ヒュイッ、と秋晴れの空に響いた懐かしい音に振り返る。
”鴉”の伝達係が使う指笛の音だ。その高さと長さが仲間に「ここだ」と告げる時のものだと、そう思い出す前に音の出処である道路向かいの路地を見た悦は、そこから小走りに駆け寄ってくる人影に目を細めながら袖のナイフを握った。
腰と背中に拳銃が2丁、右利き、仕掛けベルト、タータンチェックの防弾ベストを兼ねたスリーピースに、顔の上半分に影を落とす中折れ帽。
「……ん?」
いつでも逃げ込めるように左手で今出てきた果物屋の扉を開けたまま、曖昧な既視感に首を傾げる。”二周目”にはそういない派手なスーツはいかにもマフィアの出世株のようだが、こんな地の底でも”空”と同じくお手本のような三竦みの陣取り合戦をしている奴等の縄張りは隣のF地区までの筈だ。
E地区の顔役である現肉屋で元始末屋の親父が死んだとも下りたとも聞いてないし、三竦みのどこにもあんなに若い客は抱えていない。マフィアという推定を外したとしても、年齢的に当てはまる野郎はどれも護衛も付けずにこんな所をほっつき歩けるような血筋にない若造ばかりだ。
でもなんか寝た気がする。とりあえず両手で足りないくらいの回数はシーツの上で見た事がある気がする。
「んん……?」
「……!」
銃で来るなら後ろへ、近接で来るなら前へ、いつでも飛び出せるように腰下を整えながら悦が頭の中で朧気な顧客リストをめくっていると、久しぶりに贔屓の男娼を見かけたにしては純粋な様子で駆けて来ていた男は徐々に足を緩め、悦が一息に間合いを詰められる距離で完全に止まると、軽く両手を広げて見せた。
俺だよ!と言わんばかりの仕草だ。誰だよ。
「んんーー……?」
「……!!」
わっかんねぇ、の意味を込めて反対側に首を傾げて唸る悦に、野郎はやはり無言のまま、頑張れ!とでも言いたげにぐっと前屈みになって拳を握る。帽子の影から覗くすっきりとした一重の鳶色の瞳が、期待を込めて悦に思い出して貰うのを待っている。飯待ちの犬ってこんな顔してたな。既視感はそれだろうか。
……犬?
浮かんだキーワードの後ろに一昨日見た動画のバカでかいサモエドの笑顔と、常時目隠しの友達と、そしてもう1つ”古巣”の顔が浮かび、あっ、と悦は声を漏らした。
「……ジュード?」
「そうだよっ!このクソビッチが!!」
気障ったらしいスーツに似合わない声量で喚いた男―ー―元”鴉”でジゴロでセフレのジュードが、ボディビルダーの飼い主を笑顔でなぎ倒していたサモエドのように両手を広げて抱きついてくるのを、悦は袖にナイフをしまいながら道路側に一歩出て避けた。
相変わらず鈍間に両手をスカした頭からひょいと取り上げた帽子の下にあったのは記憶の通り、右のこめかみに天然の白メッシュが入った黒の癖っ毛と、記憶のそれよりも少し大人びて見える男の顔だ。
「いつだ、いつ思い出した、こんにゃろ!」
「お前が馬鹿みたいな顔した時」
「あ゛ぁん!?」
ばたばたと手を伸ばすその頭にぺしんと帽子を投げ返しながら、帽子ではなく首元に伸ばされた腕を今度は避けず、襟元を捻り上げて来そうな声とは反対にぎゅう、と抱きついてくるデカい身体を受け止める。
「その小憎ったらしい小悪魔スマイルもひっさしぶりだなぁオイ!元気だったかよ悦!」
「誰が小悪魔だ、声でけぇんだよバカ。あっ、止めろ浮かすな!」
195の上背を屈めず自分の高さに引き上げようとする大型犬に、悦は爪先立ちになりながら軽く膝を入れた。おぅ、だかあぅ、だか大袈裟にリアクションをして手を離したジュードの襟元には、二周目の東側で三竦みをしている連中より1つ上層の、スカートレットファミリーの紋章を入れたバッジが光っている。
皇国の隣の大陸の北半分を仕切る古株なマフィアは女系一族で、入婿のファーザーではなく血統のマムが頭目だ。男に取り入って金を引っ張る男娼とは丁度反対に、ジゴロとして女に取り入って金と寝床を引っ張っていたジュードは、娼婦から辿りに辿って行き着いたそこの”女帝”に囲われて5年前に”街”を出た。
しばらく音信不通でどの女の元にも顔を出さないから、てっきり死んだものだと思っていた。お気に入りのツバメに相応しい派手で仕立てのいいスーツだけでなく、まだバッジをつけている所を見るに、そこを叩き出されて出戻りして来たとか、構成員に格下げされたとかいう訳では無いらしい。
「てめぇ……久しぶりに会った兄貴分に随分なご挨拶じゃねぇか……」
「なんでお前がこんなトコ居るんだよ。今は”空”じゃねぇの?」
「おう……フルシカト……」
大して効いていない癖に大袈裟にデカい体を屈めていたジュードが大袈裟に嘆き、一番のトレードマークを隠す帽子を被り直しながらようやっと背筋を伸ばした。
そうしてしゃんとしていると、悦よりも頭一つ分高くて肩幅の広い、肌の白い体に派手なスリーピースがよく映える。
「出向してんだよ。隣のシマで枝がちょっとゴタついてっから、もう頭同士でケリつけた方がはえーだろって。兄貴達はこの辺慣れてねぇから、古巣の俺が風見鶏ってワケよ」
「なんだ、ヒスった女帝に”底”まで蹴り落とされたんじゃねーのか」
「そんなヘマするか!」
わざと残念がるような声音で言ってやれば、デカい手でバシンと、音の割に痛くない加減で背中を叩いて来たジュードが自然な仕草で歩き出す。背に添えられたままの手に従ってその隣を歩きながら、悦は素早くタイルが所々欠けた路地を見渡した。
”街”の各所に馴染みの女がいるジュードは顔が広い。お行儀の良い”空”育ちの日陰者が”街”に呑まれて部位ごとにバラ売りされないよう、各所にチップを握らせて回っているのだろう。そういうお役目ならこんな中途半端な所をほっつき歩いているのも納得だが、その割にはお守りをしている兄貴達とやらの姿がどこにも見えない。
「今はちょっと空いてんだよ。昨日ミミナの店で飲みすぎて全員潰れてっから、夜の会合までフリー」
「あぁ。……俺も」
目端の利くジュードが先回りして言うのに、悦はパーカーのポケットから端末を取り出しながら頷いた。昼前に戻っている筈の傑に「ダチに会った。飲んで帰る」と端的なメッセージを打って、背中から肩に腕を回す幼馴染の頭一つ高い鳶色を横目に見上げる。
「ダードの店でいいか?」
「おー」
「あのアル中オヤジ起きてっかなぁ……連絡入れとくか」
「シシーに言えば大丈夫だろ、ダード耳遠いから鳴らしても気付かねぇよ」
「えっ、あいつらまだ続いてんの!?」
「続いてんだよ、それが。先月娼婦連れ込んでんのバレてまた薬指折られてたけど」
「ひえー、よくやるなぁ」
素っ頓狂な声を上げながら端末を取り出し、数手の操作だけで直ぐにそれを耳に当てながら、ジュードは肩に回していた手を背中側から悦の左腕に伸ばした。
「やっほーシシー、寝てた?」なんてタラシらしい気軽さで昔の女に通信しながら、長い腕でそこに引っ掛けていた悦のトートバックを持つ。上が青くて下が赤い林檎がごろごろとすし詰めになった、その重さにほんの少し長身を傾かせながらも、慣れた仕草で悦の腕からそれを預かって自分の右腕に提げた。
―――強い方がやる。弱い方は助ける。
女用のエスコートが職業病的に染み付いているような行動に見えるが、実の所それは「強い方」である悦が機敏に動けるように補佐をする、合理的な”鴉”の作法だ。いつでも仕込みナイフや銃を抜いて横のデカブツを射線外に突き飛ばす為に必要な筋肉を必要な分だけ緊張させながら、悦は空いた両手をだらりと下ろして目を細める。
「……ふふっ」
図体の割に緩い体幹。女といつまでも会話を続けていられるやや高い声。くるくると子どものように表情を変える鳶色の瞳と、その眉上でふわふわしている緩く巻いたような癖毛。
斜め下から見上げる、もう見られないとばかり思っていたその景色が懐かしくて、通信が漏れ聞こえたフリをして思わず笑った。
「で?お前はどうなんだよ、最近」
ヘアカーラーを付けたままの内縁の妻がアル中店主に変わって開けてくれた、馴染みのバーのテーブル席にロックグラスを2つとウォッカの瓶を置いて、ジュードは身を乗り出す。悦も寝てはいないが顔見知りなので、内鍵を閉め直したシシーは欠伸をしながら2階の自宅に引っ込んだ。
「こんなトコまで買いに来なくても、林檎なんて一周目にいくらでもあんだろ。まだILLだよな?」
「ああ。浅瀬に売ってるヤツだとパイにするには甘過ぎんだよ、1回砂糖で煮るから」
マフィアのように分かり易く所属を示すバッジの代わりに、袖から手首と肘関節で抜いたナイフで酒瓶の上部を栓ごと切り飛ばして見せて、悦は瞬きの間に消えた栓に目を見開いているジュードのグラスに酒を注ぐ。
「へぇー……お前、なんか顔色いいな。いい肉ディルドでも見つかったか?」
「……ん。まぁ、うん」
「ウッソだろおい、マジかよ」
傑は間違ってもディルドなんて呼べるようなタマでは無いが、底辺育ちの間でのその下衆な蔑称は文字通りの棒から照れ隠しの恋人まで、実に広い幅を持っている。隠すような仲でもないし、と素直に照れ隠しの方の意味で頷くと、ジュードは悦のグラスに酒を注ぎながら大きく身を乗り出した。
「ちょっ、溢れる」
「どーりで人妻みてぇな面になってるワケだぜ、あのビッチ様が……」
「なってねぇよ」
「なってんだよ。さっきメッセ打ってたのが旦那だよな、同じ所属か?何系のクズ?」
危なっかしいバカ犬から取り上げた瓶を置き、掲げられたグラスの底をチン、と打ち鳴らして酒を飲みながら、悦はうーんと首を捻る。
そのものズバリの種族名を伏せて何系、と言われると難しい。罪状は上げればキリが無いが、傑の場合は悦や他の賞金首と違って、特定の違法行為の所為で首に値札をつけられた訳では無いからだ。
「あー……存在系?」
「お前と同じか」
「ンなわけ」
謎解きが好きなジュードが真っ直ぐにこちらの目を覗き込みながら言うのに、氷も入れていないグラスを半分空けて首を横に振る。この首についた値の8割くらいは悦が悦として持っている各界の首領と呼べる男達への影響力によるものだから、そういう意味では悦も存在自体に値札がついていると言えなくもないが、それでも絶対に同じなんかじゃない。土俵が違う。
「向こうのが上」
「額が?」
「格も」
「んん゛ー……」
敢えて一般的に賞金首のランクを表す「階級が」とは答えずに鳶色を覗き返すと、今度はジュードが首を捻った。目を合わせたままスーツの胸ポケットを探って煙草を取り出し、ぱん、と中指で弾いて10年前から同じ銘柄のそれを箱から一本咥えて抜き取って、ジッポで火を付ける。
「……零級?」
「……」
紫煙を遠ざける為に上体を起こしたジュードが潜めた声で呟くのに、悦は正解と答える代わりにニヤリと笑って見せた。公的には壱級までしか存在しない賞金首の最上位の存在は、”街”に巣食って賞金首を餌にしていた”鴉”にとっては常識だ。
そして、その零級の1人がILLに何故だか飼われていて、積む金と理由次第では業界の暗黙の了解や組織間のしがらみの一切合切を力技で更地にしてくれるのも、裏社会に生きる者達にとっては常識だ。例えばマフィアとか。
「ま、マジか、よっ……げほッ」
盛大に声をひっくり返し、顔を背けて吸い慣れた煙に噎せる癖毛に笑いつつグラスを空けて、自分の分を注ぐついでにジュードのグラスにも並々と注いでやる。
「とうとうガチのバケモンまで尻で抱いたのかよ……流石だぜビッチ。俺達の大黒柱」
「……お前だって稼いでただろ」
天井に煙を吐きながらしみじみと称賛をしてくるジュードに首を竦めて、悦は常温のウィスキーを傾けながらかつての自分の肩書の方へ話を反らした。傑には抱かれるばかりで抱けたことなど一度も無いが、痛みを紛らわせる手段を選べなかった元”鴉”は2人揃って酒に強いので、その話を舌に乗せるにはまだ滑りが足りない。
「はッ、どこがだよ。俺が女から引っ張ってくる何倍も、熱出してもどっか折れても爪剥がれても稼いでただろーが。群れの飯代も薬代も火葬場の空きも、全部お前がベッドの上で引っ張ってきたモンだっただろ」
「服と菓子とミルクと情報はお前が女から抜いてた。三徹でぐらっぐらしながら呼び出されて行ったの、片手じゃ効かねぇよな」
「クソ野郎のとこで筆下ろししてからは、掃除屋みてーな仕事まで受けるようになりやがって」
「どのクソ野郎だよ。お前も体デカいからって解体屋でバイトしてたじゃねーか、吐きながら」
「うっせ。クソはあのー……あれ……あいつだよアイツ、Y……Xだっけか?……ほら、時計の」
「あぁ。……あー……あいつな、アイツ……」
「……あ゛ー……出てこねぇ、なんつったっけアイツ」
「ヘビみたいなアレだろ、顔は出る。名前……”俺等”が殺したんだっけ?あのゴミ」
「いや、アイツは……バルシュミーデ!」
「あ!そうだ、”刻み”のバルシュミーデ!」
「そうそう、それ!そのダッセぇあだ名!」
「はー……スッキリした。なんで死んだんだっけアイツ」
「散弾顔射して自殺。女の部屋で」
「つまんねー。死に方までゴミかよ」
「マジでそれな。ジェシーの超絶フェラテクをてめぇのクソな死に顔で鈍らせやがって」
「ジェシカ去年上がったらしいぜ。ガキ産むって。”風車”直しに来てた素人のガチムチと」
「あいつ筋肉好きだったもんなぁ。……血管フェチで、それも手の甲一点狙いで、それでクリ責めねーとイけねぇって言うから毎回肩まで攣りかけてよぉ」
「あぁー」
始まりがどうであれ、2人で話しているといつの間にかジュードの過去や現在の女の愚痴へと話題が移り変わるのも、昔から変わらないお決まりの流れだ。懐かしいそれに相槌を打ちながら、悦は隣の席に置きっぱなしだった湿気たナッツをつまみに、ジュードはお気に入りの苦い煙をアテに、互いに昔と変わらないペースでグラスを空けていく。
5年振りの昔馴染みとの間に話題が尽きることはなく、一通りの愚痴を鼻で笑ってやってからは、共通の知り合いの現在を互いに教え合い、男娼とジゴロという2人の稼ぎ頭を失った”鴉”がいかに大混乱だったかを、そして上手く軌道に乗せた古巣の元気な”天災”っぷりを笑う頃には、酒瓶はすっかり空になっていた。
今度はジュードの好きなラム酒を、俺に見えるくらいゆっくりやって、と言うリクエストに応えて最大速度で天井まで栓ごとかっ飛ばして開けて、マムの私兵とツバメの二足の草鞋の上に、1年前からは次の頭目になる「お嬢」の世話係までさせられているスケこましの苦労話を聞いてやる。
ジュードの立場上ファミリーの内情はあまり外部の悦には喋れないので、必然苦労話の殆どは15歳の女絡みだ。ペディキュアとやらをはみ出さずにグラデで塗るのと、学校で「マフィアのドン」と確定した未来をからかわれたガキを抱かずに慰めるのが特に大変らしい。
「ウサギみてーな涙目上目遣いで子供扱いしないで!とか言いやがるんだぜ。ガキ扱いしないでどうしろっつぅんだよ、おっぱいのひと揉みでこっちは両手切り落とされんだぞ?舌入れたら達磨だ。それ解ってねぇのがガキだっつーんだよ」
「バレないようにヤりゃイイじゃん。そーゆーの得意だろ」
「しくった時の返りがでけぇんだよ。マムの血ならFまで育つのは確定してんだ、Cで揉んで死んでられっか」
「ガキが泣いてる時は3回シコってから迎えに行けよ、お前手より先にちんこが出るんだから」
「ザーメンくせぇ手でお嬢に触れるわけねーだろ」
「飲んだり舐めたりする女が居なくても右手をきれいきれいしてくれる、便利なモンがあるんだよ。水って言うんだけど知らねぇ?」
こましが痩せっぽちのガキにおろおろしている姿を想像すると笑えるが、寄宿学校を出たばかりの次期頭目の側につけられているのなら、50に差し掛かる”女帝”がどうにかなってもしばらくジュードの身柄は安泰そうだ。
群れを追い出された”鴉”の生存率は3年で1割をわり、10年でほぼゼロになると噂に聞くが、こいつは上手く行けば寿命で死ねるのかもしれない。
そうなればいい、と流石に酔いが回り始めた頭で思った。孤児院を経由せず、身内に捨てられたショックでメッシュが入ったその癖毛が一本残らず真っ白になるか、或いはつるつるに禿げ上がるか、そういう顔でこいつは死ねばいい。若い頃の女帝に瓜二つだと言う、そのお嬢とやらにでも看取られて。
「……ふふっ」
「あっ!それ、その顔!」
なんてこいつに似合いの最期だ、と自分の想像に思わず笑った悦の顔をびしりと煙草で指して、雑にネクタイを緩めたジュードが「人妻!」と叫ぶ。
「うっせぇな、さっきから何なんだよそれ。喰いてぇの?シシー呼べば?」
「ちっげぇよ、お前がさっきから、そういう人妻顔をしやがるのを言ってんの!」
「してねぇし女でもねぇし」
「してるの!」
「……」
声と共に押し寄せてくる紫煙を、意味解んねぇ、と片手で払って見せるが、正直心当たりは無くもなかった。世話を焼いているガキの口調が移ったジュードはその僅かな悦の表情を正確に読み取って、煙草を自分の薄い唇に戻しながら鳶色を半眼にする。
「吐けよ、悦」
「なにを」
「決まってんだろ、ビッチがぞっこんの肉ディルドの話だよ」
「……じゃあ聞けよ」
2本目の瓶もそろそろ空こうとしているし、話すの自体はやぶさかではないが、ただ吐けと言われたって質問が無いことには喋りにくい。聞き手は得意だろ、と頬杖を突きながら顎をしゃくると、ジュードはいそいそとデカい体を縮めて悦と目線の高さを合わせた。
「名前は?」
「傑。こーゆー字」
「へー……傑サンか。歳。身長。体格」
「俺の2こ上、180、締まってる。彫刻みてーな綺麗な体」
「タメか。どこがお気になんだよ」
「俺より強いとこ。面が最高に良い。あと声」
「声?」
「腰に直でクる声してんだよ。女だったら囁かれた回数孕んでる」
「ほー……ちんこは?」
にやっと悪い顔で笑って一番聞きたかったであろう質問をするジュードに、悦は男娼の顔で淫蕩に目を細める。
「……いい感じ」
「つまりデカいんじゃねーか!なんだよそんなトコまで零級かよ!」
「キレ所おかしいだろ」
「で、で?一緒に住んでんの?あのでけぇ塔が今のねぐらだろ?ビッチが健気に通い妻してんの?」
「や、ほぼ傑の部屋。あいつ放っといたら飯食わねぇんだよ。3年住んでて食器がグラス3個だぜ、信じられるか?」
「お前が作った飯なら食うんだろ。それで面良し声良し……ヒモ適正たけぇなー。セックス上手いだろ」
「あー、それがさぁ……」
頬杖から浮かせた顔をふいと背けて明後日の方を向き、物憂げな目をして見せてから、悦は「え、嘘だろそのスペックで?」と驚いているジュードをちょいちょいと指先で招いた。
煙草をテーブルの下まで下ろした幼馴染が素直に身を乗り出して顔を寄せるのを待って、皮膚が薄い所為で酒が入ると直ぐ赤くなる耳元に囁く。
「めっ……ちゃ上手い」
「えっ……ヒモの帝王じゃん……」
やだ、とデカい体でシナをつくって見せるジュードから咄嗟に顔を背けたが堪えきれず、悦は盛大に吹き出した。釣られて大口を開けて笑い出したジュードに釣られ返して声を出して笑い、ひーひー言いながら、しばらく酔っ払い2人で笑い合う。
ひとしきり笑って、傑のナニが昔の客の誰それと比べてどうだとか、搾り取るのが本業の筈の悦が奴の手に掛かると逆に絞り尽くされるとか、2日ぶっ通しでヤり続け啼き続けた時は半日声が出なかったとか、そういう猥談を語って聞かせてジュードがやべぇなと笑って、釣られて悦もだろ?と笑って。
酔っ払いの馬鹿笑いに耐え兼ねた2階のダードかシシーが床をガンガンと蹴ったので、ヤバ、と互いに顔を見合わせてやっとテンションが落ち着いた。
「はー……成る程なぁ。デカくて絶倫の最高の彼氏ってわけだ」
「彼……まぁ、うん」
「いい顔してるよ、今のお前。元からビッチだけど……なんか、別の種類の色気出てる感じ」
「そーか?」
「そうだよ」
は、と軽く笑って煙草をもみ消し、ジュードは背筋を伸ばして合わせていた目線を元に戻した。座っていてもやはり頭一つ分高い所から、鳶色の瞳が悦の頭から胸元までをゆっくりと舐めるように見下ろす。
先ほどまでとは違う、じっとりとした熱のある視線だ。そういやコイツ寝取るの好きだったな、と幼馴染のどうしようもない性癖を思い出したが、どうしようもなさは似たようなものなので特に遮るような事もせず、悦もじっと上目遣いにジュードを見上げる。
いい具合に酒が回って、お互いに人肌恋しくなってきた。その事実を絡ませた視線で確認しあってから、ふにゃ、と女を落とす時の顔でジュードが笑う。
「……傑サンってさ、嫉妬深い?」
お前に手ぇ出したら、俺ころされちゃうかな。そのスリルすら愉しんでいる目で言いながら、テーブルの上に伸ばされたジュードの手に、悦は目線を合わせたまま小指を絡ませた。
合意にはそれで事足りた。
「いや?全然」
「もしバレたら庇ってくれる?」
「半殺しくらいで止めてやるよ」
「やっりぃ」
間延びした声とは裏腹に大きな手が悦の手首を掴んでぐんと引き寄せ、その強さとは裏腹に歯をぶつけることもなく、柔らかく重ねられた唇から苦い煙の残りと、項から女物の甘ったるい香水が悦を包む。
この男は好みのシトラス系とは正反対の香りを、初恋の女の形見だと嘯いてもう8年も纏い続けているのだ。その情の深さだけは真っ当なのに、と苦笑しながら自分から口を開け、悦は女泣かせの長くて厚くて、そして苦い舌に口の中をいっぱいにされる久しぶりの感覚を目を閉じて味わった。
聞き齧った背徳が曖昧な酩酊を押し退け、もう一段階体温が上がる。
「……は、」
2度角度を替えて互いの性感帯を一通り探り合ってから、唇を離したジュードがテーブルに置かれていた煙草とジッポをまとめて引っ掴んでポケットに押し込んだ。
「……一番近いトコでいいよな?」
「シャワーあるなら」
「……う、わ」
長さと硬さはまあまあだけど太さと反りはイマイチなモノを根本まで挿れた途端、呻いてガバリと上半身を起こしたジュードを、悦は正常位で見上げて舌を打った。
5年前よりは肉付きの良くなった悦の胸筋を「ふわふわもっちり」だと目を輝かせて揉みしだき、焦らしもせずいきなり乳首を摘んできやがるので痛いと顔を顰めたら押し黙り、一番の欲が満たされているので荒れのない肌の薄い所を「シルキークリーミー」で気持ちいいと撫で回し、お前の指と太さなら2本でいいからとっとと慣らせとローションパウチを投げ付けたら押し黙り、ジゴロの腕を見込んで洗浄だけで解してもいないナカを拡げさせたら「ふわトロ」だとはしゃぎながら中指で散々探索しやがり、埒が明かないのでこちらから指に前立腺を擦り付けたらまた押し黙り、手癖で取り出されたコンドームをナイフダーツの的にしてやったら頬を掠めただの萎えるだのと騒いで、それでようやく、腰を足でぐいぐい引き寄せながら根本まで突っ込ませた所だと言うのに。
「んだよ……」
人の性感帯にこの秋オススメの新作スイーツみたいな文句を貼り付けておいて、今度はなんだ、入れる穴でも間違えたのかと視線を辿れば、ジュードは前戯の最中に押し黙っていた時と同じ目で悦の下腹を凝視している。
興奮によってではない息を呑むその顔は真剣だ。
「悦、お前……マジで大丈夫か」
「なにが」
「だって、お前、これ……痕だらけだぞ」
「はぁ?」
女よりお喋りだなこのバカ、と呆れながらも頭を起こして、悦は自分の体を見下ろす。痕、と言われて真っ先に思いついて鏡を使わずに見られる、胸と脇腹と腕の内側と太腿の付け根を、鬱血痕を残すのに適当な皮膚の薄い所を順番に見てみるが、記憶の通りどこにも赤い所有印は愚か手型や歯型もついていない。
無駄にデカくて鈍間で目立つ以上に目端が利くから”鴉”の頃は一番の伝令役だったのに、とうとう髪と同じに脳も茹だったのかと若干憐れみながらジュードを見上げると、付き合いの長さ故にそれを読み取った癖っ毛がちっげーよ、と唇を尖らせる。
「外じゃねぇ、中!ここ!」
「んぁっ」
「締まりはイイのに全っ然馴染む気がしねぇ……他も全部痕だらけだったけど、ここが一番重症だ。悦、お前その彼氏に何されてんだ?洗脳でもされてんじゃねぇだろうな?!」
マジでうるせぇなコイツ、と顰めていた眉がふと緩む。それで度々押し黙っていたのか。付き合いの長さの分だけ肌も知っている男娼が、好みだった筈の雑な前戯に顔を顰め、事前に仕込まずローションを手渡し、タチを差し置いて自分の快楽を素直に追い、首を捻りながら挿れて見たらビッチの内側がたった一人の”専用”に形づいていたから。
成る程、並べてみると結構な変化だ。
「……せんのー」
のんびりとジュードの言葉を繰り返して、悦は思わず笑った。
確かに見ようによっては洗脳なのかもしれない。彼氏、なんて呼び名の存在を抵抗なく飲み込むなんて、あんなに御伽噺の嘘っぱちだとこき下ろしていた恋人とかいう酔狂に、すっかり絆されてずぶずぶに溺れて染まるなんて、ジュードが知っている頃の悦にはまず有り得ないことだった。
それが、いつの間にか、今では過去形だ。
「あー……そうかも」
「……何された」
深刻な顔をぐっと寄せながらも身長差を活かして腰を引こうとする親友を、太腿に回した足で引き寄せながら、悦はくすぐったい感情を隠さずにふふ、と笑う。
ジュードは同じ元”鴉”の親友だ。悦にとっては数少ない、ずっと昔からの自分を知っていて、今日まで生き残っている人間だった。”群れ”が半壊して呆然と迎えた朝も、前の晩に酷使された体が辛いと隠れて泣いた昼も、客に漬かるほど薬を使われて半狂乱になった夜も、悦が悦になるまでの過程をジュードは知っている。
なんだかくすぐったくて恥ずかしいけれど、隠そうとは思えなかった。今の悦を知る権利がジュードにはある。互いにいつ死ぬとも知れない身だ。照れに誤魔化して先延ばした”次”があるとも限らないし、死に際の憂いを少なくしてやりたい程度には、今も身内として大切に思っている。
「……愛してる、って言われた」
「……あ?」
「俺が死ぬ時はアイツの顔見て死ぬって、最期は一人じゃないって、約束もしてくれた」
「……」
「あと……すっげぇ開発された。されてる。傑好みに」
「……お前が?」
「俺が。めっちゃ上手いって言ったろ?顔も声もイイ上にテクまでやっべぇの。ヤク無しでヤっても最低10回はイかされる。ノってる時はもっと。で、体中ぐちゃぐちゃにされて、全部キレイに洗われて、そのまんまくっついて寝る。超ぐっすり」
「刺さねぇのか」
ぽかんと口を開けて聞いていたジュードが、囁くような声で聞く。
「お前、添い寝されて熟睡出来たこと無かっただろ。寝起きの反射で殺すかもしれないから」
「だって、殺したって死なねぇし。頭吹っ飛ばされても秒で治るマジモンの化け物だし」
「眠れるのか」
「何来たって俺が起きるより早く傑が気づくからな。お陰で前より体力ついた」
「そりゃあ……お前、そりゃあそうだろ……俺が何回女のファンデで隈消してやったと思ってんだよ……」
「あはは」
そう言えばそうだった、と悦は懐かしさに声を出して笑った。これはこれでウケるからいい、と言う悦の頭をあの頃からデカかった手で引っ掴んで、女からかっぱらったファンデーションやらコンシーラーやらを使って、ジュードは真剣な顔で悦の弱みを隠した。完成度を求めて白粉まで叩かれた時には、うんざりして商売道具が腫れない程度に股間を蹴り上げてやったものだ。
笑う悦を見てますます目を丸くしていたジュードは、やがて零れ落ちるようにそうか、と頷いた。
「人間じゃねぇんだもんな。お前が本気で殺しにかかったって死なないんだもんな」
「や、俺がマジでかかったら多分殺せる。よくわかんねーけど、なんか”純血種”って血がめっちゃ大事で、血統だから”純血種”みたいな事らしくて、一撃で心臓全部壊されたらその血の、流れ?が止まるから今の傑は死ぬらしい」
「え。……いやでも、それが人間には出来ないから零級なんじゃねぇの?」
「そーだけど……多分、俺なら殺せる」
「……なんでぇ?」
絶対に死なない、確実に最期の時まで側にいる男だから、いつだって置いていかれる側だったお前がそんなに惚れ込んでいられているんじゃないのかと、飲み込みかけていた真実をひっくり返されたジュードは情けない顔と声で尋ねる。
それにもう一度ふふ、と含み笑って、くすぐったさに耐えきれず悦は引き寄せた枕で緩んだ口元を隠した。ほつれた端から目元だけを覗かせて混乱しているジュードの間抜け面を見上げながら、昔馴染みのよしみで小さな声で答える。
「……だって俺、傑に愛されてるし」
「……っ……」
情けなく眦を下げていたジュードがもう一度目を丸くして、ぐっと眉を上げながらぱしりと片手で自分の目元を覆った。泣きそうになった時の昔からの癖だ。
同じように最悪な生い立ちの所為で演技無しにそう簡単に泣けるほど、こう見えてこいつも根っこの情緒が豊かな訳では無いから、きっと悦だけがそれを子供の頃からの癖だと知っている。
互いに半分ずつ顔を隠しながらの少しの沈黙の後、広いダブルベッド以外の家具なんて殆ど無い、かつての寝床とよく似た部屋に満ちるだけのぽつりとした声量で、ジュードが「よかったな」と呟いた。
らしくなく静かなその声に、ウリにならないくらい隈が濃くなる度にそこに転がり込んでいた悦も「うん」と応える。
「……」
「……」
さっきよりも長い沈黙の後、ジュードはふー、と色々なものを吐き出すように深く息を吐いてから、目元を覆っていた手で悦から枕をひったくった。
驚く悦にずいと顔を近づけて、今までの小っ恥ずかしいやり取りの間にもジュードに腰を引くことを許さず、なんなら会話の最中にも何度か抜こうとするのを引き寄せていた足をスパンと叩く。
「よかった、よかったけどな……っそれで、なんで、俺とヤるんだよお前は!」
「だって久しぶりだし、次があるかも解んねぇし。っつーか誘ったのてめーだろ」
「そっ……うだけど!おかしいだろ!流れが!」
「セリフとカラダが合ってねぇのはそっちだろ、ジゴロ。なんでこの流れでデカくしてんだよ」
ぐりぐりと踵で太腿を刺激しながら嗤う悦に、そうしている間にも萎えかけていた商売道具にむくむくと血を送り込んでいるジュードがうっせぇ、と喚く。
「お前がしあわせそうで、よかったって俺はっ……あぁ、クソ、なんだよハメてからこんな話聞かせやがって、惚気か!?」
そもそも自分が振った話だろうに、皮膚の薄い肌を胸のあたりまで赤くしながら自棄のように叫ぶジュードに、悦はとろりと悪戯っぽく目を細めて笑った。
「……そ、惚気」
男から精も金も命も搾り取ることを商売道具に生きてきた幼馴染の、淫魔のごとき微笑を5年振りに真正面から喰らった白い喉が、今度は紛れもなく興奮によって息を呑む。
「っ……あ゛ぁ――……!」
「んあぁっ」
その一言で完勃ちしたモノでがつがつと悦を突き上げながら、ジゴロらしからぬ反応を隠すように肩口に顔を伏せたジュードが大声で呻いた。耳まで赤くなったその横顔を見てしてやったりと小さく笑い、悦は動きを邪魔しないよう太腿に置いていた足を開く。
人生の9割は女を抱いているジュードは、女の筋力では真似出来ない、根本から先までうねって引き込みながらのキツい締め付けが好きだ。頭ではなく体で思い出したその親友でセフレの好みを、残りの1割の大部分である悦は恋人によって5年前より鍛えられた技巧で再現してやる。
「ぐ、うっ……」
「はぁ、あっ、ぁ……まだ、イくなよっ、早漏……!」
こましのジュードが情けない、そんなにお前の女はユルいのかと笑いながら、完全に傑の形になってしまっているらしいナカを少しでも馴染ませる為に絞り上げると、ぎろりと横目で悦を睨んだ男が止まりかけていた腰を大きく動かした。
やっと”らしい”目つきになったジュードが器用に寸前で止めていた切っ先で最奥を抉り、恐らくは今の手癖で、悦には無い器官を想定した動きで腰を押し付ける。くん、と顎を上げた悦の表情に苦痛が無いのを油断なく確認しながら、押し上げたそこをにじるように、長さだけは傑とギリギリ勝負出来るモノでぐちぐちと捏ねた。
「あぁあっ、あ、それっ……それイイっ、きもちぃ、ジュードぉ……!」
「ッ……てめぇえ゛……!」
「あはっ……あ、ぅんんっ!」
ぎり、と奥歯を噛んで唸る声に笑いながら、昔と違って抜かれそうに押し込まれても頭も体も冷めない場所を揺するように捏ねられる快感に、指先が震える手を伸ばしてジュードの体にしがみつく。手癖で伸ばした両手は身長差の関係で頭でも肩でもなく、脇の下からずぼっと突っ込む形になったが、構わず回して背中に爪を立てた。
あ、イきそう。と悦が思ったその瞬間に、
「うあ゛っ……あ……!」
傑が決して上げない声量と種類の声と共に、傑なら絶対に有り得ないタイミングで腹の中のモノが跳ねた。
「……あ゛ァ……?」
こっちがイく寸前に、しかも存在しない子宮に送り込むように腰を遣われながらぶち撒けられて、悦はガラの悪い声を出しながら左斜め上の癖毛を鷲掴む。いくら並みのヤリチンよりは持久力も弾数もあるとはいえジュードは人間なのだから、射精したモノが悦を放って半分萎えかけているのは仕方のない自然の摂理なのだが、それでも湧き上がる苛立ちが掴んだ頭をぎりぎりと締め上げさせた。
「あだだだだっ」
「なんで、タチのてめぇが、先にイくんだよ……」
「いやお前今のは反則だろ、中と外からぎゅうって……いだっ、痛い痛い、悪い、ごめん、スンマセン」
「ゴタクはいいからさっさと勃たせろ……」
「むしろ萎える、萎えちゃいます、痛いっス、割れる、折れる!」
「……クソ早漏野郎……」
地を這うような声で詰りながらナイフを振るう握力で締め上げていた頭を突き放し、外に見えるよりも遥かに内が鍛えられた渾身の筋力で締め上げていたふにゃチンも開放して、悦はどさりとシーツに腕を投げ出した。癖毛頭を押さえながら体を起こしたジュードが半身を捻り、ベッドの枠に引っ掛けていたベストを探るのをじっとりとした目で眺める。
案の定取り出された2枚目のコンドームを咥えて振り返った野郎の肩を、悦は思いっきり眉を顰めながら今度は投げナイフで射抜かず、踵で蹴った。
「それ嫌い」
「ワガママ言うなよナマじゃ俺が保たねぇんだよ。やべぇ締まりの上にちゅうちゅう吸い付きやがって……抜かれたのか?」
げしげしと蹴る足に上半身を揺らしながら、歯で包装を破ったジュードは自分で根本を扱きつつ一度モノを抜く。臍のあたりを見て、そして顔に向けられた視線に目を合わさず鷹揚に頷いた悦の方は、流石の速度で硬度を取り戻したモノにゴムを被せる慣れた手つきを見ていた。昔みたいにモタついたら足の爪で破いてやろうと思ったのに。
「お前スキンより嫌いだっただろ、使いもんにならなくなるから。ミリも降りなかった」
「お前ポルチオ責めンの好きだろ、万年発情期のバカ犬だから。傑に感謝しろよ」
「すげぇな純血種……傑サン、あざーっす」
「アホ……っん、く」
がばりと本当に頭を下げた癖毛に笑うのと同時に薄膜を纏ったモノが奥を割り開き、いくらローションで滑っていてもどこかが引き攣る上に体温の遠い、久しぶりの嫌いな感触に悦は首に爪先を引っ掛けてジュードの上半身を引き寄せた。
「……今度はちゃんと、最後まで腰振れよ」
「わ、……んっ」
凄みながら引き寄せた大きな手を自分の下肢に導いて、何か言いかけたおしゃべりな唇を塞ぐ。
図らずも犬が鳴くように響いた声に、悦は舌を絡ませながらまたこっそり笑った。
「……やっぱり、絶対そんなハズねぇって」
ぼーっと咥えていた煙草を唇から離し、紫煙混じりにジュードが振り返る。
その隣に座ってガシガシとバスタオルで頭を拭いながら、悦は濡れた髪と安宿のゴワついたタオル越しに鳶色を見上げた。なにが、と視線で問いかけると、煙草を指に挟んだ手で自分の口元を覆うようにしながら、ジュードは目を細める。深く吸われた煙草の先がちかりと光った。
「寝取られ趣味でもねぇ、でも嫉妬もしねぇとかありえねぇだろ、こんなにどこもかしこも”専用”にカスタムしといて」
「だからニンゲンじゃねぇって言ってんだろ。傑にはそーゆーのねぇんだって」
「でも男だろ。そんで、ヤリチンのバリタチ。俺も同じだからよーく解んだよ」
「ジゴロと一緒にすんな」
ジュードが誑し込んで金だの情報だのを引っ張るのに掛ける半分以下の時間で、傑はそいつの人生丸ごと引っ張れる。知っている誰より際立った人誑しの才能を侮るつもりは無いが、それでも”純血種”相手では勝負にもならないと鼻で笑うと、ジュードは目を眇めながら一気にフィルター近くまで煙草を吸い切って、鉛筆のように尖ったそれをシーツに置いた歪んだ灰皿にもみ消した。
ふー、と吐いた紫煙を片手で払って体ごと悦に向き直り、首にかけたタオルを捲る。
「……傑サンにはお陰でいい思いさせて貰ったからな、お返しだ」
「あ?」
「絶対、照れてるだけだって。お前そんなだし、言い出せねぇんだろ。腹割れるようにちょっとふっかけてやんよ」
言いながら顔を背けて肺に残った紫煙を吐き切り、ジュードは話が見えない悦の首筋に顔を寄せた。パーカーの襟からちらりと覗く位置を唇で撫でて計ってから、強くそこを吸う。
「……」
鬱血痕が残るようにしばらく吸われるのにされるがままになりながら、悦は背中に垂れたバスタオルを丸めて枕元に放った。
これ見よがしな痕をいくら残された所で傑がそれに嫉妬するとは思えなかったし、嫉妬や執着を見せることで男娼で淫売の恋人に嫌われないようにそれを隠している線も有り得なかったが、化け物の底無しに深い”愛”の有様を知らないジュードはいくら言っても信じないだろう。
それに、
「……それに、お仕置き上書きセックスならビッチ様もご満足だろ?」
「……」
にやにやと癖毛の下から見上げてくる鳶色に思っていたことを言い当てられて、ふいと視線を反らす。それに吹き出すように笑いながら、ジュードは苦い煙の匂いが残る手で悦の肩を叩いた。
「わぁってるよ、俺じゃもう満足出来ねぇんだろ。それダシにして愛するダーリンに好きなだけガン堀りしてもらえよ」
「一つ覚えのガン掘りなんて傑はしねーよ。もっとねちっこい」
「へーえ、泣いちゃう?」
「涙腺ぶっ壊れる勢いで泣く」
「……ハメ撮りねぇの?ちょっとそのテク盗まして欲しいんスけど」
「あー……ある。短いけど」
「見して」
食い気味に伸ばされた手に10分ほどの動画を開いた端末を乗せ、代わりにとシーツに置かれた煙草の箱を指差す。片手で振って器用に一本だけ出したそれを悦の口に咥えさせながら、ジュードはもう再生ボタンを押していた。横持ちにした端末を胸元に抱え込むようにして見つめながら、もう一本出した煙草を自分も咥え、無神経にも音量をガンガンに上げつつ悦の方からジッポで火を付ける。
うわ、と咥え煙草の唇が呻いた。
「指なっげぇ……声めっちゃエロい……」
「……」
だろ、と自慢するのは流石に恥ずかしいので、悦は懐かしいもらい煙草を浅く吸いながら顔ごと目を背ける。男娼時代のハメ撮りなんて現在進行系で裏に流れ放題だし、セフレのジュードにそれを見せることに今更抵抗は無いが、自分の喘ぎ声を聞きながら何をどうされているのか解説してやる余裕は流石に無い。
「あ、あー……挿れない。前戯か?……中指一本だけだろ、なんでこんな…………うわ…………まぁイくわな……」
「……」
「うわうわうわ……なにをどうしたんだコレ今の、なぁ悦、なんでお前こんな大人しいの?めっちゃ言う事聞くじゃん、このひんひん泣いてるの本当にお前だよな?そっくりさんじゃねぇよな?」
「……ブツブツうっせぇな、黙って見てろ」
紫煙混じりに吐き捨てて、無遠慮に肩を叩いてくる手を乱暴に振り解く。なんでって、その時は動画を撮り始める前に指だけで3、4回イかされて、一度指を抜かれて体中弄り回されて焦らされて、本気で泣きを入れた所でやっとまた指を入れて貰って、頭も体もぐちゃぐちゃになっている真っ最中だからだ。察しろ。
聞き分けよく黙ったジュードの手の中で、端末が「次は、どうして欲しい?」と傑の声で喋る。それにぞくりと震えた背筋を誤魔化すように、悦は深く煙草を吸い込んだ。動画の中で自分がどう答えるのかを悦は知っている。それを聞いた傑がなんと言ってなにをするのかも。
案の定、うわぁ、と横から半ば呆然とした声が聞こえて、思わず舌を打った。
「もう、返せ」
「安心しろ、お前のギャン泣きとか今どーでもいい。傑サンのテクしか見てねぇ。……指の動きエッロいな、なんスかそれ……」
端末を奪い返そうと手を伸ばす悦を避けて背中からベッドに倒れ込み、とうとう動画の傑に話しかけ始めたジュードが真剣な眼差しで画面を見つめながら片手で空中を撫でる。傑の手技を真似しているのだ。
前立腺を指の腹で叩き、押し上げ、撫で回し、擽って、抉る動きはそのまま女にも流用出来るだろう。下手では無いが抜群に手マンが上手い訳でもないジュードにとっては、自身の値段を上げて寿命を伸ばす為の教材だ。悦もそう思ったから、あるかと聞かれて素直に見せたのだ。
「……くそ……」
だけど、それにしたって。せめてもっと音量を落として欲しかったが、女役の反応も含めて初めて野郎の為になるからと、悦は紫煙を吐きながら端の剥がれかけた壁紙を睨む。鎮静効果があるからこんな苦い煙を吸っているのに、昔馴染みに手放しに恋人を称賛される気恥ずかしさで顔が熱い。
自分の煙草から灰を落としながら心得たように悦の方へ灰皿を滑らせ、ちらと送った視線に煙草の箱とジッポをまとめて投げ寄越し、そしてまた傑の手指のトレースに戻るジュードの方を見ないまま、続けざまに2本目の煙草に火をつけた。
深く吸い過ぎて少し咽せながら、壁紙に残ったついたいつかの誰かの引っ掻き傷を睨む。
あんなにベッドから離れた所で、何回戦目だか知らないが随分と盛り上がったようで結構なことだ。
傷の間隔からして、引っ掻いたのは女か、小柄な男か。あの高さと位置的に立ちバックでもしてたんだろうか。
……クソどうでもいい。
「っあ、……こんにゃろ、サンプルみてーなタイミングで切りやがって。本動画は?」
「ねぇよ」
脳が溶けた甘え声で傑のでイきたい、指じゃやだ、早くちょうだい、と演技も淫語も無しに強請る悦に、冒頭よりも低く掠れた色気の塊みたいな傑の声が「ぶち込んでやるから腰上げろ」と、答える所で終わった動画にジュードが舌打ちをするのに舌打ちで返して、悦は2本目の煙草を安っぽい銀色の灰皿に押し付けた。
「嘘つけよ、これお前のズリネタだろ。ねぇわけねーじゃん、指でひんひんアンアン言ってるだけでハメてすらねぇじゃん。ねぇわけねーじゃんお前ほどのビッチ様が」
「うるっせぇなぁ……」
「ぎゃっ!」
腰を膝で小突いてくるジュードを太腿の急所に親指を第一関節まで捩じ込む事で黙らせ、けれどもウザいテンション以外のデリカシー皆無発言自体は否定せず、悦は濡れた髪をぐしゃりと掻き上げる。
流石は幼馴染と言うべきか、仕事の報告に使ったグロ画像やスナッフ動画に紛れて残されているこれは、確かに傑が留守にしている時の悦のオカズだ。傑自身の手に持たれて撮影されたそれは、画面の大半をM字開脚した悦の局部が占めている動画の方はともかくとして、傑の音声を吐息までくっきりと良く拾っているから。
「最初っからハメ撮りのつもりで撮ってねぇんだよ。そこで傑が動画切ったから、その後は撮ってねぇの」
「はぁあん?」
「前戯ナシでさっさと突っ込めって言ったから、そのお仕置きで前戯のトコだけ撮られたやつ、……だから」
そう、だからこの動画に所謂”本番パート”なんてものは無く、AVのサンプルみたいな前戯こそを本番として撮られたものなのだ。正確には「余計な事はいいから」とつい口走ってしまった悦に、その「余計な事」をされた体がどこもかしこもガクガクに痙攣してイきまくっている有様を見せつける為の、ただそれだけの為に撮られた動画だ。
「……はぁん」
ついさっきこのシーツの上で見せたのとはかけ離れた諸々が、ついに誤魔化しようがなく恥ずかしくなって尻すぼみに言葉を切った悦に、きょとんとした顔のジュードは妙な相槌を打った。
悲鳴を上げて太腿を抱え込んだ時の不安定な体勢のまま、ありとあらゆる種類の女に揉まれて隙無く研ぎ上げられた目端で悦の反応をしばらく伺い、前戯嫌いだった筈のビッチが傑の前ではそうでは無いのだと確信して、痺れていない方の足を振り子にぐんと上半身を起こす。
「えっ、じゃあプレイじゃなくていつもこんなんってこと?」
「……」
ジゴロを成立させているその察し力を遺憾なく発揮して、明らかな事実から2個も3個も進んだ深層を突いてくるジュードから、悦は前髪を握り込んだ腕で顔を隠しつつ体ごと目を反らした。察するな。
「嘘だろお前……え、流石にフェラってるよな?押し倒す前に1、2発抜いてるよな?」
「たまに……10回に3回くらい……」
「ウッソだろ残り7回はどうしてんだよ。あっ、お前がヨがるの見ながらセルフで抜いてんのか?あんな自分専用のトロマン仕込んどいて?」
「しねぇよそんなん……」
「じゃあどうしてんだよギンギンだろ絶対。あんな雄全開のエッロい声出せるサド野郎が、お前のガチ泣き聞いて勃たねぇインポなワケあるかよ」
「知るか……ガン勃ちしててもそっから平気で1時間くらい俺だけイかせんだよいくら誘っても……!」
「………やべぇな」
絞り出すように呟かれた声には実感の籠もった畏怖が滲み出ていて、自分の心境とぴったりシンクロしたその声音に、悦はがばりと顔を上げるとジュードの肩を引っ掴んだ。広い肩幅をがくがくと揺さぶりながら、そうなんだよやべぇんだよアイツ、と日頃の鬱憤を親友に訴える。
「だろ!?やっぱアイツがおかしいよな、俺が脳溶けすぎてるからじゃねぇよな!?」
「ああ、おかしい。安心しろ悦、絶対お前が合ってる。恋愛脳がドーパミンどばどばでラリってるとかそういう次元の話じゃねぇよ、だってちんこの話だもん」
「最初はアイツ人間じゃねぇし、そういう生き物だから薄いのかなって思ってたんだけど……でも!ハメたら骨入ってんじゃねぇかってくらいカタいんだよあの野郎!それキープでヌカロクとか余裕でヤってくんの!」
「うっわぁ……こっえぇ……なんか、ごめんなキスマークとかつけて。大丈夫か?そんなちんこにお仕置き上書きセックスとかされたらお前死ぬんじゃね?それ消えるまで俺ンとこで匿うか?」
「いや、いい……生き地獄と天国シャトルランさせられるけど、今んとこ殺されたことねぇし……」
「往復じゃなくてシャトルランなのか……そっかぁ……」
揺さぶっていた肩からぱたりと手を下ろして首を振る悦にしみじみと頷いて、ジュードは幼馴染の身長差を差し引いても小さな蜂蜜色の頭と、二通りの”実用”に耐えるように無駄なく靭やかに鍛えられた体を見下ろした。
ジゴロの本領を発揮して寄り添うその鳶色の目には零級の化け物に対してだけではなく、相方を立派に勤め上げているビッチへの「お前も大概やべぇけどな」という畏怖も滲んでいたが、それを隠すくらいのデリカシーはジュードにもあった。
「なんか、あれだ……愛されてんだなぁ、お前。傑サンに」
「……うん」
自分と同じ結論に辿り着いてぎゅっと肩を抱いてくるジュードに半身を預けながら、兄貴分のジゴロもこう思うなら自惚れでなくその結論も真実なのだと肯定を得た悦は、こっくりと頷く。
そう、愛されている。悦が受け止めやすい即物的な肉欲の快楽だけではなく、最低な幼少期の所為で半分死んでいた情緒が息を吹き返すような柔らかくて暖かいものまで、傑は飽かずにたっぷり注ぎ込んでくれている。
元々最底辺の閾値に溢れるほど注がれるのだから、溢れたそれに溺れるのも、やっぱり当然だったのだ。
「はぁー……腹ン中疼いてきた」
「おう、真っ直ぐ帰って即堕ちキメて来いよ」
愚痴ってスッキリしたら傑が恋しくなってきて、悦は上半身を屈めてベッドの下に隠していた帯ベルトを引っ張り出した。ばんと一度背中を叩いてから煙草に手を伸ばすジュードに頷きながら、ナイフの並んだそれを柄を下向きにして胴回りに巻きつける。
立ち上がってテーブルに置いていたナイフとベルトを三の腕に巻き、肘と手首の動きでそれがきちんと瞬時に抜けるのを確認してから、床に適当に放り投げていたパーカーを足の指で掴んで持ち上げた。頭と腕を同時に出しながら横倒れになっていた軍用ブーツを足の側面で引き寄せ、中に突っ込んでいた靴下を履いてから足を入れる。
「……あ、そうだ。悦、さっきの動画送ってくれよ。ヌカロクキメた後でいいから」
「お前がペニバンで犯されてる動画と交換なら送ってやるよ」
「ヤだよゲロ吐くもん俺。なあなあ頼むって、普通のハメ撮りだったら女の肌でグラデ作れるだけ送ってやるから」
「死ぬほどいらねぇ」
ガン、と靴底を強く踏んで出した隠しナイフをベッドの足で元通りに踵に押し込みながら、咥え煙草で端末を弄っているジュードの肩を押し除ける。ベッド枠とマットレスの隙間に押し込んでいた3本のナイフを回収し、枕元に置かれていた自分の銃を掴んで腰に押し込むついでに、隣に置かれていたジュードの銃も後手に放ってやった。
空中で見ずにそれを受け取ったジュードがもう片方の手で端末を操作し、パーカーの腹ポケットに入れた悦の端末からぴろん、と着信音が鳴る。ベルトに仕込んでいるより細い3本のナイフを腰と、左脛と、ブーツの中に仕込みながら確認すると、真っ白な肌を紅潮させた裸の女がサムネイルの動画が送りつけられていた。
「だからいらねぇって……ったく」
「やりぃ!」
ぴろん、ぴろん、と鳴る度にどんどん肌の色が褐色に近づいていくサムネを片端から削除し、目の前のデカいガキがお望みのブツを返信してやって、悦は肩幅に足を開いたまま2度ほど屈伸をする。膝を折ったまま上半身を左右に捻り、自分の関節がいつも通り滑らかに動き、仕込んだ武器がいつもの位置で全てそこにある事を重みと感触で確認して、椅子に置いていた林檎がぎっしりのトートバックを左手に、防音効果など殆ど期待出来なさそうな薄っぺらいドアに向かった。
「いつまでこっちいんの?」
「んん……さあ、兄貴達の方がどうなるかだな。マムがヒスって呼び出されるかもしんねーけど、多分2ヶ月は掛かんだろ。体空いたら連絡する」
「あぁ。俺も先週デカいのが片ついたから、来週くらいまで遠出は回されねーと思う」
「Wの、あそこのパブに飲み行こうぜ。今度はホテル無しな」
「……有りでもいいけど?」
「言ってろ、ビッチ」
他愛ない親友とのやり取りをしながらドアノブに手を掛けて、それを押し開きながら、悦は肩越しにジュードを振り返った。
シーツの上に胡座をかいたまま、端末から顔を上げて同じようにこちらを見るその顔を瞬き2回分目に焼き付けて、昔のように笑って言う。
「じゃあな、ジュード」
「じゃあな、悦」
にかっと歯を見せて笑った顔は、互いにこれが最期になっても悔いのない、朗らかな幼馴染のそれだった。
Fin.
身売りで群れの一世代を支えた鴉に倫理観と貞操観念は当たり前に欠けているので握手のノリでキスするし、ハグのテンションでセックスもする。
似たような所が似たように欠けているので噛み合いはしないけど、重心が似ているので寄り添うのは楽。
互いの走馬灯には笑顔で出たい。
