Sの欠乏


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「……あぁ、これは」

 A4サイズの用紙に改行無しで3ページ分びっちりと、更に少ない余白に手書きでこれまたぎっしりと、白い紙を埋め尽くす文字を常人の10分の1の時間で読み終えて、鬼利は思案げに顎を撫でた。
 執務卓を挟んだ向かい側には、報告書を手渡した仁王が僅かに肩を落として、その横にはこの件の担当である泪がぴんと背筋を伸ばして、更にその右後ろにはゴシックがノートパソコンを小脇にだらしなく片足に体重を乗せて、それぞれ立っている。あらゆる問いに的確に答える為の最強の布陣だ。
 そこに乗る感情は違えど、彼等の視線の向かう先はただ一つ。何を言われるかと身構える優秀な部下達を更に40秒ほど思案の為に焦らしてから、鬼利は内部通信用の通信機の受話器を持ち上げた。

 漏れ聞こえたコール音は1回。

「幽利、彼等の手伝いを」

 それだけ言って、鬼利は返事を聞くこと無く通信を切った。










 “ILL”は世界唯一の犯罪斡旋機関である。

 読んで字のごとく、犯罪を斡旋してシノいでいる。斡旋する先は子飼いの犯罪者だ。こういう表現だとヤクザと一緒になってお茶目な薬を流したり、銀行強盗の手助けに警備員をスナイプしたりしそうだが、実際は寧ろその反対で、遺族の連名依頼を受けてヤクザを壊滅させたり、強盗計画をすっぱ抜いて護衛を売りつけたりしている。
 解決方法は非合法で手駒は重犯罪者だし徹頭徹尾金で動くが、基本的には世界中の必要悪を一手に引き受けて斡旋し、犯罪者を犯罪者の手で効率よくぶっ殺したりぶっ殺されたりさせるというのが主なスタンスだ。


 そう、基本的には。


 依頼の受諾可否は常に厳重に精査されているが、何にでも例外は存在するもので、「斡旋」だと言いながらそれが出来ないこともある。大抵の場合そういう依頼は丁寧に「時期を改めるかもっと金を積めボケ」と突っ返すが、どうにも上手くいかずにそれも出来ないことも稀にある。

 最近にあった例を上げるなら、どうにも手駒のハッカーがヘボでセキュリティを突破出来ず、放っとくと100キロ四方が向こう500年ぺんぺん草も生えない有様になるので、ゴシック自らが三日三晩かけてそれを突破してやった。手駒の暗殺好きが小競り合いだの痴情の縺れだの薬のやり過ぎだので、扱いにくい観葉植物並にポコポコ死んでいった時には、泪が選民思想の軍服を着た豚の首を落とした。チェスとオセロと将棋で世界最高位を取ったゲームの天才の癖に、どうにも気が弱く手駒の中のどの根暗でも顔見せで失神するので、壱埜が護衛についたこともある。20ヶ国語を操る拘束衣を着た狂人と50時間、相手に合わせた言語であらゆる分野について語り尽くさなければならなかった時は、点滴付きで鬼利が独房に入ったし、Fは諸々の事情で魔法少女のコスプレをした。

 こういう具合に、平均すれば3ヶ月に一回くらいのペースで、そういうのっぴきならない事態は起こり―――今回の件もまた、ほんの3時間前にそんな依頼のひとつとなった。





 控えめなノックと共に、黒い目隠しを着けた顔がひょこりと扉から覗く。

「……失礼しまァす」

 目隠しの下にあるどこかの誰かさんとよく似た口で、どこかの誰かさんは絶対に言わないようなトーンと調子で言いながら、どこかの誰かさんに着せたら地割れが起きそうな薄汚れた作業着姿の、どこかの誰かさんの「所有物」であらせられるところの幽利は、おそるおそるといった風情で入室した。

 すいません、遅くなッちまって、と会釈をするちっとも遅くなっていない雑用員を、ゴシック除く5人の幹部達はそれぞれの立ち位置でそれぞれの反応で歓迎した。一番近くに居た壱埜などは、急に呼びつけて申し訳ない、という意味合いのことを至極丁寧に詫びつつ、ぺこぺこ頭を下げている。それを受けた幽利も、いえいえそんな、なんて言いながらぺこぺこ頭を下げている。大人と大人が出会った際に高確率で発生する例のイベントである。
 こういうシチュエーションの場合、このイベントには高確率で上司に当たる人間がいやぁ助かるよ、なんて言いながら話に入り、改めて礼を言い、急ぎの用事は無いのかと気遣い、早速で悪いが助けてくれ、と言う追加ムービーが差し込まれる。

 案の定仁王が歩み寄ろうとしていたので、ゴシックは脳内で既読スキップボタンを連打しながら大声を上げた。


「おーおーおー待ってたぜ俺のヒーローそのご自慢の目で是非とも早急に迅速かつ速やかになんとかしてくれよこちとらもう2日かかりっきりでマス掻く暇も、」
「止めんか、ゴシック」
「だあってよぉ小父貴俺みてぇな思春期ど真ん中の青少年はそれが日課っつぅか我が身にかせられた崇高な使命的なとこあんじゃん?流石に俺も0と1相手じゃ脳汁と我慢汁くらいしか、」
「ゴシック、黙れ」


 ぴしゃりと言った泪が資料を手に席を立つのを見て、ゴシックは大人しく口を噤んだ。キーボードを叩いて円卓の中央にあるモニターに幾つかの写真を表示させ、しめしめとニヤつきながら頭の後ろで腕を組む。これで5秒はクリアタイムが縮まった。

「幽利。早速で悪いが、説明をしたい。良いか」
「はィな」

 座れ、の一言であの幽利を恐縮する暇もなく着席させると、泪は持っていた資料を手渡した。傍らに立つ仁王と一度だけアイコンタクトをして、ごく薄く紅を引いただけの反則級に色っぽい唇が、これからの長広舌に備えてすぅと息を吸う。


「貴様にはある文章を“読んで”欲しい。現物は軍部警察の監視下にあり、徹頭徹尾アナログな手法で管理されている。写真の一枚も無く、そこの馬鹿でも手が出せん」
「なンでまたそんなモンを」
「そういう依頼だ。文章のみを奪う手筈だったが、実行の瞬間に所持者の2メートル先で交通事故が起き、その証人として軍警の保護下に置かれてしまった」
 カチャカチャと携帯ゲーム機でレベル上げをしながら、そこの馬鹿であるところのゴシックは素早くキーを叩いてモニターの映像を切り替えた。大型のモニター一杯に、爆発炎上する車の残骸と、その横でへたり込む冴えない男の画像が映し出される。レベルアップのファンファーレが鳴り終わるまでの間暇だったので、ついでに左端にちらっと写っている軍部警察の腕章を切り取ってズームしておいた。


「乗っていたのが軍警が追う新興マフィアと、地元ヤクザの元締めでな。主だった者はカーチェイスの末に鉄塊と同化したが、どんな度し難く愚かな勘違いをされるか知れない」
「そりゃァ守るでしょうねェ」
「厄介なことにな。平時ならばいくらでも警護に穴を開けられるが、派閥の長の首が5日前にすげ変わったばかりで、流石に時期が悪い。下手に動いては向こうの手札になる」
「で、コッチの手札は減っちまう」
「そういうことだ。壱級では悟られるが、世環を出すにはあまりに安い。かと言って軍部警察相手に引き下がったとあっては、」
「あァ、そりゃマズい」

 それまでと同じトーンで何気なく泪の言葉を遮った幽利が、へらりと笑う。


「鬼利がナメられちまう」


 おっかねぇ、とゴシックはゲーム機を弄りながら身震いした。
 端末から顔を上げたFも、給湯室でコーヒーを零している壱埜も、隣でぴくりと肩を揺らしたキュールも、緩く拳を握った仁王も、僅かに眉を顰めた泪も、きっとゴシックと同じことを思って、同じものを感じて、同じことを再確認している。

 殴られたって蹴られたってへらへらと笑うこの目隠しの男は、それを許さない。
 それだけは、絶対に、許しはしない。

「……然り」

 重々しく頷いた実直な仁王の声で、張り詰めていた空気はふっと糸を切られたように解けた。

「では、頼む」
「対象までは直線距離で2000キロ未満だ。何が要る」
「ちッとばかし遠いんで地図を」
「ゴシック」
 凛とした声に呼ばれ、ゴシックはポーズ画面にしたゲーム機を、自分の机にはスペースが無かったのでキュールの胸元に放り投げた。咄嗟にペンを放り投げて受け止めたキュールが凄い顔でガンをつけて来るが、知ったこっちゃない。こちとらタイムアタック中なのだ。


「視点縮尺角度明度3Dご注文がありゃあなんでもどーぞどんな無茶振りでも拾ってやるよ」
「白塔と対象が映ってるよォな、こう、衛星写真っつゥのかい?そーいうのがあれば、」
「モニター3番はいはいはい次のご注文はぁ?」
「あァ、あった」
「えっ」

 素で驚いて顔を上げると、お行儀よくお膝に両手を置いて座ったまま、幽利は右斜め60度くらいの場所を見上げていた。そんな所にモニターは無い。あるのは壁だけだ。おいおい嘘だろ、とゴシックの唇がわななく。


「えぇえぇえええぇえぇマジかよ喜び勇んでナビゲートしてやろうという俺様の意気込みとかわくわくとかドキドキとか全無視かよとんだ舐めプじゃねぇかマジ反則だろその目知ってたけど!知ってたけど!」
「喧しい。幽利、ビルトンの黒いファイルを探せ。それに入れて持ち運んでいた映像があった」
「かなり分厚い感じっスかねェ?」
「そうだ。金の刺繍がある」
「暗号化されちまッてたり?」
「その可能性は高いな」
「うむ」
「ンじゃァ、これかな」


 今日履くパンツを選ぶようなテンションで、幽利はその目に雪崩込む膨大な情報の中からそれらしきものを選び取り、明後日の方向を見上げていた顔を戻した。目隠しを直しながらさり気なくぐいと目頭を押し揉みつつ、見えたのか、と詰め寄る仁王と泪にへらりと笑う。

「はィな」

 なんの気負いも高揚も感じられないその声に、ゴシックは拗ねたふりで突っ伏したまま、もう一度ぶるりと痩身を震わせた。










 一度、聞いてみたことがある。

 その目で見る”景色”はどんな風なのかと。コップ一杯分の水に溶け込んだ一粒の塩を見つける時、隙間なく溶接された鉄の箱の内側を透かし見る時、双子の兄に跪きながらその脳内を読み取る時、その目には何がどんな風に映っているのかと。
 抽象画や映画の特殊効果、特殊カメラで撮った千分の1秒の水流に炎。あらゆるものを例として見せて、ゴシックは説明を求めた。餌として押し付けたエクレアを幸せそうに食べながら、そしてゴシックが見せる画像や映像や写真にいちいち感動しながら、”千里眼”の雑用員は終始真摯に答えてくれた。

 視野は全方位360度。最大距離は3000キロと少し。
 光の多少によって視界の色が変わる。
 ピント操作は遠近のみでは到底済まず、深度と範囲と明度と縮尺に及ぶ。
 裸眼だと望む望まないに拘らず他人の考えが雪崩れ込み、それは距離が近いほど深く細かくなる。
 どのように見えるかは、


「こッちの絵と、」

 チョコまみれになった指が、病的に緻密なモノクロの幾何学模様を指す。

「そッちの絵を、」

 次に、3色の絵の具を梯子の上からぶち撒けたような抽象画を。

「重ねて二重にして、端っこをちょッと折って、あァ、そうそう。それがずーッとループして、ぐるっと、卵の殻みてェに覆ってる感じ」

 深度と縮尺のピント操作の感覚は、緻密な幾何学模様が全体像を崩さずに一部分だけ伸び縮みする様に近く、範囲と明度の方は、その上に飛び散った3色が模様の伸び縮みに合わせて色と透過度を変えるのに近い。
 思考を読むのは、鉛筆で描かれた精緻な幾何学模様を眺めながら、それを構成する線の一本の、鉛筆の濃度の違いに気づく感覚に似ている。
 それらが全て重なり合いループしてぐるりと全方位を覆っていて、視野は360度だから、歪まない魚眼レンズのようにそれを見ているのだと、幽利は言った。

 お手上げだった。

 要素の1つ1つは解っても全体像がさっぱり解らない。
 辛うじて一部分だけCGで再現した画像を指さし、完全に悔し紛れの負け惜しみで、ゴシックは嘘だろこんなの見てたら1時間で気が狂うわ、という内容のことを、600字に渡って喚き散らした。
 幽利はいつものように笑っていた。
 笑って、バレちまッたか、と肩を竦めた。


「ホントは、二重じゃなくッて五重なんだ」


 目について聞いたのはそれが最初で、最後の予定だ。





 幽利が30分かけて紙に書き写した”文章”を、コピーを元に手打ちでパソコンに入力しながら、ゴシックは長い長い溜息を吐く。

 言わずもがな、原因は隣に座っている幽利だ。間違いがあった場合すぐに訂正できるように、と未だ待機している雑用員は、淀みなくキーを叩き続けるゴシックを、動物園のパンダでも見るかのようにキラキラと興味津々な顔で見上げている。それも相変わらずお行儀よく揃えたお膝に両手を置いてだ。
 非常に鬱陶しい。そんなポーズが許されるのは、少なくともゴシックの価値観では、非合法な方のロリとショタだけである。


「……なんで間違えねェの?」
「はい愚問マジ愚問もう愚かなること山の如しで愚問でしかねぇわ。お前俺レベルのヤツにそれ言うってことはアレだよなんで息吸うと肺が膨らむんですか、って聞いてンのと同じだかんな?」
「そッか、……すげぇなァ」

 バッカじゃねぇの、という思いをたっぷり込めて、ゴシックは荒っぽく舌打ちをした。
 キーボードはゴシックにとって手足と同じだ。5歳のときに顔も知らない親に買い与えられてから、1日だって欠かすことなくこれを叩いてきた。脳内を0と1で具現化するにはセンスが要るが、タイピングに限ってはそんなもの必要ない。時間をかけて訓練すれば誰にだって出来る。

 それを、そんなことを、「すげぇなァ」なんて。よりにもよって2000キロ弱の距離を飛び越えてこの2万字を読み取って記憶した男が。バカだ。ここで素直にお前の方がよっぽど凄いと言ってやったって、それこそ2万字に渡って褒め称えてやったって、どうせこいつは困ったようにへらへら笑って礼を言うだけに決まっている。本当にバカだ。


「っつーかアレだよこんなもんよりお隣の女子高生の方がよっぽどすげぇだろこの世の真理的にもこのクソ面倒くせぇクイズの本命的にも。そうだよ確実にそっちを注目して然るべきだろ女子高生だぞ!?」
「あ……あー、えッと」

 くわっ、と目を剥いて叫べば、幽利は仰け反りながらもちらりと背後を気にする素振りをした。そう、幽利の左隣にはFが居るのだ。キュールの席である椅子にちょこんと腰掛けた女子高生は幽利が書いた暗号を前に、彼女が持つもう一つの肩書きを遺憾なく発揮している真っ最中である。
 ゴシックはこの後打ち込んだデータを片っ端から暗号解読プログラムにかけるが、解読するつもりは無い。何かの間違いがあってスパンと解読出来てしまうかもしれないから、そうなったらその方が圧倒的に早いから、一応、念の為に、仁王に怒られるから、やるだけだ。その仁王も泪も壱埜もキュールも、今やそれぞれ別件の為に外出している。誰も期待も心配もしちゃいない。

 皇国でも指折りの数学者がこの暗号文を見て一言、間延びした声で「おもしろそぉー」と笑った瞬間から、この謎解きの本命はオッズ100倍で決まっているのだ。


「だーかーらぁこんな誰にでも出来る軽作業初心者歓迎なんかじゃなくて女子高生を見ろよ、女子高生を合法的に至近距離で拝見できるんだぞ解ってるか?ただの女じゃ断じてねぇんだよオイ解ってるか女子高生だぞ!?」
「わ、」
「もぉー、ゴシックうるさぁーい」

 ゴシックの思惑通り、たじろいで椅子の向きを変えようとした幽利の頬に、間延びした声と共にウサギの耳が突き刺さった。ピンポン球ほどのウサギの首はなんと細身のシャープペンシルの頭にバネで繋がっており、幽利の頬をつつきながらみょんみょん揺れている。
 勿論、それを握るのはかの女子高生数学者様だ。


「おっま……なんだその筆箱に入ることをまるで想定されていない哀れな咎を背負った筆記具は」
「かわいいからいーのぉー。ってかぁ、そんなことゆったらぁー、ゆーりんが見づらくなるでしょぉー?」

 ぷくり、と片頬を膨らせて見せながら、Fはウサギのせいで振り返るに振り返れない幽利に「ねぇー?」と同意を求める。


「ゆーりんはぁ、こんなの見慣れてるもんねぇー?」
「い……いやァ、Fちゃんのもすげェと、」
「うっそだぁー、鬼利サンの方がぁー、もぉおおっとスゴイに決まってるしぃー。いーよぉ、気ぃつかわなくてー」
「どっちが、とかじゃなくッて、Fちゃんのは、」
「ゆーりんにとってはぁー、ゴシックのテクの方がオモシロいよねぇー?なのにぃそんなことゆったらぁ、あー、コッチも見なきゃーってぇ、ゆーりんが気ぃ使っちゃうじゃーん」
「Fちゃん、ゴシックもほら、集中できねェとかきっといろいろ、」
「集中ぅー?見られたくらいでぇー?えぇー、ありえなぁーい」

 きゃらきゃらと声を立てて笑うFの瞳が、幽利の肩越しにゴシックを射抜く。

「ねぇー?……へーきだよねぇ、ゴシックぅー?」
「……」

 ……あぁ、クソ!

 淀みなく指を動かし、いつもの通りFの視線を面倒くさそうに受け流す、フリをしながら、ゴシックは胸中で喚いた。もう少しで幽利の意識をFに向けさせられたのに。それを台無しにしただけでは飽き足らず逃げ道まで塞いでくるなんて、なんて丁寧なやり口だ。あぁ、これだから女というやつは!


「……あったり前だろうがそんなヤワな集中力してるわけねぇだろあんまナメてっと殴るぞいいのか言っとくけど怪我するのは俺だからな」

 拳など満足に握ったことのない手をひらひらさせながら誘導された言葉を吐けば、幽利は目隠しで読み難いはずの表情を解りやすく輝かせた。
 それに心底うんざりと舌を打ちながら、ゴシックは3台のモニターのうち、一番重要度が低いものを幽利の方へ向けてやる。“千里眼”相手には無意味だが、口で了承を言う代わりだ。この上更に本当にいいのか、邪魔にならないか、無理してないか、なんて気遣われた日には鬱陶しさが天を突く。

「オラちゃんと見ろよボケっとしてねぇで俺様に限ってまずあり得ねぇが万が一ミスタイプがあったら速やかに指摘しろ」
「いンや、一個もねェよ」

 メインモニターを埋め尽くす数字と文字の羅列を改めて見るでもなく、幽利はすんなりと即答した。へらりと笑って「やっぱりすげェよ」と呟く目隠し越しの視線は、キーボードに置かれたゴシックの両手の五指に向けられている。


「……そうだよなァ」


 のんびりとした声に我に返ったゴシックは、確かにキーボードの上にあった筈の自分の手が、熱いものでも触ったように胸元に引っ込められているのを見て目を見開いた。なんだこれ、と自嘲する言葉は声にならず、血色の悪い唇ばかりをぱくぱく動かしながら、声の主を振り返る。


 生傷の絶えない雑用員は寒気がするほど穏やかに笑って、その目隠しの奥からゴシックを見ていた。


「普段ココの“目”やってンだもんな。そりゃあ、一番解っちまうよなァ」


 あやすような声で言いながら、幽利はゴシックが動かしたモニターをぐい、と元の向きに戻した。さり気なくこちらを伺っていたFの視線が、伸ばされた幽利の腕に阻まれて途切れる。


「コレと同じだと思ッちまえばいいんだよ、ゴシック。こんなモンは、使いたい時に、好き勝手に使やァいいんだ。最初ッからそういうモンなんだから」


 すり、と幽利の手がモニターを撫でるのを見て、ゴシックは無理矢理に唇の端を釣り上げて見せた。よりにもよってただの量産型のモニターとその目隠しの奥にあるものを、よりにもよってゴシックの前で同列に並べる神経に目眩がする。
 ご存知の通りにその価値を知るゴシックにとっては吐き気がするような酷い冗談だ。メインパソコンの心臓部でもまだ足りない。足りるわけがない。

 ……ああ、解ってる、解ってるよ。お前はそういうヤツだ。だから俺は他の誰よりお前が嫌いだ。ネットに繋がった世界中のカメラを乗っ取ったって見えないものを見てるお前が、なのに平気な顔して立って喋っていられるお前が、どんな検査よりもクリアに本質を見抜くお前が大嫌いだ。


「…へ…ぇ、えぇええええ?そうかいじゃあ聞くけどよ“千里眼”さんよぉ」

 痺れたような舌を無理矢理回して、ゴシックは震える指を頭の後ろで組む。それがゴシックの定めたゴシックという人間に相応しい仕草だからだ。ゲームでも漫画でもアニメでも、キャラ崩壊は視聴者をがっかりさせる。現実も然りだとゴシックはそう思っている。大衆向け大ヒット作品くらいしか見ないような女子高生は尚更だろう。
 そう思うから、ゴシックは精一杯不遜に胸を反らした。貧弱なその胸板の“内側”にあるものを、見せつけるように。

「本当に俺が俺の自己満足だけの為に俺の思うようにそれを使いたい、っつったらどーすんだよ」
「……そりゃァ、」
「あぁそうだよ言っただろ俺の自己満足“だけ”の為にって。他にはなぁんの為にもなりゃしねぇんだンなこたぁ幼稚園のガキにだって解ってるんだよ」

 それでもか。吐き捨てるように言いながら、ゴシックは世間を知らない生意気なクソガキの顔で、きょとりとこちらを見上げる幽利を嗤う。答えなんて聞かなくても解っていた。こんなのは夢オチと同じくらい使い古されたネタだ。奥歯が情けなく震えていなければ、一生懸命気づかないふりをしてくれている女子高生様にこの後のシナリオを喚き散らしてやりたいくらいだった。

 ……なぁ、こいつが次にどんな顔すると思う。どんな医者も敵わない目を持ってるこいつが、他でもないこの俺に向かってどんな顔をすると思う。笑うんだよ。見てろよ絶対だ。安物のエクレアを餌に見え方を教えてくれとねだった時みたいに、2万字を読み取った時みたいに、へらりといつも通りに笑うんだ。


「あァ、勿論」



 ほらな。



 Fin.



幽利にビビるゴシック。

拍手ありがとうございました!

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