優しい悪夢03



 神様なんて要らない。

 生憎、罪悪感とは無縁なんだ。自分の一番大切な物を見誤るほど、出来の悪い頭はしてないからね。

 背徳、堕落、罪と罰。


 お前とならどこまでだって堕ちて逝ける。










「…雑貨屋のオッサンが死んだ」

 大きな2つの紙袋をテーブルに置きながら、幽利はいつもより少し低い声で呟いた。
 雑貨屋と言えば、町を少しだけ外れた所にある、40かそこらの男が娘と2人でやってる何でも屋だった筈。僕は一度しか行ったことがないけど、野菜から日用品まで、狭い店内に所狭しと商品が並んでいて随分と窮屈な店だったのを覚えてる。

「それは、ご愁傷様だね」
「殺されたんだって。強盗が入って、娘さん守ろうとして」
「ふーん。そうなんだ」

 …僕は別にどうでもいいけどね。
 読み終わった新聞をテーブルに置いて、僕は足を組替えた。部屋に備え付けのキッチンに行って買ってきた食材をしまってる幽利の横顔は、どこかいつもより元気が無い。


 死んだという店主はその口調に少し特徴があって、標準語ではあるけれどその言い回しに訛りがあった。その訛りが幽利には相当面白かったらしく、買出しの度にその店に通っては店主の口真似をしていて、少しずつその訛りを習得してる。

 最初は他人の手で幽利が変えられていくのが少し気に食わなかったけど、バカな親族と違って僕は幽利を軟禁しているわけじゃないし、そんな些細な変化も幽利の一部だと思えば愛しいから今は何とも思っていない。
 店主はまだカタコトだと思っているけど、常識を超えた記憶力を持っている幽利はもう店主の言葉をほとんど完璧に喋ることが出来る。不思議がられるから外では隠しているけど、僕だけはそれを知ってるっていう優越感だけで、今は十分。


「そう言えば、あの人の言葉遣い覚えたの?」
「ん?…あぁ、うん。一応は」
「面白かったもんね、あの喋り方は。もう幽利しかいないんだし、堂々と使えば?」
「…そォかィ?ンじゃァ遠慮なく」

 買ってきたりんごの皮を剥きながら、幽利は冗談めかしてそう言って笑った。
 元気が無かったのはほんの一瞬だけ。あそこの店主とは相当仲がよかったみたいだからそれなりに悲しんではいるみたいだけど、所詮は他人事だもんね。

 幽利の眼に映っているのはいつも僕だけ。他の物なんて見ようともせずに、盲目的なまでに僕だけを見てる。


 そう、僕が幽利だけを見てるのと同じように。





「…なかなか無いなぁ、いい所は」

 ホテルのフロントで貰った地図を広げながら、僕は誰も居ない部屋で思わずそう呟いた。週に一度の買出しに行っている幽利は、今はこの部屋には居ない。
 観光で成り立ってるこの町は、歴史ある町並みとかここみたいなホテルとかは立派だけれど他には何も無い。そろそろここに住み着いて3年だし、ホテルに前払いしてる宿泊料も底をつく頃だから、次の場所を探してるんだけど…軍部警察の支部が無くて、静かに暮らせそうな所はなかなか見当たらない。

 まぁ、地上に拘らなければもっといい場所もあるんだけ、ど…


「……幽利?」

 地図を畳もうとした瞬間、ぞくりと走った嫌な予感に、思わず僕は窓の外を見た。
 煩いサイレンの音を響かせながら、窓の下に伸びる世界指定で保護を受ける石畳のメインストリートを、視線の先で数台の自警車両と救急車が走り抜けていく。










 町外れの、廃墟になった小さな小屋。
 ぐるりと回りを白塗りの自警車両に取り囲まれて、野次馬を避ける赤いテープを張られたその場所は、あの雑貨屋からとても近い場所にあった。

 サイレンの音を辿って来てみればこの有様だ。対応が早いのか野次馬はほとんどいないけれど、大げさなくらいに包囲網が敷かれて自警員があたりを取り囲んでる。
 小屋の中は見えないけれど、中に幽利がいるっていうことくらいは解るし、僕に必要なのはその事実だけ。自警員の1人に名を名乗ると、すぐに書類を持った別の自警員が駆けて来た。
 …やけに、手際がよすぎる気がする。

「君が、佐緒鬼利くん?」
「ええ、そうです」
「そこの店の娘さんに聞いたんだが、弟さんの名前は幽利くんだね?」
「そうです。どこですか、幽利は」

 書類を片手にのんきなことを質問してくる自警員に微笑みながら尋ねると、彼は慌てて「こっちだ」と言いながら僕の手を引こうとして来た。
 幽利以外の人間にこの体を触らせる気なんて無い。汚いその手を振り払ってテープをくぐると、僕は小屋のまわりに溜まっている邪魔な自警員を視線で退けて小屋の中に入った。

 …あぁ、やっちゃったか。


 誰かが「見るな」とか後ろで叫んでる気がしたけど、そんなのどうでもいい。ぼろぼろのカーテンを締め切られて薄暗い部屋の中、噎せ返るような血の匂いが立ち込めたその空気をゆっくり呼吸しながら、僕は部屋の奥に歩を進めた。

 一歩進む度に、ぐちゃり、ごり、と足元が音を立てるのが面白くて、部屋中に散らばっているそれらを踏み潰しながら、僕は部屋の隅でずたぼろにされたシャツを着て座っていた幽利に歩み寄る。


「…ごめん、鬼利」
「バカだね、どうして逃げなかったの?」
「夢中になってやってたからさ、気づかなくて」


 困ったように笑いながら、幽利はもう一度、ごめん、と言った。
 その手から、真っ赤になった鉄パイプがごとりと落ちる。所々がひしゃげて折れ曲がったそのパイプを足で脇に退け、僕は血みどろになった幽利にすっと顔を近づけた。

「…幽利、これからはずっとあの店主の口調で喋るんだよ?」
「何で?」
「仇討ちは軽い罪で済む。遠い親類ですってことにすればいい」
「いいけど、マジの娘さんは?あの子がいたら―――」
「そうだね、あれは邪魔だから始末するよ」

 小声で囁きながら、僕はポケットから取り出したハンカチで返り血に濡れた幽利の頬を拭った。


 雑貨屋の店主を襲ったのは、5人組の強盗だった。その時と同じ連中が、娘が1人でやり始めた雑貨屋に買い物に行った幽利を帰りに襲い、この小屋に連れ込んで…身なりはそれなりにいいから、身代金でも要求しようとしたんだろう。
 幽利の服が裂かれているのは、強盗の中に男色趣味者でもいた所為だろうか。手首に僕がつけてない縄の痕があるのを見ると、縛り上げて犯そうとでもしたんだろうけど…生憎、幽利はそれほどヤワじゃない。
 返り討ちにあって、結果が、これだ。


「それにしても、派手にやったね」


 恐る恐る近寄ってくるさっきの自警員を横目に、僕は部屋の惨状を見渡して思わず笑った。

 小屋の狭い床は一面血の海で、所々に肉片や体のパーツが散らばっている。頭を割られたり、腕や足がありえない方向に向いているだけならまだマシだ。2体はちゃんと死体の形をしているけど、残りの3体は死体どころか生き物の原型すら失うほどぐちゃぐちゃになって散らばってる。

 鉄パイプ1本でこんな真似をするなんて、普通の人間には絶対に出来ない。僕がやっていないんだから犯人は幽利しかいない。

 

「き、君。大丈夫か?」
「…あァ、大丈夫ですよ。どォもすいませんねェ、お騒がせしちまって」
「念の為に安定剤を打たせてもらうよ。腕を出して――――」

 あまりにも幽利が落ち着き払っているのを見て不安になったのか、自警員は注射器を取り出すと幽利の腕を握った。
 それを眺めながら、ふと脳裏に疑問が浮かぶ。

 …安定剤?自警員が?
 そう言えば、さっきから見かけるのは自警員ばかりだ。救急車はいくつも停まっているのに、白衣の姿は1つも見てない。


「貴方、誰ですか」
「え?…いや、私は自警員の―――」
「最近の自警員は看護師の免許を持っているんですか?」

 静かな僕の問いかけに黙り込んだ自警員を見て、幽利が言われるがまま差し出していた腕を引く。その足がそろりと動いて転がった鉄パイプを引き寄せるのを感じながら、僕は自警員の持つ注射器を見た。

「弟さんが心配なのは解るが、これでも私はプロなんだ。任せてくれないか」
「何のプロですか?こういった犯罪の?」


 自警員にしては対応が速すぎると思った。野次馬もほとんど集まらない内に、それこそ幽利が逃げる隙も無いくらいに現場を囲むなんて、連中の能力を考えれば出来るはずが無い。

 この辺りに軍部警察の支部は無いから、親族を皆殺しにしたあの事件がバレて捜査の手が伸びたとは考え難い。かといって盗賊の類にしては手際が良過ぎる。
 …となれば、この男の正体なんて1つだけだ。


「犯罪よりも、注射器の扱いのほうが上手いんじゃないんですか、貴方達は」
「……」

 僕の言葉に黙り込んだ自警員―――基、幽利を狙っている「研究所」の職員は、注射器を放り出すとそれを無言で踏み潰した。

 遺術の1つ、千里眼という厄介な能力を幽利は5歳で発動した。例の少ない中で幽利は特に特殊だから、今までもことあるごとに「研究所」の連中がやって来てはあの手この手で連れ去ろうとしていたけど―――合法ではラチが開かないと見て、どうやら強行手段に出たらしい。


「あの雑貨屋の店主殺しも、貴方達の指図でしょう?」
「参ったな、そこまでバレているか。…発動したのは弟だけだという報告だったから、兄の方はノーマークだったよ」

 さっきとは打って変わって落ち着き払った声で言いながら、自警員に化けた研究員は懐から黒く艶消しされた銃を取り出した。
 こちらを向いた銃口よりも、研究員のモルモットでも見るような目つきが気に入らなくて、僕は軽く眼を細める。


「弟だけでは心配だというのなら、君も来るかい?弟に比べればクズだがその頭脳にはそれなりに価値がある。人工知能開発の材料くらいになら使えるよ」
「謹んで辞退させて頂きますよ。お前等の頭じゃ幽利の価値を見定める事すら出来はしないだろうから」
「そうか。なら、君は『事故のショックで狂った』弟に殺されたことにしよう」

 実験中のビーカーを見るのと変わらない眼で僕を見ながら、男は銃の引き金に指を掛けて、

 その首に、地面と水平に鉄パイプが突き刺さった。


「ごちゃごちゃ煩ェんだよ、オッサン」

 だくだくと血の溢れる鉄パイプごと研究員を蹴り倒して、幽利は心底煩そうに吐き捨てる。素手で頚骨を貫通させたその腕力に軽く呆れながら、僕は痙攣し始めた研究員の手から銃を拾い上げた。

 …さて、問題は逃げ道だ。
 表はぐるりと囲まれているし、多分出口では幽利が連れ出されるのを他の連中が待ち構えているだろうから、これは結構面倒な事態だ。

「囲まれちゃってるしねぇ…面倒だな、ホントに」

 くるりと手の中で銃を回しながら、とりあえず10、20ほど対策を考えてみるけれど―――ダメだ、4、5年はもつだろうけどこれじゃあそれ以上の逃げ道が無い。
 …仕方ないか。


「突っ切るよ、幽利。今日は全部殺しても許してあげる」
「いーけど…アテはあンの?」
「地上に居たらどっちにしろ捕まるからね。もう『堕ちる』しか無い」

 選択肢が1つしかないなんて、僕にとっては随分と屈辱的な気分だけど。

「下には”ILL”っていう犯罪斡旋機関があってね、何千人近い犯罪者を子飼いにしてるんだよ。だから軍部警察も手が出せない。同時に、」
「こーゆー連中も手ェだせねぇ。…っつーワケ?」
「そう言うこと。隠れ蓑にはもってこいでしょ?」

 にっこりと微笑みながら、僕は幽利の足元でまだびくびく動いている男に銃口を向けると引き金を引く。飛び跳ねた血飛沫は思ったよりも高く跳ね上がって、頬にまで赤い線を引いた。


 それは僕が初めて自ら血を浴びて作った死体で、
 幽利と一緒に殺した、一番最初の人間だった。



 >>Next.




long