季節の彩りムースと瓶詰めプリン



「5、6、7、8、9、30―――」

 ずらりと壁を埋め尽くす小さな抽斗を順番に指さしていた手を止め、悦は大股で「30列目」の前に移動した。
 丁度、抽斗の左端と左足のブーツの側面がぴったり合わさるように立ち、人差し指を伸ばして1、2、とカウントを再開する。

「―――5、6、7、8、9、40……ん?」

 先程と同じように40列目の前に移動しようとして、悦はふと首を傾げた。大きく開いた両足で30列目と40列目の両方をキープしつつ、背後を振り返る。

「なぁ、さっき30だったよな?」
「あ゛ー!?」

 断続的に響く銃声に負けじと声を張り上げたのは、顔を煤で真っ黒にしたセピアだ。倒した机だの棚だのをバリケードに、銃座に設置した愛用の機関銃をフルオートでぶっ放しながら、悦の方を見ないままに「なんだってぇ!?」と怒鳴る。

「だからー、俺さっき30って言ったよなー!」
「さっきっていつの“さっき”だよ!」
「40より前に言った最後の十の位の数ー!」
「前に、最後の……わっかんねぇよ哲学か!いいから早くしろ!」
「俺に哲学なんて解るわけねぇだろ馬鹿」

 癇癪を起こしたようにがなり立てるセピアにやれやれと息を吐き、悦は眼前の“棚”に―――縦に50、横に100、小さな鍵穴の角度まで寸分違わず同じ形で並んだ抽斗の群れに向き直った。

 抽斗を片っ端からこじ開けるなり、数え終わった列を叩き潰すなりして探せるのなら、悦だって心の底からそうしたい。マジックで印をつけるだけでも、今よりは随分と楽になるだろう。それをせずに地道に数えているのは、この棚に鍵以外のものを触れさせれた瞬間に、今悦が立っているこの場所が半径2キロの爆心地になるからだ。


「んー…」

 ぐしゃぐしゃと面倒くさそうに蜂蜜色の髪を掻き回し、悦は唸りながら自分の左側を見る。10列を一歩として来たことを考えると距離的にも40で合っている気がするが、やはり確信は持てない。間違った抽斗に鍵を挿してもここは爆心地だ。
 数え直すのが一番の安全策だが、さっきからセピアがいつにも増して喧しい。この“棚”の所為で敵方は大きな動きは出来ない筈だから、きっと残弾が少ないのだ。


「……よし」
「見つけたのかッ!?」
「多分40で合ってる」

 小さな呟きを聞きつけて振り返ったセピアの口が、厳かな悦の宣言を聞いてぱかりと間抜けに開く。

「た、多分ってなんだ多分って!解ってんのか間違ったら吹き飛ぶんだぞ!?」
「大丈夫だって、煩ぇな」
「待て待て待て待て!悦、早まるな!」
「足止めしてろ馬鹿」


 今にも銃を放り出して来そうなセピアを低い声で制し、悦は鋭く棚に視線を走らせる。目当ての抽斗は左から40列目の上から22段目。口の中で小さくカウントをしながら瞬きせずに視線を下ろしていった悦は、中程より少し上にある抽斗のひとつでそれを止めると、ポケットから取り出した一見ちゃちな、それでいて内側に超高度技術を埋め込まれた真鍮の鍵を、セピアが叫ぶ間もなくするりと鍵穴に差し込んだ。
 カチリ、と回されたそれにセピアが、そしてその様を廊下の角から鏡越しに見ていた追手の何人かが反射的に目を瞑る。ただ1人、鍵を回した悦だけは目を開けたまま、カシャンと飛び出してきた抽斗を見ていた。

 そろそろと目を開いたセピアは、何の躊躇いもなく抽斗の中に腕を突っ込んでいる悦を見て今度こそ悲鳴を上げかけたが、死に際の鶏じみたそれが発せられるより先に、腕を引き抜いた悦が叫ぶ。


「割れ、セピア!」
「あ゛ぁあ!?」
「殴れ!」

 引っ張りだしたもの―――古ぼけた手のひらサイズの黒い手帳を専用のケースに放り込みながら、悦はセピアの方を見ずに走りだす。瑠璃色の視線の先にあるのは、機関銃の一斉掃射程度では穴ひとつ開かない特殊防弾ガラスを2枚重ねた窓だ。

 アクション映画ばりの体当たりをかました所で砕けるのはぶつかった側の全身の骨だが、5歩でトップスピードに乗った悦がその俊足を緩める気配は無い。速さが命である悦の装備は全身に隠し持った数十本のナイフと銃と“標的”、あとは予備の弾とレーションと救急キットを詰めたナップザックだけで、執拗に堅牢な窓を破れるだけの火力は何一つ持っていなかったが、躊躇いは無かった。そんなものは必要無いからだ。


 冗談のように不運でいくら場数を踏んでも情けなく喚き散らす元軍警員ではあるが、片腕と両足にミサイル並の膂力を備えたあのヘタレは、こういうタイミングだけは外したことが無い。


「こぉんの馬鹿野郎が知らねぇからな!」 

 窓まであと3歩の位置で、バリケードのあった位置から一飛びに空を渡って悦を追い抜いた”相棒”が喚く。伸ばされた生身の方の腕で悦のベルトを掴み、強引に半身を開かせて窓との間に自分の体を割り込ませた瞬間、セピアは人工皮膚すら張っていないもう片方の”腕”を振りかぶっていた。
 思惑通り、強化硝子は二枚一緒に粉々に砕け散り―――片腕を上げてその破片から目を庇いながら、悦はセピアと共に地上5階の窓から飛び出した。










「……だから言っただろうが……」

 鬱屈とした声でぼやくセピアに、悦はいかにも面倒くさそうにちらと視線を寄越した。
 煩ぇ黙ってろヘタレ野郎、とその瑠璃色は雄弁に語っていたが、じっとりとそれを横目にしたセピアは尚もぐずぐずぼそぼそと言葉を継ぐ。

 窓を叩き割った所までは良かった。3つ用意していたルートは既に塞がれていたからだ。
 2人が仕事を終えるまでの36分間、駆けつけてくるであろう軍勢の包囲網を広げておくのは肆級の3人組の仕事だったが、セピアが念のためにと用意しておいた銃座を組み立てた時点で、役立たずの傭兵崩れ共が死んだか逃げたかしたのは確実だった。あの小部屋からの脱出経路は既に窓くらいしか無かったし、セピアの“腕”がそれを叩き割った事は間違いなく敵方の意表を突いただろうが、問題はその後だ。


「突入部隊があれだけ揃ってるんだ、外なんざ二重にも三重にも固められてるに決まってるだろ」


 セピアが腕と同じく極限までカスタマイズした両足をくるぶしまでコンクリに埋めて、生身の悦を抱えたまま地上に降り立った時には、絵に描いたような包囲網が完成していた。

 だからセピアは、てっきり自分に窓を割らせて共に飛び降りた、と見せかけてそのまま部屋に残るなり、天性の身軽さですぐ上の屋上に潜むなりして、目立つセピアを囮にするつもりだとばかり思っていた悦が大人しく抱えられている時点で、「なんで居るんだよ!」と絶叫していた。無理矢理にでも屋上にぶん投げてやろうかとも思った。だが、地上5階の距離は体重300キロを超すセピアの落下速度に対してあまりにも短すぎたので、結果としては半円状に自らを取り囲む銃口に向かって「居るんだよ!」と謎の宣言をする形になった。

「あんな連中数に入らねぇって、お前が言ったんじゃねぇか。それをなんで……」
「……」

 尻すぼみに言葉を切って、セピアは深く深く溜息を吐く。今度こそ面倒くさそうに顔を背けた悦は、ずらりと並んだ銃口を前にあっさりと投降して、さくさくとこの護送車に乗り込んだ時と同じく、何も言わなかった。

 きっとなにか策があるのだろう。簡易シートすら無い、後部をぶち抜いて鉄格子と扉をつけただけの装甲車にガタゴトと尻を殴られながら、セピアは蜂蜜色の髪に半ば隠れた相棒の横顔を伺う。大人しく、囚えられた間抜けな賊のお手本のように不貞腐れた顔で座ってはいるが、この男が何の策も無しに大人しく両手を、それも銃口の前で上げるようなタマでないことをセピアは良く知っている。

 だからきっと、逃げ出す手立てはある筈だ。それをセピアには一切伝えていないだけで、きっと悦の頭の中にはZ地区仕込みのド外道な図面が引かれているに違いない。もしかしたらその両手を戒める枷の鍵すらもう解いているのかもしれない。市街地へと向かうこの車の前後には、同じ作りの装甲車がその中に10人からの荒くれ軍人を詰め込んで走っているが、その全てをさっくりと血祭りに上げて適当に逃げ出す算段が。
 相変わらずセピアの枷は外れる気配もなく、機械体部品の制御システムに食い込んだそれのお陰で両足と片腕はただの鉄の塊と化し、標的の入ったナップザックは奪われてどこぞに持って行かれて、例え逃げ出せたとしたって任務の失敗は確定だが、もしかしたら、恐らく、きっと。

 ……あるのか?そんなもん。

「……おい、悦」


 冷静に考えれば考えるほど八方塞がりにしか思えず、セピアは低く囁きながら悦の肩を車の揺れに乗じて小突く。ついでにさり気なく枷の嵌った手首を悦の方に寄せて見たが、鬱陶しそうに肩を押し返してきた相棒は顔を背けたまま、こともあろうに溜息を吐いた。
 ヘタレな元軍警員の焦燥を煽るには十分な、実に面倒くさそうで覇気のない溜息を。

「おい、おい待てよ、まさかお前、お前本当は」
「……」
「し、洒落になんねぇだろそれは。なぁ、おい、悦!なんとか―――」

 なんとか言いやがれ、と焦燥に任せて喚こうとしたセピアを止めたのは、勢い良くその横っ面を殴りつけた銃把だった。

『煩ぇんだよ××××野郎が!黙りやがれ!』

 手加減もなにもあったものじゃない一撃に一瞬視界を白く飛ばしたセピアを口汚く罵りながら、監視役として共に乗り込んでいた軍人が再び銃を振りかぶる。
 軍人というよりはヤクザの鉄砲玉のような面構えのそいつは、日常会話程度ならムル語を話せるセピアにも聞き取れないようなスラングを吐き散らしながら更に数度セピアを打ち据え、口内を切ったセピアが折れた奥歯の混じった血痰を吐き出してようやく、ふーっと息を吐いて一歩下がった。

『×××××ッ』

 恐らくクソ野郎、的な意味合いの罵声と共に、ぺっと吐き捨てられた唾が横倒れになったセピアの頬に当たる。
 生温い感触は勿論気持ちのいいものではないが、元軍警員のセピアにとっては慣れたものだ。小さな格子窓越しの運転席側の視線が目の前の軍人を諌める気配が無いのを確認して、制御を失った所為で文字通り鉛のように重い腕をなんとか動かし、挑発のために頬を肩で拭う。

『あぁ?ンだよその目は。この×××が、てめぇの立場解ってんのか!?』

 案の定、激高した軍人が再び銃を振り上げるのを見て、セピアは内心でこっそりと嗤った。除隊になった半端者ではあるが、伊達に皇国で軍警をやっていたわけではない。人格否定どころか人間の尊厳そのものを奪うような罵声や暴力の類には、とうに耐性が出来ている。
 恐らく、この軍人は車内に居る中で一番の下っ端だ。そして運転席と助手席の2人の反応を見るに、この国の“軍隊”の内情はセピアが知る頃のそれと変わっていない。セピアが息さえしていれば、発砲でもしない限りこの暴挙が止められることはないだろう。ならば、打たれ強いセピアのやることは一つだ。

 殺されない程度に反抗的な態度をとって嬲られ役を演じ、目の前の男の注意を悦から反らす。

 縄抜け不意打ちの類は悦が最も得意とする所だ。5、6発も殴られていれば、きっと悦は調子に乗った軍人の喉笛を死角から音もなく裂くだろう。セピアの戒めが解ければ直径数センチの鉄格子など紙っぺらだ。そこから先はどうとでも出来る。

 思わぬ突破口が見つかったと、セピアが内心でほくそ笑みながら振り下ろされる銃把に備えて残った奥歯を噛み締めた、その瞬間。


『……やめろ』


 規律も誇りも経験も薄っぺらな軍人モドキには到底出せないドスを効かせたムル語が、セピアのこめかみに振り下ろされようとしていた銃把の照準と、セピアの計算を狂わせた。

 勿論、言ったのはセピアでは無い。我関せずと世間話をしている運転席側の2人でも無い。恐る恐ると聞き慣れた、あまりにも聞き慣れた声の主を振り返ったセピアは、その主を見て―――いや、正確にはその声の主が手枷を外すどころか隠しナイフの一本すら出さず、射殺しそうな目でただ軍人を睨んでいるのを見て、本日二度目の絶叫を上げそうになった。


『……あ゛ぁ?』
『やめろ、って言った』


 困惑と驚愕のあまりに血走った目を剥くセピアを尻目に、悦は拙い発音で繰り返す。まるで相棒への暴挙に耐えかねたようなその険しい表情に、セピアはすぅっと目の前が白くなるのを感じた。とても理解が追いつかなかったのだ。

 自らが放った銃弾がセピアの耳を掠めたって、ナイフの切っ先が肉を少しばかり削ぎ落としたって、悪びれるどころか「避けろよグズ」と言い捨てるあの悦が、こんなことで激高するとは思えない。だが折角のお膳立てを滅茶苦茶にしてまであんな演技をする理由もまた、セピアには解らない。ついでに言えば掛け算も出来ない悦が片言とはいえムル語を喋れる理由も解らないし、このタイミングでそれを披露した理由もまた解らない。


『それ、俺に言ってんのか?クソ×××』

 もぅやだ、意味わかんない、と当惑のあまりに某女子高生並に言語退行を起こしたセピアを余所に、セピアの頬から反れて装甲車の床を殴っていた銃把がゆらりと浮く。
 無抵抗な獲物を嬲る歓びを隠しもしない下衆な軍人は、唇を歪めたままゆったりと、これ見よがしにセピアの腹を蹴飛ばしながら悦の前に立った。

『聞いてるぜ、お前、犬にも××な×××××なんだってな』

 神経を逆撫でする猫撫で声で言って、伸ばされた銃口がゴツ、と鈍い音を立てて悦の額を突く。
 銃口と肌の合間からたらりと赤いものが垂れるが、悦は眉一つ動かさず、代わりに腹を蹴られて小さく息を詰めたセピアを横目にした。
 その表情を真正面から見る男の前で、まるで気遣うように、“図ったようなタイミングの良さ”で。

『へへっ……そうかそうか、成る程なぁ』

 途端に下卑た笑い声を上げてしゃがみこんだ男を、内に溶岩を溜めたような瑠璃色が見据える。


 初めて見る目だった。



 お気に入りのナイフを砕かれた時も、“仲間”の不始末で肩を撃ち抜かれた時も、恋人とのデートをヤク中に潰された時だって、悦はこんな目をしたことは無かった。そんなものは、彼が育ったあのゴミ溜めでは真っ先に切り捨てられるべきものだからだ。

『こいつが今のイロってわけだ。はぁン、××××だと聞いてたが、意外と忠犬なんだな』
「……」
『なぁに、心配は要らねぇよ。こっから出て扉を3つもくぐれば、お前とそこの木偶は本当の意味で”一緒”になれる。細胞まで××になっておんなじ下水を流れるんだ、最高だろ?』

 ひひっ、と引き攣った笑いを零して、男は投げ出された悦の足の間に片膝を突く。嵩張る自動小銃を投げ出し、代わりに腰から抜いたマグナムを悦の股座に押し当てながら、軍服を着た木偶は酔ったような目を細めた。

『あぁ、なんならその前に”ショー”を開いてやったっていいぜ。人生最後の晴れの舞台ってやつだ』
『……退け』
『ノリが悪ィな、慣れたモンだろ?その可愛い面が×××××になってる所を、』

 無遠慮に伸ばされた手が滑らかな悦の頬を撫で、戯れに蜂蜜色の髪をかき上げ、指先がその耳朶を掠めた、その時だった。


「あっ……」


 エンジン音に掻き消されそうな微かな声が、その瞬間に備えてバネのように弛められていたセピアの全身の毛を逆立たせた。

 感覚で言うならそれは、かつて商売女と戯れに媚香を吸った時とのものと似ていた。どっと鼓動を早めた心臓が溢れるほどに血を血管に流し込み、全身の毛穴がぶわりと開く、化学物質による強制的な興奮と、柔らかな雌の裸体に喰らいつきたいといきり立つ、動物的で原始的な欲求が一緒くたになって理性を千切り飛ばした、あの時と。

 ひとたまりもない。

 悦は両手と両足を拘束されている。急所の上にある銃口を握っているのは自分で、同僚は己の暴挙を囃しこそすれ諌めることはなく、おまけに軍閥が幅を利かせるこの国の“軍”では虜囚は玩具と同意語だ。絶対的優位に立っている、とあの新兵は信じて疑わない。

 そんなお膳立てをされた上で、あんな声を出されたら。

 ひとつ瞬きをした後には瞳の内にあったものを煮立った溶岩から蜜へと変え、目尻を朱に染め、刺すような眼光を無垢な処女のように伏目がちに落とした、“鴉”の稼ぎ頭であった元男娼の横顔を、見てしまったら。


『俺たちにも……見せて、く……』

 びくりと手を引いた男の声が不自然に途切れる。傍目に見ても解るほど大きく喉仏を上下させて、“Z地区の元男娼”に関する予備知識が絶望的に乏しい軍人は、酔漢のようだったその目をますます濁らせた。
 澱んだその目に映っているのは、最早悦だけだった。

 己が何者なのかも忘れ、愚者はヤク中のように震える指を尚も伸ばす。獣にも劣る節操の無さで、絹のような蜂蜜色と、滑らかな白磁の肌に触れようと。

 命綱であった、マグナムの引き金からも指を離して。

 その後は一瞬だった。
 分不相応に立派なマグナムは手枷の端であっさりと弾き飛ばされ、無能がその事実に気付く前に、悦はチェックされた筈の袖口から抜いたナイフで男の喉を深々と裂いていた。
 噴水のように吹き出した血が蜂蜜色の髪の一部を汚し、血泡を吐きながら喉を掻き毟った男が倒れ込む頃には、悦は枷が嵌ったままの体を身軽に起こして対面の壁に凭れている。結局その髪の一房にも触れられぬまま、尚も濁ったままの目で血泡を吐く男には最早一瞥もくれず、悦は腕枷で装甲車の内壁を二度殴った。


「さっさと寄越せ、このグズ」



 運転席に向かって皇国語で吐き捨てたその瑠璃色は、既にいつものように凪いでいる。

『先に段取りを壊したのはそっちだろうが』
『うるせぇ××××。よりにもよってこんな××乗せやがって』
『仕方ねぇだろ。そいつは、』
『黙れよ×××××、××と××××させられてぇか?』

 舌打ちと共に小さな格子窓から投げ込まれた鍵束を受け取り、悦は拘束された腕で器用に両手足の枷を外すと、未だ血反吐を吐きながら微かに蠢いていた男の頭を拾った自動小銃で撃ち抜いた。
 きっと死の瞬間まで、己の身に起こった事を理解出来なかったであろう憐れな男を。

『シートはあるんだろうな』
『“約束のもの”と引き換えに、だそうだ』
『てめぇが×××ブチ抜いて犯したガキにでも祈ってろ、って伝えとけ。お前等のご立派な××大佐殿にな』
『……あまり調子に乗るなよ。お前は所詮、』
『黙れって言ってンだよ××××。俺は×××と×××××する趣味はねぇんだよ』

 低い恫喝をはン、と鼻で笑い飛ばして、悦は自動小銃と鍵束を放る。
 金属の輪に6つの鍵が括られたそれがカシャン、と目の前で跳ね、ようやくセピアはただ悦の挙動を追うだけだった両目を瞬いた。
 着けた時と同じように男娼の仮面を一瞬で脱ぎ去り、ただの筋金入りの外道の顔で額の血を拭っている悦を、先程堪えた分も含めて一度ごくりと喉を鳴らしてから、まじと見つめる。

「……悦、お前」
「あ?」
「ど、どこからだ?」
「なにが。っつーか早く外せよグズ」

 緊縛の趣味でもあんのか、そう言って気色悪そうにセピアを見下ろす悦は、腹立たしいまでにいつも通りだ。
 思わずその喉を凝視するが、滑らかなムル語と皇国語の罵声を吐き捨てるあの喉から、何をどうしたらあんな声が、あんな媚薬並に男の性を逆撫でする声が出るのか、セピアには全く解らない。喉に特殊音波を含ませた小型スピーカーでも仕込んでいるのだろうか。


「つ、つまりはだ」

 もたもたと両手の枷を外しながら、セピアは身を起こすついでを装って一度悦から視線を外した。視線で運転席側を示しながら、自分の頭の整理をつけるために分かりきったことを確認する。

「あいつ等とお前はグルだったってことだ。そこの馬鹿以外は」
「……」
「そうじゃなけりゃお前が大人しく捕まる筈ねぇもんな。うん。この国じゃあの場で銃殺刑だっておかしくないんだ、そりゃそうだ」

 うんうん、と頷きながら喋るセピアを、悦は「どこまで察しと頭が悪いヘタレだよ脳味噌も部品にしとけ」と言わんばかりの顔で半眼にしていたが、セピアは気にせず続ける。

「それで、さっきのあれは……まあ、いいとして、この話が一切合切全て1ミリたりとも俺の耳に入ってねぇのはどうしてだ?」
「グルだって話?」
「俺はお前と違って依頼書は熟読するんだよ。軍を抱き込んであるなんて一行も書いて無かったぞ。第一、手ぇ組んでるならあの3人は完全に無駄だろうが。見せ弾か?」
「そりゃそうだろ、俺が言ってねぇんだから」
「……は?」

 けろりと言ってのけた悦を、四苦八苦しながら足枷を外していたセピアは思わず見上げた。
 それはなにか、伝達を怠っていたとかそういう意味か、と血走った目で問うセピアを面倒くさそうに見やりながら、悦は未だに前後を装甲車に挟まれたまま、舗装もろくにされていない山道を走っている護送車の運転席を顎でしゃくって示す。

「こいつらの上司の上の、上の……あと2つ上くらいの奴が俺の昔の客なんだよ」
「客、って……じゃあお前」
「あそこ国有だろ?流石に動かさねぇわけにはいかねぇだろうから、そうなったらよろしく、って言っといた。昨日」
「昨日!?」
「代わりに雑魚3匹とられたけどな。別にいいだろ、鬼利だって好きに使えって言ってたし」

 そう言って悦は壁伝いにずるりと体を落とし、その下がシートも何もない、車の振動をダイレクトに伝えてくる鉄の板であるのを横目で見て、しゃがみかけた体を起こした。振動をものともせずにセピアの前を横切り、先程自らが息の根を止めた男の上に改めてどかりと腰を下ろす。



「鬼利がわざわざ言ったんだ、そういうことだろ?」
「そりゃ、まぁ……そうなんだろうが……」
「ンだよ」
「裏に手ぇ回すとか、お前、そんな策謀めいたこと出来たんだな……」
「策ぅ?」

 しみじみと失礼なことを呟いたセピアを、悦は死体の服で拭ったナイフを袖口にしまい込みながら胡乱げに見遣る。

「馬鹿かお前。策……ボウ?ってーのはもっとこう、鬼利みたいなやつだろ」
「策謀は人名とか役割じゃねぇぞ」
「わぁってるよ。だから、鬼利みたいな……始まる前に全部終わってました、みたいな、そういう風にするやつだろ」
「大掛かりなやつはな。確かに規模は違うが、お前がやったことだって十分に、」
「ねーよ」

 素直なセピアの賞賛を無碍に遮って、悦は面白くもなさそうな顔で吐き捨てた。


「使えねぇクズの命3つで俺とお前を買ったってだけだ。ガキでも出来るお使いじゃねーか」
「……あぁ」


 あまりにも当然のことのように言うものだから、セピアは悦が座っている死体を見ながら頷いた。
 自分が彼にとって“売る側”では無かったと、今日はまだそうではなかったという事実を噛み締めながら、外した手枷を握り潰す。

「そうだな」


 ……お前が生まれ育った場所では、そうだったな。


「そーいやお前、飛行機って乗れんの?」
「エコノミー以外ならな。訓練は受けてるから運転席にだって座れるぞ」
「機体傾かねぇ?」
「車じゃねぇんだ、それくらいで傾いてて空が飛べるかよ。シートってマジのシートか?」
「うん、プライベートジェット。手帳は先に乗ってる」
「ご、豪勢だな」

「じゃねーと出国できねぇだろ。空港は財閥のハゲが押さえてっから融通効かねーし」
「そりゃそうだが……すげぇな、そんなモンまで動かせるのか」
「あのデブのだから黒に金ピカで趣味悪ィ上に狭ぇけどな」
「いや、プライベートジェットってそういうもんだろ。定員少ねぇからこそだろうが」
「でけぇ方がテンション上がるじゃん。飯選べるし」
「いやいや……牛か鳥か選べるよりフルコースの方が価値は上だろ、どう考えても」
「俺はムースより瓶入りのプリンの方がいい」
「そういうトコだけは庶民的なのかよ」


 大真面目な顔で断言する悦に苦笑して、セピアは急な重心の移動で車が傾かぬように、ゆっくりとその背を壁に預けた。

「……俺には解らねぇよ、お前の価値観は」

 2つの意味をこめて呟いたセピアを、流れ出した血が靴に着かないように死体の上で胡座をかいた悦がきょとりと見返す。

「そりゃそうだろ」

 翳りも曇りもない澄んだ瑠璃色で、死線を超える術と甘味以外にはとことん疎い壱級指定賞金首は、小動物染みた仕草で不思議そうに首を傾げて言った。


「俺とお前は、作りが違うんだから」


 それは全くもってその通りだったので、セピアはそうだったな、と笑った。



 Fin.



なんてことない悦のお仕事風景。
外側も内側も作りが違うセピアを添えて。

short