絡みつく煙 後



 とても源座の顔など見る気分では無かったが、流れ者である今の悦が帰る場所はあの不愉快な屋敷以外に無い。何処を如何歩いたのかも覚束なかったが、脚は自然と体を屋敷の中の、己に割り当てられた狭い部屋へと運んだ。

 眠れるような心持では無く、頭の中に巡るのはあの座敷で過ごした幻のように閉鎖的な夜のことと、誰とも知れぬ下手人への暗く重い憎悪ばかりだった。肩にした刀が、主の心に同調してかやたらと騒いだ。


 夜半に、下衆が呼びに来た。源座が呼んでいると言う。
 気分が優れぬと断ったが、幾度も幾度も余りにしつこく呼ぶので騒ぐ刀を置き、仕方なく座敷に赴いた。


「おお、やっと来たか。まぁ座れや」
「……」

 胸の悪くなるほどの酒の匂いをさせながら、源座は随分と上機嫌に上座から悦を招いた。仕方なしに腰を落ち着けるとすぐさま杯を渡され、なみなみと注がれた安酒を舐める程度に呑んだ。


 …それにしても機嫌が良かった。源座は手酌で浴びるように呑みながら、最近手に入れた刀やら、昔は仲の良かったと聞く対立する組の愚痴、脚色された己の武勇伝などをべらべらと楽しげに語った。


 悦が廓の話を聞いたのは此処の下衆からだ。ならば、親分である源座がすぐるの事を知らぬ筈は無い。
 自棄酒かと、そう勘繰ったがどうも違う。冷静に考えれば考えるほど、源座の言動は違和感があった。


「…親分」
「―――で、その時…なんだ、話の途中だぞ」
「昨日、アンタすぐるの所に行ってたろう」
「…それが如何した」
「なんで俺を連れて行かなかった?」

 暫くの間黙った源座は、だがやがて唇を歪めて笑った。
 見ただけで怖気の走るような、嫌な笑みだ。

「そりゃあおめぇ、俺が来いと謂わなくッたって来たじゃねぇか」
「…来た?」
「そおさ。おっと下手な言い訳は無しだ、張らせといた手下がちゃぁんと見てんだからなぁ、てめぇが裏戸から廓に入ってく所をよぉ」

 ぐい、と杯の酒を一息に煽って酒臭い息を吐くと、源座は先ほど自慢していたどこぞの商人から脅し取ったという名刀でがしゃんと畳を突いた。


「てめぇ程の使い手があんな雑魚に気付かねぇなんざ、随分と御執心だったみてぇじゃねぇか、あの阿婆擦れに」
「…それはお前も一緒だろ」
「まぁな。面と体もいいが、何よりアイツぁあの声が堪らねぇ。女なんざ何百と抱いてきたが、あの声は格別だ。…おっと、だった、だな」

 おどけた様にそう言って、源座は覚束ない手つきで杯に酒を注ぐ。

「あの声で囁かれたら死にかけの爺でもおっ勃つだろうよ。てめぇだってそうだっただろ?」
「…ああ」
「あの声に惑わされてよぉ、…へへっ、どいつもこいつもどっぷり溺れてやがる。瑠璃屋の爺なんてなぁ、座敷掘り返すのにてめぇンとこの若い衆総出だって言うぜ。骨の髄までしゃぶり尽くされてやがんだよ」
「……」
「まぁ解らねぇでもねぇがな。どこのどいつがやったのか知らねぇが、全く残念だったなぁおい、悦?折角あの阿婆擦れを、」

 酒の勢いか下卑た笑みを浮かべたままそう言った源座は、だがそこで傍と気付いたように口を噤んだ。取り繕うようにげらげらと笑うと、瓶に直接口をつけごくりと喉を鳴らす。

 …“折角あの阿婆擦れを”?


 欲しい物は手に入れねば済まぬという性分の源座が、あそこまで入れ込んでいたすぐるが何者かに殺されたのかもしれぬというこの時に、暢気に酒など呑むだろうか。悦が知る源座ならば、今頃は手下共に当たり散らしながら下手人を捜せ殺せと喚き立てている筈だ。

 自棄酒など呑むような性分では無い。所詮は寝子と、割り切れるほど頭のいい男でも無い。



 注がれた酒を舐めながら、悦はじっと源座の横顔を見据えていた。気付いているのかいないのか、話を反らした源座はまた下らぬ話を楽しげにべらべらと語りながら、何かを取り出そうとしたのか文机の棚に手をかけ、

「―――其の時俺がそいつから騙し取ってやったのが、」


 カタン。


「…源座」
「あぁ?だから話の…てめぇ、今何て言いやがった?」
「お前か」

 がたんと音を立てて文机の棚を閉め、呼び捨てられたのに目を剥いた源座を射抜くような目で睨みつけたまま、悦は懐手にしていた左手を音も無く出した。

「何がお前だ、浪人風情が俺に―――」
「黙れ」


 押し殺した声の中に背筋が震えるほどの怒気を孕んだ悦の声に、小物がびくりと体を竦ませた瞬間。
 無駄のない動きで立ち上がった悦の手が投げ出されていた名刀を引っ掴むや、鯉口を切った刃が悦に肩を踏みつけられ畳に転がった源座の喉に宛がわれていた。

「ひッ…!」
「てめぇがすぐるを殺したのか」
「き、気でも狂っ―――」
「聞いてたんだろ。昨日の晩、あの座敷で」



『海を見た事が無いんだ』
『十四からはずっとこの座敷の中で』

『其れで、俺はアンタのモノだ』



「…あぁ、そうだ。俺がやった」

 源座の手が袖から細い針のような短刀を取り出すのを横目にしながら、悦は目の前が黒く染まるほどの激情に耐えていた。
 怒りのあまりに震える手から悦が平常心を失っていると思ったのだろう、隙を作ろうとしてか、口火を切った源座は唾を飛ばしながらべらべらとまくし立てた。


「俺はアイツを手に入れるのに五年も待った、これで駄目なら廓を潰して攫うつもりだったが、厄介事を片づける為に雇ったてめぇが俺より先にアイツを身請けようとしてやがる!」
「……」
「そんな事を見過ごせると思うか!?切るしか能のねぇ浪人風情が、金も碌にねぇ癖に目の前で俺のモノを盗ろうとしてやがる!そんな事ァ許せねぇ。だから座敷ごと沈めてやったんだ、てめぇみたいな野郎に惚れるなんざアイツも大分阿片が回っておかしくなってたんだろうよ。どぉせ遅かれ早かれ土ン中に、」
「阿片?」


 呟くような悦の声に、源座はぴたりと言葉を止めると、やがてげらげらと下卑た声で嗤い始めた。おかしくてたまらないといった風に。

「てめぇは本当に何も知らねぇなぁ!あの野郎が引っ切り無しに吹かしてる煙管はな、ありゃァ阿片だ。それも普通のじゃねぇ、媚薬の入った特別製のな!」
「……」
「てめぇみてぇな野郎のモンであの阿婆擦れが満足するなんざ本気で思ってたのか、まったくめでてぇなてめぇはよぉ!阿片で箍がぶっ飛んでなけりゃァ、アイツが『海が見たい』なんて生娘みてぇなこと言うわけねぇだろうが!」
「……!」


 ―――旦那、アンタ海を見た事はあるか?


「っがぁああ!」
「っ……」

 脳裏を過った甘やかな声に、一瞬悦の気が反れたのを感じ取った源座が袖から抜いた短刀を悦の眉間めがけ薙ぎ払った。
 咄嗟に身を反らせて避けた悦の手が緩んだ隙に刃の下から抜け出すや、愚鈍そうな外見に反した機敏な動きで短刀を逆手に持ち代え、体制を崩した悦の目めがけてその細く鋭利な切っ先を振り上げる。


「ぉ、…ごッ…!」

 だが、悦の左目に突き立てられんとした刃はその手前、咄嗟に掲げられた手首に突き刺さり骨に当たって止まっていた。細く薄い刃に半端な腕では骨を断ち切ることなど出来る筈も無く、代わりとばかりに、右手一本で振られた悦の刀が源座の腰口から入り込みその身体を逆袈裟に切り上げる。


「て、め…っぇ…」
「死ね」


 ごぶ、と源座の口から溢れた血が掛るのにも構わず、短刀が刺さったままの腕を柄に添え、悦は低い声と共に刀を切り上げた。
 肋をへし折る鈍い感触を残して肩口から抜けた刀はびしゃりと襖に血を跳ねさせ、白い紙の上に花弁のような朱を添える。


「……」

 陸に上げられた魚のように幾度か痙攣し、動かなくなった源座を凍てついた目で一瞥し、悦は刃の欠けた“名刀”を投げ出すと、先ほど源座が閉めた文机の棚を引き出す。

 下衆が好みそうな屑に混じってカラン、と音を立てたのは、朱色の煙管。
 雁首以外が目の覚めるように紅いその煙管が見えたのは、源座が棚を開いたほんの一瞬の事だったが、悦の目が他でもないすぐるの煙管を見間違う筈も無い。


「てっ、てめぇ裏切りやがったな!」
「……」
「やっぱりてめぇ成城の回し――ぐぶッ」

 先刻の騒動を聞きつけたか、障子をすぱんと開くなり室内の惨劇に目を剥いて叫んだ雑魚の喉笛を、悦は己の腕から抜き取った短刀で裂いた。
 血泡を吹きながら喉を掻き毟ってもがく男の腰から長ドスを奪い、それを抜きながら、狭い廊下にぞろぞろと集まり始めた雑魚を眺める。




 喧しくぎゃあぎゃあと騒ぐ中には、同じ用心棒として雇われ源座の愚痴など零しながら酒を酌み交わし会った男の顔もあった気がしたが、一々判別するのが面倒で凡て斬った。

 数だけは多い屋敷の雑魚を一掃する間、常なら肝を冷やすような状況に何度も陥った気がしたが、始めから己を護るつもり等少しも無い悦にとってはどうでもいい事だった。
 一人屠る度に肩口に受けた傷が熱を持ったが、利き腕の安否すら関心の及ぶものではない。
 所詮、もう使い道の無い腕だ。邪魔な雑魚を払う事さえ出来れば、後は取れようが腐ろうがどうでもよかった。



「悦殿」
「……」

 凪の海を思わせる声音に顔を上げれば、血の海と化した土間の向こう、切り倒された表戸の向こうに黒い駕籠が停まっていた。

 いつの間にか、あんなに喧しかった雑魚は全て躯へと変わっている。
 握力を失って久しい手に帯で縛りつけていた刀が、腕の震えに合せてカチカチと鳴るのが耳障りだった。


「……誰だ」

 風の音も煩い。いや、これは己の喉が出している音だ。そう言えば随分と血を流したような気もする。

「御迎えに上がりました」
「……」
「さぁ、…どうぞ」


 嗚呼、これが黄泉からの迎えか。

 宵闇に溶けそうな黒い駕籠と、黒の装束を身につけ笠を深くして顔を見せぬ担ぎ手。提灯すら持たないその出で立ちは妙に浮世離れしていて、其れは頭から爪先まで血濡れの悦とて同じ事であったが、漠然とそう思った。


 笠を落とせば角が見えるか。それとも装束だけ残して霞のように消えるのやもしれぬ。


 試しに一人斬ってみようかと思ったが、感覚の失せた手からとうとう刀が落ち、拾うのも面倒だったので止めた。この体では逃げも隠れも出来ない。どうせ此処に居た処で何れいけ好かない役人共に首を飛ばされるのだ、ならば何処へ行こうと何をしようと同じ事だった。


 ずるりずるりと折れた右足を引き摺りながら、悦は担ぎ手が開いた黒い駕籠へと乗り込んだ。



 御簾が閉められる瞬間、今となっては躯の居所となった屋敷から僅かに漏れる光で、懐に潜ませていた煙管の安否を確認した。
 血に染まって朱を増してはいたものの、煙管には傷一つ無く、

「…よかった」

 爪の割れた血濡れの指先で滑らかな感触を確かめた悦の唇に、僅か、笑みが浮かんだ。










 思えば、在れの口元ばかりを見ていたような気がする。

 濡れた唇。其処から時折覗く赤い舌。
 三味の音を紡ぐ喉。
 襟元から僅かに覗く朱色の裏地。

 仄暗い行燈では到底照らしきれぬ黒の中、その赤は余りに目についた。他のどの赤よりも艶やかに、淫靡に、美しく。


 屹度己はあのあかいろに魅かれて居たのだ。炎に誘われる羽虫のように。


 在れの唇に毎夜触れているあの煙管に何度焦がれた事か。
 あのあかいろに常に愛される。身を焼かれ打ちつけられる痛みに引き換えても、其れは有り余る幸福に思えた。

 嗚呼、屹度此の頭はもう如何にかなってしまったのだ。

 例え地獄で永劫の責め苦に苛まれ己の名すら忘れても、屹度あのあかとあの音だけは忘れられないのだろう。
 網膜に焼き付いて離れないあのあかを。
 幸福な煙管が上げるあの甘い悲鳴を。



 貫。


 …貫。










「…、……」

 夢と思っていた其れが現実の物だと気付いたのは何時だったか。
 暫く幻聴と聞き流していた其の音に重い瞼を開ければ、障子を透かして漏れる夕陽の朱色がやけに鮮やかに見えた。


「此処は…、ッ」

 身を起こそうとして、走った激痛に思わず息が詰まる。
 …未だ、生きていたのか。

 痛みの酷い肩を庇いながら何とか身を起こし、悦は己が手当てをされて白い夜具に寝かされていた事を知った。布団の傍らには、あの屋敷に置き忘れた筈の刀が在った。


 貫。


 夢の中で何度も聞いた音が鼓膜を震わせる。
 咄嗟に刀に手を伸ばし音の方向へ首を巡らせた悦は、その瞬間に手に馴染んだ刀の抜き方すら忘れた。

「……ッ」

 嗚呼、此れは夢か、其れとも在れの吐く阿片混じりの甘い毒に侵された頭が見せる幻だろうか。

 どちらでもいい。



「っ…す、」


 どちらでもいいから、どうか。


「…すぐる…?」


 今少し、覚めてくれるな。





「どうした旦那、化け物でも見たような顔して」
「…すぐる、…本当に、?」
「連れねぇお人だ。俺の顔を見間違えるってのか?」

 何時もの声で、何時もの顔で、すぐるは何時ものように笑っていた。
 唇にはあかいあかい煙管。何時ものように、甘ったるく苦い煙を上げて。

「お前は、…死んだ、筈だ」

 あの座敷の中で。冷たく暗い土に埋もれて。

「ああ、そうだ。旦那、あんたも死んだ」

 ふぅ、と紫煙を吐き出して、すぐるは事もなげに言った。

「俺はあの土の中で、アンタはあの屑の屋敷の中で」
「…じゃぁ、此処は」
「黄泉ってやつだ。何だ、気付いてなかったのか」

 からかうように笑って、すぐるはけらけらと笑った。

 貫。

 灰の落ちた煙管が其の手からするりと離れ、煙草盆の上に転がる。
 衣擦れの音に上げた頬に、ひやりとした手が触れた。

「夢か、此れは…?」
「夢ならもっとまともな形してるだろ、アンタは」
「っ…」

 すぐるの指が肩をするりと撫で、ずきりと背を突き抜けた痛みに其れもそうだと納得した。夢ならば確かに、せめてこの煩わしい傷くらいは如何にかしてくれても良い様なものだ。


「…悪かったな、旦那」
「……え?」
「心配掛けて。無茶もさせた。他の客と、あの屑を欺くには俺は一度死ななきゃならなかった」
「じゃあ、…あいつに、火薬を仕掛けさせたのは、」
「仕向けたのは俺だ。火薬を与えて、業と話を聞かせた。…本当は旦那にだけは伝えるつもりだったんだけどな、あの有様じゃあ話なんて出来ねぇだろ?」

 ―――どっちにしろ源座は始末するつもりだったが、旦那の堪え性のねぇのにも困ったもんだな。

 耳元で低くそう囁かれて、筋を痛めた背筋をぞくりと甘い痺れが走った。
 堪え切れずに布を巻かれた手を伸ばそうとすれば、目敏くそれを見つけたすぐるの手にやんわりと包みこまれ布団へと戻されて、代わりに首筋を唇に撫でられる。


「っ…、始末って、のは、」
「あァ…さすがにあの金だけじゃぁ心許ねぇからな、路銀の足しだよ。あの間抜けの首に掛ってた賞金だ、あいつには勿体ねぇくらいの額だぜ?」
「賞金って…あいつにはそんなの、」
「掛ったのはアンタが寝てる間だからな、知らねぇのも無理はねぇさ」

 己の寝ている間、それはつまり、源座の死後ということになるのではないか。

 あの男の働いた悪事など挙げれば枚挙に暇がない。役人に金をばら撒いていなければ当の昔に掛っていただろうが、死人に賞金が掛る等と言う話は聞いた事が無かった。

 其の事を問えば、すぐるは薄く笑って、


「旦那、俺が誰だかも忘れちまったのか?」


 その言葉と悪戯な笑みで、悦は凡てを理解した。
 黒い座敷の主であったすぐるの伝手は、役人共を黙らせるだけの権力を持つ人間にまで伸びていたのだ。


「すぐる、…っつ…」
「幾ら旦那でも未だ無理だ、いいから大人しくしてな」
「っ…其の、旦那っての…止めろよ」
「ん?」

 すぐるに手を添えられて再び布団へと横たわりながら、悦は眉を顰めてすぐるを軽く睨んだ。

「俺はもう、お前の“旦那”じゃない」
「…そうだったな」

 悦の言葉に一瞬目を見開いたすぐるは、すぐに笑って頷くと悦の傍らに己の体を横たえた。

「じゃあ悦、アンタも今日から俺のことは“傑”と呼べよ?」
「傑?」
「源氏名ってのが馴染まなくてな。まぁ、気持の問題だ」
「いや、いい。…傑」

 確かめるように名を呼べば、返答の代わりに深い口付けを寄越された。
 絡め取られた舌を吸われ、口内を犯し尽くされる眩暈のするような愉悦に傑の襟元に縋れば、裏地の紅い黒い着流しを掴む手をそっと掴まれ血の滲んだ包帯を痛ましげに見られた。


「…これじゃあ暫く海はお預けだな」
「っは、ぁ…傑、」
「うん?」
「お前の、煙管…」

 傷の所為で体力と共に肺腑の働きまで鈍ってしまったのか、乱れたままなかなか整わない呼気の中で言う悦に、傑はあぁと頷いた。


「悦が、取り返して護ってくれたんだろ?有難う。…そんなに気に入ってたのか?」
「っは…違う」
「じゃあ、如何して」
「お前の、…傑の形見のつもりだった。本当は嫌いだ、あんな煙管」
「煙管が嫌いってのも面白い話だな」
「妬けるんだ。…お前に、何時も触れているから」


 傑に大事にされるあの煙管が、何時も妬ましくて羨ましくて堪らなかった。
 布の合間から覗く肌に唇を落としながら、傑は悦の告白を黙って聞いていたが、不意にくすりと笑うと不幸な煙管だ、と呟いた。


「悦。お前が三日も眠っている間、俺が何度あの煙管を叩き折ろうとしたと思う?」
「折る?」
「あれが嫌いなのは俺も同じだ。お前がこんなに傷を負っているのに、」


 お前の血を吸って、あの煙管は傷一つ無い。


 ちらりと煙草盆に乗った煙管を見やって、触れるだけの口付けを寄越しながら傑はくすりと、どこか自嘲するような笑みを浮かべた。





「お前に命懸けで護られたあの煙管が、俺も妬ましい」





 かたり。

 黒い煙草盆の上。畳の振動を感じ取ってか、不幸な煙管が小さく鳴った。





 終。



弐百萬打記念品第弐弾恋仲遊郭編。

悦が花魁と思いきや、まさかの傑が花魁で悦の方が旦那であるという罠。
時代背景は江戸中期辺りを想定しております。なので表現やら言い回しがいつもの参割増しで堅苦しくまだるっこしい事になっておりますがご容赦を。

いや待て、そんなことはどうでもいいんだ。

なんだこの長さ。記念品だよ?
有難うございますの気持ちを込めて、ちょろっと何時もと違うエロスを書けばいいものを、何この長さ。A430枚とかバカじゃないの。何処のどんな層のどの様な需要に向けて供給したと言うの。完全に空回り。


時代物―花魁―着物―!と好きなものばかりで上がりきったテンションに、好きなように書いていたらこんなものになってしまいました。
とても寝る前にちょこっと読んで、なんて代物では無くなってしまいましたが、少しでも楽しんで頂ければ幸い。

最後まで読んで頂き本当に有難うございました!


Anniversary