Cerenentola



 むかしむかし、あるところにとても美しく優しい、幽利という青年がおりました。
 幽利はとある王国のとてもお金持ちな家に生まれましたが、哀れなことに母様は彼が幼い頃に死んでしまい、父様は2人目の妻を貰います。
 その日から、幽利にはピンヒールと赤色が抜群に似合う新しい母様と、その連れ子である半径5メートル以内に近づいただけでなんか孕みそうな、エロティック極まりないお兄さんが出来ました。
 ところがこの2人、なんと揃ってサディストでした。
 美形であるのをいいことに己の性癖を隠そうともせず、むしろ勤めてオープンにしている勝手に解放的な2人は、お城のように広いお屋敷のつらい仕事を次々と幽利に押しつけます。綺麗なお洋服はつぎはぎだらけの襤褸に変えられ、雄豚とか性奴とかはさすがに色んな意味でマズいので、「灰かぶり」という意味のシンデレラと呼ばれるようになりました。
 普通ならばやってらんねぇと家を出るか、外に女を作ってそちらの方に入り浸りそうなものですが、育ちがよく心の優しいシンデレラはそんなことはせず、日々懸命に働いていました。

 こんな歩く卑猥物な2人をお屋敷に残して行った場合、その翌日からでも酒池肉林の宴をやらかしてご近所に迷惑をかけるか、暇つぶしに近親相姦でもやらかしてリアル昼ドラをし始めるか、なんにせよ何らかの道徳的にヤバいことをやらかすに違いないと思ったからです。
 そして何より、シンデレラはサディストな継母と義兄にいじめられる日々を、そう辛くは思っていませんでした。

 なんと、シンデレラはマゾだったのです!



 あかい夕陽がさしこむお屋敷の一室で、シンデレラはせっせと窓枠を磨きます。
 この日もシンデレラは太陽がまだ昇らない内から、広いお屋敷の隅々までを掃除していました。季節は秋に差し掛かり、足元に置かれたバケツの水の冷たさは手がかじかむ程でしたが、作業の効率化の為にシンデレラには高品質なゴム手袋が支給されていたので、水の冷たさとか薬品による肌荒れとかその辺は特に問題ありませんでした。
「ふゥ…」
 新品同然にぴかぴかになった窓枠を一歩下がって見上げ、満足そうに息を吐いたシンデレラの背後で、ばさりと音がしました。
 振り返ると、一生懸命に働くシンデレラなどには目もくれず、今日も朝から大量に届いた街の娘たちからのラヴレターをチェックしていた義兄・傑の足元に、真っ白な便箋が大量に散らばっています。
「あ…」
「……」
 思わず声を上げたシンデレラを、傑はデスクの上に組んだ両足を乗せた極めて行儀の悪い体勢のまま、手元の手紙から視線を上げてちらりと一瞥しました。手紙を拾う気配すら見せません。自分が落とした癖に。
「拾えよ。ぼーっと突っ立って、暇なんだろ?」
「え…あ、でも…」
「ほら、早く」
 日ごろ、シンデレラは2人の持ち物に触れることを許されていません。というか触ろうと思ったことすらありません。ゴム手袋を外した自分の手と、傑の美貌とを見比べながら戸惑うシンデレラを、傑は甘ったるい声で促します。やっていることは高圧的で何様だてめぇ感が猛烈に漂いますが、ちゃんとシンデレラが窓枠掃除をひと段落させたことを確認している所を見ると、結構常識的です。サドッ気のある天然女ったらしの変態ですが、その辺りはちゃんとわきまえていました。
「は…はィな…」
 命令に対する基本姿勢が服従一択な彼が「てめぇで拾え」と言える筈も無く、シンデレラはこくりと頷くと、バケツの端に持っていた雑巾をかけ、ゴム手袋も外して一緒にかけて、傑の傍らに両膝を着きました。
 ふかふかな椅子の手すりに頬杖をついてこちらを見下ろす傑の視線を感じながら、“見下ろされている”という状況にちょっとだけマゾ心をくすぐられつつ、シンデレラは床に落ちた恋文達を次々と拾い上げていきます。
 そしてとうとう最後の1枚となり、それにシンデレラが文明の利器によるプロテクトのお陰で、日々水仕事をこなしている割にはつるすべキープな手を伸ばした時でした。

 ドカッ。

「ぐっ…!」
 床に四つん這いになって手紙を拾い集めていたシンデレラの背中に、いきなり傑が上等な革靴を履いたままの両足を乗せて来たのです。予想だにしない不意打ちに、シンデレラは思わず童話には相応しく無い声を上げてしまいながら、ゆっくりと傑を見上げました。
「あのォ…」
 マゾにはとても美味しいシチュエーションに思えましたが、シンデレラは賢い子だったので、傑がデスクの上から足をそのまま下ろしたのではなく、ちゃんと手加減をして自分の背中を足置き代わりにしたことに気づいていました。マゾなシンデレラにしてみればそんな気遣いは冷めるだけで嬉しくも愉しくも無いので、マゾッ気よりも“仕事を邪魔された”ことに対する不満が勝った表情です。
 でも傑はそんなことは全く気にせず、貞操観念的によろしくない薄い笑みを浮かべたまま、シンデレラの上で組み直した足で軽くその背中を叩きました。
「んー…もうちょい低く」
「え?あ…こンくらィ?」
 その足を引っ掴んで四の字固めをしても許されるような要求でしたが、基本的にイイ子なシンデレラは素直にその言葉に従い、少しだけ背中を下げてあげました。なんてバ……心の優しい子なんでしょう。
「あぁ、イイ感じ」
「そォかい。はィよ、手紙」
 最後の一枚を拾い上げ、シンデレラは背中を動かさないように注意しながら傑に手紙の束を手渡しました。街の娘たちが赤裸々な想いを綴った恋文たちは、シンデレラが事前に床をぴっかぴかに磨き上げて埃一つ無い状態にしていた為、汚れ一つありません。
「ん。サンキュ」
「偶にゃァ返事でも書いてやったらどォだィ?待ってンだろォに」
「書き終わる前に俺の腕が終わるっての。物理的に」
「じゃァ…許嫁の1人でもでっち上げるとか」
「もうやった。架空の名前で適当に噂流したら、次の日に隣町の関係ない同名の女の子が襲撃された」
「うわァ…」
「下手にリアクションすると逆に危ねぇんだよ」
「モテ過ぎるってェのも大変だなァ」
 新しい手紙を開きながら言う傑の美貌を見上げながら、シンデレラはしみじみと呟きました。
 会話の間も傑の足はシンデレラの背中に乗せられたまま。なのに会話はまるで友達のようだったので、傍から見るととてもシュールな絵です。
 その後もシンデレラは時々傑とお喋りしながら、そのシュールな状態のままで美貌の義兄の足を(半ば自主的ではありましたが)支え続けさせられました。

 なんて可哀想なシンデレラ!



 さて、そんなこんなありましてお夕食の時間になりました。
 綺麗なレースのクロスがかかったテーブルには美味しそうな食事が並んでいましたが、可哀そうなシンデレラが座っているのは椅子ではなく床の上です。目の前のお皿には、テーブルに乗っているいるのとは違うお料理とスープ、そして日が経って固くなったパンしかありませんでした。昨日の残りものです。シンデレラは食べ物を無駄にしないイイ子でもありました。
 部屋の隅に座るシンデレラの前では、色んな意味で夜が似合う義兄の傑と、落ちついた赤のドレスに身を包んだ継母とが、揃って優雅に豪華な食事を楽しんでいます。2人の食事からはシンデレラのものとは違い、美味しそうな湯気がほかほかと立っていましたが、パンを齧るシンデレラはそんなことは全く気にせずに、ともすればお似合いの恋人同士か夫婦にも見えるこの2人が、親子設定ってェのはさすがに無理があるよなァ、とかメタいことを考えていました。
「なぁ、おかーさま」
「嫌だわ傑、余所余所しい。私のことは名前で呼んで頂戴と、いつも言っているでしょう?」
「いや名前はマズいだろ。ただでさえご近所さんに間男じゃねぇかって疑われてンだぜ?おかーさまが綺麗な所為で」
「…傑?」
 呆れた表情で言いながらスープを掬っていた傑は、継母に優しい声で名前を呼ばれてついと視線を上げました。そして少しの間、にっこりと笑う継母と視線を合わせると、
「……カルヴァ、今日隣町まで出てくっけど何か欲しいモンある?」
「あら、優しいのね」
 数秒の停滞の後再開した会話に、2人の様子を固唾を呑んで見守っていたシンデレラは、思わず部屋の隅でほうと息を吐きました。この2人は揃ってサディストではありましたが、継母・カルヴァのSL(サディスト・レヴェル)はそれはそれは高いのです。
 下手に刃向えば、その超絶テクで息子の傑の息子でさえドMポジションに追いやられてしまう危険を孕んでいます。そうなっては色んな意味で食事どころではありません。
「そう言えば今年は葡萄が豊作だそうね」
「あぁ…適当に見繕って来るか?」
「赤でお願いするわ」
「はいよ」
 華奢な指先でワイングラスを揺らしながら微笑むカルヴァに頷き、傑はフォークを置くと椅子から立ち上がりました。口元を軽く拭ったナプキンをテーブルに置き、そのまま出て行ってしまった傑は、シンデレラのことなど忘れてしまったように一瞥もくれません。当然、お土産の話もしてくれませんでした。
「ごちそうさまでした…」
 ドアが閉まる音を聞きながら、シンデレラは少し元気の無い声で、綺麗に空になった皿を前に小さく頭を下げました。
 傑から食べ物のお土産を貰った所で、何が入っているか解ったものじゃないのでどうせ食べられず、また欲の無いシンデレラは欲しい物も特に無いのですが、それでもやっぱり少しは寂しかったのです。
「…食事に何か不満でもあって?」
「えっ…」
 ぴかぴかのグラスの中で真っ赤な葡萄酒を揺らしながら、何気ない調子でかけられたその言葉に、お皿を持って立ち上がろうとしていたシンデレラは思わず動きを止めて継母・カルヴァを見上げました。
 他の2人が御馳走を食べている中、自分だけが昨日の残りものを食べているのですから普通は不満があって当然ですが、シンデレラはとても順応性の高いイイ子だったので、時折暖かいご飯に憧れはするものの、そんな不満は欠片も抱いていませんでした。なので、どうしてカルヴァが突然そんなことを言い出したのか、直ぐには理解できなかったのです。
「あ…そ、そンな事…」
「そうかしら。いつもはもっと嬉しそうよ?御馳走を貰った犬みたいにね」
 くすり、と妖艶に笑いながら、カルヴァはゆらゆらと揺らしていた葡萄酒のグラスを置きました。思わずその場に正座し直しながら、シンデレラはそんなことは無いと言おうとしますが、銀食器が立てた鈴の音のように澄んだ音がそれを遮ります。
「もしかして……それだけじゃあ足りなかったのかしら」
「や、そんな…ホントに、食べさせて貰えるだけで俺ァ…!」
「まぁ、調子がいいこと。私が食事も満足にさせない意地悪な継母だって、町中に言いふらすつもりなの?」
 銀のナイフとフォークでお皿のお肉を切り分けながら、カルヴァはそう言って悲しそうに整った眉を潜めました。
 勿論、カルヴァはシンデレラがそんなことは決して言わないのを知っていましたし、もしシンデレラが誰かにそう言ったとしても、噂として広まる前に完璧にもみ消して無かったことに出来るだけの人脈と人望を確保しています。シンデレラが困っているのを見て愉しんでいるのです。
「足りないのならそう言えばいいのに、悪い子ね」
「ご…ごめンなさい…」
「本当に仕方の無い子だわ」
 嗜めるような言葉とは反対に、床に正座したまま頭を下げたシンデレラを汚いものを見るような蔑みのまなざしで横目にしながら、カルヴァは銀食器を静かに置きました。
 マゾには堪らないその視線にちょっとぞくぞく来ていたシンデレラは、その音に思わずぴくりと肩を揺らしてしまいます。それを見てほんの少し愉しそうに目を細めながら、カルヴァは椅子を音を立てずに少しだけ引きました。
「いらっしゃい」
「…はィな」
 静かな声で呼ばれ、シンデレラは叱られることへの怯え1割、期待9割でちょっぴり体を震わせながら、カルヴァの傍らに正座し直しました。一体何を言われ、何をされるのだろうと上目遣いに相手を覗うその表情は、ソッチの趣味の方には実に堪らんものでしたが、シンデレラは鈍感なので全く気付きません。
「零しちゃ駄目よ」
「は…ッあ、おか…カルヴァさん…!」
 蝋燭でも垂らされると思って頷きかけたシンデレラは、カルヴァが持ち上げたものを見て思わず目を見開きました。
 赤いマニキュアが塗られたその白い手の中にあったのは蝋燭ではなく、先程カルヴァが切り分けていたお肉だったのです。それを彼女は、フォークに刺すことも無くその華奢な手に直に、指先をソースで汚しながら摘まみ上げていました。
「早く口を開けなさいな。私のドレスを汚すつもり?」
「は、はィ…」
 カルヴァの意図が解らずに戸惑いながらも、シンデレラは促されるがままにそっと口を開くと、ソースが零れないように舌を差し出すようにしながら、上等のお肉をおそるおそる口に含みます。
 コクのある芳醇な香りのソースが絡んだお肉はまだ暖かく、とても美味しいものでしたが、まるで犬に餌をやるように食事を与えられるという行為にドキドキしているシンデレラは、可哀そうにほとんど味など解らないままにそれをごくんと呑み込みました。
「…お、美味しいです」
「卑しい貴方のお腹も、これで満足したかしら?」
「はィな…ありがとう、ございます」
「それは良かったわね。……ところで」
 思わせぶりに言葉を区切られてどきりと心臓を跳ねさせたシンデレラの目の前で、ソースに汚れたままのカルヴァの華奢な指がゆらり、と卑猥に揺れます。
「私の手が汚れてしまったわ」
「あ…」
「困ったわね。お掃除は誰の仕事だったかしら」
「…っ…」
 ちっとも困っていなさそうな口調で言うカルヴァの黒曜石の瞳が、ぞくりとするような流し目でシンデレラを見下ろし、それと同時に誘うようにゆらゆらと蠢いていた指先がひたりとシンデレラの唇に触れました。
 ぬるりとしたソースの感触を伴った細い指先は、そのまま慣れた仕草でシンデレラの唇の合間に滑り込み、赤い爪を持つ白い指で震える舌を撫でていきます。
「ん…っ…!」
 そのまま数回出しては入れるのをゆっくりと繰り返され、とっくに綺麗になっている指に濡れた音を立てて柔らかい舌に軽く爪を立てられては、もうシンデレラには抵抗する術などありませんでした。
「っぁ…ん、む…」
「…ちゃんと綺麗にするのよ」
 汚れたカルヴァの人差し指と親指に自分から舌を絡めながら、シンデレラは瞑っていた目を薄らと開いてこくりと頷きます。
 ほんの少し息が上がっているのはカルヴァが時折舌をくすぐったりして呼吸を邪魔するからで、跪いて指を舐めさせられていることに興奮しているとか、そういうことでは決してありません。
「んん…あッ…ふ…ぅ、ン…っ」
 指はものの数秒で綺麗になりましたが、カルヴァが舌に爪を立てたり、人差し指と綺麗な筈の中指を一緒に咥えさせてくちゅくちゅと舌を弄んだり、口の中の敏感な箇所をくすぐったりした為に、シンデレラはその後もたっぷり5分は指を咥えていなければいけませんでした。

 なんて可哀想なシンデレラ!



 こんな具合にシンデレラは本当に、とても、可哀そうで惨めな生活を送っていました。
 そんなある日のことです。
 お屋敷に、なんとお城から舞踏会の招待状が届きました。継母と義兄の話をこっそり聞いたところ、どうやらその舞踏会は王子様のパートナーを決める為のものであるらしいのです。
 この舞踏会で見染められれば、こんな惨めな暮らしからはオサラバ出来ますし、国民の血税を使ってお城で楽しく豪遊することができます。革命などが起こった場合は最も危険な立場になりますが、そういう事はこの際度外視です。

 そして、舞踏会の夜になりました。

「ってことは来る女の子は全員嫁候補ってコトか」
「そうなるわね」
「それ横から掻っ攫ったら不敬罪とかになンのかな」
「大丈夫よ。もしそうだとしても、王女を懐柔すれば問題無いわ」
「命がけの不倫を勧めンなよ」
 正装したカルヴァと傑はそんなことを言いながら、お城からの馬車に乗って舞踏会に出掛けて行きました。
 可哀そうなシンデレラには舞踏会に着ていく服などありません。招待状にはシンデレラの名前もありましたが、つぎはぎだらけの襤褸を着てお城に行ける筈も無いので、1人お屋敷に残りました。
「…舞踏会、ねェ…」
 その日は月がとても綺麗な夜でした。シンデレラはお庭のベンチに腰掛けてまんまるの月を見上げながら、ぽつりと呟きます。
 シンデレラは舞踏会というものに行ったことがありませんでしたし、お城にも入ったことがありません。お屋敷から出るのもお使いに出る時くらいでしたので、お城の舞踏会がどんなものなのか想像もつきませんでしたが、きっとそれはきらきらしていて、素敵なものなのでしょう。
 中に入れなくてもいいから、豪華な食事も、美味しい葡萄酒も要らないから、遠くからほんのひと目だけでも、見てみたかったなァと、シンデレラは少し悲しい目をしました。

 その時です。

 不意に目の前がきらきらと光ったかと思うと、星屑を散らしたようなその光の中から人影が現れました。
 驚くシンデレラの前で、その人影は真っ白なローブを纏い、背中に蜉蝣のように薄い羽を持った蜂蜜色の髪の青年の姿になると、綺麗な瑠璃色の瞳をぱちりと開いて、
「どうも」
 …たった一言で、その場にあった幻想的な空気を実にナチュラルにぶち壊しました。
「ど、どォも…」
「アンタが、えーっと…シンデレラ?」
「はィな。その…アナタは…?」
「俺?俺は悦」
「あ…えーッと…」
 普通に自己紹介をして来た彼―――悦に、シンデレラは少し困りました。シンデレラは礼儀正しかったので、初対面の人(?)に向かって、名前じゃねぇよ種族を聞いてンだよ、等とはまさか言えなかったのです。
 とりあえず『人間ですか?』と聞くのが一番手っ取り早いのですが、人間だった場合、これは大変な失礼に当たります。しかし登場の仕方といい、背中でぱたぱたしている羽といい、とてもそこをスルーして話を進めることは出来ません。
「その、悦サンは…えッと…にん…」
「妖精」
「…え?」
「俺、妖精。ほら、羽もあるだろ」
 あっさりとカミングアウトした妖精・悦は、そう言って背中の薄い羽をぱたぱたと動かして見せました。羽が動く度にきらきらとした青い鱗粉が舞い、それは幻想的な光景を月明かりの中に作り出していましたが、持ち主の性格にはそんなファンタジー成分は皆無なようです。
「そォ、ですね…」
「うん」
「それで…その、妖精の旦那がどォしてここに?」
「お前を舞踏会に行かせる為に」
 妖精にしてはえらく高圧的です。
「俺を、ですかィ?なんでまた」
「行きたくねーの?」
 当然の質問をしたシンデレラに、妖精は不思議そうに言いながらこてんと首を傾げました。ファンタジー全開な外見に反して口調は男前ですが、なんだか所作が小動物です。
「行けるモンなら、とは…思いますケド…でも」
「でも?」
 聞き返した妖精に、シンデレラは困ったように笑って自分の服を軽く引っ張りました。
「こんな格好じゃァ、入るどころか近づいただけで追い返されちまう」
「あー…確かに穴開いてるのは厳しいな。最近夜風が冷たいし。風邪引く」
「いや、そォいう意味じゃ…」
「じゃあまずは服な」
 思わずシンデレラは声を上げましたが、継母や義兄とは違う意味で自由人らしい妖精は一人でうんうんと納得すると、ツッコミの為に上げたシンデレラの手を取ってきゅっと握りました。
 すると、不思議なことに妖精と握手したシンデレラの手が青白く光りはじめ、そしてその光はすぐにシンデレラの全身を包みこみます。
 どこか暖かい光は、しばらくすると夜風に散らされるようにゆっくりと消えていき、その下には先程までシンデレラが着ていた筈の、ぼろぼろで、つぎはぎのあたった服は跡形もありませんでした。
 代わりにシンデレラを柔らかく包みこんでいたのは、見るからに上等な絹を夜空の色に染め上げて拵えた、胸元に淡い水色のフリルがある、裾に星屑のようなスパンコールが控え目に散らした、実に上品なデザインの、
 夜会ドレス(女性用)でした。
「え…ええェえ!?」
「よし」
 思わず色んな所を見ながら月並みな叫び声を上げたシンデレラを余所に、妖精は満足げにうんうんと頷くと、どこからか取り出したドレスと同色の、被ると目元の辺りになんかレースっぽいのがしゃらんとかかる感じの帽子を、ちょこんとシンデレラの頭に乗せました。
「だ、旦那ァ…」
「ん?…もうちょい明るい色の方がいい?」
「いや、折角頂いといてアレなンですが、これは…女の人が着る…」
「だってお前、さっき出てった連中に正体バレたらマズいんだろ?大丈夫。似合ってるから」
「はァ…」
 ぐ、と親指を立ててみせる妖精は、どうやらふざけているわけでも意地悪をしているわけでもなく、完璧な善意でこの服装をチョイスしたようでした。迷いのない澄んだ目をしている所がなんとも性質が悪いです。
「その靴、硝子だから何か蹴ったりすンなよ。お前の足が物理的に終わるから」
「旦那…このヒール、足、足が…!」
「頑張れ」
 当然ヒールなど履いた事のないシンデレラの足は、立っているだけでも8センチはありそうなピンヒールの硝子の靴の上で既にぷるぷるしていましたが、そう言われてしまえば頷く他ありません。ついでにシンデレラはマゾなので、不安定なのを除けば爪先が痛いとかつちふまずの辺りがつりそうだとか、そういうことは大丈夫でした。
「が、頑張ります」
「じゃあ城まで飛ばすから。…あ、その魔法12時になったら解けるから、その前に戻って来いよ」
「はィな。ホント何からなにまで、ありがとうございます」
「どういたしまして」
 ぺこりと頭を下げながらそう言ったいい子のシンデレラは、そこではたと気付きました。そもそも、どうしてこの妖精はこんなに親切にしてくれるのでしょう。
 薄い羽をぱたぱたと動かしてちょっと地面から浮きながら、お城の方角と距離を確認している妖精にシンデレラがそのことを尋ねると、妖精はきょとんとした顔をして、そして困ったような顔でふわりと笑いました。

「俺さ、寂しそうな目してるヤツって放っとけねぇんだよ」




 シンデレラが親切な妖精に半ば強制的に変身させられている頃、お城では豪華絢爛な舞踏会の真っ最中でした。
 国一番のオーケストラの演奏をBGMに、御馳走が並んだ広いダンスホールでは、着飾ったきらびやかな淑女達がきゃいきゃいと楽しそうにさんざめいています。来賓の中には同じく着飾った立派な紳士もおりましたが、彼女達の視線は二階席に居る王子様に釘付けでした。
 この国始まって以来の秀才と噂され、王の座を継ぐ前から既に国政の主軸に居る王子様は、国中の乙女の憧れだったのです。
 傍らに侍る大臣と何事かを議論しながら、時折階下の淑女達に微笑みかけて軽く手を振って見せる度に、ダンスホールではシンバルに負けないくらいの黄色い悲鳴が上がっています。
 ですが、そんな素敵な王子様には1つ秘密がありました。
「若。お眼鏡に適う娘子は見つかりましたか」
「残念ながら」
 側近の禿頭の巨漢・仁王の言葉に、王子様はすっと階下から見えない位置に移動しながら淡々とした声音でそう即答しました。先程までは穏やかな微笑みが浮かんでいたその端正な顔は、仮面を外したような冷たい無表情に変わっています。
「どの娘子も、我には麗しい淑女に見えるが…」
「陽のある内ならね」
「と、云うと」
「陽が陰ってからが問題なんだよ。僕よりも、彼女達にとって」
「成程、確かに…」
 橙色の目を細めながら溜息を吐く王子様の横で、仁王はちらりと階下の妻候補達を見下ろしました。お城の舞踏会に呼ばれるくらいですから、勿論そこにいるのは少し強く握れば折れてしまいそうな、温室育ちのお嬢様ばかりです。
「…箱入りのあの娘達に、若の伽に耐えよというのは酷かもしれぬ」
「女性に傷を残す趣味は無いけどね。…まぁいい」
 仏像のような顔をして静かに首を振る仁王を横目に、王子様はそう言うとくるりと踵を返しました。
「元々期待もしていなかったし、世継ぎを残す分には問題無い。そちらの方は捕虜で発散させるよ」
「若、どちらに」
「頭の軽そうな花ばかりで目が疲れた……5分で戻る」
「御意」
 深く頭を下げた仁王を振り返ることなく、王子様は指先で目元を押さえながらベルベットの垂れ幕の奥に消えて行きました。

 …そう、王子様はド級のサディストだったのです。




 その頃、こちらはシンデレラ。
「わァ…」
 妖精によってお屋敷の庭からお城のバルコニーへとすっ飛ばされたシンデレラは、窓からダンスホールの様子をこっそりと覗いながら、その煌びやかな様子に子供のように目を輝かせていました。
 人気の無いバルコニーには冷たい夜風が吹いておりましたが、ダンスホールを見つめるシンデレラは素敵な光景に夢中でしたので、寒さなどほとんど感じません。硝子扉ではなく、お城の外壁を這うその奥の回廊からバルコニーに現れた人影の足音も全く聞こえておらず、不安定なヒールの上でちょっと背伸びなどをしていました。
「…失礼」
 そんな状態で、背後から声など掛けられたりした日には。
「えっ…あ、うわァ!」
 読者の想像通り驚いてびくんと体を跳ねさせたシンデレラは、やはり想像通りにヒールの上でバランスを崩し、ついでに慣れないスカートを捌き損ね、派手にその場ですっ転んでしまいました。
 べしゃりと冷たい床の上に倒れ込み、派手に打ち付けた膝の痛みにちょっと涙目になりながら声のした方を見上げたシンデレラは、そこでもう一度、さっきよりも驚く羽目になります。
「驚かせてしまいましたね。大丈夫ですか?」
「…ッぁ…!」
 なんとシンデレラにそう声をかけながら手を差し出していたのは、シンデレラがダンスホールの中に探していた、この国の王子様その人だったのです。
「さぁ、折角のドレスが汚れてしまいます」
「…っ…!」
 床に這い蹲ったまま呆然とその顔を見上げるシンデレラに優しく微笑み、王子様はシンデレラの手を取ると、完璧な所作で立ち上がるのを手伝ってくれました。
 されるがままに立ち上がったシンデレラは、肉眼で見る王子様にどきどきしながらも御礼を言おうとしますが、そこで自分の今の格好に気がつきます。
 窓から中を覗いているだけでも十分怪しいのに、今のシンデレラは更に女装までしています。薄暗い所為か妖精作の偽乳のお陰か、まだ男とバレてはいないようですが、声を出せば当然性別がモロ解りです。
「お怪我は?」
「……!」
 柔らかくシンデレラの手を握ったまま紳士に気遣ってくれる王子様に、シンデレラは軽く俯きながらふるふると首を横に振りました。本来なら平服すべき王子様に対してこれでは余りにも失礼というものですが、顔を見られないように俯いたのが功を奏し、辛うじてシャイな淑女のように見え無くもありません。
「それは良かった。こんな所では寒いでしょう、中に入られては如何です?」
「……っ」
「嫌?…あぁ、騒がしいのはお嫌いですか」
 ちらりとダンスホールの様子を一瞥しながら言う王子様に、とてもじゃないけどこんな格好であんな明るい所には出られないシンデレラはこくりと頷きました。
 頷いてしまってから、お城の舞踏会なのに“騒がしい”とは王子様に失礼だったかとその表情を覗いましたが、ダンスホールを見て目を細めた王子様はどこか困ったように笑い、シンデレラに向き直ります。
「実は私もです。人が多い所は苦手でして」
「……」
「もし、あなたさえ宜しければ…」
「……?」
 優しい微笑みのまま、そう言葉を区切った王子様にこくりと首を傾げたシンデレラの手を、王子様の手がすっと軽く引きました。
 慣れないヒールに躓きそうになりながらも、されるがままに一歩前に出たシンデレラの耳元で、音も無く身を寄せた王子様の唇が囁きます。「もっと静かな所へ行きましょう。…二人きりに、なれる場所へ」
「……っ!」
 そっと囁かれたその言葉に、シンデレラはひくんと握られた手を震わせました。
 義兄のお陰で気障な台詞への耐性は嫌というほどついていましたが、王子様のそれはやっぱり王子様だからでしょうか、不思議なほどに上品で奥ゆかしく、かつその声音の中に優しさではない“何か”が滲んでいた為、シンデレラの(マゾ)心をどうしようもなくくすぐったのです。
 二人きりになどなれば当然男とバレる可能性が飛躍的に上がる訳ですが、まさか王子様の誘いを断るわけにも、いやでもやっぱり…とシンデレラが必死に考えている内に、王子様は沈黙を肯定と取ったようでした。
「…こちらへ」
 きゅ、とシンデレラの手を握り直しながら絵に描いたような完璧なエスコートをされ、今更嫌だなんて言える筈も無く、またこの状況では断っても不敬罪、断らなくても女装がばれ王子様を騙したとして不敬罪、と結果は同じなので、シンデレラは小さく頷くと王子様の後に着いて歩き出しました。
「……」
 躓いて転ばないよう細心の注意を払うシンデレラに、前を向いた王子様の瞳を過った嗜虐的な影は当然、見えていません。




 そうしてのこのこと着いて行ってしまったシンデレラでしたが、暫く歩いている内にあることに気が付きました。
 お城には舞踏会のお客様以外にもたくさんの人がいる筈なのに、王子様とシンデレラは今まで誰ともすれ違っていないのです。その上、さっきから階段という階段を下ってばかりいます。今歩いている階段も当然のように下りで、何故かお城の中であるのに絨毯も無く、明かりも足元が辛うじて解るくらいしかありません。
「……」
「……」
 不思議に思いはするものの、どこに行くのですか、という一言が言えないシンデレラに着いて行く以外の選択肢はありません。一歩前を歩く王子様の横顔をこっそり覗いながら、階段を降り切った先にある妙に重たそうな扉の中へ、エスコートされるがままに入ってしまいました。
 部屋の中は真っ暗でした。振り返ろうとしたシンデレラの耳に扉が閉まる重い音が響き、その音に驚いて王子様の手を握り返そうとしたシンデレラを、誰かの腕が乱暴に突き飛ばします。
「っ……」
 可哀そうに、尻もちをついてしまったシンデレラが立ち上がろうとしたその時、パチリと音を立てて明かりが点きました。
 まず、目に飛び込んで来たのは壁にぶら下がる鎖でした。
 先端に枷をつけた鎖は天井の低い四角の部屋のいたる所にあり、床や天井からも伸びています。シンデレラが座りこんだ近く、部屋の真ん中辺りにはベルトが打ちつけられた頑丈そうな台が。部屋の隅にはテーブルがあり、その上と周囲の壁には何に使うのかも解らない奇妙な道具が並んでいます。
 要するに、誰がどこからどう見ても拷問部屋でした。
「…開かないよ」
 思わず扉を見たシンデレラの背後から、冷たい声が言いました。
 座りこんだまま振り返るとそこには退屈そうな顔をした王子様が立っていて、両手の真っ白な手袋を脱いでいる所でした。脱いだ手袋を床に落とした王子様は、そこでようやくシンデレラを見ると、何気なくお腰の剣をすらりと抜きます。
「まずは名前を聞こうか」
「ひっ…!」
 ひゅん、と音を立てて振り上げられた剣先に帽子を跳ねあげられ、シンデレラは身を竦ませました。怖くて逃げることも出来ず、かたかたと体を震わせるシンデレラを面白くもなさそうに見下ろしながら、王子様は軽く首を傾げます。
「お前の名前は?」
「っ…ゆ、幽利…です…」
 もう声が男とかそんなことを言ってる場合ではありません。震える声で答えたシンデレラ、もとい幽利に、王子様は宝石のような橙色の瞳を細めました。
「…そんな格好で何を?」
「それ、は…」
 背筋も凍るような眼光に見据えられて途切れ途切れになりながら、幽利は現在に至るまでの経緯を全て王子様にお話ししました。あんな所で覗いていたのはとても畏れ多くて中になど入れずにいたからで、決してスパイとかそんなやましい理由ではない事も。
 やたら男前な妖精が登場する幽利の話を、王子様は終始無言で相槌を打つことも無く聞いていましたが、幽利がやっとの思いで話し終えた所で、不意にふっと微笑みました。
「お前には文士の才があるようだね」
「っち、違うンです、作り話なんかじゃァ…!」
「そう」
 幽利をその喉元に剣先を突き付けて黙らせながら、王子様は静かに言いました。どう楽観的に聞いても、幽利の話に納得してくれた様子ではありません。
「お、うじさま…っ」
「…同情するよ」
 それまでの冷たく凍てついた声音ではなく、バルコニーで聞いた優しく穏やかな声で呟かれた言葉に、幽利は一縷の希望を持って顔を上げ、そして直ぐにそのことを後悔することになりました。
「もし見つかったのが僕じゃなく兵士だったら、まだ“人”として死ねただろうに」
 優しい声でそう言う王子様は、ぞっとするほど冷たく笑っていたのです。





 ざぶん、と音を立てて胸から上を水の張った大きな桶の中に落とされ、幽利は天井から逆さづりにされた体を力無く身じろがせました。
 不審な行動をしていた本当の理由を吐けと問い詰められても、最初から包み隠さず全てを告白している幽利に、これ以上言えることなどありません。実は女装癖があって、あんな所にいたのは性的興奮を覚えてはぁはぁしていたからです、とかいう嘘をでっちあげてしまえばまだよかったのかもしれませんが、逆さづりにされた上に、失神寸前まで水に浸けられては引き上げられて体を鞭打たれ、意識がはっきりした所でまた水に浸けられる、という容赦の無い水責めを繰り返されている幽利に、そんな余裕などありませんでした。
「ッ…ご、…げほっ…は…はぁ…!」
「……」
 もう息苦しさにもがくだけの体力も無く、何度目か知れない窒息の苦しさの中で意識を手放した幽利の体を、王子様の振るう鞭がピシャリと叩いて現実へと引き戻します。
「そろそろ喋る気になったかな?」
「ひ、…ごめ…なさ、い…っ」
 血に濡れた乗馬鞭の先で背中の鞭傷を引っ掻かれ、幽利は吊られた体を揺らしながら掠れた声で言いました。幾度となく繰り返された言葉に背後の王子様は呆れたような顔をしますが、頭に血が昇った上に酸欠で意識が朦朧としている幽利には、もう謝るくらいしか出来なかったのです。
「悪いと思っているなら、そろそろ本当のことを話して欲しいんだけどね」
「ほ、と…なンです…うそ、じゃ…」
「…やれやれ」
 心底呆れた様子で溜息を吐き、王子様は手を掛けていた滑車のレバーをガコンと手前に倒しました。ざぶりと、今度は頭だけではなく膝までを水の中に浸けられた幽利の足首から鎖を外すと、支えを無くして桶の中に沈んだ幽利の髪を掴んで無理矢理水面に引き上げます。
「ひぐ、ぅ…っ」
「そろそろ趣向を変えようか。おいで」
「あッ…!」
 そう言いながら両手首を縛られている腕をぐい、と引かれて、幽利は冷たい水の張った桶から出されました。足に力が入らずにその場に倒れ込んでしまい、下着だけにされて剥き出しになっていた足を擦り剥いてしまいましたが、当然王子様は待ってくれません。
 手首を縛る荒縄を引かれた幽利は、可哀そうに背中と足から血を流しながら、部屋の真ん中にあるあのベルトのついた台の所まで引き摺られ、そこに乗るようにと命令されました。
「早くしないと、役立たずなその足を切り落とすよ」
 ちら、と壁に立てかけられた大きな斧を見ながらそう言われては、従う他ありません。寒さと疲労でがくがくと震える体でなんとか台の上まで這い上がった幽利の頬を、王子様の持つ鞭がつうと撫でました。
「さて、次は…」
 思案するように呟く王子様の視線が、壁や、隅の机の上にある怖ろしい道具達を順番に見回していきます。
「骨を順番に折るのもいいけれど、あれは少し手間が掛る。…お前は水に強いようだから、焼き鏝でも試してみようか」
「あ…あぁ…っ」
 恐怖を煽る為にわざと口に出される怖ろしい責め苦に、幽利は思わず震える声を漏らしました。王子様が今言ったことを想像するだけでも十分に怖ろしいのに、それを口にして実行しようとしている王子様は、なんと愉しげに微笑んでいるのです。嗜虐趣味を隠そうともしない寒気のするようなその笑みに、恐怖しない者は普通いないでしょう。
 ですが、我らがシンデレラこと幽利は、ご存知の通り普通ではありませんでした。
「…は、ぁ…ッ」
「……」
 明らかに熱を孕んだ溜息のような吐息に違和感を覚えた王子様は、台の上に居る幽利を振り返って思わずその表情を消しました。
 本来ならば恐怖に逃げ出そうとするか、怯える余りに動くことも出来ずにガタガタと震えている筈の虜囚が、こともあろうにもじもじと膝を擦り合わせ、恐怖とは明らかに別の理由で瞳を潤ませていたのですから無理もありません。
「…おかしな虜囚だ」
 一瞬の沈黙のあとふっと微笑んだ王子様は、そう言いながらすりすりと擦りあわされていた幽利の膝を掴むと、ぐいとそこを押し開きました。
「痛みや恐怖に失禁する様は何度も見て来たけど、こんな反応は初めてだよ」
「あっ…こ…これは…!」
 王子様の視線に気づいた幽利は羞恥に顔を赤らめますが、物的証拠を押さえられては弁解のしようもありません。結局何も言葉を続けることが出来ず、縛られた手で濡れた下着を緩く押し上げているモノを隠そうとしますが、その手は王子様によって捕えられ、台の上に縫い止められてしまいました。
「苦痛はお前にとっての甘露か。どうりで水責めが効かない筈だ」
 淡々とした調子で言いながら、王子様は慣れた手つきで幽利の腕を台の上のベルトに固定します。自由だった両足首も台の両端のベルトに繋がれ、幽利はあっという間に台の上で四つん這いになった格好のまま、身動き出来なくされてしまいました。
「な、なに…すンです、か…?」
「お前にとって、とても辛いことだよ」
 こんな状況では寒気がするような優しい声音で怖ろしいことを言いながら、王子様は普通の虜囚とは別ベクトルの意味で震える幽利の腰から、唯一纏っていた下着を剥ぎ取ってしまうと、部屋の隅の机の上から小さな瓶を持って来ました。
「それ、は…?」
「さぁ、何だろうね」
 瓶の中にはどろりと粘度の高い液体が入っており、王子様はその瓶の蓋をきゅぽんと抜くと、その瓶の口を幽利のお尻の谷間に沿って滑らせます。
「ぅあ、…ひッ!?」
 硬い瓶の口に撫でられる異様な感覚に幽利が身を竦ませた、その時。隙間から中の液体を少しだけ溢れさせ、ぬめりを帯びた小さな瓶が、ずるりと幽利のナカに入って来てしまい、幽利は思わず小さな悲鳴を上げてしまいました。
 幽利はマゾでしたが、その辺については同年代の男の子達よりも寧ろ淡泊なくらいだったので、そこを使った高難易度な自慰など勿論したことがありません。瓶が小さいのでそれほど痛みは感じませんでしたが、体内に異物が入り込み、更にその中から液体が中に流れ込んでくる違和感はかなりのものです。
「や、やめっ…抜い、てくださ…ッ」
 圧迫感と羞恥に震えながら、幽利は拘束された両手の間に顔を埋めてそう懇願しました。ですが、相手は既に今までの言動で紛うことなきサディストと確定している王子様。そんな風にお願いした所で抜いてくれる筈が、
「っふ…ぁ、え…?」
 …無いと思ったのですが、予想を裏切り王子様はあっさりと瓶を抜いてくれました。ちょっと拍子抜けした幽利が顔を上げると、王子様は空っぽになったあの小さな瓶を台の隅にかたりと置きながら、怪訝そうな幽利を一瞥してくすりと笑います。
「そんな顔をしなくても、直ぐに解るよ」
「へ…?」
 何やら意味深な王子様の言葉に、幽利は思わず台に乗せられた小さな瓶を見ました。
 自分の体が影になって見ることは出来ませんでしたが、感覚でその瓶の中身が全て自分のナカに流し込まれてしまったことは幽利も理解しています。王子様は未だに幽利のことを疑ったままですから、当然これも尋問の一環である筈なのですが、液体をたっぷりと注ぎこまれた箇所は違和感こそあれ、痛くも苦しくもありません。
 まさかじわじわと効いて来る毒だったのでしょうか。怖くなって僅かに拘束された体を身じろがせた幽利を、不意に奇妙な感覚が襲いました。
「っ…ぁ…?」
 最初は違和感だと思っていたそれは、幽利がなんだろうと意識を集中させている内に治りかけの傷のような熱を持ち、そして直ぐにぴりぴりとした鈍い痛みを含んだ痒さに変わったのです。
「あ、ぁっ…ふ…ぅう…ッ」
 そうだ、と自覚してしまった途端、違和感は丸ごと痒みへと変わりました。瓶を押しこまれて液体を流し込まれた箇所だけではなく、その周囲までもが熱を孕み、じっとしてられない程の痒さを訴えてきます。
「ッ…ん、ぅ…!」
 掻きたいのですが、幽利の腕はベルトで台に確りと固定されてしまっていて動かせないので、自由にならない体を身じろがせながら耐える他ありません。
「……」
 台の上で固定された体をもじもじと身じろがせながら必死に痒み耐える幽利を、王子様はしばらく涼しい顔で観察していましたが、もどかしげに腰を震わせる動きが少しずつ大きくなって来たのを見ると、その手で不意に幽利の震える太股に触れました。
「あッ…!」
「こんなに震えて、どうかした?」
 軽く首を傾げながら尋ねる王子様の声はそれまでと同じく冷静なものでしたが、王子様は幽利がどうして震えているのか、聞かずとも解っていました。
 何しろ今は空っぽになった小瓶の中には、精錬された生漆が入っていたのです。粘度を下げる為に多少水で伸ばしてはいましたが、手に少しついただけで痒くなるようなものを粘膜に塗り込まれれば、痒くて堪らなくなるのは当然です。
「か…かゆい、です…ッ」
「痒い?」
「んンッ…は、ぃ…っ」
 そうとは知らない可哀そうな幽利は、辛そうに体を身じろがせながら王子様の問いかけにこくこくと頷きました。そんな幽利の様子を愉しげに眺めながら、王子様は太股に触れていた手でするりとそこを撫で上げます。
「ふぁっ、あ…!」
 爪を立てるわけでもなくただ軽く撫でられただけでしたが、感覚が鋭くなっている幽利には飛びあがってしまうような刺激でした。ゆっくりと腰まで撫で上げられただけでぞくぞくと背筋に甘い痺れが走り、甘い声を上げながら思わず王子様を見上げます。
「それはいけないね。どこが痒いの?」
 哀願するようなその視線に優しく微笑みながら、王子様は円を描くようにして腰をくすぐった手を幽利のお尻へと滑らせました。谷間をなぞるように指先を滑らせて痒みに耐える幽利に小さな悲鳴を上げさせてから、ゆっくりと指先を幽利の後腔へと進めます。
「あぁッ…ぁ、そこ…そこ、が…っ」
「痒いのはここ?」
 漆にかぶれてしまって赤くなり、辛そうにひくひくと震える後腔の縁を撫でながら尋ねる王子様に、幽利は何度も何度も頷きました。もどかしい指先に焦らされた所為か、痒くて痒くてもうどうにかなってしまいそうです。
「そ、です…っかいて、下さ…お願いします…ッ」
「勿論、気が済むまでそうしてあげるよ」
 優しい声でそう言い、王子様は指先で戯れに入口をくすぐりながら、くしゃりと幽利の濡れた髪をかき上げました。
「…お前が本当のことを言えばね」
 そして露わになった幽利の耳元に、優しくそう囁いたのです。
「俺、嘘なんか…ッ本当、なんです…!」
「そう。別に僕は構わないよ」
 涙目になりながら幽利が訴えても王子様は表情を変えないまま、縁をなぞっていた指先をほんの少しだけ幽利のナカに埋めます。
「はぁ、あ…っ!」
 痒くて痒くて堪らなかった場所を撫でられ、違和感や圧迫感など感じることも無くそこは悦んで王子様の指をきゅうと締めつけますが、意地悪な指先はほんの爪先だけを潜り込ませただけで、直ぐに抜けていってしまいました。
「辛いのも苦しいのもお前だけだし、時間も、その薬も、まだまだ沢山あるからね」
「そ、なっ…ほんと、なんです…信じて下さい…っ」
 中途半端に刺激され、解放をチラつかされた所為で、痒みはもうとても耐えられないくらいに酷くなっていました。痛みとは違って堪えようのない辛さにとうとう幽利は泣き出してしまいますが、それでも王子様は許してくれません。
「ドレスの入手経路も少し探れば直ぐ解る。意地を張っても何もいいことは無いよ」
 いっそ呆れたような口調で言われ、幽利は両手の間に埋めるようにしていた顔をふらふらと上げて、部屋の隅に散らばった夜色のドレスを見ました。
 いくら王子様が賢いとはいえ、あのドレスは本当に妖精が魔法で出した物なのですから、入手経路なんて解る筈が無いのです。でもドレスはどう見ても本物ですから、王子様はあれが魔法で出して貰った物だと言っても信じてくれません。
 痒くてもどかしくて、頭が変になってしまいそうになりながら、幽利は一生懸命王子様に妖精のことを信じて貰える方法を考え―――そして、あることを思い出しました。
「っ…じゅうにじ、に…!」
「12時?」
「妖精のだんな、がっ…12時に、なったら…まほう、が消えるって…ッ」
 そうです、確かにあの妖精はそう言っていました。その言葉通りに12時に魔法が解けてあのドレスが消えてしまえば、王子様もきっと幽利の言っていることが本当だと信じてくれる筈です。
「つまり、12時になればあのドレスは消えると?」
「そ、です…だから…っ」
「…成る程」
 王子様の読解力に頼り切った説明でしたが、賢い王子様は幽利の言いたいことを理解してくれたようです。小さく頷くと、幽利の体から離した手を胸ポケットから引き抜いたハンカチーフで拭い、懐から銀色の懐中時計を取り出しました。
「それじゃあ、待ってみようか」
「っあ…ありがとう、ございます…!」
 そんな戯言を信じられるか、と一蹴されるかもしれないと内心びくびくしていた幽利は、どこか退屈そうな王子様の言葉に涙で潤んだ瞳を輝かせました。これでようやく、この謂れの無い責め苦から解放して貰えます。
 …この時、幽利は初めて自分の言葉を信じて貰えたのが本当に嬉しくて、そのことを完全に忘れていました。
「本当なら興味深い話だ。嘘だとしても、あと30分程度なら十分薬も持つしね」
「…え…」
 そう。この王子様がド級のサディストだということを、忘れていたのです。
 半ば呆然と呟いて目を見開いた幽利に王子様はにっこりと微笑むと、手を拭ったハンカチーフをくるりと丸め、幽利の口に無理矢理押し込みました。
「んむっ…」
「舌を切り落とされたくなければ、静かにしているんだよ」
「……!」
 びくりと身を竦ませてハンカチを吐き出そうとするのを止めた幽利に、王子様は褒めるように血が滲む鞭傷がたくさんついた幽利の背中を撫でると、壁際にある椅子に腰掛けました。木造りの粗末なその椅子の下には薄汚れた本が置いてあり、王子様はぱんぱんと軽く叩いて埃を払ったその本を、優雅に組んだ足の上で広げます。
「…くぅ、うぅう…ッ」
 読書を始めた王子様とは対照的に、幽利はとても心静かに待っていることは出来ません。押し込まれたハンカチをきつく噛み締めながら辛そうに身じろぎますが、両手足の自由を奪うベルトはびくりともしませんでした。
 そして、幽利が今まで経験した中で最も長い、悪夢のような30分が始まったのです。





「ふっ、ぅ…ん、んン…ッ」
 腰だけを上げたはしたない格好で台の上に突っ伏しながら、幽利は水ではなく、汗で濡れた体を苦しそうに震わせました。薄らと開かれた瞳は涙に濡れ、半ば意識も飛んでいるのかぼうっと虚空を見つめています。
 体の内部を襲う痒みに耐え切れずにベルトを鳴らして暴れたりもしましたが、水責めで削られた体力はそう長くは持たず、力もほとんど入らなくなってしまっていました。それは命の危機に晒され続けてすり減った精神力も同じで、もう幽利には許してと叫ぶだけの気力もありません。
「う…っく、…ぅうぅ…」
 ―――こんなことになってしまうなんて、やっぱり「舞踏会に行きたい」なんて望んだのがいけなかったんだ。“灰かぶり”の自分がそんな身の程知らずなことを、思うだけでもしてしまったから、きっと罰が当たったんだ。
 やっぱりどこまでもイイ子の幽利が、女装させた妖精を恨むでも、信じてくれない王子様を恨むでも無く、霞みがかった意識の中でそう考えて子供のように小さくしゃくり上げていた時です。
「…そろそろだね」
 それまで黙々と読んでいた本を閉じた王子様が、そう言って椅子から立ち上がりました。
 王子様の声に、幽利は背中の傷口に流れ込んだ汗の痛みに小さく体を跳ねさせながら、ぐったりと台に預けていた顔を上げて石畳の上に投げ出された夜色のドレスを見ます。
 かちり、と王子様の持つ懐中時計の針が、12時を刺し―――それを合図に、無残にも投げ出されていたドレスは、裾から光の粒となってさぁっと消えて行きました。
 後に残ったのは魔法が解けた、つぎはぎだらけのお洋服だけ。
「…これは、信じざるを得ないな」
 神秘的な光景を眉ひとつ動かさずに見届けた王子様は、さして驚いた風もなくそう言うと、虚ろにその背中を見つめていた幽利を振り返ります。
「可哀そうなことをしてしまったね」
「ふぁ…はっ…ぁ、あ…ッ」
「疑ってすまなかった。お詫びのしようもない」
 幽利の口を塞いでいたハンカチーフを床に落としながら、王子様は神妙な面持ちで目を伏せました。権力者には珍しいほど誠意ある謝罪でしたが、正直幽利はそれどころではありません。
「は、はや…くっ…も、がま…でき、な…!」
「…あぁ、そうだったね」
 もどかしげに身を捩りながら涙を流して懇願する幽利に、王子様はその無礼な物言いを咎めるでもなく優しく笑うと、そのほっそりとした指をつぷりと幽利の中に埋めました。
「あッ…は、ぁあぁ…っ!」
 ずっと体を苛んでいた痒みをようやく癒して貰えて、幽利は溜息のような声を漏らしながらふるりと背中を震わせます。漆にかぶれて腫れてしまったそこは擦られるとつきつきとした痛みが走りましたが、マゾの幽利にとっては全く問題ではなく、痒いところを掻いて貰える気持ちよさと合わさって寧ろ快感でした。
「少し腫れてしまったね。ここと…」
「あッ、あぁあぁっ…!」
「…それから、ここも」
 囁くような声で言いながら、がくがくと震える幽利の腰に添えられていた王子様の手が、心身共にハードに責められてお腹につきそうなくらいに勃ちあがり、びっしょりと濡れてしまっていた幽利のモノを柔らかく握り込みました。
「随分と苦しそうに見えたけど、あれは嘘だったのかな?」
「っ…ちが、うそ…じゃ…ッあぁ!」
「じゃあ、これは?」
 そんなの考えるまでもなく解りそうなものでしたが、賢くてサディストな王子様は不思議そうに言いながら、くちゅりといやらしい音をたてて幽利のモノの先端を指先でなぞります。
「ひぃ、いっ…そ、それ…は、ぁ…!」
 手が動く度に熱く溶けた内壁の中を出入りしている王子様の指先を締めつけてしまいながら、幽利は卑猥に濡れた瞳で王子様を振り返りました。目が合った王子様は、こんな恥ずかしいことをしているというのに表情を変えず、やっぱりその瞳はぞっとするほど冷たく凍てついていて、幽利はぞくぞくと背筋を震わせます。
「…それは?」
「っお、れ…変、なンです…ッくるし、こと…とか、痛ェ、こと…され、ると…っ」
 恥ずかしくて気持ち良くて顔を赤くしながら、幽利はとても王子様の顔を見ることが出来ずに俯きました。
「こ、腰…が、…ぞくぞく、ッて…しち、まって…!」
「こうなると?」
 相変わらず冷静な王子様の言葉に、幽利は縛られたままの手の間に頭を埋めながらこくこくと頷きます。他でもない王子様にこんなはしたない姿を見られて、その上自分のアブノーマルな性癖を告白するなんて。きっと素敵な王子様は幽利を軽蔑したでしょう。汚らわしいと罵られてしまうかもしれません。でもマゾヒストの幽利は、そんな想像にすら感じてしまうのですからもう大変です。
「水責めの後から、おかしいとは思っていたけど…」
「ふぁあっぁ、…あぁあ…ッ!」
「…そういうことなら、解放するわけにはいかないな」
「っ…え、…?」
 ぽつりと呟かれた言葉に、幽利は俯かせていた顔をそろりと上げました。
「これでも僕はこの国の王子だからね。そんな変態的な趣向を持つ獣を、市井に放つわけにはいかない」
「へ、へんた…」
 変態=傑という認識だった幽利は、あの性欲の権化のような義兄と一緒にされたことに思わず絶句してしまいます。まぁ相手が傑では無理もありません。
「…何か特技はある?」
 そんな幽利を横目に冷静な王子様は、何か考えるように視線を虚空にやったまま、唐突にそんなことを聞きました。
 今の会話と何の関係があるんだ、もしくは面接かよ、と突っ込みたくなるような唐突な質問でしたが、いい子な幽利は聞かれるがまま、素直に暗記がとても得意だと答えます。すると王子様は小さく笑って、
「それはいい」
「…へ…?」
 もう幽利には何が何だか解りません。頭が良すぎる人はこれだから困ります。
「こちらの話だよ。…ところで、そろそろ痒みは収まった?」
「あぁッ…ぁ、まっ…待って、くださ…!」
 する、と抜かれそうになった指に、幽利は思わず叫ぶようにして言ってしまいました。今までの会話の中では言うに言えずに我慢していましたが、どうやら漆はかなり奥のほうまで入り込んでしまったらしく、王子様の指が入っていた箇所よりもう少し奥が、まだ痒くて仕方が無かったのです。
「そ、の…お、奥が…まだ…っ」
「これより奥となると…指じゃ届かないな。まさか鞭の柄を入れるわけにもいかないし…」
「お願い、しま…すっ…なんでも、んぅっ…いい、ですから…ッ」
 届きそうで届かないもどかしさにゆらゆらと腰を揺らしてしまいながら懇願する幽利に、壁にかけられていた鞭を眺めていた王子様が振り返りました。
「何でも、ね……解った」
 確認するように呟いて、王子様は幽利の体から手を両方とも離してしまうと、幽利の背後に回り込んで膝で台の上に乗りました。
「痛かったり、苦しければ言うんだよ」
「は…はィ…?」
「…止められるかは解らないけどね」
 それまでよりワントーン低くなった声で王子様が囁くように言った、次の瞬間でした。
「ひ、ぁあッ!?…いっ…ぅうう…ッ!」
 指よりずっと太くて硬いものに腫れて熱を持った内壁を押し広げられ、その痛みと息苦しさに幽利は目を見開きました。自然と体が逃げるように動きますが、ベルトで縛られた体では精々腰を震わせる程度しか出来ません。幽利があまりの圧迫感にお腹を突き破られそうな錯覚を起こす頃、体内を押し広げる熱い楔はようやく動きを止めました。
「これでも萎えないなんて、…筋金入りだね」
「は、はぁ…っあ…!」
 初めて呼吸を乱した王子様の声を聞いて、幽利はやっと、今自分が王子様に犯されているということに気付きました。
 鞭の柄よりよっぽど色んな意味で不適切ですが、気にしてはいけません。
「ゆっくり息をして…そう。……動くよ」
 低く掠れた声で後ろから囁かれ、幽利はろくに意味も考えずに頷きました。
 王子様の言う通りに深く息をしていると圧迫感もいくらかマシになり、痒かった奥深くを硬いモノで擦られる気持ちよさと、その中に少しだけ混じる鈍痛に熱っぽい吐息を零していた幽利でしたが、幽利が多少慣れて来たのを見てとった王子様が腰の動きを少し変えると、状況は一変します。
「ふぁ…あ…ッひぁあ!」
 突き入れられたモノの先端に体内のある場所を擦られた瞬間、それまでとは桁の違う快感が幽利の背中を雷のように駆け抜けたのです。経験したことのないその感覚と、口をついて出た女の子のような嬌声に幽利は戸惑いますが、王子様は動きを止めてくれず、それどころかその場所ばかりを擦って来ます。
「ひゃぁ、あッ…そ、そこ…やめ、へん…にっ…んぁあッっ」
「見れば解るよ」
 ふるふると首を振りながら悲鳴を上げますが、幽利も知らなかった弱点を見つけた王子様は、その場所をピンポイントでぐりぐりと刺激しながら、台に先走りの雫を零している幽利のモノの裏筋をつぅと指先で撫で上げます。
 気持ちいい箇所ばかりを指先に悪戯にくすぐられ、それだけでも堪らないのに内側からも責め立てられて、直ぐに幽利の頭の中は真っ白になってしまいました。とろとろと先走りを零す小さな穴をくりくりと苛められると今にもイってしまいそうで、無意識にナカのモノをきゅうと締めつけてしまいます。
「あっ、ぁ、あぁあッ…!…お、ぅじ…さま、ぁ…ッ」
「…鬼利でいいよ」
 ぎゅっと握りしめた手を震わせながら舌っ足らずに呼んだ幽利に、王子様はその耳元に唇を寄せて囁きました。
「き、り…さま…?」
「敬称は要らない」
「は、ひぁっ……き、…きり…ッ」
 本来なら幽利のような者が王子様を呼び捨てにするなど、とても許されることではありませんが、命令されては仕方ありません。その端正な顔を覗いながら幽利が言われるがままに名前を呼ぶと、鬼利は優しく橙色の瞳を細め、ほんのり赤く染まった幽利の耳にちゅ、と触れるだけのキスをしました。
「よく出来たね、幽利」
「…っ…!」
 柔らかく囁かれたその言葉に、幽利は一時、息をするのも忘れて目を見開きました。
 “灰かぶり”と呼ばれて苛められていた幽利は、もう随分と長く本当の名前で呼ばれた事が無かったのです。なのにその名前を、たった一度聞いただけの鬼利は確かに呼んでくれて、褒めてもくれました。
「っ鬼利…ぁ、んぁあッ…鬼利、きり…っ!」
 呼んで貰えたことが嬉しくて、名前を呼べることが幸せで、嬉しい涙がいっぱいに溜まった瞳で鬼利を見つめながら何度も何度もその名前を繰り返す幽利に、鬼利は優しく目を細めたまま、困ったように小さく笑いました。
「…魔法をかけられたのがその“声”だと言われていたら、すぐにでも信じたんだけどね」
「え…?っぁ、ひぁあぁ!」
 どう意味だろうと鬼利の言葉を不思議に思いましたが、直後にそれまでゆっくりだった律動が早さを増し、そんな小さな疑問はすぐに吹き飛んでしまいました。
 早く深く突かれる間も鬼利のモノは的確に幽利の感じる場所を擦っていて、更に先走りを零す先端を撫でるように刺激されては、もう我慢なんて出来ません。
「ふぁっあ、あぁっ…ぁ、あぁあッ!」
「…ん…っ」
 力の入らない手で台に爪を立てながら、幽利は甘い悲鳴と共に、鬼利の手と台を白く汚してしまいました。無意識の内にぎゅう、と締めつけた鬼利の息が僅かに乱れ、どくりと脈打つ感覚と共に、お腹の中で暖かいものが弾けます。
「はっ…ぁ、あ…きり…」
「…幽利」
 くったりと体の力を抜きながら掠れた声でその名前を呼んだ幽利を、鬼利は頬に手を添えて優しく振り向かせ、キスをしました。
「んン…ふ、ぅ…ん…っ」
 初めてのキスは、指で舌を嬲られるのよりもずっと気持ちよく、暖かくて。
 怖くなるほどの幸福を感じながら、幽利はゆっくりと目を伏せました。





 次に幽利が目を覚ますとそこは柔らかなベッドの上で、傷の手当ても、舞踏会も、幽利の処遇も、全て済んでしまった後でした。
 鬼利があの拷問部屋で言った通り、幽利はお屋敷には戻れなくなりました。でもそれは決してもう一度捕まったとかいうことではなく、寧ろとっても素敵な理由からです。
「そ、そっきん?」
「そうだよ」
 思わず聞き返した幽利に、ベッドの縁に腰掛けた鬼利は事も無げに頷きました。
「丁度、政務で使える側近を探していてね」
「でも…俺なンかが、お手伝い出来るコトなんて…」
「何も難しい計算をしろと言うわけじゃない。お前はただ、僕や客人の言葉を暗記すればいいんだよ」
 ただ、と言う割には難しい内容でしたが、幽利は記憶力には優れていましたので、そういうお仕事なら当に適任でした。
 急に側近に引き立てられた幽利に対し、お城の大臣も最初は文句を言っていましたが、お城で一番分厚い本を一度読んだだけの幽利が目の前でその中身を全て暗唱して見せると、驚きと共に幽利のことを認めてくれました。あの舞踏会は嫁を選ぶものだったんじゃないのか、という声も勿論上がりましたが、
「パートナーを選ぶとは言ったが、妃を選ぶとは言っていない」
 という鬼利王子の一言で蹴散らされてしまいました。
 勿論、それで妃選びの問題が解決したわけではありませんでしたが、これも鬼利王子の、
「いずれ出てくるであろう現国王の隠し子達との権力争いに巻き込まれると思うと、とても世継ぎを残す気にはなれないよ」
 という一見とても心優しいお言葉により、強制終了させられました。
 そしてこれらは全て、幽利が寝ている間に済んでしまったコトでした。だから何も問題は無いのだと説明してくれる王子様に、幽利はおそるおそる聞きました。
「あの…どォして、俺なンか…?」
「前にも言った筈だよ」
 それまでと変わらず冷静な声で言いながら、鬼利は首を傾げる幽利の髪をわし掴むと、乱暴にそれを引いてベッドの上に上半身を起こしていた幽利をシーツに這い蹲らせます。
「あぅっ…!」
 髪を引かれる痛みに小さく声を上げながらも、乱暴な扱いにやっぱりちょっとぞくぞくしてしまう幽利の耳元で、鬼利は甘く囁きました。
「…こんなことをされて悦ぶような変態は手元に置いてちゃんと監視しておかないと、民を悪戯に怯えさせてしまう」
「っ……!」
 傍から聞けば酷い言葉でしたが、幽利には何より甘い告白でした。嬉しい半面すぐには信じることが出来ず、半ば呆然とその顔を見上げた幽利に、鬼利は髪から手を離しながらくすりと笑います。
「最も、お前はもう虜囚じゃない。嫌だと言うなら、直ぐにでもあの屋敷に…」
「い、嫌じゃねェです!」
 残念そうな顔一つせずに平然と言う鬼利の言葉を遮って、幽利はがばりと起き上ると叫ぶように言いました。
 言ってしまってから、これは余りに必死過ぎるだろうと自分で自分が恥ずかしくなりましたが、振り返った鬼利はそんな幽利の赤くなった頬にそっと手を添えると、ベッドの上で身を寄せながら優しく微笑みます。
「…それはよかった」
 そしてお日様がまだ高い位置にある内から憚りもせず、甘い甘いキスをしました。

 かくして可哀そうなシンデレラは王子様に見染められ、王子様の側近として召し抱えられて、いつまでもいつまでも2人で幸せに暮らしたのでした。


 …勿論、鬼利が幽利を見染めた本当の理由は、2人だけの秘密にしたまま。



 End.



Cut.01 収録

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