ふわぁと、いかにも眠そうに欠伸を噛み殺しながら寝室の扉を開けた幽利の眼が、ベッドの中で本を読む僕を見て意外そうに開かれる。
「…あれ、まだ寝てねェの?」
「読み出したら止まらなくてね」
スウェットにTシャツ姿の幽利に短く答えると、幽利はベッドに向かおうとしていた足を止めて壁の本棚の隅っこに置かれた黒い冊子を手に取った。
「じゃァ俺も」
「いいよ、先に寝て」
「平気。まだ眠くねェから」
…下手な嘘。
部屋の照明を消し、ベッドの端に腰掛けてサイドスタンドの明かりで本を読む僕の足元にぺたんと座り込んで、幽利はへらりと笑うと黒い冊子を捲る。
前まで物置の檻で寝ていた幽利を無理矢理同じベッドで寝かせるようになってから今まで、そう言えば一度も幽利が僕より先に寝たことは無かった。気絶することはあっても、寝るときは絶対に僕より後にベッドに入る。
無駄に律儀な幽利のことだから(横に寝るのを嫌がって足元で寝ているくらい)、きっとまたしなくていい遠慮をしてるんだろうけど、
「……」
ほら、やっぱり。
さっきからちっともページを捲る音がしないと思って見てみたら、俯き加減になった幽利の頭がこくんこくんと揺れていて、案の定のその光景に軽く溜息を吐きながら壁の時計を見た。
針が刺すのは午前3時。徹夜に慣れた僕はいいとして、9時からは肉体労働がぎっしりの幽利はそろそろ寝かさないと、4時間弱しか眠れない。
「ッ、…ん…」
「寝なよ。眠いんでしょ?」
爪先で軽く膝を小突くと、びくんと跳ねた幽利が眠そうに眼を擦りながら軽く頭を振った。
僕より先に寝るななんて一度も言って無いのに、どうしてこう変な所で意地を張るんだか。
「…むく、ない」
「今当に寝てたと思うんだけど」
「今のは…ちょと、気ィ失っただけ」
「それが”睡眠”って言うんだよ」
「…今ので覚めたから、大丈夫」
取り繕うに言ってその場に立ち上がり、幽利は今度は立ったまま黒い冊子を読みだした。座ったままじゃ寝ると思って、今度は立ちっぱなしでいることにしたらしい。
そんなに寝たくないなら別にいいんだけど…そこに立たれると影が入って今度は僕の本が読めなくなる。普段の幽利なら僕の邪魔をするような真似は死んでもしないから、きっとそんなことに考えが及ばないほど眠いんだろう。
「邪魔だよ、そこ」
「ぁっ…ごめんなさ…」
「それに、お前みたいにデカいのに傍に立たれたら落ち着かないんだけど?」
「……」
だからさっさと寝ろってニュアンスを含ませた僕の言葉に、幽利は心底困った顔をして本棚に冊子を戻すと、少し迷ってから扉の方に向かった。
「どこ行くの?」
「んと…そォいや顔洗い忘れたなって、思って」
「…幽利」
頭が回ってない所為でいつもより聞き苦しい嘘にもそろそろ飽きてきた。少し強い口調で名前を呼んでやると、幽利は怒られると思ったのかひくんと肩を揺らしてドアノブから手を離す。
「おいで」
「……」
バタンと音を立てて閉じた本をシーツの上に投げ出しながら手招くと、躊躇いながら戻ってきた幽利がさっきと同じようにぺたりと座りこんだ。
「さっきから何度も言ってるよね、眠いなら寝ろって」
「…はい」
「言うことを聞かない上に出来の悪い嘘で誤魔化そうとするなんて、とても”いい子”とは呼べないよ」
「……」
「…そんなに針が欲しいの?」
「ッ…違…!」
何て返そうかと迷う幽利を見下ろしながら追い討ちをかけると、あからさまに怯えた顔をした幽利がふるふると首を振る。
実際、こんな夜中に針なんて使ったら朝から昼までは抱いててあげなきゃいけなくなるし、子供みたいに縋りついて来る幽利の面倒を見てやりたいのは山々だけど、生憎僕の就いてる仕事はそこまで暇じゃない。
勿論、こんなことは幽利も十分知っていることだから普段ならこんな脅しは効かないんだけど、
…相当眠いのかそれとも焦っているのか、針を入れているサイドスタンドの一番下の棚に手を伸ばした僕の手を、傍から幽利が躊躇いがちに止めた。
「針…は、許して…」
「…じゃあ、ちゃんと寝るんだね?」
「……」
「幽利、」
「っ…寝る。…寝る、から」
諦めたように言って、幽利は僕の腕からそっと手を離した。
のろのろと立ち上がると、律儀にも僕に「おやすみなさい」と軽く頭を下げてから、ベッドの上に四つん這いで上がり、僕が寝た時に余る足元の部分の布団を捲る。いつもならさっさと済ませるのに、その動作が今日は一々鈍い。
全く…手の焼ける。
「理由は?」
「え…」
「お前がそこまで逆らうんだから、それなりの理由があるんでしょ?…言ってご覧」
「…ここ、凄ェ広い…から」
それはまぁ、キングサイズだしね。
「…だから?」
「1人で、寝てたら…その、…寂しくて…」
「…寂しい?」
予想と外れた幽利の言葉に思わず聞き返すと、幽利はこくりと頷いた。
「鬼利、たまに仕事でいねェだろ?そォいう時1人で寝ると、なんか色ンなとこに隙間できて…寂しい、から…」
だから、僕が家にいる時は出来るだけ一緒に寝たいと。
我がままを言っているとでも思っているのか、幽利は叱られるのを覚悟したような表情で俯いている。
…その躊躇いがちな言葉の端々が僕をどうしようもなく煽り立てて、思いっきり酷くして泣かせて叫ばせて、無駄なことなんて何も考えられないくらいに溺れさせてやりたいと思わせていることを、幽利はちゃんと”視て”るんだろうか。
「寂しいなんて、あんな鉄の塊の中で喜んで寝てた人間の言葉とは思えないね」
「ごめ…ちゃんと、1人で寝るから」
「いいよ。なんだかバカらしくなってきた」
「き、」
「今日だけだからね」
目を丸くする幽利に釘を刺してから、投げ出していた本をフローリングの上でタワーになっている本の上に重ねて照明を消した。
多分、僕の行動に戸惑って喜んで、そしてそれ以上に僕に気を使わせたことを気にしているだろう幽利のことは放っておいて、さっさと布団に潜り込む。しばらく幽利は暗闇の中でごそごそと動いていたけど、やがて諦めたのか布団に入った。
「あの、さ…鬼利」
「なに?」
「…おやすみ」
躊躇いがちに言った幽利の声はどこか甘えていて、目を閉じてそれを聞きながら僕は内心で溜息を吐く。全く、この愚弟ときたらとんだ甘えたに育ってしまったらしい。どこかで教育の仕方を間違えたかな。
手間がかかることこの上ない。…けど、
…まぁ、こういうのも悪くはないか。
「おやすみ、幽利」
Fin.
珍しく駄々を捏ねる幽利。
ベッドで寝かせて貰うようになってから鬼利がいないと寂しくて寂しくて、なんとか誤魔化したり我慢してたんだけどとうとうバレてしまったようです。
ちなみに双子はベッドの中で
鬼
利
幽利
のように寝ています。(上で鬼利が普通に寝て、幽利がその足元で横向きに寝る)
毎晩添い寝じゃ幽利の理性が持たないので、人間湯たんぽな感じで。