鴉はみんな仲良しなんだ。
オトナと違って仲間を裏切ったりしない。
みんなみんな大切な友達だ。
1人に何か酷いことをしたら、
みんなで仕返しにいくよ。
背中にした薄汚れた壁に背中を強く擦られ、皮の擦り向けた傷を抉られるような痛みに歪みそうになる顔を悦は咄嗟に背けた。
「う、ぅ…だ、出す…ぞ…ッ」
「あッぁ、あっ…だし、て…なか、中に…あぁあ!」
背中への負担を軽くする為にしがみ付いて耳元で喘いでやれば、片足を肩に担ぎあげて悦を犯していた男は呆気なく悦の中で精液を吐き出した。どろり、と体内に熱が注ぎ込まれる慣れた感覚にびくびくと足を震わせて見せながら、悦は血の匂いのする男の首筋に顔を埋めたまま甘く息を吐く。
「ふぁ…あ…っ」
「はぁっ…おい、ちゃんと立てよ。は、…腰が抜けたか?」
「だ、って…」
「へっ…そんなに良かったかよ、コレが」
「あぅうッ!」
甘えた声に下卑た笑みを浮かべた男が、抜こうとしていた己のモノをもう一度悦の中に突き入れる。ぐじゅり、と卑猥な音を立てて中に埋まったそれをすかさず締めつけてやりながら、悦は内心で舌打ちをした。
「ん…あんた、も…よかった…?」
男の肩に担がれていた靴を履いたままの足をゆっくりと下ろして男の腰に絡ませながら、悦はこくりと首を傾げつつ男の頬を両手で挟んだ。
明滅する街灯の明かりで仄かに照らされた男のだらしなく緩んだ顔を見つめながら、扇情的に唇を舐める。
「おお。少し痩せ過ぎだけどな、中の具合はそこらの女よりよっぽど良かったぜ」
「…なら、よかった…」
掠れた声で心底ほっとしたように呟いて、悦はふわりと笑って見せると腰に絡めていた足を男の背中へと叩きこんだ。
ぐら、と体を揺らした男が驚いたように自らの下腹部を見下ろすと、肌蹴たシャツの合間から覗く己の浅黒い肌に見慣れぬ金属が光っている。
思わず目の前の男娼を見上げれば、先程まで蕩けるような恍惚の表情を浮かべていた瑠璃色の瞳の少年は、酷く無感情な顔で男を見据えたままブーツの踵に仕込んだナイフで男の体を抉った。
「お、…おま、え…!」
「良かったな、死ぬ前にイイ思いが出来て」
ずぶり、と男の体からナイフを抜き取り、踵から鋭い刃を飛びださせたブーツで男の体を蹴り飛ばした悦は、にこりともせずに言うと埃っぽい路地に投げ出されていた男の荷物の中から銃を持ち上げ、それで男の額を撃ち抜いた。
左右を高い建物に挟まれた狭い路地裏でその発砲音は余りに呆気なく響き、今当に1人の男の人生を終わらせた悦は、銃と一緒に拾い上げた男の服の裾で仕込みナイフの刃を拭うとそれを元通り靴の裏底の中へと仕舞い込む。
「…無駄に出しやがって」
どろり、と内腿を伝う精液に忌々しげに舌打ちをした悦は、野外であるのにも目の前に真新しい死体があるのにも全く構うことなく、足を壁に着くと先程まで男に犯されていた後腔に指を突っ込み慣れた手つきで中に溜まった精液を掻き出した。
冷えた白濁色の体液がぼたぼたと路地に零れ落ちるが、元々汚水や塵や血で汚れたそこに新しい染みが着いたところで気に留める者など居ない。
肩からずり落ちていたシャツの前を留め、足首に引っ掛かっていたジーパンを履いて手早く身支度を済ませると、悦は額の真中に穴を開けられて呼吸を止めている男に歩み寄った。
重たい死体をごろりとひっくり返すと、銃弾に頭蓋骨を破壊され中身が晒された凄惨な様にも眉ひとつ動かさず、男の体を探って財布を取り出し中から紙幣だけを抜き取る。
「…まぁまぁかな」
想像より多い額に、そう呟いた悦の顔に初めて薄っらとした笑みが浮かんだ。
男は最近このZ地区に流れて来た殺し屋だった。こんな時間にこんな所を歩いていたのだからそれなりに腕が立つのだろう。もしかしたらもう誰かに子飼いにされていたかもしれない。
年中スモッグの晴れないZ地区の湿度は年を通して高い。最近は気温も上がって来たから、きっと明日にはこの男は腐臭を放つ肉の塊になる。ここでは死体の情報は足が速いから明日の昼には男の雇い主にも気付かれるだろうが、特に問題は無かった。
新参者が1人死んだ所で、それを気に留める者などここには居ない。
「おかえり、悦」
「……」
ねぐらにしている廃墟に近い安宿の1室に戻った悦は、クローゼットとベット、それから斜めになっている棚以外には何も無い部屋の窓際に立つ少年の姿を見て反射的に向けていた銃を下ろした。
「今日の稼ぎはどのくらい?」
「20ちょい」
「少ないね」
「俺1人ならこれで十分なんだよ」
玄関から部屋へと向かう短い廊下の横にあるシャワー室の前で、少年の目があるのを気にも留めずに服を脱ぎ始めながら、悦は先程まで少年に向けていた銃を彼に放った。
重たい鉄の塊を空中で掴んだ少年は、悦が全裸になってシャワー室の中に入っていくのを眺めながら冷たさを楽しむようにそれを手の中で転がす。
「ヴァレードに君の代わりにってメリーを行かせたんだけど、5しか貰えなかったって悲しんでたよ」
シャワーの音にかき消されないよう、10歳前後と思しき痩せた少年は笑みを絶やさないままに少し大きめの声でそう言った。
熱い湯で体を洗い流す悦からの返事は無いが、気にせず言葉を続ける。
「ねぇ悦、君から少し教えてやってよ。このままじゃマリーがガバガバになっちゃう」
「……」
「次はイワンが行こうかって話になってるけど、腕が片方無いから受けが悪いと思うんだ。大切な残りの腕を切られちゃったりしたら大変だし」
相変わらず無邪気な笑みを浮かべたまま、少年は腰かけていた窓枠から身軽に飛び降りると斜めになった棚に置かれていたタオルを持って、シャワー室の戸口に歩み寄る。
「ヘンゼルは?」
「負けちゃったよ」
濡れて色の濃くなったハニーブラウンの髪をかき上げながら出て来た悦にタオルを手渡しながら、笑みを絶やさないままに答える少年に悦の眉が僅かに潜められた。
少年はその名をテトラと言い、“鴉”だ。鴉はZ地区に住む16歳以下の子供達の総称であったが、鴉の中では偶に13歳前後で急死する者が居た。誰かに殺されたわけでもなく、病気に掛ったわけでもないのに死んでしまう子供のことを、鴉の中では死んだのではなく「負けた」と表現する。
17になる前は、悦も鴉の1人だった。それまで普通だった筈の仲間が、12、あるいは13歳になった途端に具合が悪いと言い始め、そして3日後、早ければ次の日には死んでしまうのを何度も見た事がある。
「グレーテルは?」
「元気だよ。弟が死んで悲しんでいたけど。いつも風邪を引くのはグレーテルの方だったのにね」
「何なんだろうな。いっつも13になった途端に」
テトラから受け取ったタオルで体を拭い、クローゼットから新しいシャツを引っ張り出しながら悦はぽつりと呟いた。
負けるのは必ずしも体が弱い者や体のどこかが欠けている者では無く、鴉の中で一番体が丈夫で大きい者が負けることもある。それはいつも唐突で、容赦なく、余りに呆気なく仲間を殺した。
昔は医者を呼んでいたが、誰も原因を見つけられずほんの少し時間を伸ばす事も出来なかったから今は呼んでいないだろう。それでなくても今の鴉は、悦という稼ぎ頭を失って財政難なのだ。
「しょうがない。誰も止められないんだよ。だってその時の薬の量と、相性の問題だもの」
「…薬?」
悦に銃を返しながらにこにこと笑って聞き慣れぬことを言い始めたテトラに、悦は背後に立つテトラを振りかえる。
テトラがZ地区に来たのは彼が6歳、悦が13の頃だった。大抵の子供がそれまでの記憶を無くして自分の名前すら解らない状態であるのに対して、テトラは自分の名前も知っていたし教えられる前からここがどういう場所なのかも知っていた。
大人びた態度。絶えることの無い笑み。新しくない名前。誰も気にしないが誰もが感じている。
テトラは異端だ。
「教えてあげようか、悦。知りたいなら」
「何をだよ」
「どうして君の記憶が7歳から始まるのか。どうして13歳で子供が死ぬのか」
「…知ってんのか」
思わず体ごと向き直った悦に、テトラは子供らしい無邪気な笑みで頷いた。
空にはね、孤児院っていう場所があるんだ。
親が死んだり親に捨てられた子供を引き取る場所だよ。そう、僕等みたいな子供達がそこにはたくさんいて、オトナになるまでそこで育てて貰ったりオトナになる前に子供が欲しいけど出来ないオトナに引き取られたりする。
そう、養子。新しくニセモノの家族を作るんだ。
みんなや悦がどこの孤児院から来たのか僕には解らないけど、君たちはきっとそこで酷いことをされてたんだよ。
孤児院にも良いのと悪いのがあるんだ。
良いのは親代わりのオトナも優しくてお菓子もくれたりするけど、悪いのはお菓子どころかご飯だってちょっぴりしかくれなかったりする。
身寄りのない、僕等や悦みたいな子供を引き取って育ててるとね、皇王さまがお金をくれるんだ。あなたはいいことをしているからご褒美だよ、って。
オトナはそれが欲しいんだよ。そのご褒美が欲しいから、ご褒美を貰う為に僕等みたいな子供をたくさん集めてるオトナもいるんだ。
僕のいた孤児院は悪い孤児院だった。
そこのオトナは何人かいたけど、いつも僕と他の子に酷いことをした。重たい荷物を運ばせたり何日も掛る場所にお遣いに行かせたり、棒でぶったりした。
僕の姉さんは綺麗だったからオトナに犯された。代わりにクッキーを貰ったけど、対価としては少なすぎるよね。悦なら3人も相手にしたら30は貰って来るもの。
うん、そうだよ。
でもね、皇王さまからのご褒美は子供が7歳になると、ちゃんとお勉強をしているかテストしていい点数が取れないと貰えなくなるんだ。
学校に通わせないと怒られるし、せっかくの金ヅルの子供を取り上げられて罰金を取られたりする。
そうだよ。だからオトナは捨てるんだ。
ご褒美を貰う口実にならなくなった子供をここに捨てにくるんだよ。このZ地区に。ここなら早く死ぬと思って。
オトナは鴉のことを知らないけど、バカで臆病で卑怯だから、もしも僕等が大人になって仕返しに来ないかって怖がってるんだよ。
だから記憶を消すんだ。
僕の姉さんもそうだった。7歳になった時に、おかしな薬を打たれて僕のことも自分の名前も全部忘れてしまった。体が弱くて仕事が出来ないから、ずっと薬を打たれて部屋の中に閉じ込められてた子もいた。
30人くらいだよ。うん。そうなんだ。多すぎる。
いつもいつも、皇王さまのテストが始まる夏の始まりから夏の終わりになると子供がいっぱい堕ちてくる。僕のいた孤児院だけで50人も子供が捨てられるわけないんだ。
だからきっと、悪い孤児院はたくさんあって、そこの子供達はみんなそうやってするようにってオトナが約束してるんじゃないかな。
その記憶を消す薬がすごい毒だから、その後遺症で急に死んじゃうんだよ。みんな、薬に「負け」ちゃうんだ。
僕?
僕は打たれてないよ。僕はね、姉さんを追い掛けて来たんだ。
ちょっと大変だったよ。こっそり抜け出して来たんだ。見つからないように。だって姉さんは凄く優しくて、僕大好きだったんだよ。
違うよ。姉さんは鴉じゃないよ。
鴉のみんなが見つける前に、きっと他のオトナに見つかって連れて行かれちゃったんだ。
探さないよ、もう知ってるもん。
うん。ヴァレードの所だよ。そう、昔君の上客だった。
迎えにはいかないよ、無駄だもん。
ううん、そうじゃないよ。ヴァレードくらいみんなに手伝って貰えばすぐに殺せるけど。
一応、ヴァレードはW地区のボスでしょ?仲良くしてた方が色々と便利だよ。
「…でも」
タオルで濡れた髪を拭いながら、悦はベッドに腰掛けつつ横に寝転がったテトラを見た。
「会いたくないのか?大好きなんだろ」
「うん、大好きだよ。僕だってすごく会いたい」
「だったら…覚えて無くても会うくらい、」
「だって無駄なんだもん」
ベッドの上に幼い体をうつ伏せに横たえ、ぱたぱたと足でシーツを叩きながら、テトラはにこにこと微笑みつつ悦を振りかえった。
「姉さんはもう死んでるよ」
笑みを絶やさないまま、淡々と。
驚く悦を見て楽しげにするその様子は無邪気で年相応の子供らしさを備えていたが、それが性質の悪い冗談などでは無い事もテトラは言外に語っていた。
「5歳から犯されて姉さんはもうガバガバだったんだ。綺麗だからヴァレードは買ったけど、とても使い物にならないから下っ端に回して、そして何人ものオトナに酷いことをされて姉さんの心臓は止まってしまった」
「お前…それじゃあ、なんで」
ヴァレードはW地区を統べるマフィアのボスだが、幼児趣味があった。幼い子供なら性別は関係無いという変態だったのだ。
その性癖に目をつけて、定期的に鴉を送り込むよう提案したのはテトラだ。金だけは腐るほどあるヴァレードから、病気や怪我で何人も死んで行っても常に100人近い鴉が生きて行く為の金を搾り取る為に。
食事の度に店を潰して食糧を奪うという手段は限界に近かったから、その結果鴉はそれまでより安全にたくさんの食べ物を得ることが出来るようになった。だが、何もヴァレードでなくてもいいはずだ。
大好きだった姉を殺した、憎くて堪らない男と手を組む必要は無い筈だ。
「他にもいくらでもいる筈だろ、鴉を買うようなオトナなんて」
「そうだね。でもね、悦。そんなことはどうでもいいんだよ」
にこにこと笑いながらテトラはそう言うと、ごろりとベッドの上を転がってシーツの上で膝を抱えた。
「悦がとても上手にオトナに犯されてお金を稼いできてくれてたから、僕等はそれに甘えてたんだ」
「……」
「このままじゃ君の次に上手なマリーががばがばになっちゃう。姉さんみたいに使い物にならなくなってゴミみたいに捨てられちゃう」
彼にとっては何より残酷な筈の姉の死因を引きあいに出しても、テトラの翡翠の瞳は揺るがない。
そして、世界の掃溜めと称されるZ地区の住人に天災のごとく恐れられている鴉の群れを統べる少年は、どこまでも無邪気に笑った。
「だからね、悦。僕に上手な犯され方を教えてよ」
Fin.
No.156「ユエ」様より
『悦がZ地区にいた頃の話』
より、鴉の群れの王、テトラと悦との絡みを交えて悦の記憶が7歳から始まる経緯。
鬼利に勧誘されてILLに来るまで、というリクエストも頂いていたのですが、少し長くなってしまいそうでしたのでテトラと悦との絡みを採用させて頂きました。
最悪の環境で生きる鴉達の、無垢な狂気を感じて頂ければと思います。
ユエ様、リクエストありがとうございました!
