Hair cut



「傑ー、今ヒマ?」
「う゛……んァ?」
「今、ヒマ?」

 …寝てる人の腹の上座ってきて、ヒマ?も何もねェだろーが。
 正直そう思ったが、俺の上に跨ってなんか知らねぇけど楽しそうな顔してる悦が可愛いからどうでもよくなった。

 これが惚れた弱味ってやつか。

「…ヒマ、だったら何して欲しいんだよ」
「髪切って。襟足伸びて邪魔くせぇ」
「んー?」

 髪?
 昨日触った時はそんな感じしなかったけどな。とりあえず手を伸ばして、邪魔だっつぅ襟足を手櫛で掻き上げてみるけど、特別伸びたって感じはしない。

「言うほど伸びてねぇじゃねーか」
「伸びたって。お前毎日触ってっから解ンねーんだよ」
「…まぁ、切れってンなら切ってもいいけど」

 蜂蜜みてーな色の見た目通り、悦の髪は柔らかい。冷たさを楽しみながら前髪をくしゃくしゃに乱してやると、邪魔そうに頭を振って俺の手を躱した悦が俺のシャツの襟首を掴んだ。
 そのまま腕に似合わねぇ力強さで襟を引かれて、逆らわずに上体を起こした俺の腹から降りて床に座り込みながら、悦はくるりと俺に背を向ける。


「はい、鋏」
「ん……どうする?」

 渡された鋏を握り直しながらざっと髪を掻き上げると、悦はローテーブルの上に広げられた雑誌を俺に見えるように持ち上げた。

「こーゆーのがいい」
「言っとくけどあんま難しいのはさすがに、…」

 ……いや、これはナシだろ。
 悦が期待に目をキラキラさせながら(あどけない少年のよーだがこいつの少年期はちっともあどけなく無い)見せて来た雑誌に載ってたのは、側頭部の髪を短く刈り込んで頭頂部から後頭部にかけてをたてがみみたいに伸ばした、…まぁ、あれだ。モヒカン。


「…ページ間違えてンぞ」
「間違ってねぇよ、これがいい。色はー…黄色かオレンジ。鬼利の目みたいな」
「……」

 ロッカーにでもなるつもりかこの子は。
 今までは髪を切るのだって長いのが鬱陶しいだけで、面倒だから丸刈りにしようかなんてことを言いだすくらい髪形になんざ何の関心も無かったのに。そりゃ丸刈りにされるくらいなら気を使って貰った方がマシだが、最初に関心を持ったのがなんでよりによってモヒカンだよ。血迷うにも程があんだろ。


「んだよ、嫌い?モヒカン」
「嫌いっつぅか…いや、似合う奴がやればこういうのもイイと思うけどよ…」
「俺には似合わねぇってのかよ」
「どっちかっつーと童顔だからな、悦は。女顔ってほどじゃねぇけど、にしたって……なんでモヒカンにしようなんて思ったんだよ」

 悦が掲げた雑誌のページを試しにめくりながら聞いてみるが、雑誌には他にも悦に似合いそうな無難な髪形がいくつも紹介されてた。むしろ、このラインナップにどうしてこんな刺激的な髪形が入ってンのか不思議なくらいだ。


「ゴシックがしてたんだよ、モヒカン。髪も真っ青に染めて」
「青?アイツ一昨日まで赤と黒のドレッドだったろ」
「昨日染め直したんだって言ってた」
「マジかよ…俺が知ってるだけでも今月で3回目だぜ、色変えンの。将来確実にハゲるな」
「いいんじゃねぇの?どうせ40なる前には死ぬんだし」
「アイツはな。お前はそうじゃねーだろ、悦」

 登録者以上にイカれたハッカーのことなんざ正直俺はどうでもいい。悦がどうしてもやりてーってンならそこまで止める気はねぇけど、こいつのことだ。また気まぐれで思いついたことをヒマつぶしにやってみたい、程度の気持ちだろう。


「オレンジ色のモヒカン頭で仕事行く気か?」
「…やっぱマズいかな」
「マズいだろうよ、そりゃあ。モヒカンだもん。その上オレンジだもん」
「ダメかぁ…じゃあ黄色だったら?それでもダメ?」
「ダメだと思うねぇ。つーか色の問題じゃ、」
「じゃあ緑だったら?」
「だから色の問題じゃねぇって。しかも緑って…悪化してるじゃねぇか」
「うーん…」


 俺がめくった雑誌のページを戻して他の髪形のサンプルを眺めながら、悦は不満そうに低い声で唸った。

「…これとか、似合うんじゃねぇの?今よりちょっと短いけど」
「んー……」

 悦の上から雑誌を覗き込みながら邪魔になんねぇ程度に声をかけてみるけど、どれもこれも気に入らないらしく悦はなかなか首を縦に振らない。

「イメチェンしたいならこっちのとか」
「これなんで左右で長さ違ぇの?失敗作?」
「ンなわけねーだろ、アシメだよ」
「あしめ?アシードロリム8-720シーメンス3号機の略?」
「…なんだって?」










> 「………」
「……」
「……」
「…決まった?」
「んー…」

 二度寝しそうになるのを辛うじて堪えながら、足元で俺の膝を枕に雑誌をめくる悦に声をかける。

「なんか…もういい。面倒くさくなった」
「モヒカンは諦めてくれンの?」
「さすがに目立つし、いいや」
「じゃあどうする?いつもみたいに適当に短くすればいいか?」

 さてやっと出番だ、ってソファの上に投げ出してた鋏を持ち上げようとしたら、くるりと振り返った悦は俺の手に何でもないような顔でバリカンを握らせてきた。

「いや、寧ろ面倒なんで丸刈りで」
「…なんでそうなるんだよ」





 30分後。





「…っし。完成」
「……」

 シャキン、と音を立ててこめかみの髪の毛束を切り落とし左右のバランスを整えてから、改めて全体を見て鋏を閉じる。
 悦はあんなことを言ってたが、毛質が柔らかい上にこんなに綺麗な色の髪を刈るつもりはさらさら無い。どうせなんでもいいんだろ、って説き伏せて、結局はいつもと同じ。

「悦。…えーつ、出来たぜ」
「…んン…」

 首から下に巻きつけてたシーツを解いてやりながら軽く肩を揺らすと、切り始めた直後から船を漕ぎ始め、前髪を切る頃には完璧に熟睡してた悦が眠そうにうっすら目を開いた。
 寝ぼけながら見上げてくる悦にもう一度、髪を切り終わったことを教えてやってから手鏡を渡すと、焦点のずれた目で短くなった自分の髪を確認して、一通り確認したところでようやくまともに目を開いた。


「おー…上の方短ッ」
「軽くなったろ?」
「うん。…あー…前よりこっちのが好きかも」

 実際短くなったって言っても3センチくらいなんだけど、その分の軽さがどーやらお気に召したらしい。手櫛で掻き上げて長さを見てる悦は満足そうだ(寝てた悦が頭を揺らした拍子に鋏が狂って、短くなった部分に合わせた、ってのは内緒)。


「ありがとな、傑」
「どーいたしまして」
「傑はどう思う?これ。モヒカンとどっちがいい?」
「モヒカンから離れろって。…俺が好きなように切ったんだから気にいってるよ、勿論」
「それもそーか」

 偶然の産物とはいえかなり気にいってくれたらしく、鏡を置いてからも自分で髪をいじりながら膝にもたれてくる悦の頭をくしゃりと撫でると、ご機嫌な悦が肩越しに俺を振り返った。

「…なぁ、惚れた?」

 悪戯っぽい笑みを浮かべた悦の質問は正直何を今更、って内容だが、ここでそう言うのは野暮過ぎる。
 だからここは応用で、今更な答えを返すことにした。


「あぁ。…ずーっと前からな」



 Fin.



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