発砲音としては重すぎる“銃声”と共に、首から上を消失させたヴェルディオの長躯が、自分の血と脳漿がぶち撒けられた床の上へと倒れ込む。
いくら純血種といえども、粗悪な小型ミサイル程の威力を持つ傑の愛銃に至近距離から狙撃されては避けられないようだ。黒かったコートの半分以上を血で赤く染め、びくびくと痙攣するヴェルディオを、悦は頬杖を突きながら見下ろす。
「…いいのかよ、そんなコトして。用があるって言ってたのに」
「あぁ。こいつ治癒だけは早ぇから」
くるりと銃を手の中で回転させながら、傑はそう言ってこきりと首を鳴らした。
喉笛から上が完全に爆散したそれは悦の目にはどう見ても「死体」に見えるが、相手は人間でなく化け物だ。きっとその内何でもないような顔で動き出すのだろう。
「…俺、部屋戻ろうか」
「なんで?」
「なんでって…邪魔だろ」
ヴェルディオが頭を“治癒”してまた起き上った時、何をしでかすのか悦には見当もつかないが、傑にとって自分が居ることがハンデになるのは間違いない。
ソファから腰を浮かせながら、悦はちらりと自分の足元に飛び散った傑の血を一瞥した。常軌を逸した攻防の際に、傑がヴェルディオの腕に右胸を貫かれて噴き出した血だ。
2人の動きは笑ってしまう程常人離れしていたが、その中でも悦の目は胸を貫かれる寸前、傑の右足が床を蹴ろうと撓んだのを捉えていた。あのタイミングならきっと傑は避けられていたのだろう。後ろに悦が居なければ。
「邪魔じゃねぇよ」
「…俺が見えてないとでも思ってんのかバカ。足手纏いになるのはゴメンだつってンだよ」
困ったように笑う傑を横目で軽く睨みながら、悦はソファから立ち上がった。
「同族相手じゃお前だってキツいだろうが。いくら“純血種”って言ったって血が無くなったら、」
「……」
横を通り抜けようとした悦を、傑の片腕が進行方向を塞いで制する。
無言で前を見据える傑の視線の先を辿った悦は、気配すら無くいつの間にか玄関に続く廊下の傍に立っていた2人の女を見て、今更素直に驚いてやる気にもなれず口の中で小さく舌打ちをした。
褐色と純白の肌。見惚れるほどの美貌。
見下すように嘲笑う瞳は、確認するまでもなく藍色だ。
「お久しぶり、傑」
「相変わらず、あなたの価値を知らないお馬鹿さんばかり傍に置いてるのね」
褐色の肌の女がにこりと笑い、純白の肌の女が呆れたように溜息を吐く。2対の藍色はそれぞれの感情を浮かべて傑を見つめた後、揃って蔑みの眼差しで悦を見た。
「私達のおうさまが、欠陥品相手に少しでも遅れを取るなんて失礼な話だわ」
「自意識過剰にも程があるわよ、あなた。人間で良かったわね」
「私達だったら声帯を千切られてるもの」
「傑は“人間には”優しいのよ」
口々に言って同時に物憂げな溜息を吐いた2人は、1人は壁に背中を預け、1人はその肩にしな垂れ掛るようにして細い首と腰に手を回す。
「…また体変えたか?夜宵」
タンクトップの合間から覗く褐色の肌に回された白い腕が、必要以上に艶めかしく絡みつくように動くのを見て悦は僅かに眉を顰めたが、それを見る傑の目は相変わらず冷めきっていた。
「ええ、2年前に。今はゾイよ」
「あぁ、そう。…お前等は俺にどっか千切られるような真似、してねぇだろうな」
「してないわよ」
「ヴェルディオと一緒にしないで」
どこか投げやりな傑の問いに怒ったような口調で答えた2人は、だがそう言い放ってから綺麗に揃った動きでお互いの美貌を見合わせる。
「ああ、だけど…ねぇ、シェナ?」
「そうね、ゾイ。アレはもしかしたら私達の所為なのかしら」
「でも仕方が無いわ、私達は聞いただけなのよ?」
「そうよ。あの子が不用意に私達を“視る”から悪いんだわ」
「あのお兄さんは壊れちゃったのかしら。心配だわ」
「きっと平気よ。あの素敵な人が何とかしてくれてるわ」
「そう言えば、私あの人の首をちょっと締めちゃった」
「そう言えばそうね、大変」
「怒られるかしら」
「怒るわよきっと」
―――なんで。
唇が触れ合いそうな至近距離で互いを見つめ合いながら、絵画から抜け出して来たような美貌の2人は睦言のように潜めた声で囁き合っている。
同じ室内とはいえ距離はそれなりに離れている。そして、2人の声はとても全てを寸分無く聞きとれるような声量では無い。
―――どうして、聞こえる。
声が小さいことは解るのに、悦の聴覚は一字一句漏らさずに2人の声を拾っていた。傍のテレビからは相変わらずゲームのOPムービーが延々と流れ、独特の抑揚を持つBGMが、決して小さく無い音量でもって響き続けているのに。
ヴェルディオと話していた時もそうだった。
普段、傑の声を聞く時もそうだ。どんなに周りが煩くても、とても声など聞きとれない状態でも、あの少し低くて甘い声だけは聞き逃したことが無い。
まるで聴覚がその声を聞こうと、優先的に選んでいるように。
「どうしよう、千切られちゃうわ」
「嫌よ、傑は乱暴だもの」
「そうね」
「ヴェルディオ」
「起きて」
するりと互いに絡ませていた腕を解いて、シェナとゾイは床に倒れたヴェルディオに歩み寄った。
かつりかつりと高く響く2つの靴音に、先程まで骸そのものだった筈の黒い長躯がむくりと起き上る。
「あれ…来てたの」
黒い革が吹き飛び、素肌が覗いた首筋に赤い血をべったりとこびり付かせてはいたものの、そこには数分前と同じヴェルディオの顔があった。目にかかるほど長い前髪の合間から、陰気な藍色の瞳が自分の前で揃って膝をついた2人の同族を無気力に見る。
「少しあなたの手を貸して」
「いいでしょ?」
言葉こそ問いかけの形ではあったが、返答を聞く前にシェナの手がヴェルディオの右手を引き寄せていた。コートから覗く掌、その爪の先まで寸分の隙無く巻き付けられた黒い革を、横から伸びたゾイの白い腕が手首の辺りから引き千切る。
黒革の下から現れた手は人間のそれと変わらない、普通の手に見えた。
「私は腕ね」
「じゃあ私は喉かしら」
されるがままに腕を取られているヴェルディオも、それを見下ろす傑も視野には入らない様子で言いながら、シェナは引き寄せたヴェルディオの病的に白い掌を、己の褐色の腕に押し当てる。
音は無かった。
「ッ……!」
相変わらず退屈そうな顔で目の前の光景を眺める傑の斜め後ろで、悦は息を飲む。
腐っている。
比喩でも罵倒でも無く、本当に。
何の変哲も無いヴェルディオの手が触れたシェナの腕の、触れられた場所の皮膚がどす黒く変色していく。まるで放置された死体の早送りを見ているように、その変色は少しずつその範囲を広げていき、ヴェルディオの手に直接触れられた箇所の皮膚がぼたり、と床に落ちた。
「…自分で千切ればいいのに」
「馬鹿ね、それじゃ罰にならないじゃない」
「こういうのは過程が大切なのよ」
ぼそり、と独り言のような声量で呟いたヴェルディオに揃って呆れた顔をしながら、シェナはヴェルディオの腕をゾイへと手渡し、ゾイはそうするのが当然であるかのような滑らかな動きで、一瞬の躊躇も無くヴェルディオの掌を己の白い喉へと宛がう。
シェナの腕と同じように、瞬く間にゾイの喉がどす黒く変色していく横で、びちゃり、と嫌な音がした。
ヴェルディオの手が離れた後も凄まじい速度で腕を浸食する腐敗に、破壊されたシェナの筋肉と皮膚が腕を腕として保つことを止めた音だった。
「…相変わらず酷い能力だわ、ねぇゾイ?」
「……」
骨を残して腐り落ちた腕には目もくれず、揃って2人は立ち上がるが、ヴェルディオの手によって喉を腐敗に浸食されているゾイは、シェナの呼び掛けには答えずに僅かに微笑む。
きっと彼女の白い喉も、あと少しでその下の声帯ごと腐り落ちるのだろう。
「ねぇ傑、これでいいでしょう?私もゾイも反省しているの」
「……」
「…解ったからさっさと治せ。これ以上部屋汚すんじゃねーよ」
わざとらしい程にしおらしい仕草で言うシェナと、その横で頷くゾイに、傑は溜息混じりに吐き捨てた。思わず覗ったその横顔は、少し気だるげではあるがいつもと変わらず、悦はそこでようやく傑がヴェルディオに言っていた言葉の真意を理解する。
――――『しっかり触ってただろうが、その手で』
いくら相手が傑が本気で対峙出来る同族とはいえ、あんな小物の言い掛かりめいた言葉はらしく無い。上げ足を取っていたわけではなく、傑はこれを知っていたからああ言ったのだ。
あの得体の知れない黒い革が無ければ、頬を触られた自分も今頃は。
「それで?何しに来たんだよ。観光か?」
「お願いがあるの、あなたに」
「あ…ずるいよシェナ、俺が先に…」
「ケホっ…何よ、ヴェルディオ。貴方まだ言って無かったの?」
びちゃ、と湿った音を立てる赤黒いもの―――腐敗に侵された喉の一部を足元に無造作に投げ捨てながら、ゾイはみるみる内に治癒されて白い皮膚が張った喉でヴェルディオの覇気のない声を遮った。
「相変わらず愚図ね」
「役立たず」
「伝書鳩の方がよっぽどいい働きをするわ」
「だって…だって傑が…」
「「黙りなさいよ」」
「うぅ…」
綺麗に揃った2種類の美声にぴしゃりと言われ、ヴェルディオはもそもそと抱え込んだ膝に顔を埋める。丸まった細い背中は小刻みに揺れ、どうやら泣いているようだった。
「ホント…何なんだよコイツ等」
いきなり現れて折れたり貫いたり治ったり腐ったり泣いたり怒ったりと、どこまでも常識に喧嘩を売る3人に、思わず悦はそう呟いた。
「“純血種”っつー化け物だよ、俺と同じ」
「…お前より非常識な奴なんて初めて見た。一気に3人もなんて手に負えねぇよ」
何でもないような顔で答える傑をじと目で見上げながら、悦はどさりとソファに座り込む。
こんな化け物達が相手では、隙や緊張なんて言葉も馬鹿らしい。
「こいつら全員、俺と違って出来損ないだからな。しょうがねぇよ」
「…お前は違うのかよ、“おうさま”」
「まぁな」
皮肉混じりの悦の言葉を薄く笑ってさらりとかわし、傑はシェナとゾイに見下ろされて膝を抱えるヴェルディオの背中をごつ、と蹴った。
「背骨砕かれたくなかったらさっさと言え。俺に用があるんだろ」
「う…ひぅ…り、りくやが…」
「…戮耶?」
聞き返す傑の声音が僅かに変わる。人間相手には絶対に出さない声と表情で、傑は忌々しそうに舌打ちをした。
「あの馬鹿…もう媒体見つけやがったのか」
「この前、南の戦場で…それで、また…」
「そう、いつもの恒例行事」
「仕方ないわ、あれは私達の中でも群を抜いて欠陥品だもの」
叱られたように項垂れるヴェルディオとは反対に、シェナとゾイはどこか愉しげに暗い目をした傑に首を傾げて見せる。
「私達のお願いもね、それなのよ」
「好き勝手に暴れて私達の賞金まで引き上げたり、代替わりの度にあなたを殺そうとしたり」
「もうウンザリなの、私達」
「いい加減に始末してよ」
「先代の時みたいに逃げないでね」
「あなたが行かないなら、あれが来るらしいわよ。ねぇヴェルディオ?」
「…うん」
前をシェナとゾイ、背後を傑にと3人に挟まれて視線を拒絶するように背中を丸めながら、ヴェルディオは小さく頷いた。
「戮耶は言ってたよ。俺が呼んでも傑が来なかったり、もし傑が負けたりしたら…」
シェナによって引き千切られた片手の黒革を指先で弄びながら、ヴェルディオは緩慢な動きで背後を振り返る。
生気の無い陰鬱な藍色は傑を通り越し、大きな穴の開いた窓の向こうに広がる“街”の、人工の夜に呑まれかけた姿を見ていた。
「…“天井”を落として、ここを潰すんだって」
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