中からわざわざ戒めずに飾り立てるこの貞操帯を選んだ傑の意図が、場慣れた悦にはどうしたって解ってしまう。
淫乱さを可愛がりながら決して甘いだけではない所が、肝心の鍵がいつでも悦の意識1つで外せてしまう付属品そのままな所が、10日間限定の調教師になった恋人の愛し方そのものみたいだ。なんて思ってしまえばもう成す術無く、きっと隅々まで専用に調教されてしまう体と心を大人しく差し出すしかなかった。
「結構、悪くないだろ?」
「……ぅん」
Next.
バカップルのたのしい監禁調教ごっこ。
初日は耳と口、少し目。