…その人は"ILL"の雑用係で、数千を超す武器と医薬品の名称と置き場所を正確に暗記してるその記憶力は、登録者のほとんどに知れ渡っているほど有名。
いつもくすんだ色をしたつなぎの作業服姿で、力仕事をしたり気温が高い時に惜しみなく曝される肌には傷が絶え無い。
トレードマークは布や帽子で常に隠された目元と、包帯。
その人は名を幽利と言って、"ILL"の裏側の全てを知る男。
手さえ出さなければ安全そのもので、とても有能。
だけど、あの笑顔に騙されちゃいけない。
…だってあの人は、
あァ…これだから、雑魚は。
「死ねよ、オラっ!」
「げほッ…ぁ、ぐっ…!」
どんなに下手クソでも思いっきり脇腹蹴り上げられちゃあさすがに効くが、こいつ等の拳にゃあそもそも体重ってモンがまるで乗ってない。
その馬鹿みてェについてる筋肉は錘か?なァ。ステロイドで頭ン中まで筋肉になっちまってンじゃねーのかィ、新入りサン。
「けッ…苛つくぜ、なんでてめェみたいのがここにいやがるんだ、あァ!?」
「おいお前、解ってるのか?ここは゛ILL゛だぜ?その辺のガキの遊び場じゃねーんだよッ!」
「てめぇなんか生きてる価値もねーんだ、さっさと死ね」
煩ェんだよ。
黙って咳き込んでるフリしながら腹ン中で吐き捨てる。3人揃えばなんとやら、って言うがこいつ等の場合は3人いても馬鹿の度合いが上がってくだけらしい。
鬼利に見せてもらった資料じゃァ、こいつ等は確か3人揃って仲良く伍級という実績を持ってる「捨て駒」だった筈だ。その時からアホそうな奴等だとは思ってたけど、まさかここまでとは。
どォやら馬鹿すぎて同じ伍級の連中からも爪弾きにされちまってるらしい。こーやって俺に手ェ出しちまってンのがその証拠。
「今度顔見たらぶっ殺してやるからな」
「その帽子で眼だけじゃなく顔も隠しといたらどうだ?雑用!」
「へへッ…精々気をつけな」
好き勝手なこと抜かしながらよーやく3人の馬鹿が武器庫から出て行く。姿が見えなくなってからキッチリ1分待って、俺は作業着の埃を払いながら立ち上がった。
あー…昨日寝違えたトコ、まだ痛ェや。
こき、って首鳴らしながら見渡してみりゃァ、連中が好き勝手暴れた所為で棚から物が散らばって酷ェ有様。
D-rbek型189と、ARBEC.osca-12が2丁…弾も2箱無ェな。手入れが悪ィだのなんだのっていちゃもんつけやがった割りにちゃっかり持ってってンじゃねぇか。
まァ、ここまでボコられちまって何も無しじゃァ、俺の代わりに鬼利の手ェ煩わせることになっちまうし…落とし前はつけてもらわねェとな、取りあえず。
…ったく、仕事増やしやがって。
ガラガラ音立てながら引っ張ってきたワゴンを医局【過激派】の裏口で止めて、鉄の扉を軽く叩く。
「はい。…あ、幽利さん」
「どォも。えーっと…包帯10と、消毒液が3瓶、不足分の薬と…あと、一応ガーゼもあっけど持ってくかァ?」
「…さすがですね。急患が丁度3名入ったので、ガーゼも発注しようとしてたんですよ。何でも、仕事中に銃が暴発したとかで」
看護師はそう言いながら扉を開けて、ワゴンを内側に引き入れてく。いつもならこのまンま帰るトコなんだが、今日はちょォっとする事があるから俺もその後をついて部屋の中に入った。
後ろ手に扉閉めて、少しだけ集中して周りを探る。
…あァ、いたいた。
「幽利さん?…どうかしたんですか?」
「カルヴァの姐さんに話があってねェ」
不思議そうな看護師にひらりと手を振って、部屋の片隅にある医局長室のドアを開ける。空気が流れる気配にひょいって首を竦めたら、その横を姐さん愛用の薔薇鞭が凄ェ勢いで通り抜けていった。
「あら、幽利じゃない。どうしかして?」
俺の後ろにある壁を盛大に破壊した鞭を巻き取りながら、姐さんは何事もなかったみてェに艶やかに笑った。
ノック無しで入っただけで鞭飛ばしてくるよォなお医者さん、多分世界中探してもこの姉さんだけだ。
「ちょーっとしたお願いがありましてねェ。聞いて貰えますか?」
「それは…内容によるわね、その"お願い"の」
考えるように口元に手をやって、姐さんは小首を傾げて見せる。
俺の眼に映るのは、姐さんの周りを取り囲む仄黒い霧。
黒は、物騒なこと考えてるって時の色。…ま、ンなモン無くても姐さんの眼ェ見りゃぁ大体解るんだけどな。
「どォってことねェお願いですよ。今ベッドに寝てる3人が俺の顔なじみでしてねェ。こっちに来たついでに、見舞いがしたいってぇだけの話で」
「相変わらず親切なのね、貴方は。勿論私は構わないわよ」
「そりゃどォも。じゃァ、―――」
「消毒液ならここよ。この前貴方が患者を殺した時のを残しておいたから、これを使ってくれるかしら?」
そう言いながら姐さんが机の引き出しから取り出したのは、3袋の栄養剤。…の、袋に入った消毒液の点滴パック。
「唇、切れてるわね。あの患者達はここで1番の『危険人物』に何をしたの?」
「『危険人物』たァ人聞きの悪い。俺ァしがない雑用っスよ?犯罪歴もなけりゃァ、賞金もかかってねェや」
「よく言うわ。ここで貴方に点滴の中身をすり返られて何人の患者が逝ったか、貴方ならよく覚えてるでしょう?」
「さぁてねェ…忘れちまいましたよ、ンな事ァ」
3つのパックを姐さんから受け取りながら、俺は軽く首を竦めた。見え透いた嘘に姐さんは呆れたように笑って、手元にあったカルテの名前に赤いペンで斜線を引く。
医局での赤線は、「原因不明の死亡」。
他の2人の脈が完全に止まったのを確認して、俺はしぶとく生きてる残りの1人のベッドの隅に腰掛けた。
「て、てめェ、はッ…こ、んな…真似して、ただで、済むと…ッ」
「…なァ、新入りサン。アンタ等俺のこと何も聞いてねェのかい?」
「っ、…?」
ぜぇぜぇ、乱れていく呼吸音。
血液中に流れ込んだ毒液が少しずつその体を侵していくのが、呼吸音を通して俺には手に取るように解っちまう。
「俺の飼い主はここの最高幹部の鬼利ってェ男でねぇ、大抵のことは見逃してもらえンだよ。アンタ等みてぇな雑魚が2、3人死んだって別に困りもしねェからな」
「って、めぇ…!」
「運が悪かったなァ、新入りサン。同僚は俺のことまでは教えてくれ無かったンだろ?他の…例えば傑とか、あーいう強ェ連中ならアンタみてぇな身の程知らずも半殺しで許してやったんだろォけどよ、生憎俺ァ弱っちぃ雑用でねェ」
ベッドから立ち上がって、俺はもうほとんど瞳孔が開いちまってる新入りを見下ろして、にこりと笑って見せる。
「どこまでやっていいモンか、加減が解らねェからいっつも殺しちまうんだ。アンタ等でもう1496人目だがねェ、どォも加減が掴めねェんだよ」
…まァ、もう俺の声なんざ聞こえちゃいねェんだろうけど。
びくびく最期の痙攣ってぇヤツをし始めた新入りに、俺はその胸元のシーツを引っ張り上げて、
その顔の上に、真っ白なシーツを被せた。
「ご愁傷様」
…その人は゛ILL゛の雑用係で、新入りが一番最初に『危険人物』として注意を促される男。
向こうから手を出す事は絶対に無く、敬意を持って接すればとても安全で、有能。
ただし。一度こちらが手を出してしまえば後戻りは効かず、人知れず殺されて後に残るのは「原因不明」と書かれたカルテが一枚だけ。
賞金も無く、犯罪歴も無い彼は、武器すら持たずに人を殺す。
人懐っこい笑顔と、非力そうに取り繕われた態度に騙されちゃいけない。
油断すると、死ぬよ。
Fin.
゛ILL゛の雑用係、幽利の日常業務。
働き者な彼は役立たずな登録者のお掃除もこなします。