カード状の記憶端子がプレイヤーに飲み込まれたのを確認して、傑はどさりとソファに腰掛けた。
ゲームも音楽も映像も、記憶端子に記録される娯楽は大体再生可能なプレイヤーの微かな駆動音と共に、大きなモニターがぱちりと瞬く。現れたのは数字の「18」の上に大きくバツ印が描かれた、毒々しい真っ赤なロゴ。
「えーっと……」
成人指定作品であることを大仰に主張するロゴを横目に、傑はローテーブルに載せられていた小さめのダンボールを引き寄せた。緩衝材と共に中に詰められているローションボトルやらローターやらアナルパールやらをがさがさと掻き分け、記憶端子が入っていた掌サイズのパッケージを引っ張りだす。
「おまけ」と書かれたハートのシールが貼られたそれは、いわゆるAVだ。無駄にラメ加工が施されたキラキラの文字が示す通り、アダルトグッズのおまけとして同梱されていたもので、なんでも売れ筋AV10本のイイところをちょこっとずつ詰め込んだ、アナタだけに贈る厳選ズリネタ特集らしい。
画面では既に陳腐なBGMと共に10本のうちの1本が始まっていたが、傑はわざとらしい女の悲鳴と下卑た男の声を聞き流しつつ、パッケージをひっくり返す。痴漢、コスプレ、学園もの、露出に寝取られ、ちょっとマニアックに緊縛まで、飽きさせない多彩なプレイ―――
「へー…」
…緊縛ってマニアックなのか。
性犯罪よりも拘束をアブノーマルとする世間の認識に感心したりしつつ、ドギツい色彩のパッケージをふむふむとひと通り流し読んでしまってから、傑はようやく顔を上げた。
「…おぉ」
視線を上げた途端に大型のモニターに女優の乳房がアップで映り込み、傑は気の抜けた声を漏らす。柔らかくも張りのあるそれにもったいぶった仕草でローションが垂らされ、卑猥に濡れ光る乳首を弄くられて上がる女の甲高い嬌声を、傑は頬杖を突きながら聞いていた。
男の劣情を煽る映像と音声にも藍色の瞳は冷めきっていて、本来ならあるべき情欲の熱とは程遠い。
手マンに突入した所でくぁ、と欠伸をした美貌の純血種が何故こんなものを見ているかと言えば、それは単純に暇だったからだ。
今日は揃ってオフだからと、昨夜一緒にベッドに入った愛しの恋人は、傑が起きた時にはベッドどころか部屋のどこにも居なかった。開きっぱなしの料理本とキッチンの様子を見るに、どうやら買い物にでも行ったらしい。
なら帰ってくるまでもう一眠りするかとソファに転がった所で幽利に呼び出され、苦笑する千里眼の雑用員からアダルトグッズが詰まったダンボールを受け取って戻った時には、すっかり眠気は飛んでしまっていた。一応開封して中身を確認していたらこの「おまけ」を見つけたので、折角だから見てみようと、そういう顛末だ。
「……」
主婦向けのワイドショーよりは楽しめるかと思ったが、さして違いは無かった。しどとに濡れた女優の陰部にローターが押し付けられるのを眺めながら、傑は退屈そうに軽く目を細める。
丸みを帯びた腰が快感にくねる様も、涙混じりの喘ぎ声も決して悪くは無いのだが、どうも興味が沸かない。嫌なのに感じちゃうっ、というシチュエーションは割りと好きな筈だが、なにか…こう……足りないのだ。
「あー…」
面倒くせぇ、と自分自身に溜息を吐きながら首をぐるりと回すと、さっきひっくり返したダンボールの中から、ピンク色のローターが覗いているのが視界の端に映る。強弱の調節幅が広く、バイブレーションの種類が5種類あるという新作だ。
ごく普通の外見をしたこの玩具の性能を、きっと悦は知らないだろう。
並んだ売り言葉の中の『歴代最長稼働時間』の文字だけを見て「これがいい」と言った恋人を、普段はこういう物に無関心な彼にそう言わしめた出来事を思い出して、思わず傑は頬を緩めた。
膝立ちになった悦の太腿がひくひくと震えるのを横目にして、傑は柔らかい蜂蜜色の髪を梳いていた手を腰へと回した。
「っ…も、そこ…ばっかり…!」
「んー?」
「しつけぇ、んだよっ…ひぅ…ッ!」
甘く艶めいた吐息を漏らしながら、潤んだ瑠璃色の瞳が苛立たしげに傑を睨み付ける。唇で食んでいた乳首に軽く歯を立ててやると気持ちよさそうに喉を反らしたが、傑が唇を寄せていないもう片方の頂に当てたローターを動かさずにいると、悦は軽く舌打ちをして腰に宛てがった傑の手を払った。
「気持ち良さそうだけど」
「るっせぇ…は、ぁ…っ」
からかう傑に低く掠れた声で悪態を吐きながら、悦は寝間着代わりのスウェットを下着ごと片手で引き下げる。
ふるりと震えて露わになったモノは既に雫を滲ませていて、煌々と灯ったリビングの照明にてらてらと卑猥に濡れ光っていた。フェラ嫌いの傑が食べてやりたいと思うくらいには美味そうで、ついおざなりになっていたローターを持つ方の手首を掴まれる。
力の入っていない手を振り払うのは簡単だったが、面白そうなのでされるがままに悦の表情を伺っていると、快感と羞恥に頬を染めた悦に胸板に押し付けるようにして頭を抱き寄せられた。そのまま手首を掴んだ悦の腕が傑の掌の中のローターごと、下肢へと伸ばされる。
「…悦?」
「お前が、しつこい…からっ…ぁ、あぁああッ!」
乱れた呼吸の合間の言い訳じみた言葉は、小さく震えるローターが悦の手によって裏筋に宛てがわれた瞬間、甘い嬌声にすり替わった。
ぐぐ、と頭を抱き込んだ悦の腕に力がこもるのを感じながら、傑はちろりと唇を舐めて手首を掴む悦の手を振りほどく。
「あ、すぐっ…ひぁ、あっ、あぁあっ」
「いいよ、座ってろ」
肩幅に開いた悦の膝の間に伸ばした自分の足を示して囁くが、ローターごとぐじゅ、と水音を立ててモノを扱かれるのにがくがくと足を震わせながらも、悦は首を小さく横に振った。
震える手を後頭部から滑らせて、傑のシャツの後ろ襟をぎゅっと掴んだ悦を上目遣いに伺うと、快感に従順なくせに、恥ずかしがって普段はなかなかそれを口にも行動にもしない悦が、潤んだ瑠璃色で傑を見つめていた。
やっぱり口には出来ないようだが、傑にはそれだけで十分だ。
あぁ、と全て分かったように笑い、悦の先走りで濡れたローターを滑らせる。跳ねる腰を宥めるように撫でてやりながらゆっくり裏筋をなぞり、袋をくすぐってやりながら更に下へ。卵型のローターを縦にして張り詰めた会陰を押し上げると、耐え切れないように悦がぎゅうっと肩口に抱きついた。
ふと、このまま悦が座り込んでしまうまで焦らしてやろうか、という悪戯心が顔を覗かせたが、
「あぅ、うっ…は、…ぁあ、ぁっ…すぐ、る…っ」
ねだるような蕩けた声で名前を呼ばれて、そんなものはすぐに引っ込む。
どうやらいつもより切羽詰まっている悦の望みを叶えてやる為、傑が滑るローターを軽く持ち直した、その時だった。
ヴ、ヴぅぅぅ……
「あ?」
「…え、ぁ…?」
小さなローターは一度不規則に震えてから空気が抜けるように振動を弱め、止まってしまった。
「……」
「……」
あれ、スイッチ触ったか?と傑がコードで繋がったコントローラーを引き寄せると同時に、それまでいじらしく震えながらシャツの襟に縋り付いていた悦の手が、悦の鳩尾あたりに寄せられていた傑の頭を力強く掴んで引き離す。
「いてぇよ、え……つ?」
「……」
別に焦らそうと思ってるわけじゃないから落ち着け、なんて宥めるつもりで軽く笑って見せた傑は、自分を見下ろす悦の表情を見て目を見開いた。
例え前触れもなく自分の頭が爆発四散したところで驚かない傑だが、さっきまであんなに気持ちよさそうにしていた恋人が、ふと見上げればどこぞの最高幹部ばりの無表情だったのだ。恋人にこんな冷め方をされれば化け物でも驚く。
「…悦…?」
「……」
伺うように名前を呼んでみたが愛しの恋人は応えず、傑の手からコントローラーをひったくった。オンのままだった電源スイッチを何回かカチカチと操作し、やはり動かないローターに残念そうに眉を下げる―――のではなく、忌々しげに舌打ちをして裏面の電池蓋を取ると、ひっくり返したコントローラーをガンと床に打ち付けて電池を出す。
飛び出した電池がころころとラグの上を転がるが、手を伸ばしてローテーブルに乗っていたテレビのリモコンを引き寄せ、電池蓋を外している悦は目もくれない。なんとなく転がった電池に手を伸ばした傑は、小指のすぐ近くにガゴ、と打ち付けられたリモコンを見てそっとその手を引っ込めた。
悦がリモコンから飛び出した電池をローターに入れると、スイッチがオンのままだったそれは息を吹き返したように震えだした。スイッチを切ること無く悦は電池蓋を閉じ、中身を抜かれて転がるリモコンを放置したまま、ん。と震えるローターを傑の手に押し付ける。
「…別に、手でしてやったのに」
思わず苦笑して呟くと、傑の首に腕を絡めた悦は、先ほどよりはマシだがまだ下半身を露出させた現状とは吊り合わない表情で、あ?と首を傾げた。
「そっちに手ぇ使ったら乳首とちんこはどーすんだよ。腕3本生やせんのか」
「いいえ」
再生ならいくらでも可能だが、さすがにそんな化け物みたいな真似は出来ない。いやしっかりはっきりと化け物なんだけれども、人の形を失うようなのは無理だ。
傑が真顔で首を横に振ると、男前に三点責めを要求する悦はなら最初から言うんじゃねぇという顔をして、ふいっと何かに呼ばれたように顔を背け、今度は何だと軽く身構えた傑の頭をぎゅうっと抱きしめた。
真正面から覆いかぶさるように抱きつかれたので若干首が辛いが、今の悦にそんなことを言うと首を折られる気がしたので黙って片手で抱き返すと、シャツを掴んでいた悦の手がそろりと傑の髪を撫でる。
「…傑、それ……はやく」
促すように囁いた声は甘く掠れていて、傑はその変わり様に心底驚きつつ、もう首を折られる心配のなくなった恋人を優しくラグに押し倒したのだった。
あの時の悦は最高だった。
2週間前の情事の欠片(時間にして全体の20分の1)を思い返し、改めてしみじみとそんなことを考える傑は、当然のように目の前のAVの内容など右から左へ流している。画面の中の女優がいつの間にか変わっているが、これが2人目なのか3人目なのかも分からないし興味も無かった。
改めて考えるまでもなく次々と浮かぶ悦の仕草や表情を思い返しながら、傑は画面の中で賢明に声を噛み殺している(電車なので痴漢ものらしい)女優と脳裏の悦を見比べ、うんとひとつ頷いた。
やっぱ悦の方が興奮する。
正直それは男としてどうかと思わないでもないが、仕方がない。血も凍るような冷たい目をする人殺しが快感に泣き喘ぐのに比べたら、強気なキャリアウーマンが乱れている様なんてギャップと呼ぶのもおこがましい。悦の凄惨な生い立ちも残忍な本性も知った上でそれを組み敷いている傑にしてみれば、こんなものはいっそ微笑ましいレベルだ。
「…でも、まぁ…」
もうすぐ駅だぞ、と囁かれて瞠目する女優を眺めながら、傑は口元に手をやって思案する。
悦は元男娼だ。それもZ地区という、ド変態見本市みたいな場所で客をとっていた。
AVになるようなプレイは十代前半で飽きるほど経験済みだと言うから、この女優のように電車の中で犯したって平然と喘ぐだろう。折角だから、と周りの客から金を取って商売を始めるかもしれない。
だが、「声を出したら気づかれる」というシチュエーションでの反応は悪くなかった。
つまり、「これ無理だろ気づかれてるわもう面倒くせぇ」と悦が開き直れない程度のラインでなにをナニすればいいわけだ。
全くの他人や不特定多数だと潔い悦は開き直るかもしれないので、それなりに面識のある奴がいい。幽利あたりを捕まえて置いておくのが一番楽だが、残念ながらあのドMだと「気づかれるかも」というシチュエーションは無理だ。気づかれるというか見えている。
となると悦の仕事仲間か幹部連中。あの幸の薄そうな軍人上がりは弐級だったか。ああ、カルヴァ辺りもいいかもしれない。こっちは気づかれる、というドキドキよりも気づかれたら何をされるか解ったもんじゃない、という恐怖になりそうだが、まぁ大して変わらないだろう。
「んー……あ、」
問題は場所だなぁ、とのんびり考えていた傑は、そこでようやく思い出した。
傑が恋人の幸せな性生活の為に脳裏に挙げていた場所のひとつ、本部棟地下の駐車場の物陰で、彼は既にこういうシチュエーションでの悦の反応を見ていたのだ。
その時、傑は困っていた。
明日は仕事で60階建てのビルから紐なしバンジーの予定で、その次の日は色々な事情によりマシンガンで蜂の巣にならなければいけないが、地上最強生物で完全無欠のびっくり人間である純血種はそんなことは問題にしない。
一週間ぶりに顔を合わせた恋人が出迎えた傑に開口一番、『最近ヤってないからタマが重い』と躊躇いの欠片もなく言ってのけた所で、あけすけな台詞に困ったりはしない。
その恋人を偶然見つけたイイ感じの物陰に引きずり込み、変態だの馬鹿だのクズだの死ねだのと罵られながら内臓が潰れるような膝蹴りを入れられたって、すぐに治るので傑はちっとも困らない。
こっそりと後を付けていたらしい今回の悦の仕事仲間が、物陰からなにやら凄まじい目つきをして銃を向けてきているが、銃弾なんていくらでも避けられるのでやっぱり傑は困らない。
では一体なにに困っているのかと言えば、
「ふぅ、うっ…んンっん、んっ…んー…っ!」
物陰とはいえいつ誰が来るともしれないので、必死に声を噛み殺している悦が、あまりにもエロくて困っていた。
なんとも間の抜けた理由だが、傑にとっては切実な問題だった。
悦が喘げば勿論傑は煽られる。煽られるまま激しく愛せば、悦はどんどん物陰から除く銃に気づく余裕をなくしていく。余裕をなくした悦がエロいやらし過ぎて、傑はますます行為を中断して邪魔者を排除するのが面倒になる。
結果、こんな性的な悦を延々とどこの馬の骨とも知れない男に見られ続けてしまう。
「す、ぐっ…ぅ…も、イき、た…っイか、せ…て…ッ」
「イってんだろ、さっきから何回も」
「ちが、ちが…ぁ…!…だし、た…ひぅうッ…!」
両足を抱えた悦の中をぐるり、と腰を回して掻き混ぜて黙らせながら、傑はどうしたものか、と内心で首を捻った。
しばらくご無沙汰で溜まっているというのに、根本をベルトで縛り上げて性急に貫いたものだから、悦はすっかりスイッチが入ってしまっている。従順になった悦は自分でベルトを外そうともせず、ぎゅうぎゅうと傑の背中に縋り付いて、傑にしか聞こえないように精一杯ちいさな声でイかせて、お願い、と囁くのだ。
こんな恋人を一瞬でも放置することなど出来るわけがない。
悦をイかせて終わらせてしまおうかとも思ったが、それだとあの野郎に悦の一番イイ所を見せることになるので却下した。それに、銃で撃たれる程度のことで終わらせてしまうのはなんというか勿体無い。この悦の掠れきった哀願をもうちょっと聞いていたいし、食い千切られそうな抜群の締め付けももうちょっと堪能したい。
「おねが、傑っ…も、もぉやだぁ…っ」
「…ちょっと黙ってろ」
「っ…あぁぁ…!」
(今どうすればいいか考えてるから)ちょっと静かにしてて、と(理性がぶっ飛びそうなので)ワントーン低めた声で囁くと、悦は恍惚と絶望が半々になった下半身を直撃する表情で、赤く染まった目尻から涙をひとつ零した。
自分の体を盾にしてなんとか顔は隠したが、声は聞かれてしまっただろう。ああ勿体無い。
「ぁ、あ…っや、やだ、ぬいちゃ…!」
これは早急にあの覗き野郎をぶち殺さなければ、と傑が精神力やら理性やらを総動員して、縋りつく悦に逆らい一度モノを抜こうとした、その時。
今まさに腰を引いていた傑の背中を、小さめの爆音と共に空気の塊が押し返した。
「ひッ…!」
「あン?」
続いて襲ってきた熱風から悦を庇いながら、傑は片目を眇めて背後を見やる。丁度、これから殺してやろうと思っていた覗き野郎が、炎と自身の血にまみれながら仰向けに倒れている所だった。
卓越した傑の聴覚は引き金を引く音も撃鉄が雷管を叩いた音も捉えていたから、銃身か弾に何らかの細工が施されていて自爆したのだ、と察するのにそう時間はかからなかった。きっと幽利あたりが細工をしたのだろう。ということは確実に死ぬだろうから傑が手を下す必要は無くなった。ついでに、幽利がそういう真似をする登録者は鬼利にも見捨てられているので、言い訳の必要も無くなった。つまり傑は恋人との甘い一時を心置きなく楽しめるわけだ。
まぁなにはともあれ良かった良かった、と背後の光景とは正反対にのほほんと考えながら、さて、と傑が悦に向き直ると。
「ぁ…あ…っ」
「…悦?」
爆風から庇う為に咄嗟に腕の中に抱き込んだ恋人は、傑の肩口にくったりともたれかかりながら完全に焦点を飛ばしてしまっていた。
試しに軽く揺さぶってみるが、押し出されるように甘い吐息を漏らすだけで、その瞳に意志の力は戻ってこない。戒められたままの下肢から、壊れたようにたらたらと白濁混じりの蜜をこぼすばかりだ。
寸前まで抜いていた所に爆破が起き、傑は悦を庇って抱き寄せた。自然の摂理に従って引かれていたモノは押し戻され、抜かないでと縋り付いていた所に根本までぶち込まれた上、思いっきり抱きしめられたものだから、スイッチの入っていた悦はすっかり極めてしまったのだ。
元男娼の悦でも容易には降りて来られない所まで。
「…あー……」
悦の頭をもう一度抱き寄せてあやすように髪を梳いてやりながら、傑は思わず呻く。
ここまでトんでしまったら、まず30分は戻ってこない。この状態で続きをしようもんなら痙攣を始めてしまうので、結局傑はおあずけを食らうわけだが、別にそのことはもうどうでも良かった。悦や他の人間にはなかなか信じてもらえないが、悦が失神するほど気持ちイイのなら、その様子を見られるのなら、傑はわりと本気で自分の肉体的快楽はどうでもいいからだ。
そう、感じ入って心身ともにどろどろに蕩けそうに溺れている悦を見られれば。
「…くっそ」
薄く開いていた悦の瞼が完全に落ちたのを確認して、傑は舌を打つ。
そして、心底残念そうに、まるで悔やむように低く吐き捨てた。
「見逃した」
あの時の悦も最高だった。
…本当に最高な瞬間は見られなかったけれど。
あの時の無念さを思い出して改めて自分に舌打ちをしつつ、傑はぐしゃりと前髪を掻いた。
野生動物並みの勘の鋭さを持つ悦だが、傑とセックスをしている時だけはその感覚は常人並になる。それだけ密着した状態なら、何がどうなっても傑が悦を守れるということを本能的に解っているからだ。
悦はなんでお前との時だけ、と頬を赤くしながら不満顔をしていたが、常に身近にあった死を完璧に遠ざけられるのだから気も緩むだろう。その代わり傑に頼りきりになるということだが、そんなことは傑には負担にもならないし、悦がリラックスすれば感度も上がるので問題は無い。
問題は。
「…俺もあの“眼”なら楽だったんだけどな」
ぐしゃりと乱れた髪をそのままに傑は独り言ちる。
気が緩んで銃口にも気づかない悦を守るくらい何でもないが、どこぞの雑用員と違って傑には他人の考えは読めないし、頭の後ろの表情を見ることも出来ない。
それはつまり、前回のように何かが起こって咄嗟に悦を守った場合、また一番イイ瞬間を見逃してしまう可能性があるということだ。これは由々しき問題である。
なにも悦や傑を狙うような相手の近くでおっぱじめる必要は無いが、人間が増えればトラブルが起こる確率も上がる。そういうもの全部を観察しつつ、悦のタイミングを測ってコトを進めることも出来なくは無いが、あまりにも面倒だ。
「まぁ、普通でいーか」
そう呟いて衆人環視にゃんにゃん案をあっさりと棄却し、傑はぼんやりとした視線をモニターへ向けた。また女優が変わっていたが、これが何人目なのかはやっぱり分からない。傑が覚えている限りでは、一番胸が小ぶりで可愛らしい感じの女優だった。
「……」
わりと下衆な観察によってこの子は歴が浅いな、と判断していた傑は、画面に映り込んだ浅黒い体にふと眉を上げる。
今までのAVにも男優は出てきたが、ここまでしっかりと、横顔が見えるまで枠に入り込んでくるのは初めてのパターンだ。口数も多い。
「…あぁ」
恋人設定か。
5分ほど2人のやりとりを聞いてようやく思い至り、傑は乱れて目元にかかる前髪を軽く払った。
なるほど、ラブラブな恋人のいちゃつきを覗き見、というシチュエーションなら男優がガッツリ映り込むのも解る。背景が明らかにラブホなのも、カメラが固定なのも、それなら自然だ。
きっと、愛してるだの好きだの欲しいだのお前だけだの、捻りの無い決まり文句を連呼しているのもその所為だろう。それにまた女優が、私もだの大好きだのもっとだの貴方だけだの、やはり捻りのない答えを喘ぎ混じりに返しているが、そういう趣旨なら仕方がない。
傑には一周回ってギャグに見えるが、こういうやり過ぎなくらい普通なのが好きな男もいるのだ。多分。
「…あ、普通」
そうだ。そういえばさっき色々と面倒だから普通にしようと思ったんだった。悦は勿論、傑自身も諸々の感性が普通とはかけ離れているのだから、こういうものこそ参考にするべきだろう。
完全にゴールデンタイムのホームドラマを見るのと同じ感覚でいた傑は、そう思い直して意識を改め、完全に笑わせにきているとしか思えない2人のやりとりを3分ほど真剣に聞いてみたのだが、処女役の玄人に童貞役の玄人が挿入を果たした所で、ふと思い出した。
ここまで面白おかしくは無いが、似たようなことなら以前した。いや、させられたことがある。
「…悦、顔見せて」
「っ……」
「気持ちイイ?コッチは大分柔らかくなってきたな」
「…き、もちいい…」
「そっか。ぎゅうぎゅう締め付けてきて、凄ぇカワイイ。ぐちゃぐちゃにしてやりたくなる」
「…ぅう…っ…!」
「手退けろよ、悦」
「…や…やだ…」
「なんで?感じてる悦の顔、見たい」
「…は、ずかしい…から…」
「俺はその、気持よくて恥ずかしくてトロトロになった悦の顔が好きなんだけど」
「…っや…だ…」
「どうしてもダメ?……なぁ、えーつ」
「……」
とびっきりの艶と色を含ませた囁きに、クロスさせた両腕で顔を隠していた悦が、耐えかねたように顔を覗かせる。
指先まで小さく震わせて頬を紅潮させた恋人は、目尻に涙の浮かんだ瑠璃色に傑を映した途端、
「っぶ…!」
盛大に吹き出した。
「…お前なァ」
「ッわ、わり…だって…おま…ッ」
思いっきり唾を飛ばされて眉を顰めた傑の顔をごしごしと手で拭いながらも、悦はひくひくと肩を震わせ、ついには盛大に笑い声を上げた。ひぃひぃと喉を鳴らしながら、傑の腕の下で身を捩る。
ベッドの上で呼吸困難になる悦は見慣れたものだが、その原因が快感ではなく笑いなのは初めてだ。
「ンだよ。悦が言い出したんだろ?」
「そ、だけどっ…くふ…っだって、そんな、真顔で、…ははは!」
横向きになって正しく腹を抱えだした悦の隣でシーツに頬杖を突きながら、傑は笑声の合間の言い訳に憮然と目を細める。
前の休みに買い物の約束をすっぽかしてヤり倒した傑への罰として、セックスの最中に普段は言わないような甘ったるーい台詞を吐き続ける、逆言葉責めプレイを命じたのは他でもない悦だ。
どんな臭い台詞を吐かされたところでそれに羞恥など感じない傑は、それなら普通の言葉責めの方がお互い愉しめるのではないかと提案したが、嫌なら生クリームを1リットル飲ませる、と言われては頷く他ない。
だから傑は悦の命令通り、普段は口にしないようなベタで臭い台詞を、誠心誠意、甘く甘ーく囁いていたわけだ。ついいつものような言葉責めに走りそうになるのを脳内で修正しながら、割りと真剣に。
しかも、悦が機嫌を損ねたら即、制裁に移れるよう、ベッドの脇には特大ボールに入った生クリームが待機しているのだ。そりゃあ真顔にもなる。
「っ…あー…くるしー…」
事後のようにくったりとシーツに横たわって、事後のようにぽやんと呆けた顔で、事後のように掠れた声で呟いて、悦はぐいっと男らしく手の甲で目尻の涙を拭った。
「なぁ、そーいうのどこで仕入れてくるんだよ。AV?」
「あー…、うん」
傑が参考にしたのはロクに見たことのないAVではなく、以前Fに見せられたティーンズ向け雑誌の『セキララ☆告白!H中にキュンとした彼のヒトコト』という特集ページだったが、それを言うとまた悦が呼吸困難に陥りそうなので、曖昧に頷いておいた。
実際は男優がこんなことを喋りまくるAVなんて滅多に無いだろうが、傑と同じくAVに世話になったことのない悦は、へー、と素直に納得している。
「これで笑わないって凄ぇなAV女優って。…あー、面白かった」
「酷ぇなァ、ご命令どーりに真剣に愛を囁いたのに」
「いや、そーだけど…そうだけど、実際ヤバいってこれ」
「そうか?」
まだくくっ、と喉を震わせながら首に腕を絡ませる悦の腰に腕を回して、傑は軽く首を傾げた。事前に申告した通り、傑にはこういう台詞を吐くことで羞恥を覚えるような感性は備わっていないのだ。
「中身は大して変わンねーだろ」
「全然違ぇって。聞いてる方はすげぇから」
「でも居ただろ?そういう客」
「居たけど、そういうエロ親父が求めてるのはもっとこう…っんあ」
まだ乾いていなかったローションのお陰で、すんなりと入った指に喉を反らしながらも、悦は唇に小さく笑みを浮かべて続ける。
「下衆い、っつー…か、悦のケツマンかきまわしてぇ、とか、俺はチンポぶち込まれてよろこぶメス犬ですぅ、とかで…っは…」
「あー…ホントに居るんだな、そういう奴」
「いるいる。だから、そーいう…甘ったりぃのは、自分で、言う…のもっ…あぅ」
「キツい?」
喘ぎに変わった言葉を引き取った傑にこくこくと頷き、悦は過去の何かを思い出したのかまた小さく肩を震わせる。そんな無邪気な顔で笑いながら、潤んだナカはしっかりと傑の指に絡みついてくるのだから実に質が悪い。
「…まぁ、気ィ済んだならそれでいーけど」
投げ出された足を肩に担ぎ上げ、悦の意識がこちらに戻ってくるのをゆるゆると指を出し入れして促しながら、ちらりとベッド脇の生クリームを横目にする。
取り敢えず死にかける羽目になることは無くなったが、まともなセックスはもう少しお預けのようだと、傑はこっそり苦笑した。
あの時の悦もやっぱり最高だった。
結局あのあとも悦の笑いの発作はなかなか収まらず、生クリームの所為で強引に出られない傑は30分はお預けにされたが、あの悦の笑顔と引き換えだと思えばなんでもない。
全くフィクションも真っ青の生い立ちのクセに、あんな無邪気な笑い方が出来るなんてとんだ詐欺だ。まぁそんな悦だからここまでのめり込んでいるわけだが、改めてあんな風に突きつけられると流石に戸惑う。
楽しそうにしているだけで満足、なんて。とんだ純愛だ。化け物のクセに。
10本分の選り抜きシーンが終わり、ダイジェスト形式でタイトルと女優の名前を流す画面を眺めながら、傑は微かに自嘲の笑みを浮かべた。
…まぁ、いくら可愛くても、そう何度も最中に笑い転げられると困る。傑は構わなくても、悦は肉体的な快感にとてもに従順な体なのだ。きっと真面目に犯せ、とあのローターの時のような目で凄まれるだろう。
「…それもいいな」
底冷えのする瑠璃色を思い出してそう独り言ちた傑は紛れも無く変態だったが、そんな周知の事実に頓着する純血種ではない。
例えそれが自身の“欠陥”を何より如実に突きつける事実だとしても、今の傑にはどうでもよかった。人類が再び危機に瀕するその時までの“世環傑”の生には、路傍の雑草より意味が無い。
どうせ時間を稼ぐ以外に与えられた存在意義が無いのなら、その他は精一杯愉しんでやらなければ損だ。
「よ、っと」
それに賢い人間モドキの化け物は、人間と違って今がちゃんと“幸福”だと理解している。それが得難く尊いものだということも知っているから、傑はお決まりの文言を表示させる画面をそのままに、だらりと座っていたソファから立ち上がった。
廊下を近づいてくる聞き慣れた足音は相変わらず密やかだが、いつもより少し重い。相当買い込んだようだと予想しながら、傑は足音が扉の開閉範囲に入るぴったり一歩手前で、鍵をかける習慣も必要性もない玄関扉を押し開けた。
予想通り、両手に抱えられていた大きな2つの紙袋をひょいと受け取って、輪郭の曲線から体温から感触まで、正確に脳内で再現できるまでになっても触れ飽きることのない頬にキスを落とす。
「おかえり、悦」
…この流れで小型撮影機を買ったらさすがに怒られるかなと、不埒なことを考えながら。
Fin.
AVを口実にのろけにのろける傑。
