04.怠惰



 4人はベタに投身自殺。
 3人は慎ましく無理心中を図り、
 2人は情熱的に焼身自殺。
 1人はマンションごと吹き飛んだ。

 そこから先は数えていない。
 感傷に浸る化け物なんて、笑い話にもならないからだ。










 包帯を巻かれた指先が乱れたシーツを手繰るのを見て、傑は少しだけ感心した。
 この年齢で体格の男なら普通は1時間は前に気絶している筈だが、成る程、あの掃き溜めで男娼をしていただけはある。嬲られ慣れているのだろう。

 …可哀想に。


「…はぁ」

 射精の感触にひとつ溜息を吐いて、傑は人間の後孔を穿っていたモノを抜いた。途端にすっかり赤く腫れぼったくなってしまったそこからごぷ、と音を立てて溢れだした白濁は間違いなく傑が注ぎ込んだものだが、本人は情欲の熱には程遠い、退屈そうに凪いだ藍色でベッドサイドの時計を確認する。
 始めた時間など正確には覚えていないが、3時間弱という所だろうか。特に早めたり遅らせた覚えも無いので、5、6回は抜かずに注ぎ続けた計算になる。

「っ…ぁ、…!」

 ひび割れた声を無視してうつ伏せにさせていた体をひっくり返すと、心なしか腹部が膨れているような気がした。どうりで最中にえづいていた訳だと納得して、傑は薄いが鍛えられた人間の腹をそっと撫でる。
 途端に足までびくりと震えたのを見て視線を上げると、泣き腫らした瑠璃色と目が合った。

「ぃ…ぁう…っ」
「……」

 ひゅーひゅーと笛のような音を上げていた喉が一度動き、震える唇が噛み締められる。既に快感などは通り越し、疲労と苦痛で焦点の呆けたその瞳に、ほんの僅かだが覚悟のようなものを見て取って、傑は小さく苦笑した。


「蹴り飛ばす力くらい残ってンだろ?淫売」

 言いながら手を退けると、失神寸前の筈の人間が数度瞬く。案の定、腹を押されるか殴られるかされると思っていたらしい。安堵するどころか訝しげだ。
 そんな真似するかよ、と内心だけで吐き捨てて、傑はベッドの下に脱ぎ捨てたままにしていたジャケットを持ち上げた。

 内ポケットに入れたままの煙草を探っていると、背後で衣擦れの音が響く。やっと気絶したか、とこちらの方が半ば安堵しながら、咥えた煙草にライターの火を近づけた右腕が、かくんと下がった。

 火を消しながら首だけで振り返った傑を見据えたのは、忌々しいほどに透き通った、あの瑠璃色。


「…、だ…ぁ…く」
「…あ?」

 唇の動きを見れば何を言いたいのかは解ったが、それでも聞き返さずにはいられなかった。
 そんな傑の内心を読み取ったように、まともに喋ることも、体を起こすこともままならず、這うようにして傑の右腕に手を掛けた人間が、透き通ったままの瑠璃色で嗤う。

「は…ぁ、う……っと…」

 早く、もっと。

「……ほし、い」


 血を吐くような睦言に、ギシリと脳裏で軋んだ音がした。
 神経を引っ掻くような激痛を伴って、錆びた歯車を無理に回すように、ギシリギシリと。


「…あぁ、そうかよ」

 これだけ出せば肉体的には当分自慰さえ必要無いが、仕方がない。
 何せ相手は傑にとってのカミサマの同類だ。
 他でもない「人間」様の願いなら、そう望むのなら、可能な限り叶えるのが義務だ。


「死んでも知らねぇからな」

 咥えていた煙草をへし折って放り、傑は腕を上げているのもやっとな有り様の人間の体を、容赦なくシーツの上に組み敷いた。
 相も変わらず真っ直ぐにこちらを見上げてくる瑠璃色を顔ごとシーツに押し付けて、意図的に血流を集中して勃たせたモノを突き入れながら、己の吐いた言葉に思わず唇の端を吊り上げる。


 あぁ、全く。
 それが出来たらどんなに楽なことか。










 ”生まれた”のは、ある汚染地域の廃墟の中だった。

 思えば軋みはその時からだ。
 放射能から有毒ガスまで、あらゆるものに汚染され尽したその場所で、考えなければ気づかない程に平然としていられたのがまずおかしかった。
 その所為で、傑は傑として意識を持ったその瞬間から、あの不愉快な音を四六時中聞いている。


 こと自分自身のこととなると規制が多く、まともに推測することすら出来ないが、元の個体としてのスペックでは、きっと傀儡の仮媒体がいいところだったのだ。

 にも関わらず何故傑が傑として意識を持っているかと言えば、それはスペックが高かったからに他ならない。
 基準を満たしていないのは精神面の話で、この個体は、肉体的には正に理想型だったのだ。
 それ用に卵子と精子の段階から厳選され培養されたはずの”初代”よりも適合率が高いというのだから、奇跡としか言いようがない。現代なら間違いなく狂人として扱われた“先生”達が、世環傑という名の兵器の説明書に「理論値」と赤線を引いて書き込んだであろう数値を、この個体はほぼ現実のものとしていた。

 お陰様でこの体は「記憶」として残るどの個体のものよりも速く、強く、靭やかだったが、木偶人形が精々という精神面のハンデを帳消しにするには足りなかった。
 皺寄せは思考の統制の不完全さに留まらず、過去のどれより優れていた筈の機能にまで及び、しかも歳月を重ねるに連れて増えていく。

 軋む音と共に、見えていたものが見えなくなり、聞こえていたものが聞こえなくなり、感じていたものが感じられなくなっていく。

 どんな些細な経験も記憶として受け継ぐ筈の純血種において、代替わりの前から異例中の異例である「不利益」の烙印を押され、そのあらゆる経験も思考も全て否定されながら、ただいつかの為の時間稼ぎだけが「義務」になったのは何年前だったろう。
 生じる歪みを重要度の低い機能を切り捨てることで誤魔化し、せめて最後に残った義務だけはと騙し騙し時間を伸ばして来たが、既に底は近い。それを知りながら、尚も傑は傑として生かされている。


 それもこれも全てあの奇跡のお陰だと言うのだから、笑えない話だ。





 どこぞの変態共のお陰で理想的に柔軟な粘膜が、酷使の果てについに血を滲ませたのを見て、傑は支えていた細い腰から手を離した。

 途端にずるりとシーツに崩れるその体は、とうに意識を手放している。
 確か3度は無理に叩き起こした筈だから、半日は目覚めないだろう。苦痛への耐性は傑が感心するほど高いので、出来る限り快感を叩き込んでやった。
 兵器として、拷問になるような行為は遺伝子レベルで対応済みの傑が同じことをされたって毛ほどにも感じないが、人間には辛い筈だ。起きる度にこれを繰り返せば。

 ……繰り返せば、こいつは。


 ―――ギャリ、


「…っ…」

 一際大きな軋みと共に神経をやすりで削られるような激痛が走り、傑は思わず額に手をやった。
 人間なら10回は気が触れるような痛みだが、純血種の精神には強い偏頭痛程度の影響しか与えない。深く息を吸って頭蓋の中を抉り回される程度に落ち着け、傑はベッドサイドの時計を見た。

「…早く寝ろってか」

 自嘲気味に吐き捨て、軽く頭を振りながらベッドを降りる。
 指に巻いた包帯は新しく替えてやらなくてはいけないし、シーツをぐっしょりと濡らす体液を思えば水分を取らせて、せめて体を拭くくらいの後始末はしてやるべきだった。だが、傑はそれを訴える自我とは別の意志を無視して、スツールの上に畳まれていた毛布だけを死んだように横たわる人間に放るようにして掛け、寝室を出る。

 カーテンを引いていないリビングには、眩しい朝日が差し込んでいた。

 人工の光程度を眩しいと感じたのは初めてだ。昨日人工太陽が沈んでから今までの間に、またひとつ、機能が切り捨てられたらしい。
 視覚に関する機能はどれも重要度が高く、本来ならどの程度を失ったのか、またどの程度残っているのかを確認しなければならなかったが、傑はそのどちらもせずに、ソファに寝転がって目を伏せる。


 目の前に突きつけられる喪失に、本能的な危機感を抱いていたのは昔の話だ。
 寝て起きれば何かを失うようになってからは、わざわざ失くしたものが何なのか確かめることもしなくなった。
 繋ぎ止めることを諦めたからかもしれないし、そう思う感性の一部さえ失くしたからかもしれない。

 数えるのも面倒になるほど無くし続け、傑の状態は最早、半月に5分もあれば活動には足りる筈の睡眠を、普通の人間以上に取らなければ追いつかない所まで来ている。肉体的には問題なくとも、傑が傑として意識を保っているだけで軋みが加速するのだ。

 いっそ自意識を失ってしまえば手っ取り早いのだが、本媒体で、この肉体の適合率では、それは本当に最後の最後になる。このペースで行けば半年後、機能の切り捨てではなく精度を落とすことで調整を始めたら1年か、それ以上は先だ。
 これに関しては「予想外」は有り得ない。人間ではなく純血種の話だからだ。他でもない純血種の脳がそう結論を出したのなら、それが真実だ。


「……」

 一度深く息を吸って、傑はいつものように、意図的に意識を眠りに落とした。
 目覚めないことを祈ることも出来ない化け物はいつものように、喪失を思い知る為だけに、深く深く眠る。










 眠る純血種を照らしていた人工太陽がその機能を月へと代え、傑が予想した半日より2時間早い時を針が刻む頃。


「……」

 纏った薄手の毛布すら重そうに、ふらつく足取りで寝室から出てきた人間が、ふとソファの傍らで立ち止まる。
 乾ききった唇が示す通り、彼が重い体を引きずって部屋を出たのは水を求めてのことだったが、汚れた裸体に毛布のみを纏った人間は、水があるキッチンには一瞥もくれずに静かにソファの側に座り込んだ。

 部屋の光源は下弦に設定された人工月の淡い光のみで、夜目が効く瑠璃色にも、疲労と相まってそこに寝るものの輪郭程度しか捉えることは出来ない。

 魅入られずにはいられない、恐ろしい程の美貌はほとんどが闇に沈んでいる。
 寝返りもうたずに深く深く寝入っている今、あの艶やかな声を聞くこともない。
 呑まれそうに深い藍色の瞳は瞼に覆われて、その在り処すら今は曖昧だ。

 人間がこの化け物に好意を抱く原因となるものは、殆どが闇と静寂に沈んでしまっている。
 それでも彼は眠る傑から視線を反らさず、手を伸ばすこともなく、胸元に抱え込んだ自分の膝に顎を乗せて、その双眸を柔らかく細める。

 慈しむように。
 憐れむように。










「…かわいそうに」










 掠れた声で、悦は確かにそう言った。



 >>Next.



眠るばけもののかたわらで。

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