10分の1



 朝起きたら、
 傑が18センチになっていた。










「えぇぇええ…ってかちっさ!キモ!」
「…はしゃぐなって」

 思わず叫んだ俺に寝起きのローテンションで言いながら、傑はあぐらをかいた枕の上でふわぁと欠伸を噛み殺した。
 ここだけアップで見れば何の変哲も無い昼下がりだが、俺のリアクションの通り今の傑の身長は18センチに縮んでいて、枕の上にちょこんと置物みたいに座ってる。

「何だよそれ…てかどうした?」
「縮んだ」
「見りゃ解るって。てかお前よくそんな冷静でいられんな、10分の1に縮んでるくせに」
「いや…なんか、驚きすぎて逆に冷静」

 そう言って寝癖のついた髪をぐしゃりと掻きまわした傑からは、動揺のどの字もない。本人がこんなだからだんだん俺の方まで冷静になってきて、取り合えず服の代わりにタオルを破ったのを巻きつけてやった。

「じゃあ、服はとりあえずコレで」
「ん。」
「…で、こっからどうする?」
「腹減った」
「朝飯…時間的に昼飯か。何か食べたいもんある?」
「汁物じゃなければなんでも」
「…なんで汁物?」

 傑がシーツを掴みながらベッドから降りるのを眺めながら聞くと、傑はへらりと笑って自分の体を軽く拳で叩いた。

「このタッパじゃスープの中で泳ぐハメになんだろ、ラーメンとかそばだったら」
「…確かに」

 …まぁ、18センチじゃどんな飯作ったって似たような格好になンのは目に見えてるけど。

 丼物でも作ってやろうかと意地の悪いことを考えながら、俺はとことこ寝室のドアに向かってる傑がドアで命綱無しのロッククライミングを始める前に、その障害を無くしてやるためベッドから降りた。









 これはこれで…
 …うん。

 悪くはない。





「…どーよ、味」
「美味い」

 陶器の蓮華に盛ったチャーハンを、火薬とかを取る時に使うやたら柄が長くて先がちょっと平たく丸くなった棒で掬いながら、傑はいつもどおり即答した。
 体がちっさいから塩分とか油分とかキツくねぇかなって心配してたんだけど、どうやら味覚は大して変わってないらしい。

「悦、このチャーハンていつも通り?」
「あぁ。…なんか味変わってる?」
「や、そうじゃなくて。今気づいたことが1つ」

 気づいたこと。
 みじん切りにした人参のかけらをむぐむぐ食べながらの傑の言葉に、思わず俺は背筋を伸ばした。いつも美味い美味いって食ってくれる傑が、食い物に関して俺に何か言うのなんて初めてだ。

「な、なに?」
「飯が卵にコーティングされてンの」
「…うん」
「俺、今気づいてさ。こんな一粒一粒に包まってンの全然知らなかった」
「…別にそれは…」

 ある程度の火力と腕力と慣れがあれば誰でもできるから、別に大したことじゃない。代わりにどうしても油使うからくどくなるしな。
 だからそんなの誉めて貰うようなことじゃねぇ、って言おうとした俺を視線で遮って、傑はいつのまにか空っぽになってた蓮華を俺の手元まで押してきながら、困ったように笑った。

「こーゆー凄ぇことを何で言わないんだよお前は。ちゃんと自慢しろっての」
「だから、別に凄くなんかねぇってば」
「世のお母さんが聞いたら泣くぜ、そのセリフ。ご馳走様」
「…ん。」

 いつもどおり、ぱんっと手を合わせて頭を下げた傑に頷いて、俺は受け取った蓮華で自分の分のチャーハンをかき込んだ。もうちょい軽い油使えばこんなに重くなんねぇんだろうけど、やっぱ中華はゴマ油じゃないと香りがな…


「なぁ傑、中華にオリーブオイルって……傑?」

 最後の1口を水で流し込みながら何気なく話し掛けた俺は、ちびっちゃい恋人がテーブルの上からいなくなってることにそこでようやく気づいた。
 落っこちたのかとテーブルの下やらソファの裏を見てみても、白いタオルを巻きつけた傑の姿はどこにも見当たらなくて、取り合えず食器をシンクに戻しながら俺は傑の行きそうなところを思い浮かべる。

「…あ、」

 …もしかして。










 あぁもう…

 どうしてこいつは…!





「…何してんだよ」
「ちょっとシャワーでも浴びようかと」

 馬鹿じゃねぇのコイツって思ってるのを全面に押し出した声で聞いた俺に、傑は真面目な顔して答えた。

 バスタブの中の排水溝に詰まって出られなくなってるくせに、何がシャワーだ。

「その身長でシャワーなんて浴びたら水流で穴開くっつーの。…ってかよくバスタブの中入れたな」
「頑張った」
「そのまま流れてけば?」
「まぁそう言わずに」

 呆れ声で言った俺を諭すみたいな傑の言葉に、思わず溜め息を吐く。傑を水圧で排水溝に押し込めてる水を止めてやると、冷静な小人は水を吸ってだぼだぼになったタオルを体にまとわりつかせながら這い出てきた。


「なんかしたいならちゃんと言えよ。縮んでるんだから」
「えー」
「えー、じゃねぇから。今だって詰まっただけだからよかったけど、下手すりゃ排水溝まで流れてくだろ」
「えー」
「…パン粉つけて揚げるぞてめぇ」
「すいませんシャワー浴びたいです」

 濡れたタオルを摘みあげて宙づりにした体を揺らしながら脅すと、ぶらんと垂れた傑は無駄にキリっとした顔して体育会系に言った。なんかまだフザケてる気がするけど、無抵抗に摘まれてる傑が妙に面白くて怒る気も失せる。


「もうさ、このままでもいいんじゃね?」
「あと10センチあればなー。18センチじゃさすがに不便だぜ、いろいろと」
「ふーん?」

 洗面器にお湯張ったミニ風呂の中に降ろすと、傑はタオルを淵にかけながら苦笑した。

「例えば?」
「悦に手伝ってもらわなきゃシャワーもろくに浴びれねぇじゃん」
「不便なのかよ、それ。俺は結構楽しいけど。…はい、ミニシャワー」

 手ですくったお湯を傑の頭からかけてやりながら言うと、傑はちょっと黙ってぐしゃりと濡れた髪を掻きまわした。
 …これは、まさか。

「なに照れてンだよ」
「るっせぇな。…慣れてねぇんだよ、面倒見られんのは」

 そう言って顔を反らした傑の横顔は、本当に少しだけど赤くなってて。

…他のことはともかく、いつもみたいに好きな時にキス出来ないってのは確かに不便だな。










 今気づいたけどさ、

 …これって結構ヤバくね?





「……」
「……」

「……」
「…あ」
「何?」
「伸ばすとかは?こう、みょーんって感じで」
「薄っぺらくなってどーすんだよ」
「あ、そっか…」

「……」
「……少しは真面目に考えろよ、傑」
「考えてる考えてる」
「せめて誤魔化せっつの。メモ用紙破いてさっきから何してンだよ」
「鶴」
「は?」
「折り鶴を折っています」
「…そのちっちゃい腕ごと炭にしてやろうか?」
「待てって。普段じゃこのメモ4等分くらいの小ささが限界だけど、今ならそっから4等分の4等分の4等分くらいは楽勝なワケよ」
「…だから?」
「ちなみに、その4等分の4等分の4等分で折った鶴がこちら」

「……え!?」
「息かけんなよ、飛ぶから」
「うわ、マジで鶴だ…ってかちっちゃ…!」
「かわいーっしょ?」
「スゴ…これ絶対記録だろ。俺も傑も犯罪者だから発表出来ねーけど」
「もう4等分出来そうなんだけどよ、ここまで来ると紙がこれじゃ分厚くて折れねーんだわ。なんか薄いの無い?」
「任せろ、すっげぇ薄い和紙持ってる」
「何でそんなもん……あ、料理用か」

「これでどう?」
「あー、薄い薄い。これならイケそう」
「ちょい待ち、最初の4等分俺やるよ。手じゃズレるだろ」
「サンキュ。じゃあそっからもう4等分頼むわ」
「ん。」

「あー…手ぇ疲れた」
「そりゃ、これだけ鶴折れば手も…」


「……あれ?」










 決めつけは良くないってのは解ってるけどさ。
 でも、この場合は…なぁ?





「嘘だ」
「本当よ」
「他に誰がこんな事すンだよ。技術的にも性格的にもお前しかいないだろーが」
「あら、褒めてくれてるの?」

 珍しいこと、とくすくす笑いながら、カルヴァは妖しく濡れた目を半分伏せて上目づかいに俺のことを覗き込んで来る。
 あぁ…ダメだ。話通じねぇ。っつーか遊ばれてる。

「…真面目に聞けって」
「それは無理ね」

 溜め息吐きながら言った俺に溜め息を吐き返しながら、カルヴァは瓶の上にちょこんと座った傑の頭を指先でくりくり撫でた。

「こんな面白いものを見て、真面目になんてなれる筈無いじゃない」
「や、解るけど…その気持ちは凄く解るけど」
「それに、悪いけれどこれは本当に私がやったんじゃないわ」
「……」
「あら、信じてないって顔ね」

 デスクに頬づえついて、無抵抗の傑の腕を爪先で上げさせてみたり、細っこい足首を摘んでみたりしながら、カルヴァは相変わらず楽しそうに言うと、俺の方を見ないまま、「でも本当よ」と繰り返した。

「残念だけれど、“純血種”の免疫に敵うような薬品なんてそうそう作れないわ」

 心底残念そうに言いながら、カルヴァは傑の体に巻きつけた服代わりのタオルを固定してる細い紐をちょいちょいと解くと、何の躊躇いもなく傑からタオルをべろんとはぎ取る。

「なっ…!」
「…いやん」

 絶句する俺と、片手で胸元を隠す傑(まず足を閉じろ)に優雅に微笑み、カルヴァは傑の腹をメスの裏ですぅっと撫でた。

「随分と控えめになったわね、傑」
「それを言うなって…そこが一番ヘコんでンだから」
「シリコンでも入れてあげましょうか?」
「それはさすがにダメだろ。なァ悦?」
「…何で俺に聞くんだよ」

 カルヴァと傑に同時に見られて、軽く引きながら思わず聞くと、女王と小人は同時に顔を見合わせて、同時に笑った。
 …そりゃもう、色々とシンクロした意味深な笑みを。

「この状況でどうして、なんて…傑、貴方の教育が足りて無いみたいね?」
「昼間はな」
「それじゃあ夜はもう少し違うのかしら」
「そりゃもう、俺のツボ読みまくった感じで色々とサービス―――むぐッ」
「悪いカルヴァ、邪魔して。放っときゃ治ると思うしもう帰るわ」

 とんでもないこと言いだした傑を横から引っ掴んでパーカーの腹ポケットに突っ込みながら、俺はあらって顔してるカルヴァに早口で言ってそそくさと医局を出る。

「悦、…悦!」
「…ンだよ」

 ポケットから顔出して叫ぶ傑に嫌々視線を下に向けたら、傑はにこりと笑って自分の裸の上半身を示して見せた。

「俺、裸なんだけど」

 …あ。










 安っぽい宝石モドキでゴテゴテに飾られた鏡。
 端末にはちっちゃい熊のぬいぐるみと王冠。

 俺と傑の感想なんて決まってる。

 “ここはヤバい”。





 取り敢えず、洋服になるものを探しに一度部屋に戻りかけた俺達は、廊下ですれ違ったFにポケットの中の傑を見つけられて、仕方なく状況を説明したら、Fが人形の服ならいっぱいあるって言うから、その内の一枚を借りにFの部屋に行くことになった。

 …で、体中に黒いリボンを巻きつけられた傑を見て、Fがキャッキャと喜んでる、今の絵に至る。

「傑っちかわいぃー。スッピンなのにぃー、アタシの華より綺麗かもぉー」

 ちなみに華ってのはFが持ってる20センチくらいのリアルな人形で、そこらに散らばってる小道具やら服は全部、その華さんの持ちモノだ。

「ホントはぁボンテージとかも着て欲しいんだけどー、これ『Strawberry Bitch』専用だからぁー、傑っちだといろいろ見えちゃうのねー?」
「…は?」
「悦。…これ」

 女子高生が何口走ってンだ、と思わず頬づえついてた顔を上げた俺に、傑は何故か履かされてた網タイツについてる、小さいタグを見せて来た。
 あぁ…成る程、ブランド名ね。

「うんー。『Kiss・Me・dick』ならぁーそぉーゆーのもあるんだけどぉー、アタシ♂型のえっちぃ服は持ってないんだぁー。普通のやつしか無いんだよねぇー」
「いや、普通のでいいんだけど」
「うん。寧ろ普通のでお願いします」
「えぇー?」

 服の山の中から真っ赤なチャイナドレスとパンツスーツを引っ張り出しながら、Fは残念そうに軽く俯いて見せた。

「じゃぁー…このー、白シャツとジーパンくらいしか無いよぉー?」
「それでいーよ。ちょっと借りてもいいか?」
「いーけどぉー…ホントにそんな普通のでいーのぉ?この革のとかぁー、このラバーのとかもかっこいーのにぃー」

 言いながらFが山から引っ張り出したのは、本物をちっちゃくしたようなラバーのボンテージと、拘束衣っぽい革服。
 …間違いない。このブランドのデザイナーは頭がおかしい。


「あー…嫌いじゃねぇけど、そういうのなら俺は脱がす方が、―――!」
「Fの前でくらいまともなこと喋れねーのか、お前は」

 また変なことを口走りだした傑の後頭部をデコピンで弾きながら、俺はポールガールが着てそうな、ほぼ布切れに近いビキニを服の山に戻した。
 こんな服で着せかえ人形してるFにこんな配慮、いらねーのかもしれないけど。

「…悦ぅー?」
「どした?」
「さっきからねぇー、傑っちがピクリとも動かないんだけどぉー、大丈夫―?」

 言われて見てみると、腰に布を巻いただけの傑はぱったりテーブルの上にうつ伏せになったまま、Fの「生きて傑っちー」っていうやる気のない声にもピクリとも動かない。

「…ヤベ」

 …手加減するの忘れてた。










 どこまで無茶苦茶なツクリしてりゃ気が済むんだよ。
 ったく…これだから、

 純血種ってのは。





 透明な硝子のボールの中で、琥珀色の液体がパシャンと跳ねる。

「どーよ、酒の“プール”は」
「シュワシュワしてて面白い」

 片手で掬った酒を飲みながら(シャワーは別に済ませてある)、傑は笑ってそう言うと、また水を跳ねさせながら“プール”の中に潜った。

 1口で酔えるように作られたこの酒は、ちょっと弱い奴なら匂いだけで泥酔するくらい度が強くて、俺も何かで割らないと満足に飲めない。
 強すぎて「硫酸」なんて別名で呼ばれてるこの酒なんかで泳いで、しかも喉が焼けるようなその刺激を逆に面白がってンだから、つくづく純血種ってのは無茶苦茶だと思う。

「目とか、痛くねぇの?」
「もう慣れた」
「ありえねー体してるよな、ホント。普通なら溶けて無くなってるんじゃねーの?」
「そうでもねぇよ」

 冗談のつもりだった俺の言葉に傑は笑って、縁につかまりながらへらりと笑って見せた。

「ほら、ちゃんと酔ってきた」
「マジで?」
「あぁ。顔に出てる?」
「全然」

 試しに覗き込んで見たけど、傑の顔はいつも通りで目すら潤んでない。意識だってバッチリあるみたいだし、呂律も回ってるし、…いつもと違うのは、ちょっとテンション高めってことくらいだ。

「ホントに酔ってるのかよ。はしゃいでるだけじゃねぇの?」
「いくらなんでもそこまで無邪気じゃねーって。なんか、…ふわふわする感じ?」
「あー…じゃあ酔ってンのかもな」

 初体験の「酔う」ってことにはしゃいでンのか、すーっと潜っては浮かんでくるのを繰り返してる傑を眺めながら、俺は瓶の中に残ってる酒を呷った。

「…楽しい?」
「退屈?」
「そういうんじゃねぇけど…お前にしちゃ健全な“お願い”だから」

 お詫びに何でも好きなことさせてやる、なんて言ったら普段の傑なら絶対にアッチ系のヤバい“お願い”をしてくる。さすがに今は小さいからそこまでヤバいことはさせられないと思ってたけど、まさかこんなに簡単だとは思わなかったから、正直言うと俺は拍子抜けしてた。

「もっと不健全なの期待してた?」
「これよりはな」

 ぱちゃぱちゃ水を跳ね上げて泳ぎながら笑って見せた傑に、俺は酒の入ったボールを指先で弾きながら頷く。
 中身は酒だけど、プールとか…ガキじゃあるまいし。

「しようと思えば出来るけどさァ、そーゆーことも」
「どーやってだよ、縮んでるくせに」
「確かにちっちぇーけど、これでも悦のことはイかせられる」
「は?どーやって」
「両足突っ込んでバタ足したり、尿道に腕突っ込んで掻き回したり、あとは目の前で視姦、」
「…沈めるぞてめェ」

 ボールの縁に頬づえ突きながら、とんでもない例をスラスラ上げ出した傑を頭から飲みかけの酒をぶっかけて黙らせながら、俺は落ちてくる酒の水圧でボールの中に沈んだ傑に軽く溜め息を吐いた。
 一人じゃ自分のこともろくに出来ない、片手で握りつぶせるサイズの傑の面倒を見るのも偶には面白いけど。やっぱり傑は万能で変態でカッコつけ(そして実際にキマってる)じゃないとこっちの調子まで狂ってくる。


「何でもいいけど、さっさと戻れよな」
「悦が欲求不満で発狂する前には戻るからだいじょーぶ」
「…バーカ」

 俺がそうなる頃にはお前だって同じだろうが。










『悪いけれど今日は時間が無いんだ、悦。何でもいいからあの馬鹿を1時間以内に僕の所に寄こしてくれないかな』

「…どーするよ」
「…どーしようもねぇな」





 鬼利からお怒りの通信が入ってから20分。
 しょうがないから言われた通りに傑を連れて来て、縮んだ姿を見せる前に一応状況説明をしてみた俺を見据えた鬼利は、溜め息を吐きながら額に手をやった。

「悦…クスリの類は15で卒業した、って言って無かった?」
「や、俺の妄想とかじゃなくてマジなんだって」

 言ってみるけど、机を高そうな万年筆でカツカツ叩いてる鬼利は、今度は溜め息も吐いてくれなかった。
 この目に見据えられてイケるってんだから、幽利は本当に凄いと思う。色んな意味で。

「解った。じゃあ見せるけど怒んなよ?いつもみたいにノリで撃たれたら木端微塵になっちまうから」
「つまらない冗談もいい加減に、」

 このままじゃ埒あかねぇし鬼利に睨まれてンのも怖いから、パーカーのポケットからちゃんと服を着せた傑を引っ張り出して執務卓の上に乗っけると、鬼利の動きが止まった。
 いや…うん、そりゃそうだよな。叫ばないだけ凄いと思う。


「……」
「よォ、佐緒君。元気?」
「…悦」
「な、なに?」

 へらへら笑いながら手なんか振って見せてる傑を見据えたままの鬼利に、背筋がゾッとするように冷たい声で名前を呼ばれて、思わず声が裏返りかけた。
 傑と一緒に殺されるかも、なんて頭の片隅で思いながら愛想笑いしてみた俺に微笑んで、鬼利は万年筆の先で傑を示す。

「これはなに?」
「じゅ、10分の1に縮んだ傑です」
「どうしてこんなことに?」
「さぁ…俺にもさっぱり…」
「…確かに傑だね?」
「お前のことそんな風に呼ぶ命知らずなんて、傑くらいしかいねーだろ?」

 俺とか他の壱級の連中も鬼利の家名が佐緒だってことは知ってるけど、その名前をどんだけ鬼利が嫌いかってことも知ってるから、鬼利の前じゃ誰も佐緒の「さ」の字も出さない。
 真正面から堂々と、しかも笑顔で呼べるのなんて傑だけだ。

「…いつからこんな風に?」
「今日の朝起きたら。色々頑張ってンだけど直ンねーんだわ。どうしたらいいと思う?」
「僕に聞かれたって困るよ」
「言っとくけど仕事は無理だぜ。こんな体じゃさすがに死ぬ」
「…仕方ない」


 やれやれって感じで溜め息を吐くと、鬼利は脇の量子パソコンのキーボードを片手で、しかも凄い早さで叩き始めた。何かもう軽く残像とか見えそうな勢いで。

「実行時期は体が直るまで引き延ばしておくけど、その代わりに元通りになったら直ぐに行ってもらうよ」
「じゃあ、なるべく遅く直るように頑張るわ」
「下半身捻り潰してあげようか?」
「冗談だよ幹部サマ」

 縮んでもいつもの通りのナメた態度を崩さない傑に、鬼利はやれやれって感じに溜め息を吐くと、右足を掴んでひょいと持ち上げた傑を俺の方に放った。


「わ、っと」
「わざわざありがとう。もう連れて帰ってくれて構わないよ、悦。3日後に依頼が入りそうだからその時はよろしくね」

 やる気のねぇ声上げながら飛んできた傑を空中でキャッチした俺にそう言うと、鬼利はどう見ても愛想笑いには見えない愛想笑いをして見せた。
 その言葉に、俺は取り敢えず2人とも五体満足で帰れそうだ、って安心したのに、傑は俺の手の中からぴょこっと顔を出して、

「呼びつけといてつれねぇな。せめてアドバイスとかねーのかよ」
「煩いよ化け物。中身は普段のまま、掌サイズに縮んだお前なんて僕には悪夢にしか見えない」
「可愛いから?」
「使えないからだよ。…悦、悪いけど早く連れ出してくれないかな。10数年ぶりに頭痛を感じそうだから」
「了解」


 こめかみを押さえながら面倒くさそうに言う鬼利に頷いて、俺は手をかけたままだった扉のノブを回した。

「…思ったより驚いてなかったな、鬼利」
「まァ、鬼利だしな」

 人気のない廊下をエレベーターホールに向かいながら、俺の手を伝ってパーカーのポケットに潜り込んだ傑に声をかけると、顔だけ覗かせた傑は首をすくめつつ笑って見せる。

「それに、アイツに大声上げて驚かれてもこっちがビビるだろ」
「でも凄ェ見てみたい、それ」
「幽利が俺くらいに縮めば叫ぶかもしんねーけど」
「や、その前にキレそう」
「あー…鬼利が縮んでも幽利がヤバいことになるな」

 ……。

「なんか、良かったのかもな、縮んだのが傑で。…良くはねぇけどさ」
「…だな」










「…ん…」

 瞼の向こうに感じた光に目を開けると、カーテンの隙間から人口太陽の光が丁度目元の辺りに差し込んでいて、俺は眠い目を擦りながら光から逃げるように寝返りを打った。

「…悦、…悦、腕。痛ぇって」
「んぁ…?…あぁ、悪ぃ…」

 なんかごつごつして寝心地悪いと思ったら、体の下に傑の腕を下敷きにしてたらしい。寝起きの掠れた声で囁くように言われて体を半分持ち上げると、下敷きにしてた傑の腕が抜けてく。

「傑、カーテン…」
「…カーテン?」
「開いてる…眩しい…」
「…あぁ、」

 言いながらシーツを被ると、どうして欲しいのか悟ったらしい傑は俺の頭から少し息苦しいシーツを剥いで、俺の目元に掌を乗っけてくれた。
 傑の掌の日よけのおかげで邪魔だった眩しさもなくなったし、このまま2度寝しようと俺はもう一度目を閉じて、

「―――戻ってんじゃねぇか!」
「…んぁ?」

 手を払いのけて飛び起きた俺を見上げる傑の眼はまだ寝ぼけてて、起き上がった俺をしばらく見つめてから鷹揚に頷く。

「うん、戻った」
「うん、じゃねぇから!戻ったならもうちょっと何かあンだろ!」
「だってお前寝てたし」
「寝てたけど、…寝てたけどそれは報告しろよ。つーか寝るな、起きろって傑、…うぁっ!」

 そのまま2度寝しそうな傑を、シーツをぐいぐい引っ張って起こそうとしてたら不意に手首掴まれて、今まで引っ張ってたシーツの中に逆に引き込まれた。


「…お前なぁ」
「怒ンなよ。言っただろ、心配しなくてもすぐ戻るって」

 シーツの中から上目づかいに睨み上げた俺にへらりと笑って、傑は乱れた俺の前髪を払うと額に触れるだけのキスを落とす。
 そのまま思いっきりシーツの中で抱きすくめられて、息苦しいくらいに抱きこまれる久しぶりの感覚にちょっとだけ、体が熱くなりそうになったのを堪えて、俺は精いっぱい傑の体を突っぱねる。


「…直ったんなら行けよ、仕事」
「なんで?」
「なんで、って…ただでさえ待たせてンだろ。昨日もあれだけ―――ん、っ」


 端末を取った手首を掴まれるのと同時に唇を塞がれて、するりと入り込んできた傑の舌に中を侵略された。
 そこだけ別の生き物なんじゃねぇかと思うくらい巧みに動く赤い赤い舌が這って、先を甘噛みされてじんと痺れた俺の舌の根元まで絡みつく。歯列をなぞられて、角度を変えて、何度も、何度も。

「ッ…はぁ、ふ…ぅ…傑…っ」
「お待たせ、悦」

 抗議のつもりで上げた俺の声なんて綺麗にスルーして、キスで力なんて当の昔に抜けた俺の僅かな抵抗なんて無いみたいに、俺の頬に触れるだけのキスを落としながら傑が甘く囁く。
 ここまで来て拒絶するのもさすがに野暮な気がして、端末を滑り落とした手をシーツに投げ出しながら、俺はせめてもの抗議に思いっきり溜め息をついてやった。


「待たせ過ぎだ。…このバカ」



 Fin.



やぁあぁぁっと終わりました10分の1、別名ミニマム傑。完結でございます。
ベッタベタに寝落ちでもいいかなぁと思ったんですが、さすがにベタ過ぎなので縮んだ時と同じように唐突に直らせてみました。


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