「新事業?」
「そう。“空”の大手企業向けに始めたんだけど、思いの外富裕層の食い付きが良くてね」
「なんでまた俺に」
「“ハープの弦”第4章59節、ハルブルク処刑台の“聖女の枷”」
「原型留めてンのか?そんな化石」
「本物は瓦礫と融合して聖地に安置されてる。これはレプリカだけど、それでも150年物のビンテージでね。20年前までは儀式にも使われてたんだよ」
「あぁ、それで…」
「報酬に関しては単なる“荷物持ち”だから、いくらお前でもこれが限界だけど、仕事としては悪くないと思うよ」
「海の上で熱烈殉教希望者と踊るのが?軍警より性質悪ィっての」
「どこの神を信じてようと、首を切れば死ぬのには変わり無い。それに、」
「ん?」
「チケットは2枚ある」
「……」
「……」
「…お前ってホント性格悪ィよな」
「準備が良いと言って欲しいね」
大陸最大のザドス皇国皇都の下に広がる“街”は、人工の太陽兼月やら馬鹿みたいにデカい5つの空調機やら、スプリンクラーのお化けみたいな機械のお陰で、屋根と壁が無ければほとんど地上と変わり無い。
俺の育ったZ地区には無かったけど、中央とか比較的治安のいい地区の公園には地下水の湖もあるし、湿度調整の為に人工の川まで流れてる。
でも、流石に海は無い。
「…なんだこれ」
目の前にぶら下がる巨大なシャンデリアを見上げて、思わず俺は呟いた。
物心ついた頃にはZ地区に居た俺は本物の池も川も、ILLに入ってあの掃溜めを出るまで見たこと無かった。人工では作りようもない海を見たのは、初めて見たのは覚えてる限り3回目に“空”に仕事をしに行った時だ。
でも幽利みたいに幽閉されてたワケじゃないし、見たことは無くても知識としては大体のことは知ってる。
「金持ち用のデカい船」
…つもりだった。
足を止めずに小声で囁いた傑の後を追って、真っ赤な絨毯を敷かれた低い階段を降りながら、俺は素早くもう一度周りを見渡した。一際デカいのを中央にして、他にも5つの小さな(真ん中と比べれば)シャンデリアが下がってるそこは、どう見ても映画のセットか、城レベルの豪邸のダンスホールだ。
とてもじゃないけど、船の中には見えない。
「ふ、船って…」
「ほら」
やっぱり信じられ無い俺に、傑がこの「船」のパンフレットを差し出す。チケットと一緒に渡されたヤツで、よくある3つ折りとかじゃなくて小冊子だった。
事前に下見でもしてたのか、ペンギンみたいなスーツを着た野郎とか、派手なドレスを着た女達の合間をすいすい進んでく傑の横について行きながら、俺はやたらと立派なパンフレットをぱらぱらと捲ってみた。
なんでもこの船は、5階建てのビルを4つ並べたのよりもまだ1周りデカいらしい。傑の言った通り金持ち向けの豪華客船ってやつで、そんだけの広さの中に客室は200部屋だけ。このダンスホール以外にもプール、スパ、カジノ、映画館、ジム、レストランが5種類、会食場、バー、ショッピングエリア、クラブ、ラウンジが2種類…が、「船」の中にあるって言うんだから馬鹿みたいな話だ。
更に馬鹿みたいなことに、俺と傑に用意された部屋は5つのランクに分けられてるその200の客室の内、一番高いランクで、ジャグジーとバーカウンターとテラスがあるらしい。
…プールやらジャグジーやらどんだけ水と触れあいたいんだよ。周りの海にでも飛び込んどけ。
「悦、足元」
「ん。」
傑に言われて顔を上げると、螺旋階段がぐるぐると高い天井に向かって伸びていた。手摺は当然のように金色で、それまで踏んでた床と継ぎ目の無い絨毯が、やっぱり階段にも敷かれてる。
…すっげーピカピカだけど触っていいのかな、この手摺。
「どっか行きたいトコあった?」
「…機関室」
傑にパンフレットを返しながらぼそりと答えると、先に立って螺旋階段を上がる傑がちらりと肩越しに振り返った。
「ボイラー室とかでもいい」
「機械とか好きだっけ?」
「や、そうじゃねぇけど…」
嫌いなネクタイを少しだけ指先で緩めながらそう答えつつ、俺は目線とほぼ同じ高さにある巨大なシャンデリアを一瞥した。
「…狭い所ならどこでもいい」
ここに居ると、色んな感覚が狂いそうだ。
五大富豪の内の1人、“砂漠王”の異名を持つレーヴル=トルニトロイが造らせた、超ド級の豪華客船“ミラリア号”。
一人娘の結婚祝いとしてその娘の名前をつけられたこの船では、3日かけてザドス皇国と隣国のターバ王国を繋ぐイディ湾を回る間に、トルニトロイの娘の結婚式が開かれる予定だ。招待された180人は有名な資産家や著名人とその付き人ばっかりで、ちょっとホールを歩けば俺でも見覚えのある顔がゴロゴロしてる。
犯罪者らしく不法侵入したわけじゃなく、傑と俺が正式な招待状を貰ってこんな金持ちまみれの中に紛れ込んでるのは、2日目の夜にあるその結婚式でトルニトロイが娘に贈ろうとしてるプレゼントの所為だ。
「…骨董品にしか見えねぇんだけど」
宛がわれた一等客室のベッドにうつ伏せで寝っ転がりながら、俺は眺めてた依頼書をぐしゃりと手の中で丸めた。
ターバ王国周辺の砂漠地帯で主流のなんとかっていう宗教の、なんとかって言う宗教的に重要な遺産のレプリカ。写真を見ても俺には骨董品の王冠にしか見えないそれを、“砂漠王”は結婚祝いのプレゼントとして娘に贈るらしい。
「こんな船造れるんなら、もっと宝石まみれの新しく作りゃイイんじゃねーの?」
「花嫁のお嬢は昔っから体が弱いんだってよ」
「だから?」
「それが連中の宗教の中で、純愛と癒しの女神サマになってる元王女の王冠だから、その御利益に預かろうとしてンだよ」
「レプリカなのに?」
「関係ねぇよ、宗教だし」
面白くもなさそうに言いながら、傑は俺の手から依頼書を取った。ゴミ箱の上で用済みのそれにジッポで火を点けると、炎を上げて燃えるそれを持ったまま俺の傍らに腰を下ろす。
「その宗教は最近内側で色々あって、……要するにもう用済みだからトルニトロイが買ったけど、中にはそれを良く思わねぇ奴も居るんだってよ」
「俺達の女神サマの王冠を金で売るなんてー、ってか?」
「そんな感じ。そういう連中が襲って来るかもしれない、でも海の上だと警備にも限界があるし、あンま警備員まみれだと結婚式が台無しになるから、」
「傑なら1人で十分?」
「そーいうこと」
器用に指が燃える前に火を消して、灰になった依頼書をゴミ箱に放り込みながら、傑は息苦しそうに片手でネクタイを緩めた。
金持ちらしいドレスコードとやらに従って、俺も傑も今日はオーダーメイドのスーツを着てる。堅苦しい格好が苦手な俺は部屋に入った瞬間にジャケットもネクタイも取ったけど、傑はネクタイを緩めただけだ。
シャツにジャケットっていう傑の格好は別に珍しくも無いんだけど、緩められたとはいえそこにあるネクタイと、それの所為で上まできっちり留められたままのボタンが、なんていうか…
「ん?」
「っ…や、別に」
思わずその横顔をじっと見つめてたら傑と目が合って、俺は慌てて視線を反らしながら枕を引き寄せた。
シャツのボタンは上3つまでは開けるか全開なのを見慣れてる所為か、珍しくこんなにキッチリ着こなして露出を抑えられると、それが逆にヤらしく見えてくる。いつもなら傑が上半身裸でも何とも思わないのに。
「…どっか行く?」
今すぐそのネクタイを引き抜いて、仕立てのいいシャツを引っぺがしたい衝動を枕に顔を埋めて抑えながら、俺はちらりと横目に傑を見上げた。
俺はともかく傑は仕事なのに、こんな間接照明が灯る部屋に2人っきりで、しかも同じベッドの上に居るから余計変な気分になる。プールにもラウンジにもカジノにも全く興味はねぇけど、外に出れば少しはマシになる筈だ。
「行ってもイイけど、考えることは一緒だと思うぜ。人が多いの嫌いだろ?」
確かに人ごみは好きじゃない。しかもそれが一目見ただけでそうと解る金持ちばっかりなんて、Z地区育ちの俺にしてみれば最高に居心地の悪い環境だ。
…でも、ここでこの衝動とずーっと戦い続けるよりは。
「いや、でも…することねぇし」
「ジャグジーとか」
「いつ馬鹿が来るかも解んねーのに、暢気に風呂なんて入ってられねぇだろ」
「バーカウンターがそこに」
「…飲む気分じゃ無い」
どっちも今の頭じゃソッチ方面に行きそうで、俺はふかふかの枕にぼふっと顔を埋めながら首を横に振った。我ながらじゃあどうすりゃイイんだよ、って感じの面倒臭さだけど、そんなの俺にも解るか。
「じゃあ、そーだな…」
我が儘極まりない俺の態度にも怒った風も無く、呟いた傑の手が俺の肩にポンと触れる。
「っ…わ、」
次の瞬間には、俺の体は広いベッドの上でぐるりと半回転していた。どこをどうされたのかも解らない内に仰向けになった俺を、ぐっと前屈みになった傑の藍色の瞳が真上から見下ろして、笑みの形に細まる。
「…こういうのは?」
至近距離で甘ったるく囁きながら、傑の手が胸元に抱えたままだった枕を掴む。
「ッ…ちょ、待てって!」
そのままベッドの下にでも投げ捨てられそうになった枕を、俺は慌てて傑から取り返した。傑にとっては息をするのと変わらないような誘い文句で上がった心拍数を隠すように、デカい枕を胸元にぎゅっと抱え直す。
「し、仕事は!」
「式まではシェルターレベルの金庫の中。俺の出る幕はねぇよ」
「でも、それごと盗まれたりするかもしれねぇだろ!」
「人間じゃ5人がかりでも持ち上げらンねぇよ、俺が運んだんだから。鍵はトルニトロイの虹彩認証だし」
「でも、トルニトロイの眼球抉り出せば誰でも…!」
「あの警備の中で船に潜り込んで、軍警の精鋭レベルの護衛無力化して、眼球潰さねぇように抉り出してか?ンなのお前でも難しいだろ」
「で、でも、人質取られたりしたら…」
「シたくない?」
「っ……」
あまりにドストレートに聞かれて、思わず言葉が詰まる。
盾にしてた枕の上から上目遣いに覗うと、ネクタイを緩めただけでジャケットも脱いでない、そこらの金持ちに混じっても全く見劣りしない完璧に男前な格好の傑が小さく笑った。
「…だよな」
「あ、だから…っ!」
盾にしてた枕を引かれて咄嗟に腕に力を込めるけど、傑はもう待ってくれずに、呆気なく枕を奪われた俺の腕をシーツに縫い止める。
…あぁ、もう。
「…仕事の邪魔しねぇように、って思ってたのに」
「誰に向かって言ってンだよ、それ」
「うっせぇ」
おどけて見せる傑の唇を、俺は悪態混じりのキスで塞いだ。
「あぁ、はっ…やめ、染み…ンなる…ッ!」
「3着までならぶっかけても平気」
「そ、いう問題じゃ…ンんッ…」
リン、
「あ…?」
「……」
澄んだ鈴みたいな一音を皮切りに、ジリリリリ、と枕元で鳴りだしたやたらと古風な通信機に、俺の胸元に顔を埋めてた傑が無言で顔を上げる。
さっきまで散々舐めまわされてた乳首にすぅ、と冷たい空気が当たって、漏れそうになった声を俺は片手で口を塞いで閉じ籠めた。
「はい。あぁ、………そりゃァもう、仕事じゃなかったら俺がジャックしたくなるくらいですよ。花嫁ごと」
ワンコール鳴り終わる前に取った通信機を肩で固定しながら、傑はそう応えつつちらりと左腕の時計を見る。ちなみにもう片方の手は、スラックス越しに俺のモノの上だ。
「それで、何か?……今?………あぁ、成る程」
「…っ…!」
伏し目がちに俺から視線を反らしたまま、多分今回の依頼主のトルニトロイと話してる傑の指先が、するりと布の上からモノを撫でる。咄嗟に片手で傑の手首を掴むけど、このデカい船を1人で守れる“純血種”の腕は当然ビクともしなかった。
「ちょ…おい…っ!」
「いや、今ン所は。……そーいう話は、俺より上司の方にどうぞ」
小声で抗議しても、傑は俺に一瞥すらくれない。軽薄な調子で話しながら、通信中にメモに落書きでもするような気軽さで、さっきまでのアレやコレやでちょっと湿った俺の先端をカリ、と引っ掻く。
「ひっ…!」
「そうじゃなくて、下手な真似すっと叱られるじゃ済まねぇんですよ。……そーそー、怖いでしょ?アイツ」
「やめ、傑ッ…んぅっ…!」
「ん?……あぁ、そうですね…」
上がりそうになる声を奥歯を噛み締めて殺しながら傑を睨みつけると、布越しにカリカリ鈴口を引っ掻いてた傑の指がぴたりと止まった。考えるようにそう言いながら、手首に爪を立てて首を横に振る俺をちらりと一瞥して、
「いや、そっちには俺一人で。……あぁ、人見知りの激しいヤツなんですよ」
ははは、なんて無駄に爽やかに笑って見せる顔の下で、シャツを首元までたくし上げられて露わになった俺の乳首をきゅう、と摘まみやがった。
「ッっ…!」
油断してたトコへの不意打ちに、思わず体が跳ねる。もう通信中とか関係無く鳩尾に膝を叩きこんでやろうとするけど、寸前で摘ままれたそこをくにくに弄られて力が抜けて、結局シーツを蹴ることしか出来なかった。
「…ふ、…ぅ…ッ」
「はい、……じゃあ、15分後に」
声を殺すので必死な俺を後目に爽やかにそう言って、傑はやっと通信機を置いた。
「…ッてめぇは、何して…っん…!」
通信が切れればもうこっちのモンだ。胸倉を掴みながら叫んだ俺の声は、でも途中で傑の唇に呑み込まれて途切れる。
咄嗟に肩を突っぱねようとするけど、声を出せないアブノーマルな状況で中途半端に嬲られた所為で、淫乱な俺の体は冷めるどころか臨戦態勢。そこにあの根元までぐっしょり絡むキスをされたりしたら、もう。
「ぁ…ふぁ…ッ」
…こうなる。
それを全部知っててこういう真似をする傑は、本当に、紛れも無く、変態だ。
「…依頼主との電話くらい、真面目に出来ねーのかよ色情魔」
「聞こえてた?」
「聞こえてはねーけど…お前の話聞いてりゃ解るっつーの」
掴んでた傑のシャツを突き離しながら、悔し紛れにぷいっと顔を背けた俺に、傑は緩めてたネクタイを締め直しながらちゅ、と頬に触れるだけのキスを落とす。
「悪ィ、続きはまた後で」
「いらねーからさっさと行けバカ」
「連れねぇな、せっかくのバカンスなのに」
「お前は仕事だろ」
「大して変わンねーよ」
普通なら有り得ねぇけど、傑にとっては本当にそうだから性質が悪い。
いいからさっさと行け、って意味を込めてその背中に軽く蹴りを入れた俺の足に名残惜しげにキスをして、ようやく傑は部屋から出て行った。
色々と必死だったのと、音漏れしない高性能な通信機の所為で何の用事なのかは解らないけど、あんなことを言ってたくらいだ。俺がついてっても、欠伸しかすることが無いような内容なんだろう。
「ったく…」
…最後まで出来ないんなら変に煽ンなよな。
心の中だけでそう呟いて、俺は乱れたシーツの上に起き上った。たくし上げられたシャツを直して、外されてたベルトのバックルを締め直す。
相変わらずこんな成り金趣味の船には興味ねぇけど、傑が帰って来るまで大人しく部屋で待ってるのもなんか癪だ。こんだけ広けりゃラウンジの一角くらい空いてるだろうし、部屋でボーっとしてるよりは海でも見てる方が暇を潰せるだろう。
そう考えて傑の方のベッドに投げ出してたジャケットを羽織った俺は、その下敷きになってたネクタイを軽く手で伸ばして首に掛けた所で、重要なことに気付いた。
「……」
…どうやって締めるんだ、これ。
>>
Next.