「なぁ、頼むよ」
漆塗りの艶々とした木目を指先で辿りながら、悦はかぶせ蓋に乗せた顎をごろごろと鳴らす。
「ちょっとじゃれるだけだって。割ったりしねぇから」
猫撫で声で言いながら、爪を引っ込めた猫又の指が金細工をあしらわれた金具を撫でるが、錠前を抜かれた掛け金はにべもなくそれをはたき落とした。
それにちぇ、と唇を尖らせながら、悦は尚もごろごろと甘えるように喉を鳴らして、四隅を金具に留められた四角い木箱に懐く。
長持である。
漆塗り金拵えの小姑のように几帳面な長持に、猫又はどうかその口を開けて九尾狐気に入りの瑠璃の酒盃を出してくれと、しなだれるようにして強請っているのだった。
縁金具にまで大輪の菊をあしらった絢爛な長持はその身を彩る金に僅かの欠けも曇りも無く、付喪に成れるだけの歳を経てはいないのだが、他でもない九尾狐の塒に在る調度である。自ら立ち動くことは出来ずとも、掛け金具や取っ手を揺らして若輩の猫又を威嚇するだけの妖力と、主である九尾の財を守る矜持は持っていた。
どうせ九尾に一等気に入られている此の猫又は、その寵愛を良い事に、半月前銀狼の筆にしたような無体を瑠璃の酒盃に働く気に違いない。筆の方は傑の手に操られていたとはいえ、嫌がる猫又の蜜と妖力を随分啜ったので応報も已む無しであったが、可憐な酒盃はただ九尾の唇に触れられるのを夜毎喜んでいるだけだ。その唇すら半分以上も猫又に奪い取られているというのに、これ以上可哀相な目に合わせてなるものか。
―――と、付喪にも成れぬ長持がそこまで考えているのかは解らないが、蓋を開けぬという決意は随分固いようだと、悦は喉を鳴らすのを止めた。人の其れのように短くしていた爪をにゅっと伸ばし、金釘よりも鋭いそれをひたりと長持の、胴だか顔だか解らぬが急所には違いない、一等大きく美しい菊模様の金細工に押し当てる。
「……爪、研ぐぞ」
ぼそりと剣呑に呟くのと、長持が僅かに開いた蓋の隙間から瑠璃の酒盃を吐き出したのとは、殆ど同時のことであった。
偏に惜しみない寵愛と庇護を注いでくれる九尾狐を歓ばせる為である、というのが悦の大義だ。
残忍で狡猾な狐の前評判に反して、九尾狐である傑は優しい男であった。褥では多少意地の悪い時もあるが、爪や牙を立てて傷をつけることも、興が乗らぬ所を無理に組み敷くことも無い。付喪にも成れぬ調度や庵にも同じく、柱で爪を研ぐことも無ければ暇潰しに着物や小物にじゃれつくことも無く、世話焼きの長持や布団が気を回せばきちんと労う。
千年を超えたその齢と妖力に相応しい、余裕のある穏やかさだ。そういう所も堪らなく好ましいが、だが、と悦は思う。だが、傑とて妖なのだ。それも強大な九尾狐である。時にはその余裕をかなぐり捨てて一匹の雄に成っても良い筈だ。
半月前、多少の意趣返しのつもりで銀狼の筆を猫じゃらしにしてやった時の傑は、それはもう凄かった。元より低く甘い声は一層骨身に響くように深くなり、月夜の如き藍色の瞳は獰猛に光り、仕置きとして性急に突き入れられた楔は常より更に意地悪く、残忍に、幾度謝っても決して許さず悦の泣き所を散々に甚振った。首に柔く牙を立てられた時などは、余りの法悦にそのまま死んでしまうかと思った程だ。
悦が思うに、在れが傑の本性なのだ。
然し、齢千年の九尾狐にはすっかり彼の雌にされた猫又とは違い、矜持がある。そうそう獣の本性を剥き出すような真似は出来ぬと己を律しているのだろう。考えるだに惚れ惚れする雄だが、相方を務めるのは雌より丈夫な雄の猫又であるのだから、偶には良いように貪るだけの時が在っても良い。
「……良し」
若輩の猫又が幾ら挑発して見せた所で、軽くあしらわれて甘やかされるだけだった。ならば半月前を再現するより他無いと、悦は長持が差し出した瑠璃の酒盃を、決して割らぬように慎重に、さもじゃれつくのに飽きて乱暴に放り出したと見えるように斜めに畳に置き、寛容な極楽鳥の布団を好き放題に乱してその上にくるりと丸まって、傑が広大な縄張りの見回りから戻るのを待った。
重ねて言うが、長持を脅したのも、酒盃を転がしたのも、布団をぐちゃぐちゃに乱したのも、偏に傑が律する性を開放する一助とする為だ。その結果として多少、己も良い思いをするつもりではあったが、共に九尾の寵愛を受けるか弱き物達を虐めるつもりは悦には無かった。
うずうずと待つこと、半刻余り。
独りでに開いた庵の戸を潜り、傑は戻った。出迎えもせず丸まったままの悦を見てふと立ち止まり、藍玉の双眸が土間からこじんまりとした室内を見渡して、はぁと溜息を吐きながら青々とした畳に上がる。
「妬いたと思えば可愛いが……」
背に揺れる尾の一本で転がる酒盃を拾い上げて文机の上に乗せながら、伸ばされた腕が悦の後ろ襟を掴む。布団の上に引き起こされてびくりと竦んで見せるも、素直な尻尾は丸まらずにぴんと立ってしまった。それを唇の端で笑いながら、傑は振り返った悦を見下ろしてすぅと瞳を細める。
「此奴等を苛めてやるなと、そう言ったよな?」
「い、いじめたわけじゃ……あっ」
「そいつはお前の言い分だろう」
立てた尻尾の先を揺らしながらのもごもごとした言い訳を遮って、傑は掴む場所を後ろ襟から胸座へと持ち替えた。半月前もこうして、着物を紙のように容易く引き裂かれたのだ。あの時を思い出してとろりと瞳を潤ませる化け猫を、傑は望み通りの力強さで畳の上に引き摺った。
開いたままの、戸口に向かって。
「お前はじゃれただけのつもりだろうが、彼奴等は違う。どうにもお前にはそれが解らねぇらしいな」
「えっ」
気持ちばかりの抵抗をしながら引き摺られる膝が土間に落ち、悦は子猫でも摘むようにしている傑を見上げた。庵の外をぐるりと囲む柔らかな叢をさくさくと踏むその顔は、背に揺れる九尾の所為で伺えない。
真逆外へ閉め出されるのかと、思わずその袖に縋った悦を一度も振り返る事無く、傑は叢をぐるりと囲む古い巨木の、大きな洞のある一本の前で足を止めた。懐手にしていた掌を樹皮に当てて口の中で低く、恐らくは何がしかの呪を呟いて、ぽっかりと底の抜けた洞の中へ悦を放り込む。
「……に゛ゃっ!?」
洞に突如として開いた得体の知れぬ穴の中、九尾とそう齢の変わらぬ巨木の背丈と同じほどに落とされながらも、猫の身軽さで四足で着地した悦は、ぐんにゃりと泥濘むように撓んだ地面に跳び上がった。森に在るような、例えば半ば土と化した落ち葉や沼底の柔さとはまた違う。
「ひっ」
見渡した四畳間程の空間が夜目の中でぬらりと光り、その悍ましい肉色に、悦の喉から引き攣った息が漏れる。
はらわただ。
変怪した傑よりも尚大きい生き物の腹に呑まれたのだと、否、放り込まれたのだと、咄嗟に悦はそう思った。見上げた洞の口は十丈近くの高みにあり、壁面はぽっかり開いたその口に向かって緩やかに窄んでいる。外から見たならば、この肉色は百合の蕾か、長く引き伸ばした壺のように見えただろう。悦が居るのはその蕾の、或いは壺の底であった。
はらわたならば、このぬるぬると滑るのは酸だろうか。跳んだ先で矢張りぐにゅりと沈む地面にまろびかけながらも爪先立ちになった悦の前に、すとんと傑が落ちてきた。脈打つ壁を宥めるようにひと撫でして、枝葉か雲かにさっと陰った月光の中、鋭い爪を無造作に振るう。
「な、にを」
「言って解らねぇなら、同じ目に合わせてやる他ねぇだろ」
傑の右の五指が切り裂いたのは、袖を捲くったその左腕だった。再び遠い穴の口から差し込んだ青白い光で目元に影を落とし、ふぅと息を吐きながら血の滴る左腕を軽く振る。傑の爪は鋭い。びしゃりと散った鮮血は周囲の肉に、そして驚きに目を見開いた悦の頬にも掛かった。
「なに、喰われやしねぇよ。此奴にとっちゃァじゃれるだけだ」
「す……傑、ちが」
こんな風に怒らせるつもりは無かった、と震える声を上げても後の祭り。へたり込んだ悦ではなく、紙に墨が染みるように血を啜った肉をもう一度撫でて、九本の美しい尾がその横顔を覆い隠す。
「少し遊んでやれ」
扇に広がった尾がざわりと揺れた、と見えた時には、既にその姿は掻き消えていた。
「傑っ、すぐ……ぅあっ!」
咄嗟に追い縋ろうとした足がずぶりと沈み、悦は傑の居た場所に手を伸ばしながら膝を着く。振り解こうとしたがぶよぶよと柔らかい肉は力を吸い込むように撓むばかり。更には爪を立てようとした腕までが呑まれ、悦は全身を総毛立たせた。
乾いた土に亀裂が入るように足元が裂ける。
底でもはらわたでも無かった。此処は口だ。
―――喰われる。
「離せ、嫌だ、すぐるっ……傑ッ!!」
助けて、と伸ばした手は誰にも届く事無く、生暖かく滑った肉にぱくりと呑まれた。
四肢を捕らえられたまま落ちた底は今度は悦の背丈程に浅く、獲物の大小に合わせて自在に伸縮する胃袋のような内側には、落とし穴の要領で獲物を捕らえる口には無かった肉色の触手がぞわぞわと蠢いていた。
撒き餌でもあるのだろう、膝ほどの高さで溜まった透明な粘液は蜜のように甘い芳香を放っている。尻もちをついたような格好で肉の中に四肢を絡め取られたままの悦はその粘液に腰までを浸し、ねっとりと糸を引く蜜を体中に塗りたくられながら、四方八方から伸びたイソギンチャクと蛸の間の子のような触手に群がられていた。
「んっ、んぅっ……はぁぅう……っ!」
特に下肢は酷い有様で、糸のように細いものから指ほどの太さのものまで大小様々な触手が寄り集まり、肉筒となって根本から先端までをすっぽりと覆いながら粘液を刷り込まれている。全体を絞るようにしながらずりずりと擦り上げるものと、亀頭をちろちろと舐めるもので役割を分担した触手郡の動きは巧みで、粘液に含まれた媚毒の効果も相まって、悦は既に二度ほど精を吐かされていた。
着ていたものはとうに脱がされている。
剥ぎ取られた布の代わりとばかりに群がる触手は余す所無く肌を這い、他より反応の良い場所を探り当てては其処に群がった。藻掻く内に空気に溶けた媚毒を吸い込んだのか、酩酊したように呆とした頭には気味の悪い肉色を悍ましいと思うだけの正気は無く、両の乳首をこりこりと転がされて差し出すように胸を反らし、脇腹をずるりと撫でられて身を震わせ、会陰をぐうっと押し潰されるのに合わせて肉筒を締められ、呆気なくまた精を放つ。
「あ、ぁっ……あぁああっ……!」
流石に薄くなった白濁が残らず触手に絡め取られ、染みるように肉色の表面に吸い込まれていくのを見ながら、悦は微かに頭を振った。萎える暇もなく追い上げられた所為で息が苦しい。ぬるぬると這い回る触手に肌が削られるようだ。
「無理だ、こんな……休ませ、……っ」
思わず弾んだ息の中で訴えるが、血肉の代わりに淫気を食らう触手が聞き入れてくれる筈も無い。
「ひっ……!」
なかなか硬くならない下肢に焦れたように、それまで慣らすように表面を擽られるばかりだった奥の窄まりを幾本かの細い触手に抉じ開けられ、悦は雁字搦めに囚われた体を跳ね上げた。くぱりと開かれた合間から粘液が入り込み、傑に幾度も擦り立てられた時のようにそこがじくじくと熱を持って疼き出す。
「んンっ、ん……ふぁっ……ああぁ……ッ」
懸命にそこを閉じようとするが、縁をぬるぬると擦られながら十本余りの触手に群がられて更に広げられ、蚯蚓程の太さの触手四、五本に入り込んだ粘液を中で掻き回すようにされて、鼻にかかった甘い声が漏れる。
改めるように這いずる動きに、肌の上にしたように弱い所を探られているのだと解った所で、日頃から九尾狐に散々雌にされる愉悦を教え込まれ、今は媚毒にまで侵された体が抗える筈もない。身を捩ろうとする動きを腰に方方から巻き付いた四本の触手に固定されながら、遂に探り当てられてしまった胡桃ほどの凝りをぐにゅりと押され、悦は触手が這い回る背をぐんと仰け反らせた。
「あぁっ!」
大仰な反応に其処が一等弱いと察したのだろう、蛞蝓が這うようだった触手の幾本かが肩から胴にかけて素早く絡みつき、緩く孤を描いた背をそのまま固定する。腰を絡め取る触手はもう二本増え、そうして決して逃れられぬようにされた上で、他を探っていた触手も加わっての凝りへの責めが始まった。
「あぁああッ!?や、やめっ、あぁあっ!」
三本が絡み合ってやっと親指ほどの太さになった触手が凝りを押しながら擦り上げ、他の幾本かがぐにゅぐにゅと押し潰されて変形する周辺をこちょこちょと擽る。柔く撫でられただけで痺れるようだった其処を潰され擦られ擽られる快感は最早暴力的と言っても良い程で、ひっきりなしに反った背骨を駆け上がる甘い雷に、悦は肉の内に囚われた四肢を精一杯に藻掻かせた。
三本が集まって一本となっている所も質が悪かった。絡んでいる所為で滑らかな筈の表面に不規則な凹凸が生まれ、擦られるのに加えてこりゅこりゅと転がされる。強すぎる快感に慄く縁を広げる無数の触手は締め付けようとする動きを阻んで大きく開かせ、潤滑油でもある粘液をたっぷり腸壁に染み渡らせながら、もっと端なく口を開けろと言わんばかりに皮膚と粘膜の境目を這い回る。
「ふぅっ、うぅっ……ぅう゛ううっ!」
身動きの取れぬ悦に出来ることと言えばきつく奥歯を噛むくらいで、それとて僅かな時間稼ぎにもならず、直ぐに絶頂へと叩き上げられた。傑に仕込まれた、精を吐かない雌の達し方だ。
目の前が白む。四肢の感覚が遠くなり、体の芯と頭の中がどろりと溶かされていくような快楽のこと以外は何も考えられなくなる。
得も言われぬ心地良さ。然し、触手の餌とされた悦にそれに浸る猶予は与えられない。
「ひぐッ、ぅうぅっ!」
糸程に細いものが何十と寄り集まって刷毛のようになった触手束が、じゅるりと痙攣する凝りを舐め上げたのだ。
媚毒を散々刷り込まれた上に、達した直後である。がん、と頭を殴り付けられるような快感は苦痛にも等しく、ぴったり張り付いてぞりぞりと擦られるのに悦は触手を引き千切らんばかりに暴れた。
「いった!イったからぁっ!あぐッ、駄目、今は駄目なんだ、ってぇッ!」
どう見ても雄の体である悦が雌のように達したことが、そちらでの絶頂では精は出ないのが、目鼻も無いこの触手には解らないのかもしれない。そう思って、痺れたような舌を無理矢理動かして懸命に訴えてみた。
「ぅあ゛あぁあっ!やだぁ、やだぁああっ!」
ずちゅ、ずちゅ、と凝りを無数の舌で捏ね回す触手の動きを少しでも阻もうと、童のように喚き散らしながら精一杯にそこを締め付けようともした。
「また、またイく、いくぅっ……あ゛ッ、やらっ!待って、いまだめぇえっ!」
達している最中の凝りをばらりと解けた触手にかりかり、こりこりと引っ掻かれ、かと思えば絡み合ったものにぐにゅりと押し潰されて、腰に絡んだ触手の一本を渾身の力を込めて引き千切りもした。
―――全てが徒労に終わった。
「うぁあ゛あぁっっ、あぁ゛あぁッ!」
一番細い一本を引き千切ったことで全身の拘束はより強固になり、痙攣によって粘液の水面を波打たせるだけの自由も奪われた上で、ぷっくりと充血して腫れた凝りを無数の触手に揉みしだかれる。
時折押し出されるように薄い白濁を零す下肢はより厚みを増した肉筒の中にもじゅもじゅと食まれ、細い触手にきゅうと根本を絞られた胸の尖りの先を、別の触手がぴんぴんと弾く。
脇腹や足の付根に回った触手はただ押さえつけるだけでなくずるずると這い回り、肉壁の内に取り込まれた手足までも、絶頂にぴんと伸びたまま無数の触手に群がられ、指の股に至るまでにゅるにゅると舐られる。
絶頂と絶頂の間はどんどんと短くなり、度重なる絶頂に鋭敏になった体が乳首を捏ねられるだけで火花を見るようになっても、触手は捕食の手を緩めることは無かった。
「あぁーーっ!あ゛ぁあーーーっ!」
脳が沸騰しそうな快楽を少しも逃せず四方八方から注がれながら、悦は声の限りに泣き叫んだ。目を開いている筈なのに、ばちばちと弾ける火花が邪魔をして肉色さえ見えない。神経を直接弄り回されているようだ。頑丈なこの身が今ばかりは恨めしい。只の猫で在ったなら、とうに意識を失えていただろうに。
「あぐっ、うぅっ!ぁぅう゛うーーっ!」
揉み込まれてより鋭敏になった凝りを、また触手がかりこりと引っ掻き始める。こうされながら下肢を焦れったくしゃぶられ、乳首をきゅうと絞られるのが一番効くと、既に知られてしまっているのだ。
「あ゛ぁあーーー……!」
思惑通りにぷしゃりと吹き上がった潮を触手が残さず舐め取っていく。引っ掻かれる動きに慣れぬ内に触手がざわざわと寄り集まり、哀れに震える凝りを覆ってぐん、ぐん、と強弱をつけて押し上げながら、今度は甘やかされていた下肢をきつく絞り上げ、つんと尖った乳首をじゅるりと捏ねる。
「ぁ……あ゛ぁ………くぁ………」
ぴんと張った糸が少しも緩まぬよう技巧を凝らした触手の責めは、獲物が瑠璃色の瞳を半ば瞼の裏に隠してか細く呻くだけになっても、念入りに続いた。
生き地獄の長い捕食から、暫く。
淫気を喰らう触手が満足するまでの間、長く、永遠にも思えるように長く、追い遣られていた高みから漸く降りることを許された悦は、泥のように重く倦み疲れた体を粘液溜まりの中に仰向けに寝かされ、別の地獄を味わわされていた。
「ふっ……ふぅうっ……!」
肉が少し盛り上がった所へ頭を乗せられ、喉が破れる程に喘ぎ泣いていた口の中へ、じっとりと濡れた触手が一本入り込んでいる。無尽蔵に思える程に伸びていた触手はその殆どがつるりとした肉壁の中に引っ込み、今在るのは痺れるように甘い粘液を悦に飲ませているこれと、下半身に取り付いた三本だけだった。
胴を締めていた触手が無くなる代わりに手足はそれぞれ肘と膝までが肉に飲まれ、身を捩ってすり鉢状の底に溜まった粘液から肌を出せぬように、気力も体力も削り取られた体を大の字にぴんと伸ばしている。そうやって首から下を少し嵩の増した粘液に浸しながら、小指ほどの太さの二本の触手が腫れた後孔の縁を左右から引っ掛け、ぱっくりと開かせてそこからもたっぷりの媚毒を飲ませていた。
最後の一本は蚯蚓ほどの細さで、此方は信じ難いことに、鈴口へと潜り込んでいた。他と違って管のようになった先端は膀胱にまで至っており、ぴくりとも動かず凝りを串刺しにしたまま、ぽたぽたと粘液を滴らせて下腹を膨らませている。
「う゛ぅうう……っ」
粘液には僅かながら妖力が含まれており、呼吸の為に口を一杯にするそれをこくりと飲み下すと、否が応でも戻される体力と喉を焼く媚毒が一層酷く悦を苛んだ。
飲まれた四肢は生暖かい蒟蒻のような感触の肉でぴったりと覆われていて、指先一つ動かせない。
丁度悦の口をいっぱいにする太さの触手を喉奥まで差し込まれている所為で、頭を振ることも出来ない。
抉ってくれるものを欲して堪らなく疼く内壁を撫でるのはとろりとした粘液ばかりで、縁を広げる触手はいくら誘い込もうとも決して入り込んではくれない。
唯一穴を犯している下肢の触手は入ったっきりぴくりとも動かず、強引に抉じ開けられて擦られた記憶の新しい鈴口がぱくぱくと喘いでいる。
半刻前まではあんなに恐ろしかった激しい淫虐の数々が、今は胸が潰れるほどに恋しかった。
「あぇ……んむ、ぅ……!」
妖力を注いで強制的に体力を戻そうとする触手を何とか吐き出そうと、悦は痺れた舌を動かし、柔らかく肉に後頭部を包み込まれた顔を僅かに振って、精一杯に剥いた牙を立てた。或いは、触手を怒らせて酷く報復される事を願っていたのかもしれない。
然し、ぐにぐにと柔い癖に、どういう仕組みか牙も刺さらない触手は口の中で少し形を変えるだけで、悦の喉を突くことも、舌の上から退くことも無かった。大きく開かされたまま閉じられない顎は直ぐに重怠くなり、また、淡々と滲む粘液を飲み下しながら少しずつ、次の淫虐を余さず受けられるよう体を直され熟される時間がやって来る。
生殺しにされる辛さにぼろぼろと童のように泣きながら、折れた心をじゅくじゅくと蝕まれること、更に半刻。
「んぅ……っ!」
もう涙も枯れ果て、虚ろに肉色を見上げながら微かに震えてたぷたぷと粘液の水面を波打たせていた悦の下腹に、不意につきんとした疼痛が走った。
下肢を貫く触手が遅々と滴らせていた粘液が、遂に膀胱をいっぱいに満たし終えたのだ。
視界を滲ませる涙を瞬きで払ってそちらを見れば、肉色を映して薄桃色の毒沼に沈められた下腹が、気持ち膨れている。苦しい。これ以上注がれては腹が破れてしまう。
「んゃっ……ゃあぁっ……んむ、ぅうう……っ!」
口を塞がれている所為で不明瞭に泣きながら、悦はつきつきと疼痛に刺されている下腹に必死で力を入れた。力んだことで貫かれた凝りが刺激され、それにふわぁあと腰が抜けたような声を上げながらも、栓になっている触手を狭い管の中からなんとか追い出そうとする。
腹を内から破られて死ぬのは、生殺しにされたままそんな情けない死に方をするのだけは嫌だと、その一心で額がびっしょりと汗で濡れるまで力み続けていると、それまでぴくりともしなかった触手が動いた。
悦の懸命の努力の甲斐あって、遂に芯も無い細い触手が水圧に負けて抜けていった―――のでは無い。
「ひぅううぅっ!?」
微塵も位置を変えぬままの触手が脈打ち、己でいっぱいになるまで注いだ粘液を、今度は強烈に吸い上げ始めたのだ。
ねっとりとした粘液を吸い上げる為に触手は前立腺の中で僅かに蠕動し、生殺しに喘いでいた悦は羽に撫でられるようなその刺激だけで絶頂を迎える。鈍化していた神経を今一度叩き起こし、遠のいていた意識に改めて狂おしい飢えを刻み込む、浅い絶頂だった。
「ふぅう……っう゛!?むぅっ、むぅうぅっ!」
粘液ごと混じった尿をも吸い上げられ、積み重なった浅い絶頂がやっと深い愉悦を呼び込もうかという時に、謀ったように触手は動きを止めた。当然、悦は腰を振りたくり、身を捩ってなんとか寸前で取り上げられた絶頂を追おうとしたが、如何に藻掻こうとも肉壁に深く囚われた体では、浸す粘液の水面を少しばかり波打たせるのが精々だった。
「ひぅ……う、うぅ……っ」
とうとう啜り泣きだした悦のことなど全く意に介さず、すっかり空にされた膀胱に、ぽたり、と粘液が滴り落ちる。
結局、下肢の触手が抜かれたのは更に三度膀胱を満たされ、それを二度吸い上げられてからだった。
「ひあぁあっ!あ゛ぁああーーッっ!」
ちゅるり、と細い触手が抜けると同時に四肢の拘束が緩み、悦は口の触手を吐き出して弓なりに全身を仰け反らせ、満たされた粘液混じりの精液を待ち望んだ絶頂と共に吹き上げる。
白濁が全て出てしまっても、下腹を重く感じる程にたっぷりと注がれた粘液は出終わらない。放尿そのものの快感と凝りを液体に擦られる快感に悦の心を引き裂き、途方もなく長い射精をしているような心地を味わわせながら、どろどろと堰が崩れてしまったように溢れ続けた。
長く焦らされてからの小刻みな絶頂にがくがくと痙攣しながら半分を出した所で、肉壁がざわりと蠢き、引っ込んでいた触手達が再び捕食の為に獲物の体を絡め取る。
「ひぃい゛いぃ……っ!」
久方振りに肉から出された爪で近くに寄った触手を引っ掻くが、牙も立たぬ表面には傷一つ付けられず、膨れた下腹を緩く押されて勢いの増した粘液に絶頂している隙に、両手と片足を絡め取られた体がざばりと粘液溜まりから引き出された。
万歳をするように頭上に持ち上げられた両手が低い天井の肉に手首まで飲まれ、太腿を締められた左膝が腰より高く掲げられる。右足は踝までが肉に飲まれ、自重の殆どをぶよぶよと不安定な足場で支え続けることを強いられた。
ぞわぞわと見せつけるように触手が寄り集まって出来た肉筒が、未だ粘液を垂れ流し続ける下肢をじゅるりと咥え込む。
「いや、いやだ……あ゛ぁああぁ゛あッ!」
吐き出すのを助けるように下から上へ絞り上げる動きに反して、小指ほどの触手がぺたりと鈴口を塞いだ。逆流する粘ついた液体に悦が悲鳴を上げるとぱっと離れ、ぴゅうと粘液が肉壁にまで跳ぶと、またぺたりと塞ぐ。
出している最中に細いもので鈴口を掻き回され、水鉄砲のように天井まで粘液を跳ばされることもあった。捕食の為の動きでは無い。意の侭に粘液を吹き上げる悦を玩具にして、楽しんでいるのだ。
「やめ、……あぅ゛うっ……やめろ、やめろってぇ……!」
残酷な遊びは最後の一滴を出し終わるまで続き、糸のように細い触手で緩んだ鈴口を弄びながら、戯れていた幾本かがそこ以上に緩んだ後孔へと回る。今度は縁を広げられる事は無く、確りと束になった触手に犯されるのを悦に感じさせながら、飢えに飢えた凝りをごりゅんと突き上げた。
「ひぃい゛いっ!」
触手には太さも硬さも無いが、勢いよく突かれればそれなりの重さがある。吊り下げられた悦はそれをどこにも逃せず、右膝をがくがくと震わせながら受けるより他無い。
焦らされている間はあれほど恋い焦がれた刺激は、あっと言う間に悦の許容量を溢れ出して耐え難い苦痛へと変わった。妖力を注がれて体力は戻されたが、気力は削り取られたまま、二種の生き地獄に崩れた心を立て直す暇も無く、口惜しさや神経が焼け付くような快楽によってでは無く、触手への恐れではたはたと涙が零れる。
「やらぁあっ……もうやらぁあ゛あっ……!」
齢二百の猫又が子猫のように頑是なく泣いても、耳の無い触手には何一つ響かない。
弱々しい反応が気に食わぬのか、鈴口をくじっていた触手を更に深くへ潜らせ、交尾そのものに突き上げられる凝りを、狭い管の内からもぐにぐにと押し揉むようにして、更に責めを惨たらしくしていくばかりだ。
「あぁあ゛あーーーっ!!」
こんなに手酷く嬲られなければならぬ程、悪いことをしただろうか。
喉に血の味がするまで叫んでも、陰惨に凝りを苛め抜く触手も、裏筋を擦り立てながら亀頭を舐め回す触手も、乳首を絞る触手も、どれもこれも悦の懇願を聞いてはくれなかった。
目鼻が在れば多少の反応も見えただろうに、触手にはそれすらも無い。もう限界だと、これ以上は狂ってしまうと幾度も叫んでいるのに、己の声が風の音にでもなってしまったようだった。
声も仕草もまるで届かない。
付喪にも成れぬ調度達も、こんな虚しさと恐怖を覚えていたのか。
だとすれば確かに、悦は自覚する以上に酷いことをしていたのかもしれない。
「……ごめ……なさ……ぃ……っ」
喘鳴の中で謝ったその瞬間、貝のようにぴったり閉じていた天井ががばりと開いた。
悦があれほど引き、噛み付き、爪を立ててもびくともしなかった触手共を、九尾狐はいとも容易く千切り踏み潰して、彼の愛猫を肉色の檻の中から引き摺り出した。
「ふぁああっ……!?」
絡んでいた触手が肌を擦りながら解け、抜けていく感触に見開いた悦の目前を、豊かな尾が覆う。月光に染めたような毛並みがざわりと揺れた、と見えた時には、悍ましい肉色と思考を溶かす甘い香りは跡形も無くなっていた。
尾が退いて広がった視界に、見慣れた漆喰の壁と柱が見える。悦にとってはどんな城より居心地の良い、傑の匂いと気配が染み付いた、小さな庵の内側だ。
若輩の猫又にはどういう理でどこにどういう力を加えているのかも解らぬが、瞬きの間に触手の巣穴から傑の巣穴へと移されたらしい。
半ば呆然と膝下の、ぶよぶよと撓まず葦草の良い匂いがする畳を見下ろしていた悦の顔を、後ろから顎下に回された手が上げさせる。
漆塗りの艷やかな黒肌。大輪の菊模様。
「もう一度」
ひたりと蓋を閉じ、掛け金を下ろした長持に相対させたまま、背後に立つ傑が言う。
豪奢な木箱には相変わらず目鼻も無ければ手足も生えてはいないが、じっと押し黙っているような気配だった。長持だけでは無い、此処にある全ての調度達が、粘液に汚れていても尚庵とその主に受け入れられた悦の言葉を、固唾を呑んで待っている。
その様に感じられた。
「……ご、」
せめてこれ以上畳を汚さぬよう、疲弊した体を精一杯に縮めながら、悦はしゃくりあげる。
「ごめん、なさい……っ」
……カタン。
涙声の謝罪に応えるように、否、応えて長持が掛け金を揺らし、曇り一つ無い金細工から視線を反らせぬよう顎下を捕らえていた手が柔らかく喉を擽る。
「……良い子だ」
「っひ、……ぅ、にぅう……っ」
低く甘い主の声を合図に張り詰めていた庵の空気がほっと緩み、悦は背後にしゃがみ込んだ傑に両手を伸ばして縋り付いた。
子猫に戻ったようにみゃう、にぃ、と甘えた声で鳴きながら、濡れたままの尻尾まで絡めて抱きつくと、傑は畳に胡座をかいてその膝の上に悦を抱き上げてくれた。背と腰に腕を回してすっぽりと包み込まれると安堵と心地良さに益々涙腺が緩み、首筋に顔を擦り付けて傑の匂いをいっぱいに吸い込みながら、悦はにぃにぃと泣きじゃくった。
「お、れっ……おれ、すっ、すぐる、に……っすぐ、るにぃ……っ」
「あぁ」
「し、しかられ、……ひどく、だ、抱かれ、たく……てぇ」
「酷く?」
「筆の、とき、みたいにっ……だか、ら、だからぁ……!」
傑の為に、と掲げた大義は我が身の浅ましさから目をそらす為の方便であったが、誓って長持や酒盃に爪痕一つ残す気は無かった。悦とて猫又、その気になればひと睨みで閉じた蓋を開かせ盃を粉微塵に砕き庵を潰すことも出来る。だからそのくらい解ってくれるだろうと、戯れだと通じているだろうと考えていたのは確かに横柄な甘えであったが、浅慮ではあっても悪気は無かったのだ。
傑にだけは、それをどうか解って欲しかった。
「俺を怒らせたかったのか」
「ごめん、ごめんなさい……っ」
「盃に妬いた訳じゃねぇんだな。またあんな風にされたくて、それでか」
「にぅ、にぃい……!」
「……そうか」
強く抱き締められている所為で顔の見えぬ傑の唇が、悦の耳元でふぅと息を吐く。
ぴとりと胸に胸をくっつけて抱きつく悦を、傑は優しく、それでいて抗いようのない力強さで裸の肩を掴んで少し離した。慰めるように寄り添ってくれていた尾の一本が悦の尾を絡め取り、隙間を埋めるように二匹の間に入り込んだ尾が、ふさふさと喉を擽りながら顎を持ち上げる。
「そういう事なら、許してやる訳にはいかねぇな」
……カタン。
瞬きを忘れて望み通りに獰猛な藍色に魅入る悦の代わりに、背後の長持が怯えたか呆れたか、小さく掛け金を鳴らした。
媚毒に蝕まれた体で味わう傑のものは甚だしく格別であった。
内から突き破られそうに硬く、触手十本よりも太く、腹の底にまで届くほど長く、触れた所が焼け爛れてしまいそうに熱い。棘が無い代わりに張り出した雁首の見事さは筆舌に尽くし難く、反りさえ見惚れるほどに美しい。
そんなものを媚毒を刷り込まれ触手に嬲られた処に、それも雌猫のように伏して腰を上げた背に伸し掛かられながら突き挿れられ、悦の正気は羽よりも軽く吹き飛んだ。
「ひに゛ぃいい゛ッ!」
根本まで一突きにされただけで深く達した悦の呆気なさにくつくつと喉奥で嗤いながら、腰を下げたり上にずって逃れられぬよう二本の尾で左右の太腿を絡め取り、傑は腹の底を切っ先でねっとりと捏ね回す。
それは強かに殴り付けられた最奥を慰めて撫でるようであり、触手には開かれなかった狭路を抉じ開けるようでもあった。恐らく両方を意図しての事であっただろうが、腹の底を撫でられる悦にしてみれば堪ったものでは無い。
「ひぎっ……ぃ、い゛ぃぃ……っっ!」
一分動かされる度に意識の飛びそうな深い愉悦が背筋を駆け上がり、頭蓋の内に弾けては目の前に火花を散らす。がちがちと奥歯を鳴らしながら思わず頭を振ったが、許さぬと言った通り傑はぐちゅ、ぬちゅ、と丁寧にそこを捏ね回し、願い通りの仕置きなのだから抵抗するまいと爪を引っ込めていた悦の殊勝までをも容易く剥ぎ取っていった。
顔の傍に押さえつけられた両手でばりばりと畳を掻く悦の首筋に噛み付き、或いは吸い付き、白い肌が所有印に埋まった所で漸く満足したのかゆっくり腰を引いて、ぱん、と肉がぶつかる音を高く鳴らしながら突き上げる。
「あ゛っ、あ、ぁあ、あ゛、あッ」
気遣いも加減も無い。その癖に、技巧だけは有る。
種付けの為に性急に突き崩すだけに見えて、受け入れる土壌を柔く潤ませる事にも余念がない。悦のそこは雌のように濡れはしないのに、内壁と全身の痙攣が酷くなる箇所を強く擦り、潮かどうかも定かではない淫液を吹く箇所は手酷く抉る。
手管と言うよりは、雄としての本能だ。身も心も屈服させた雌はそうでない者より孕みやすい。だからこそ、技と知恵を持つ雄はより強く賢い雌に選ばれ、強靭な子を残して貰える。獣の雄の強さはそれが全てだ。
「……っッ……っ、……ッッ………!!」
今の此れは、傑という見事な雄の全てを体いっぱいに捩じ込まれているようなものだった。
雌では無い悦にこんな恐ろしく強いものを零さず受け止められる筈もなく、声も出せずに指先までを痙攣させて、潤みもしなければ孕みもしない穴でぎゅうぎゅうに締めるので精一杯だ。同じ雄としてそれが良いと知っているから、と言うよりは己を守る為の本能で、根本から先に向かって絞るように締め上げる。
雌のようにふよふよと抱き心地が良くない代わりに俊敏に鍛えられた雄の全力だ。さしもの傑も此れには耐えきれなかったと見えて、顔の横に悦の両手を押さえつけている五指に力が入る。牙が食い込まぬ程度に項を噛んで一層強く悦の頭を畳に押し付け、早まった互いの鼓動を重ねるように背に伸し掛かり、尾の輪をぎゅっと締め、体の全てで抱き潰すようにして、傑は悦の最奥に熱い奔流を叩きつけた。
「う゛ぅーーっ、ぅんーー……っ!」
「……ふー……」
間延びした甘え鳴きをして腹の内を焼く熱に耐えていると、珍しく、聞こえるほどに深く息を吐いて傑は食い込ませていた牙を抜いた。少し皮を破られて滲んだ血をべろりと舐め取り、骨が折れそうに畳へ押し付けられていた悦の手を指を絡めて握りながら、きろりと瞳孔の開いた藍色が悦を見る。
「ぁっ、あ……んふぅうっ……!」
「……」
鋭い視線に命じられるまま、噛み跡の残る首を懸命に巡らせて差し出した悦の舌を、傑は無言で絡め取った。繋いだままの両手の代わりに器用な尾の一本で反らせぬように、或いは無理な力が入って首の筋が痛まぬように頭を支え、舌を根本から先まで隈無く舐めるようにしながら、身の内で反りを取り戻したもので最奥を突く。
今度は突き破らんばかりの激しさではなく、ごく軽く、とんとんと拍子をつけて叩くような動きだった。出したものをぐじゅぐじゅと泡立たせながら、触れられるだけで深い絶頂を連れてくるまでに拓かれた場所を、僅かに体が揺れる程の緩さで叩く。
「ふぅうっ!ぁむぅうっ!ぅう゛うぅうッっ!」
突かれるのと同じだけ、体の芯がどろどろに蕩けて無くなってしまうような絶頂に痙攣する悦を九本の尾で柔らかく畳の上に押さえつけながら、とんとん、とんとん、と。
折り重なり絡み合った絶頂に耐えきれず悦が意識を飛ばしても、舌を捕らわれたままの口の端から泡を吹いても、精や潮だけでなく小水まで畳に撒き散らされた庵が控えめに家鳴りをしても、見兼ねた世話焼きの布団が畳まれていた柔らかなその身を悦の傍らに広げても。
とんとん。
「ふぅーーっ、ふむぅうーーーッ!」
とんとん。
「んゃ、ぁぁ……あ゛ぁああ゛ぁ……っ」
とんとん。
「あーーーっ、あーーーーーッ!」
とんとん。
「…ぁあ……あ゛……」
……ぐり。
「……あぐぅうっっ!?」
優しく小突かれ続けてじんじんと痺れる最奥を唐突に捏ねられ、快楽に呑まれていた意識が覚醒すると同時に、悦は絶叫しながら顎と言わず腰と言わず、全身を跳ね上げた。
畳を引き裂かんばかりに暴れようとするも、体の要所に絡みついた豊かな九本の尾が身動ぎ一つ許さない。大きく仰け反ったままの形で顎を捕まれ、背骨から伝う感覚の通り道を開かれた上で、二度目とは思えぬ勢いと量の熱を甚振られた腹の底へ叩き付けられる。
「あぢゅぃい……っ!」
「……」
回らぬ舌でそれだけを辛うじて訴えた悦に、肩に柔く牙を食い込ませた傑は、ぐるる、と低い唸り声で応えた。
にぢゅ、ぐじゅ、と卑猥な水音を立てて注ぎ込んだものをゆるゆると掻き回しながら、囚われた全身を戦かせる悦の肌に、鋭い犬歯の痕を幾つも散らしていく。ちくりとした僅かな痛みと畏れさえ浅い絶頂への呼び水となり、精液に含まれた傑の妖力に依って触手に削られた体力を十全に癒やされた悦は、喉笛にまで柔く牙を立てられながら長く享楽に浸った。
「ふにゃ……ぁあ……っ」
深い余韻を存分に味わい、早鐘を打っていた心臓が幾らか落ち着いた頃、体の一部のように馴染んでいた傑のものを抜き取られると同時に、悦は傍らの布団の上へと転がされた。
注がれたものが零れる暇も無く、今度は正面から覆い被さった傑にひたりと蓋をするように押し当てられ、自然と両足が開く。
「すぐる、すぐる……っ!」
九尾狐の強大な力に満たされた肉体は疲れ知らずに貪欲で、他より深く媚毒の染み込んだ凝りがまた疼き始めていた。太腿を掴まれた両足を膝が胸につくほどに大きく開かれ、骨盤の開きに合わせて緩んだそこが僅かに潜り込んだ傑の先端を食む。戯れに接吻するように押し当てられては離れる寸前まで引かれるのをゆるゆると繰り返されると、疼きと期待が極限まで高まって頭がおかしくなりそうだった。
「はやく、傑、はやく欲しい……っ」
「まぁ、待てよ」
布団から浮いた腰を揺らし、両手を伸ばして膝裏を押さえる腕に縋る悦を、傑はのんびりと嗜める。穏やかな声とは裏腹に藍色は噛み付いた時と変わらずぎらぎらと濡れ光り、一番太い所まで開かれては閉じきれぬ所まで抜き、物欲しげに吸い付く肉輪とほんの浅瀬ばかりを苛むのは止めない。
当然、意地悪な狐と熱を引き込もうと蠢く自身の内壁の両方に苛められている悦は待てない、と首を横に振るも、傑は聞き入れてくれなかった。右足を押さえる手を尾の一本に置き換え、空いたその手を悦の腰に回し、ぱたぱたともどかしげに布団を叩いていた黒い尾の、二股に分かれた付け根をきゅっと握る。
「ひぁんっ!」
「此処は可愛がられてねぇだろ?」
「ん、んん、ンっ……!」
「邪魔するな。発情させてやるから大人しくしてろ」
螺旋に絡む二本の尾を軽く腕を動かして振り解き、傑は神経の寄り集まった付け根を指先でとんとんと軽く叩いた。最奥を叩かれていた時と同じ拍子だ、と直ぐに気付いた悦の足先がきゅっと丸まる。
「はぁああっ……あぁああ……っ!」
常ならばじんわりと心地よく高ぶるばかりの箇所だが、既に発情しきっている今はびりびりと腰骨が痺れるようだった。凝りの疼きはますます酷くなり、栓が壊れたような下肢からは濁りもしなくなった透明な蜜がたらたらと零れる。体の芯と頭の中が煮えていく。
「ひっ……はひっ……!」
これ以上は無理だと、限界だと、悦がそう思う半歩先まで飢えと焦燥を煮詰められた後、するりと伸びた傑の尾が頬を撫でる。促されて逆さまに文机を見ていた顔を戻すと、悦に負けず劣らず理性の溶けた、濃い藍色と目が合った。
「欲しいか?」
低く掠れた声に問われ、悦は一も二もなく頷いた。布団を握りしめていた手を今度は鋭い爪を持つ腕ではなく、何日顔を突き合わせていても見飽きる事のない美貌へと伸ばす。
「きて……きてぇ……っ」
「……嗚呼」
その一言は誘いへの応答よりも感嘆の響きを多く含んでいたが、ようやっと見せびらかされていた御馳走を貰えた悦に、行間を読むだけの理性は残っていなかった。
「にぅううっ!」
「……えつ」
雁首を収められただけで達した悦の頬を撫でながら、ぐっと上体を倒した傑が彼の愛猫を呼ぶ。愛も情も欲も溶かせるだけ溶かし込んだ、体と頭の芯へと深く響く甘い声で。
応えて舌を覗かせると、先に擦り切れるような目にあった粘膜を労るような、穏やかな口付けが落とされた。頭を支えるのと足を支えるのとで塞がった両腕の代わりに四肢の倍以上ある尾が緩やかに絡みつき、畳に擦れていた乳首と雄の役割を忘れてしまった下肢を撫でる。
「んむっ、んんぅっ……んんーーッ!」
尾で隅々までを愛撫しながら、ゆっくり沈められた先端にこつんと最奥を叩かれ、そういう仕組みであるように悦は深く達した。白く飛んでいた視界が色を取り戻し、蕩ける余韻を少しばかり味見してからものが引かれ、されるがままの舌を他と同じように愛撫されながら、今度は凝りをゆるゆると雁首に捏ねられる。
「んぁうぅぅ……っ!」
雄として達するよりは重いが、奥よりは軽い絶頂が腰を動かされる度に頭の中で弾け、悦は傑の背に爪を立てた。受け止められるだけの量を途切れず注がれる多幸と快感が心地良すぎて、しがみついて居ないと体が宙へ浮き上がってしまいそうだ。
無我夢中に傑の背に爪痕を残していると、猫に引っ掻かれた程度では眉一つ動かさない九尾狐が、ふと舌を解いて小さく笑う。
「そう可愛いことをするなよ。喰ってやりたくなる」
「っあぁああ!」
囁くような声と共に根本まで強く突き入れられ、悦は喉を晒して傑の頭を掻き抱いた。
ぴったりと誂えたように収まった愛しい狐の一部を、腹の中できつく喰い締めてやりながら。
「あれは鬼の餌蔵だ」
胸に凭れた悦の口元へ甲斐甲斐しく熟れたコクワを運びながら、傑は尾の一本を空にくるりと丸め、今は壁向こうで夕陽に染まっている巨木の洞を模した。
もう片方の腕は腰に回され、ぐんにゃりと弛緩したまま口ばかりを動かす猫又が、布団へと滑り落ちて行くのを防いでいる。
「怯えて固くなった肉を喰うのもいい加減飽きて、生かしながら柔らかくする為に成り損ないを色々継ぎ剥いで作ったんだとよ」
「……端切れじゃあるまいし」
「彼奴等にとっちゃァ同じだ。所詮は人から成った鬼だからな、道理も敬畏も端から知らねぇ。……ただ、お陰で出来は良い。跳ねっ返りの猫に灸を据える為に、ちょっと借りたって訳だ」
「……趣味悪ィ」
「そう思ってくれたんなら重畳だ。怖がらせねぇと仕置きにならねぇ」
「……お前が……」
差し出された甘い木の実からぷいと顔を背け、掛布団代わりになっている豊かな尾の一本で表情を隠しながら、悦はぼそりと呟いた。
「傑が、やれば良かっただろ」
取り込まれた悦には倍以上に感じられたが、あの肉塊に貪られていたのは僅か一昼夜だった。
本来の主である鬼の支配を一時塗り替える為に、そして”食欲”の刺激の為に傑が自身の血を吸わせたので、蔵だか牢だかのあの肉塊は粘液の一滴にまで九尾狐の妖力を孕んでいた。フグを丸呑みにしたって腹も壊さぬ悦の身体に媚毒が覿面に効いたのはその所為だ。
傑を怒らせ放り込まれた状況もあってあのような醜態を晒したが、本当に灸を据えようと思ったのならば、救い出された後、今朝方まで続いたまぐわいも含めて、手緩い事この上無い。
千年を生きた九尾狐が手を下せば四半刻も掛からず、悦は心からの謝罪どころか、もう二度とその言に逆らえぬ畏怖を骨の髄まで刻み込まれていたと言うのに。
「出来る訳ねぇだろ」
言いなりの木偶にするのを嫌ったとしても、傑ならばその辺りの加減も自在な筈だ。にも関わらず、九尾狐は溜息混じりに言いながら、尾では無く、コクワを手拭いの山に戻した手で悦の頭を撫でた。
「俺がやったんじゃ、俺がお前に怖がられるじゃねぇか」
「怖がらせたかったんだろ」
「伝わらねぇなァ」
背けたままの悦の頬を撫で下ろしながら、傑はのんびりと苦笑する。
「俺はな、悦。お前にだけは嫌われたく無いんだ」
「……」
「怯えられるのも嫌だ。お前の悪態を聞けないのは寂しい」
「……趣味悪ィ」
「何を今更」
八百も年若の猫又に悪態を吐かれたら、尋常の妖は怒るか呆れて口を引き裂くものだ。にも関わらず、超常の力を持った九尾狐は嬉しそうに尻尾を揺らして、悦の喉を指先でこしょこしょと撫でる。
「雌なんざ幾らも居るのに、もうお前以外じゃ勃ちやしねぇ。とっくにイカレてんだよ、俺は」
「……」
「お前は、まだイカレてくれねぇのか?」
「……っ」
腹の底に響くような声を直接耳朶に吹き込まれ、悦は堪らず温かい腕と尾の中で身を捩った。
羽織っただけの着物の袷に両手を差し込み、正面から子猫どころか赤子のように抱きついて、ぎゅうとその背に爪を立てる。
九尾狐にも耐えられぬような事を、若輩の猫又如きが耐えられる筈も無い。
畏怖すべき強大な妖狐に愛され彼の雌にされる事を、屈辱ではなくこの上ない幸福と思える程に、すっかりイカレてしまっているのは悦とて同じだった。
けれど。
「……はずかしい……」
生娘のように赤くなった顔を肩口に埋めたまま、蚊の鳴くような声で訴えた悦の背で、傑の手がぴたりと動きを止める。
嗚呼、きっと呆れられたに違いない。益々顔を赤くしながら、悦は呼気さえ止まった傑の首筋にぐりぐりと額を押し付けた。
素直に言えぬ所為であんな目に合ったというのに、守るだけの矜持も無いのに、それでも羞じらいばかり一丁前に忘れられぬとは、何という臆病だ。齢二百の猫又など傑には生じたばかりの子猫とさして変わらぬのだから、良いようにされたまま溺れてしまえばいいものを。
解ってはいるが、ままならない。然るべき誘い文句など幾らも知っている筈なのに、彼の双眸に見据えられたが最後、悦の舌は付け根まで痺れたようになって情けない嬌声以外を紡げなくなる。あの美しい藍玉に己のあられもない痴態がどう映っているのか考えるだけで、愛欲に濡れた視線にひと撫でされるだけで、悦は何時だって顔から火が出るような思いだ。
雄として気が違っているのは俺も同じだと、だから恥ずかしがらずに素直に求めて良いのだと言って貰ったって、それは変わらない。恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。
愛しい九尾狐の前だからこそ、恥ずかしいのだ。
「……解った、じゃあこうしよう」
ふぅ、と止めていた息を吐いて、傑は文机の上に置かれていた瑠璃の酒盃を尾で持ち上げた。
如何程の職人の手によるものなのか、沈みかけた夕陽を透かして玄妙な紫を濃くする繊細なそれを、猫じゃらしか童のがらがらのように悦の顔の横で軽く揺らす。
「夜毎そんな可愛いことをされちゃァ俺の寿命が縮んじまう。何処でも良い、此れを伏せて置くのが合図だ」
「……合図?」
「褥に入った時に此れが起きてる時は、今まで通り睦み合う。伏せてある時は、互いに死ぬ程恥ずかしい真似を沢山して、思う存分善がり狂う。そういう合図さ」
「は、……はぁっ?!」
傑の語り口は淡々としたものだったが、聞かされた悦の方は「成る程そいつは妙案だ」等と言える筈も無く、がばりと懐いていた上体を起こした。
恥ずかしいのも善がり狂うのも悦一人に決まっているのに、何が互いにだ、と睨みつけるが、傑は常の通りその眼光を躱しもせずに受け止めて、尚も飄々と言葉を続ける。
「俺は大して鳴かねぇが、抑えず喉を鳴らすからそれで勘弁してくれ。お前の声を掻き消しちまったら興醒めだ」
「なっ」
「盃が起きてても伏してても、組み伏せた後は待ったは聞かねぇ。どっちにしろお前が最中に縋って良いのは俺だけだ。代わりに、何処でも好きに引っ掻いて良い」
「ばっ」
「なぁ、考えてみろよ、悦。盛りのついた九尾狐が、覚えたてのガキみてぇに息巻いて腰振るんだぜ?大層な尻尾の数だけ滑稽さも倍増しだ。思いっきり嘲笑えば、こんな阿呆相手に羞じらいなんざ莫迦らしくなるさ」
「っ……もう、黙れ!」
聞いているだけで顔から火を吹きそうで、悦はどんなに滑稽な振る舞いも帳消しにする美貌をぴしゃんと尾で叩いた。黒く敏感なそれを舐められたり、甘噛みされない内にさっと引き、引っ叩かれても瞬き一つしやしない藍色を睨めつける。
「……」
「……っ」
言いなりに黙った傑の向こうで、瑠璃の酒盃が揺れている。
耳をぴんと立てて伺うように小首を傾げる妖狐は、きっと猫又の思う事など何もかもお見通しだ。立派な唐物も美しい玻璃も箪笥の肥やしにして、この酒盃ばかりを殊更に贔屓しているのも、それを密かにうっとりと眺める同色の視線を察しているからに違いない。
こんな平然とした顔で、よくもまあ視線を反らさず見据えてきやがるものだ。神仏に等しい力を持つ九尾狐としての、頭抜けて見事な雄としての矜持は無いのか。莫迦なんじゃ無いだろうか。夜が白むまでああも貪られれば、その言葉の端々に滲むものが真実だとどんな天邪鬼だって解る。なのにそれだけでは飽き足らず、この狐は臆病な猫に付き合って、次の狂乱を恙なく迎える為の合図まで決めようと言うのだ。本当に阿呆だ。
「うん?」
悔し紛れにその頬を態と掠めるようにして、悦は引っ込めていた尾を鞭のように伸ばした。逡巡を写し取ったようにゆらゆらと揺れていた瑠璃色を、決して落とさぬように二本の尾でしっかり掴み、撓るようにして傑の手から遠ざける。
視線を反らさずに居たのはなけなしの意地の為だったが、そのお陰で、酒盃を追った藍色がよろこびに蕩ける様がよく見えた。
「……堪んねぇな」
「う、うるさいっ」
見ている此方まで堪らなくなる目で低く呟き、ぎゅうと抱きしめてくる背から邪魔な着物を剥ぎ取りながら、悦は瑠璃の酒盃を尾の先でそっと押しやった。
畳の上に逆さまに伏せて置いた大事な大事な其れを、蹴飛ばして仕舞わぬように。
終。
時代背景にそぐわない玩具の数々も、如何わしい薬だって一人で代役出来る。
そう、触手ちゃんならね。
