01.



 ザドス皇国地下都市、中央区中央00-01。
 高層ビルと街の雑踏に囲まれた白く高い塀の中、空色に塗られた“天井”に届かんばかりに高く聳える巨大な円柱状の建造物を、黒いプレートの張りつけられた塀の一部に立つ2人の女が同時に見上げた。


「やっと着いたわ、シェナ」
「そうね、ゾイ」

 白い肌と赤銅色の髪の女の言葉に、褐色の肌にグレーの髪の女が応える。
 彼女達の容姿は肌や髪、目の色から声音、身につける服の系統までどれをとっても1つとして似通っている部分は無かった。だが、彼女達はどこか、外見では分からない深い根底の部分が姉妹のように似通っていた。


「だから言ったでしょう、あの路地を左に曲がればよかったのよ」
「だって右の方が近いように見えたんだもの」
「距離と道のりは違うわ、ここは森の中じゃないのよ?」
「煩くて臭くてそして煩い所ね、ゾイ。早くお家に帰りたい」
「私もよ、シェナ」

 心底物憂げな表情で頷き合い、シェナと呼ばれた女の褐色の指に映える銀に染められた爪が、黒いプレートの下に付いた赤いボタンを押しこむ。
 ボタンの横にはスピーカーのように小さな穴がいくつも開いており、2人が揃って3度目の息を吐き終えた所で、そのスピーカーから不自然なほど明瞭な少女の声が響いた。

『はぁーい、どちらさまぁですかぁー?』
「こんにちは。こちらの登録者の方に用があるの」
「出来れば今すぐに会わせて欲しいの。名前は、」


 ゾイと呼ばれた女の白い喉から発せられた言葉に、スピーカーの向こうが微かにざわめいた。顔を見合わせ同じ角度で首を傾げた2人は、『失礼』という若い男の声に同じ速度で塀のスピーカーへ視線を戻す。

『お呼びの登録者については、申し訳ありませんがこちらでは即答ができないんです』
「それじゃあ会えないの?」
「急ぎの用事なの」
『いえ、そういうわけでは…ひとまずは中へどうぞ』

 男の声に連動するようにして塀に長方形の亀裂が走り、継ぎ目の無いコンクリートの塊の一部が微かな音を立てて上にスライドした。現れた入口に2人は揃って微笑むと、人がぎりぎりですれ違える程の幅の穴を揃って潜る。

「面白い仕掛けね。うちにも欲しいわ」
「貰って行きましょうか。3メートルくらいで切ればうちの玄関にも使えるわ」
「でも持って帰るのが大変よ。嵩張るわ。シェナ、私帰りはお買い物がしたいの」
「私もよ、ゾイ。さっき見たブーツ素敵だったわ。誰かが買ってしまわないといいんだけど」
「そうね。早く済ませなくちゃ」
「あの子がうんと言ってくれればいいけど」

 外の喧騒を遠ざける塀の内側。塀の内側に沿って車庫のような四角い箱がずらりと並ぶ中で、真っ直ぐに円柱に向かって伸びる通路を歩きながら、2人は揃って微笑んだ。

「もしも私達のお願いを聞いてくれなかったら」
「私達のお願いを聞いてくれるまで、あの子の体を千切らなくちゃいけないもの」










 ワゴンに乗った大きなゴミ袋を次々とコンテナの中に放り込み、最後の1つに手を掛けながら、幽利はふぅと息を吐いて額の汗を拭った。

「よ、っと…」

 掛け声と共に投げ入れられたゴミ袋がぼすん、と鈍い音を立てて柔らかい他のゴミ袋の合間に埋まる。コンテナの中の空き容量を確認しながら幽利は軋んだ音を立てるコンテナの扉を閉め、閂を下ろした。

 ザ…ザザッ…ザ…

「……ん?」

 閂が下りる音に合わせて“視界”に走る、細かなノイズ。
 咄嗟に目隠しをされた目元に手をやりながら顔を上げた幽利は、こちらに歩み寄ってくる2人の人影を見て軽く眉を顰めた。

 コンテナは裏口とも表戸からも一番離れた場所にある。週に1度コンテナを入れ替える収集業者以外は、幽利くらいしかこんな所には来ない。
 どちらも見覚えのないシルエットだった。女性のようだが、客人だろうか。表戸から塔の入口までは直線だから、迷うなんてことは無い筈なのだが。


 ザザ、ザ、ザ…ザッ、ザ、…

 視界に走るノイズは消えない。少しずつ彼女達が近づいて来るごとに、最初は黒い線が走るだけだった視界が少しずつ明度を落とし、見慣れた筈の情景が歪に乱れて行く。
 褐色と純白の肌を持つ2人の女が常人でも顔が判別できるほどに近づいた頃、幽利はもう1つの異常に気が付いた。

 見えないのだ。

 少し意識を集中させれば見える筈の、塀の向こうが。いくら意識を研ぎ澄ませても、視界は歪むばかりで網膜に映る情景は範囲を少しも広げない。

「「こんにちは」」

 己の異常を訝しむ幽利を余所に、2人の女は声と同じく綺麗に揃った表情で微笑んだ。

「あ…どォも」

 相変わらずノイズの止まない視界に加え、頭のどこか深い場所からの鈍い頭痛まで訴え出した己の体に内心で舌打ちしながら、幽利は2人の女に軽く頭を下げた。

「お久しぶり」
「あの子にしては弱いと思ってたら、アナタだったのね」
「…へ?」

 2人の女は、系統こそ違えど互いに驚くほどの美女だった。見覚えのない美女2人は見惚れるほどに美しい微笑みを湛えながら、まるで古い友人にでも会ったような口調で一歩、幽利に歩み寄る。


 ザザッ…ザ、ザー…ザザー、ザ…

「…どッかで、お会いしたこと…?」

 ―――…なんだ。

 その時まで、幽利は己の異常を軟弱な体が不調を訴えるサインの1つだと思い込んでいた。歪んだ視界では目の前の2人の女の危険性を幽利に認識させることが出来なかったのだ。
 その瞳の奥の、暗さを。


「あら、忘れたの?私たちのこと」
「酷いわ。同じポッドで生まれたのに」
「…すンませんが、何のコトだか俺にゃァ…」

 ザザザ、ザ…ザッ、ザザ…っ


「思い出して」
「知ってるわよ」
「解らないの?」
「遺ってるでしょう」
「覚えてないの?」
「上手く遺せなかったのかしら」
「アナタは昔から下手だったものね」


 ザザーザ、ザザザッザ、ザ、

 戸惑う幽利を愉しむように、2人の言葉は止まらない。ノイズはどんどんと範囲を広げ、歪んだ美しい顔の下で、毒々しいほどに赤い2つの唇から覗く先端の裂けた舌が、声だけを朗々と紡ぐ。

「やっぱり人間じゃ無理だったのね」
「滅んでないだけマシだわ」
「意地汚い子」
「私達とそっくり」
「だからアナタが好きよ」
「劣等種のアナタが人間に混じるなんてどうなるかと思ったけど」
「また会えて嬉しいわ、××××」
「アナタなら見えるわよね」
「教えて頂戴」
「私達あの子に会いたいの」
「あぁ、そんなに怯えないで」
「何もしないわ。“視”てくれればいいの」
「ねぇ、」
「ねぇ、」

 ザ、ザ、…ザァ――――――――


「「わたしたちのおうさまはどこ?」」










 キュール=R.duの27年に及ぶ人生は決して平穏とは言い難い。
 彼の祖国は皇国とは比べるべくも無い西端の弱小国で、大した軍事力も人口も無い癖にやたらと内紛を繰り返す、国土の半分が常に焼け野原の酷い場所だった。

 15で国軍に対抗するべく父と兄に習いゲリラとして戦場に身を置いたが、部隊を国軍に完膚なきまでに叩きのめされ半死半生で隣国へと逃れた。両手足が残っていたのが奇跡と思えるほど、酷い状態だったと医者に聞いた。

 それからは己を拾った闇医者に紹介されたマフィアの用心棒、傭兵、どこかの国では従軍もした。国を転々と渡り歩き、死を身近に感じた場面は両手では足りない。


 死にたいわけでも争いが好きなわけでも無かったが、学も後ろ盾も無いキュールにとってはそれが唯一の生きる手段だったのだ。
 人の死を身近に見て来たからこそ生きたかった。ILLに入ったのもその為だ。彼等は大陸最大のザドス皇国皇都の巨大な地下都市で、最も強大な暴力を持っていた。

 死にたくは無い。父のように原型も留めぬ塵のような死に様を晒すのは、絶望した母と姉のように泣きながら首を括るような真似だけは、絶対に嫌だった。


「…今逃げたら、やっぱり僕のことも殺しますか?鬼利さん」

 遺伝子認証機のパネルが青く点滅し、音も無く分厚い鋼鉄の扉がスライドして口を開けるのを眺めながら、キュールは傍らで一分の隙も無く黒いスーツを着込んだ上司に問う。

「答えが欲しいなら答えるよ」

 端正な顔に薄らと笑みを湛えながら答えた鬼利の、躊躇い無く踏み出された足には艶消しされた染み1つない黒い革靴。塵一つ無い黒いスーツとネクタイとが相まって、まるで喪服のようだ。


 キュールより6つも年下のこの最高幹部は、キュールが誰より死を厭うていることを知っている。
 今まであらゆる窮地からキュールを救った第六感の鋭さも。援軍も補給も見込めない戦場の最前線に向かった時よりも酷い胸騒ぎに、キュールが自身の足を異常に重たく思っていることも、恐らく知っている。


「僕はまだ死にたくないんです、鬼利さん」
「解ってる。そうじゃなきゃ君を幹部に推薦なんてしないよ」

 迷いなく歩を進めながら頷く鬼利は、不自然な程にいつも通りの表情をしていた。先程現れた急の訪問者が誰だか、それがどれほど危険な存在か、一番よく理解しているだろうに。

 円錐形の本部の周囲を壁に沿って歩き、丁度表戸と裏戸の中間にあるゴミ捨て場に向かいながら、キュールは今にも踵を返しそうになる己の足を懸命に前へと進めていた。
 逃げ出したいのは山々だが、脱走を図る者があれば、それが壱級指定賞金首であっても2日で殺害できるILLの情報力と暴力を彼は熟知している。ここで退いたところで首に掛かった死神の鎌が消えることは無いのだ。


「それに、別に戦争を吹っかけに行くわけじゃない」
「確かに、そうですけども…」
「僕達は子飼いの登録者に面会を求める客人を、お望みの男の前まで案内するだけだ。普段通りにしていれば死ぬことは無いよ」
「……」

 ―――それは、相手が人間だったらの話でしょう。


 脳裏によぎった言葉を呑み込み、代わりにキュールは小さく溜息を吐いた。
 頭の中で警鐘が鳴っている。彼女にアイロンを掛けて貰ったシャツを濡らしている汗はじっとりと冷たい。指先が今にも懐のナイフを引き出そうと、足が今にも踵を返そうと、全身の細胞が一刻も早く逃げを打とうとする。

「…怖くないんですか?相手は“世界の敵”なのに」
「外見は素敵な女性だよ」

 沈黙に耐えきれずに問いかけたキュールに、こんなに怯えている自分がバカらしく思えるほど自然な笑顔で答えながら、鬼利は眼鏡越しの瞳を細めた。
 視線を上げれば緩く湾曲した壁の向こう、コンテナの前に2人の女が揃って立っている。遠目に見ても十分解る完璧なプロポーションと、美しい輪郭。

 訪問者の2人は揃って息を飲むほどの美女なのだ。監視カメラの映像で一瞬見ただけで魅了されてしまいそうな、完璧な美しさだった。


「素敵…ですね、確かに。でも、僕はあんなに綺麗な顔を見ると、どうしても嫌な予感がする」

 彼女達は美し過ぎた。人間では無いもののように。
 そしてキュールは、彼女達と同じく人間離れした美貌を持つ男を1人、知っている。


「そう怖がらなくても平気だよ」

 足元にあるモノを迂回してこちらに歩み寄ってくる2人の女を見据えながら、鬼利は彼女達の目の前で倒れている作業服姿の男を見ても変らぬ微笑みのままで、ネクタイを軽く整えた。

「…確かに彼女達は人間なんて足元にも及ばない化け物だ」


 距離が縮まる。ヒールの足音が近づく。


「僕は勿論、キュール。君のことも人が蟻を潰すように殺せる」


 霞んでいた輪郭が明確になる。彼女達も、鬼利も、歩を緩めることは無い。


「―――でも、現存する全ての生き物が畏怖すべき彼女達も、」


 鬼利がこちらを振り向く。赤い唇がゆっくりと弧を描き、感情の読めない橙色の瞳が嗤う。



「僕や君が飼っているあの化け物に比べれば、その力は酷く劣る」



 >>Next.




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