梔子の華



 梔子の双子に気をつけろ。

 緩く長い坂の上、巨きな巨きなお屋敷は名門旧家の御家柄。先代夫婦は随分前に亡くなって、今では広い屋敷に2人きり。
 森を背負ったお屋敷は高い塀に囲まれて、塀の中にも森を持ち、池はまるで川のよう。だが木々に囀る鳥も泳ぐ魚も見た者は無く、一輪の花すら咲きはしない。

 巨きなお屋敷に動くものは2人だけ。
 透けるように白い肌、月明かりに蒼く色づく黒髪と梔子色の瞳。まるで妖のように美しい、2人の姿は鏡写し。

 一度見れば夢に出る。二度見れば精気を抜かれ、三度見れば蝋人形。


 謂わぬ色の双子に気をつけろ。










 じりじりと油を燃やす洋灯の明かりは少しの空気の流れにも頼りなく揺れ、それに照らされ朧に浮かび上がる部屋は、まるで黒い海のようだった。


「…いいよ」

 水を張らない海の中。零れた声は静謐な部屋の空気に溶けるように、漆黒の天鵞絨で作られた絨毯や窓の覆いに吸い込まれていく。黒い革を張ったカウチの上、沈み込むようにして腰かける屋敷の主が、細い腕を声とともに手摺から滑り落とした。

「……っ」

 カウチの淵から零れた血脈が透けるほどに白い腕に、主の傍ら、絨毯の上に直接膝を着いて侍っていた青年の喉がこくりと息を飲む。思わず漏れた吐息は熱と艶を含み、白を通り越して青白い、血脈すら透けない指がそっと白い腕に触れた。

「…はやく。幽利」
「ッ…ん、…」

 囁くような声に促され、幽利と呼ばれた青年は恭しく持ち上げた主の腕の、丁度手首の辺りに赤い唇を押し当てる。
 暗い海のような部屋の中、それはまるで腕に接吻しているかのようで、どこか神聖な儀式を思わせた。確かにそれはある意味では儀式だったがその性質は神聖とは正反対であり、押し当てられた唇の目的も、接吻などという淑やかなものではない。


 じゅくり、


 粘度の高い水音を立てた唇の合間から、白い腕に赤い筋が零れた。
 元々赤かった唇は艶を持って更に深い紅に染まり、青白い喉が上下する度に、血の気を感じさせなかったその肌に僅かながら生き物らしい温かみが増していく。

「…は、ぁ…っ」
「……」


 厳かに穢れた儀式は数分。
 時計の秒針すら動きを止めるような空気の中、熱を孕んだ吐息を零した唇から覗いた舌が、白い肌に伝う赤い血の筋をゆっくりと舐め取った。

「…満足した?」

 その問いにゆるりと上げられた顔は、問いを発した唇の持ち主と鏡に合せたかのように似通っていた。瓜二つ、という言葉を具現化したかのように、細部まで。

「……」
「…そう」

 熱に浮かされたような表情のままこくりと頷いて見せた幽利にくすりと微笑み、主はカウチに背を沈ませたまま、手首に赤い血痕と真新しい傷跡の出来た方とは逆の腕を持ち上げた。
 先ほどよりもさらに白く、紙のように血の気を無くした手がさらりと黒い髪を梳く。洋灯に照らされ微かに蒼く輝くそれをさらりと指先の合間から滑り落としながら、輪郭をなぞるように降りた指が眉を撫で、その下、梔子色の眼球へと直に触れた。


「……」
「…あぁッ…!」

 柔らかな膜を突き破り、眼窩へと白い白い指が侵入した瞬間。隻眼を濡らしたのは紛れもない恍惚と愉悦。










 ―――謂わぬ色の双子。

 街の者たちにそう呼ばれる屋敷のたった2人の住人は、兄の名を鬼利、弟の名を幽利と言った。
 白磁の肌に端正な顔立ち。完璧な家柄。生まれた瞬間から誰かに傅かれあらゆる我儘を許される境遇でありながら、その異名の所以ともなった鮮やかな梔子色の瞳を怖がり、彼等に関わろうとする者は街には1人もいない。

 先代夫婦は4年も前に亡くなり、己の保身に腐心する僅かな親族の関心もすでに離れている。先代がいた頃には屋敷の広さ相応に雇っていた使用人も1人、また1人と暇を出して終には1人もいなくなり、広い屋敷は文字通り2人だけのものとなった。


 物心ついたその時から互いに並々ならぬ思慕を抱き、己と同じ容をした片割れのみを必要としていた2人にとって、人々の好奇の視線も余所余所しい態度も何ら気に留めることでは無かった。
 ただ2人にとっての唯一の不満は、容は同じでありながら互いの中身に修復のしようがない差異があることだ。

 兄の鬼利が真人間であるのに対し、弟の幽利は人の生き血を啜る鬼だった。白磁の肌は先代より受け継がれていたものだったが、幽利の肌は白磁を通り越して青白く、死人のように冷たい肌は直接陽の光に当たると酷い火傷を負う。


 同じ血肉を等しく分け合い瓜二つの表皮を持ちながら、肉体の深部に潜む大きすぎる差異。
 有り余る財と暇を持ち何不自由ない暮らしをする2人にとって、それは唯一にして最大の不満だった。










「鬼利、手ェ貸して」
「……」
「ん、ありがと」

 膝の上のハードカバーに視線を落としたまま、無言で差し出された白い腕の肘をそっと支えて、カウチに深く腰掛ける鬼利の足元に傅く幽利は鬼利の手首に巻かれていた包帯をするすると解いていく。

「あ…鬼利、朝包帯代えてねェだろ」
「……」
「ちゃんと代えねぇと化膿しちまうって言ってンのに…消毒すっからちょッとこのままにしてて」
「……」

 白い肌に残る2つの小さな瘡蓋。
 週に1度の“儀式”の名残であるその傷跡の周囲は僅かに化膿していて、それを見て己のことのように心配そうに眉を顰めた幽利は、いそいそと立ちあがると救急箱を持ってきた。

「鬼利…ありがと」
「……」


 取り出した脱脂綿に消毒液を含ませながらの呼びかけに、鬼利はされるがままだった腕を僅かに下げる。
 まるで心を呼んだような行動だったが、2人にとっては驚くようなことでは無かった。生まれた瞬間から共にいて、生まれた瞬間から互いだけを見て来た。相手が何をして欲しいかなど、2人にとっては解らない方がおかしい。

「…これでよし、っとォ」

 消毒された傷痕を覆う白い包帯を満足そうに見て、幽利は救急箱の蓋をぱちんと閉じた。
 相変わらず鬼利の視線は分厚い洋書の紙面に注がれたまま口を開くことすらないが、それを幽利が気に病むことは無い。読書中の兄の集中力が異常なのは常のことだ。


 日当たりの悪い北向きの窓から差し込む、ただでさえ弱い明かりがだんだんと光度を落とし、板間を照らす陽光が2人の瞳によく似た色に染まる。

「…夕餉にするよ」
「ン……はィな」

 数時間ぶりに紙面から顔を上げ、足元でカウチに寄りかかりながらうとうとと船を漕いでいた幽利の膝を、立ちあがりながら鬼利が軽く小突いた。

 日に1度、街の料理屋が運んで置いていく膳を消費する行為。食事を楽しみだという人間がいるが、鬼利にとってそれは自らの意識を維持するため以上の意味を持たない。
 もしも2人同じように同じものを食べることが出来たなら、それも2人が2人でいるための神聖な儀式の一部になり得るのだが。生憎鬼である幽利の体に、普通の人間のような通常の食事は必要ないのだ。


「……」
「……」
「……いる?」
「…ん」

 膳に丁寧に盛られた純和風の食事を綺麗な作法で口に運びながら、鬼利は西洋様式の食卓に着く自らの足元に侍る幽利に、ほぐした焼き魚を差し出した。
 膝立ちになり、幽利は彼にとっては何ら意味のない加工をされた魚の死骸の一部を口に含むと、ゆっくりと咀嚼したそれを嚥下する。そしていつものように、ただ消費されるだけの運命にある彼らに、鬼利に代わって賛辞を送るのだ。

「おいしい」
「そう。…御馳走様」


 かたり、と漆塗りの箸を置き、鬼利は音を立てずに椅子から立ち上がると食卓を離れた。
 空になった膳の後始末は、明日同じ時刻に来た料理屋の者が、明日の分の膳と引き換えにしてくれることになっていた。鬼利が引いたままの椅子を白い布が敷かれた卓に戻し、幽利は懐から懐紙を取り出しつつ板間から立ちあがる。

 彼が兄の後を追うまでのほんの一瞬の間にそっと吐きだされた死骸の一部は、噛み砕かれたそのままの姿で懐紙に包まれ、密やかに膳の隅に置き去られた。










 昔、2人の姿は本当に生き映しだった。
 顔だけはなく、体つきも。抜けるように白い肌も声の高さも、何もかもが。

「ッひ、…あ゛ぁあっ!」

 少しずつ変わり始めたのはいつからだったろう。帯を解いて着物の前を肌蹴させた幽利の腕に、白木で作らせた長い杭を打ち込んで寝台に敷かれた布団と繋ぎながら、鬼利は少しだけ昔を思い出す。

 幽利が人間ではなく鬼であると知ってから、鬼利は陽が出ている内に外に出ることを止めた。そのうちに両親が消え、それを切っ掛けに少しずつ使用人に暇を出し、屋敷を文字通り2人きりの城へと変えた。
 使用人がいなくなり、日々の最低限のことは幽利がするようになったが、当主である鬼利の生活はさほど変わらない。そのうちに体つきが少しずつ少しずつ変わっていき、骨と皮ばかりだった幽利の腕には年相応の筋肉がついた。


「っはぁ、はッ…ぃう゛ぅうッっ」
「…動くと危ないよ」

 掌にそれぞれ一本ずつの杭を打ち込み、身動きがとれぬように左右の肩にも骨を外して杭を打ち込みながら、鬼利は自分の下で痛みに喘ぐ愛しい弟にゆるりと微笑んだ。


 人間である鬼利とは違い、幽利は鬼だ。
 体つきや声音に多少の差があるだけなら耐えられるが、そのうちきっと彼の体は成長を止める。一番若く美しく強い時に、きっと時が止まったようにそこから老いることを止めてしまう。

 永劫とも言える時をこれから生きる幽利に対して、自分はどうだ。
 きっと自分は普通の人間よりも早く死ぬだろう。本を読んで一日を過ごす日も少なく無く、偶の運動と言えば夜の庭を散歩することくらいで、苦労らしい苦労などしていない。こんな人間が長く生きられる筈が無いのだ。
 老いて死ぬことに抵抗は無い。自分はもう十二分に幸福を味わった。ただ心残りなのは、あとに遺してしまう愛しい片割れ。


「…幽利…」
「……き、り…?」

 思わず漏れた囁くような声に、痛みに涙を滲ませた幽利が不思議そうに鬼利を見上げた。
 昨日、鬼利が己の血と引き換えに潰した右の眼球は、すっかり元通りになっていつも通りにその梔子色の中に鬼利を映す。

「…な、か…考え、てる…?」
「うん。…もう、ずっとね」

 ―――お前をこの手で殺す方法を。
 2人で共に永劫の眠りにつく、この上なく幸福な夢を叶える方法を。





「…今日は少し趣向を変えようか」
「ぇ、…ッうぅあ!」

 今にも消え入りそうな笑みを浮かべたまま、鬼利はそう言って先ほど打ち込んだばかりの杭を乱暴に幽利の肩から引き抜いた。
 噴き出した血が顔にかかるのも構わず、打ったばかりの杭を全て抜き取って床の上に投げ出すと、大きな傷口から黒ずんだ血を吐きだす幽利の手に己の指を絡める。

「ッ鬼利、だめ…ま、って、…縛ッ…ンぁあ!」
「……」
「おねが、鬼利、きりっ…は、ぁふっ…き、りっ」

 既に衣服の役目を果たしていなかった着物の裾に腕を差し入れ、青白く冷たい幽利の太ももを押し開き、痛みを伴わない愛撫に慣れない幽利の肌に熱い唇を押し当てる鬼利を、幽利はなんとか止めようと涙声を上げた。

 だめだ、だめ。だってこんな、こんな自由な状態で、抱かれたら。
 そしたらきっと、我慢できない。


「って、縛って、鬼利…鬼利、縛って…ッ」

 押し当てられた唇が太ももに緩く歯を立て、ちくりとした痛みとそれを凌駕する快感に、幽利はうわごとのように言いながら傷ついた腕で必死に寝具を握り締めた。
 兄の鬼利は完全な人間であったのに、何をどう間違えたのか幽利は完全な鬼として生を受けた。この体の糧は生き物の生き血で、幽利にとって兄である鬼利の生き血は他の何物にも代えがたい甘露となる。

 週に一度、腕の血管から吸わせて貰うだけで生きる為には十分だが、浅ましい鬼の本性は白い肌に浮いた青黒い動脈を見る度に幽利の意識を欲望に溶かしてしまう。
 だから、だからいつもは杭を打ったり荒縄で縛りあげて身動きがとれぬように、間違っても鬼利を傷つけたりしないように、幽利は一切の自由を奪われた状態で情事に及ぶのだ。


「鬼利、きり…っは、ぅうッ!」
「…煩いよ、さっきから」

 耳元で囁いた鬼利の声は僅かだが熱に掠れていて、耳を掠めた熱い吐息に幽利は眼をぎゅっと瞑る。
 首筋から漂う血の香に眩暈がして、もうどうにかなってしまいそうだった。


 ―――鬼利の綺麗な肌に爪痕の一つも残したくない。この穢れた手で綺麗な体を汚しては。あの白い首筋に浮かぶしなやかな血の脈に歯を。冷たい肌で暖かな体を冷やしてはいけない。深く深く牙を立てて。愛しい片割れ、せめて貴方だけは綺麗なままで。最後の一滴まで飲み干して、一緒に。


「っ……」
「あぁああッ…は、ぁ…き、…んぁあッ!」
「…幽利」

 一番守りたくて壊したい人が、全てを許すような優しい声で名前を呼ぶ。



 本当は、鬼利と同じ人として生まれたかった。
 本当は、幽利と同じ鬼として生まれたかった。

 共に生きて共に死にたかった。
 共に生きて共に穢れたかった。

 暖かなその体が好きだった。
 冷たいその指が好きだった。

 血を啜る時の喰い殺されそうな眼を一度間近で見てみたい。
 一度でいいから愛されながらその体を抱きしめてみたい。



 それは許されない願いだった。
 叶えてはいけない想いだった。
 そもそも2人、生まれたことが間違いだったのだ。
 1つに生まれていれば、嗚呼、こんな。

 ……こんな、ことには。



   じゅく り。










 気が触れてしまいそうな愉悦は一瞬にして幽利の意識を彼方へと吹き飛ばし、次に気のついた時には全てが遅かった。

「…きり…」

 嗚呼、当主である兄の上に乗るなんて如何してこんな無礼な真似を。同じ寝台に上がることすら本来なら許されないのに、自分は莫迦だから、優しくされるうちにつけあがってこんなことに。

 それにしても今日は妙に明るい。黒の天鵞絨に覆われた窓からはいつもの如く、月明かりの一片すら差し込むことは無いのに。
 頭のどこかがぼんやりと霞んで、まるで血を貰った直後のようだ。


 そういえばどうして鬼利は返事をしてくれないのだろう。眠ってしまったのだろうか。


「…きり…?」
「……」
「き、…―――」

 伸ばした指先に、ぬるりとしたものが触れた。
 咲き誇る梔子よりも尚芳しい、頭の奥が痺れそうに甘い香りでもって幽利を誘うそれは。


「…き、り…」
「…、…」

 震える呼び掛けに、湿った苦しげな吐息が応えた。
 2人のやり方で一晩愛されて息も絶え絶えになった時の己の声と、それはあまりにもよく似ていた。
 苦しむのは己の役目だ。鬼利は違う。

 血に濡れて寝台に沈むのは、本来なら自分の役目の筈だ。


「鬼利、きり…ッ嗚呼、あぁ…ごめんなさい、ごめんなさい…!」

 震える手を伸ばした幽利は、だが傷口を押さえようとした手を結局添えることが出来ずに指先を握り締める。
 白い首筋をべったりと汚し寝台まで濡らすほどの量の血を吐きだす傷口は、手などで少し押さえたところで如何にか出来る程度のものでは無かった。肉の一部が食い千切られた傷口はあまりに広い。


 それは人の体にとって、致命傷になるに十分すぎる傷だった。


「っ…、…り」
「ッ…鬼利!」

 ごぷ、と水泡のような音を伴った声は、それでも幽利の耳には己の名として届いた。

「ご、めんなさ…っ鬼利、鬼利…ごめんなさい…!」
「…、…っ…」

 ―――莫迦だね、泣いたりして。


 声帯を半ばまで切り裂かれ、血に濡れた唇から漏れたそれは声どころか音とすら呼べないような微かな空気の振動に過ぎなかったが、幽利にはそれだけでも鬼利の言いたいことを理解するには十分だった。

 互いのことならなんだって、手に取るように解る。
 視神経が通った瞬間からその姿だけを脳裏に焼き付け、聴覚が機能するようになった時からその声だけを聞いて、意識を持つより前から想っていた。

 同じというには余りに歪で、別物というには余りに似通った、愛しい片割れ。


「鬼利、…血が、血が止まらない。どうしたらいい?鬼利、俺…どうしたら…?」
「……」

 ―――いいよ、…もう痛くない。

「だって、だってこのままじゃ、鬼利が。…鬼利が、」


 その先は、恐ろしくて言葉に出来なかった。


「…きり…っ」
「……」

 ―――莫迦だね。お前を置いていったりしないよ。


 頬にとめどなく伝う涙を拭おうと、鬼利の指先が幽利の頬から遠く離れたシーツの上で微かに動いた。森羅万象を見通さんばかりに鋭かった梔子色は朧にぼやけ、既に距離感も色も光も失っている。

「、りは…ひとりは、嫌だ。…鬼利、ひとりじゃ怖い、…怖いよ、鬼利」
「――――」

 ――――――、――――。


 涙声で訴える幽利に、鬼利の唇が微かに動く。

「…え…?」
「――――」

 ――――――、――――。


 繰り返されたその言葉に、幽利の梔子色の瞳が大きく見開かれた。震えすら止まったその指先を、鬼利の手が微かに、最期の力を込めて促すように緩く握る。


「…ッ…だめ、ダメだ、そんなの。それじゃあ、それじゃあ鬼利が、鬼利まで、」
「…、…」
「せっかく、鬼利は綺麗なのに。それじゃあ鬼利まで、鬼利まで俺と一緒に、」
「…っ…」

 ―――幽利。


 荒かった呼吸は、既に聞きとれぬほど弱々しいものに変っていた。
 元々色白だった鬼利の肌は大量の血を失って更に白く白くなり、そう、それはまるで、

 鬼である幽利の、死人の如き青白い肌のように。


「鬼利…っ」
「……ゆう、…り…」


 血泡と共に囁かれた声は本来なら不明瞭である筈なのに、その声だけは余りにまっすぐに幽利のもとに届いた。
 いや、それはもしかしたら声ではなかったのかもしれない。それどころか音ですらなかったのかもしれない。

 ただ確かなのは、そう。
 それは幽利が鬼利から聞いた、最初で最後の弱音であった。










 ―――僕も、ひとりが怖い。










 両親が失踪した理由は、今でも解らない。
 鬼であった父はともかく母はごく普通の人間であったから、霞や影のように消えることなど不可能な筈なのだ。本来なら。

 だから恐らく、彼等は。
 愛されたか、愛していたか、愛し合っていたか、していたのだろう。

 …深く。





「…鬼利」

 小さな呼び声に重い瞼を押し開けると、先ほどまで瞼の裏に見ていた脳裏の映像と、そっくりそのまま同じの幽利の顔が自分を覗き込んでいた。

「……ゆうり」

 確認するように一言ずつ発した声は、確かに音として空気を震わせ幽利の鼓膜を打つ。途端に泣きそうな顔になった愛しい片割れの頬に、鬼利はそっと手を伸ばした。


「莫迦。…泣くことなんて何もないよ」
「…ごめん…俺が、俺が我慢できなかったから。だから、…」
「いいよ。遅かれ早かれ、こうなっていたんだから」
「…ごめんなさい。…鬼利、ごめんなさい」

 頬を撫でる己の手に頬を寄せて泣く愛しい片割れに、鬼利は柔らかく微笑むと涙を浮かべるその梔子色を覗き込み、いつも血の代償にと潰していたその右の眼球にそっと唇を押し当てた。

「っ…ぁ、」
「…これで、やっと本気でお前を愛せる」


 鮮やかな梔子色の瞳を細め、緩やかに寝具の上に押し倒した幽利の襟元に手を這わせながら、鬼利は秘め事のような囁きを吹き込む。




 着物の下に触れた肌は、もう冷たくはなかった。





 緩く長い坂の上、巨きな巨きなお屋敷は名門旧家の御家柄。
 囀る鳥も跳ねる魚も、一輪の花すら咲かぬ屋敷に生きものはいない。

 そこにいるのは2人だけ。

 謂わぬ色の瞳を持つ、鏡写しの双子だけ。



 Fin.



弐百萬打記念第壱弾双子吸血鬼時代物編。

時代背景としては大正期あたりを目指したのですが、色々省くうちにほとんど解らなくなってしまいました。 梔子はクチナシと読みます。毒は無く、実は染料に使われます。梔子色は別名「謂わぬ色」と呼ばれてもいて、色はどちらかと言えば黄色で双子の眼は橙色ですが細かいことは気にしない。金木犀、沈丁花と並ぶほど香りが強い華でもあります。

やっぱパラレルって楽しい!


梔子の花言葉:「私は幸せ」

Anniversary