赤い。
目障りな程に白い筈の廊下を、いつもなら偉そうに色々と命令してくる筈の白衣を、真っ赤な血が綺麗に染め上げている。
造っておきながら散々自分のことを出来損ない、欠陥品と貶して来た“創造主”達の骸を素足で踏みつぶしながら、戮耶は両手の自由を奪う拘束衣を内側から引き千切った。
足の下で柔らかく生温かい物が潰れる。ぐちゅり、ぐちゅり、ぐちゅり。
何が出来損ないだ。首を切られた程度で、腹を掻っ捌かれた程度で、こんなに容易くも死んで行く連中が。数千の命を使って造った欠陥品を何百と消費して、やっと完成品が出来たから自分の事は近く廃棄するとほざいていた癖に。
1人残らず死んでいるじゃないか。
なんて弱い。なんて脆い。なんて下らない。
「……」
…声が聞こえた気がした。
まだ生き残りが居たなんて好都合だ。足の下で誰かの眼球を踏みつぶしながら、欠陥品の“純血種”はにたりと笑う。
戮耶は人間が、特に自分を造った白衣の連中が大嫌いだった。“純血種”は兵器だ。人間を殺す為に人間が造り出した、人間の形をした化け物だ。より効率よく敵兵を殺せるように、他の欠陥品どもと同じように戮耶も色々な感情を削除されている。
兵器なのだからそれが正しい形である筈だ。なのに連中は、自分達を“先生”と呼ばせるあの連中は、後悔も躊躇も慈悲も無く人間を殺すことが出来る戮耶を欠陥品として拘束衣を着せ牢に入れた。余りにも戦闘に特化され過ぎたこの感性を危険と判断したのだ。
自分達がそう造った癖に。
失敗するのを知っていながら、その問題点のデータを取る為だけに戮耶は造られた。誰とも知れない次の欠陥品の為に、最初から欠陥品になるように造られたのだ。そしていざ造った後は暗く狭い牢に閉じ込めて、偶に出したと思えば自分よりも遥かに戦闘能力の落ちる欠陥品を相手に、反撃も許されずただ嬲られるだけのサンドバックだ。笑える程にふざけた話だ。
いつか殺してやろうと思っていた。あの腹立たしい白衣を着た人間を1人でも。
「そ……あ…、……たの…!?」
どうやら声の主は女のようだった。遺伝子認証でのみ開く筈の頑丈な扉が見る影も無く破壊された部屋の中に、戮耶は血と脂がこびりついた足を踏み入れる。
そこは広い部屋だった。
元はここも化け物を造り出す研究をする部屋だったのだろうが、あたりに散乱した血や死体でもう見る影もない。奥に他の欠陥品が自室として宛がわれているのと同じような部屋があり、声はそこから聞こえていた。
「どうして…どうしてこんなことを…!」
どこかの欠陥品の自室らしい白い部屋の中で、こちらに背を向けて床に座り込んだ白衣姿の女が喚いている。どうやら他にも1人居るようだった。
…あれは。
障害物の多い部屋の中で器用に足音を消しながら、更に一歩奥の部屋へと近づいた戮耶は、角度が変わったことで覗えた女の横顔に目を細める。
見た事のある女だ。確か白衣の中でも結構な立場で、それでいて“純血種”を造るのは戦争で死んだ息子のような人間を出来るだけ減らしたいからだとほざき、他の人間が欠陥品と謗る戮耶を偉大な犠牲などと称す、綺麗事の好きな馬鹿だ。
そこらの死体よりも早く殺されていそうなものだが、女の白衣はいつもの通りシミ1つ無い。何故よりにもよってこいつが生き残っているんだと、半ば落胆しながら更に部屋に近づいた戮耶を、藍色が射抜いた。
…あぁ。ああ、そうか。こいつが。お前が。
「…アンタが言ったことだろ、“先生”。人間を好きになれって」
白い部屋の中、全身に返り血をぐっしょりと浴びた赤い男が、目の前で座り込んで両手で顔を覆う女に困ったように笑いかける。
「言った、言ったわ。そうよ、なのにどうして、私のプログラムは完璧だったのに、どこにエラーが出たの!?貴方が殺すのは敵の、」
「敵も味方も、アンタ等人間が勝手に線引きしただけの話だろ?俺にとってはみんな人間だ。他の人間の為に、ここの人間は居ない方が良い」
「ッ…あなたが、あなたが居れば…この無益な戦争を早く終わらせることが出来たのに。次に起こる戦争を止められるかもしれなかったのに」
女は戮耶には気がついていないようで、泣きじゃくりながら相変わらずの綺麗事を並べ立てていた。今すぐにでもその喉を掻っ捌き頭を握りつぶしてやりたかったが、それは出来なかった。
赤い男の深い藍色の瞳に一瞥されたその瞬間から、戮耶の全身は凍りついたようにその場から動けなくなり、男から視線を外せなくなっていたのだ。
「俺はアンタの息子みたいにはなれないんだよ、“先生”」
説き伏せるように優しい声音に、女の嗚咽が止む。
「俺は…“純血種”は、人間を殺す為にアンタ達に造られたただの兵器だ。もう人間じゃない。なのにアンタがいつまでも息子の影を追って、俺を必要以上に人間らしく造ろうとするから。だからこうなったんだ」
「…そんな」
呑まれそうに深い藍色の瞳で女を見つめながら、赤い男は白い女の前にゆっくりと膝をついた。
「どうして…何が間違っていたの?あなたに慈愛を残したのは、敵兵を殺した腕で味方を守る為で。私の息子のような脆い人間が殺されない為で」
「……」
「なのにあなたは私の同僚を殺してしまった。あなたを造る為の土台になった他の“純血種”も殺してしまった。なにが、なにが間違っていたの?!」
髪を振り乱して叫ぶ女の白衣に包まれた肩を、赤い男が宥めるようにそっと抱く。
返り血が染み込んで、女の白衣が赤く汚れていく。
「…全部だよ、“先生”」
肩を抱いた女の耳元に、赤い男は優しく囁いた。
「ぜんぶ…」
「そう、全部。俺を造れるだけの頭を持ったアンタの息子が死んだことも、アンタの息子を殺した戦争が始まったことも、こんな国があるのも、こんな化け物を造ろうとしたのも。最初から最後まで全部」
呆けたような顔で繰り返す女の背中を、子供をあやすようにとんとんと叩きながら、赤い男は静かな声で言った。
男の腕から、髪から滴る血で女の白衣が汚れていく。赤く、赤く、赤く。
「どうして…どうして…傑…どうしてなの…」
男の肩口を焦点の定まらない目で凝視しながら、瞬きすら忘れてうわ言のように呟き続ける女を、赤い男が一瞥した。
「…だから、これでさよならだ」
血に汚れた赤い唇が、睦言のように潜めた声で囁く。
「―――母さん」
「あ…ぁあ…あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
男の腕の中で天を仰いだ女の眼には、もう何も映ってはいなかった。
ぱかりと開かれた口から発せられるそれは既に声ではなく、ただの音になり果てている。唇の端から唾液を零しながら壊れた機械のように叫び続ける女の喉に、赤い男はそっと手をかけた。
ごきん。
頸骨が折れる鈍い音を立てて、静かになった女がどさりと白い床に倒れ込む。
目を見開いたまま死んだ女の歪んだ喉には、立ち上がりその骸を見下ろす赤い男の手の痕がくっきりと残っていた。
「…あんたはいいよな、簡単に死ねて」
冷めた目で死体を見下ろしながら、赤い男は面白くもなさそうな声で呟く。
脆弱な“創造主”にその罪を突き付け、この女にとっては最も残酷な方法で以て心を壊してから殺し、その様を全て戮耶に見せつけた赤い男。今は死体となった白衣の人間達が最も待ち望んだであろう化け物が、思い出したように立ちつくす欠陥品を振り返る。
…笑った、ように見えた。
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