そこはとても狭い箱庭。
2人だけの小さな箱庭。
容易く乱れる不穏な箱庭。
平和なだけでは退屈なのだ。
箱庭にいるのは2人だけなのだから。
頭にタオルを被ったままリビングに戻ると、鬼利は俺がシャワーを浴びにいった時のまンまの姿勢でソファに腰掛けて膝の上に乗せた分厚い本を読んでいた。
碌に拭われてねェ髪から時折滴る水滴を首に掛けたタオルに吸わせながら、繊細な指が薄いページを捲る。さっきと違うのは本のタイトルと、ページにびっしり敷き詰められた言葉くらいのモンだ。
「…なンか飲む?」
「……」
俺の方を見もせずにひらりと手を振って、鬼利はその手でまたページを捲る。俺が知ってる限り仕事から戻ってこれで3冊目(それも全部言語が違う)なンだが、ソファに背を預けてゆったりと足を組んだその姿勢は少しも崩れない。
鬼利は本が好きだ。
そりゃァもう、それなりに広いリビングの一面が本で天井まで埋め尽くされちまうくらい。鬼利が読む本は大抵何かの専門書だとか、難しい哲学書だとか、俺が読めもしねェどっかの国の言葉で書かれてッからその楽しさは俺にはイマイチ良く解らねェが、取り敢えず鬼利は本を読むのが好きだッてのは解ってる。
「……」
ソファの下に敷かれたラグに、鬼利とは少し離れて座りこみながら俺はちらりと鬼利の横顔を覗った。ちょっぴり覗き見した鬼利の頭ン中は聞いたこともねェような単語で埋め尽くされてて、端っこを“視る”だけで眩暈を起こしそうになる。
他のことを考えてねェってことは相当この本が面白いってコトだ。こォいう時はいくらちょっかいを出してみたって無駄だってのは知ってるから、いつもだったら鬼利が本を読み終わるまで俺は大人しく待ってるンだが、今日は。
…今日は。
「……鬼利。あのさァ、」
「……」
「この前、旦那に“街”に連れてって貰った時に色んな店に行ったンだ、けど…」
「……」
「ケーキ屋さんのケーキがどれも凄ェ綺麗で、食うのが勿体ないくらいで。…それで、その後、旦那がよく行くって言う服屋にも連れてって貰ったんだ」
するり、鬼利の指先が紙を捲る。
橙色の視線は印刷された活字を追っていて、まだ俺の方には向けられない。
「そこの店員サンが、綺麗な女の人だッたンだけど体中にマネキンみてェな刺青があって、」
「…それで?」
軽く息を吐きながらの言葉に、俺は思わず息を飲む。
今の「それで?」は、「それで、何だ」ってェ意味のそれで?だ。鬼利が本が好きなのもこの本に集中してンのも十分解ってンのに、俺が邪魔するから。
「それで…」
「……」
いつもならここで謝って黙るンだが、敢えて言葉を続けた俺にほんの一瞬だけ鬼利が視線を寄越してくれた。
これだけ愛して貰ってるのに好きだって解ってる読書の邪魔までして、それでも怒りもせずにちゃんと意識を寄越してくれるのが嬉しい、なんて思ッちまう俺は本当に浅ましい。
「その人に勧められて、その店で買い物…したンだ。鬼利に貰ったお小遣いで」
「…買い物?」
革張りの本の背を指先で撫でながら、鬼利が訝しげに眉を潜めた。旦那に買い物に連れってって貰った日のコトはどォいうルートでどこに行ったかまで全部話して、お小遣いの残りもちゃんと返したが、俺があの暗い服屋で買った物の話はしてない。
あの日に食べたケーキ物の代金を、結局は全部旦那に払って貰ったことも。
「服でも買ったの?」
「…服じゃァねェんだ。そこの店、アクセサリーも売ってたから」
言いながら、俺は買ってからずッと肌身離さず持ってた小さな包みをスウェットのポケットから取り出した。黒い糸が混じった青い薄布の包みを差し出すと、手を伸ばしてそれを受け取った鬼利が黒い硝子のボタンを指先で弾くようにして外す。
「これを買ったの?」
「…ン。」
白い掌にころりと転がった小さな対の黒い宝石。鋭利な金属の先端を出来るだけ意識しねェようにしながら、俺は膝を抱えて小さく頷いた。
見せてもらった中で俺が一番綺麗で素敵だと思った物を選んだから、鬼利が気に入ってくれねェ筈が無い。鬼利と俺の感じ方はそッくり同じだ。俺が綺麗だと思ったものは、鬼利も絶対にそう思ってくれる。
「…綺麗だね」
照明に翳すようにピアスの1つを持ち上げて、鬼利は底の見えない橙の瞳を軽く細めた。
…ここまでは思ッてた通りだ。俺が何より怖ェのは、この後。
「鬼利…あの、」
「それで、どこに着けるつもりなの?コレを」
カチリ、と鋭い先端を隠していたキャッチを外して針そのものの鋭利な先端を眺めながら、薄く笑った鬼利が少し意地悪に首を傾げる。
見せつけるようにされた針先から咄嗟に視線を反らすが、この距離じゃァどうやったッて俺の目には視えちまうんだから同じことだ。頭じゃァ解っててもやッぱり直に見るだけの度胸は無い俺を、本をぱたんと閉じながらどこか呆れたように笑った鬼利が見下ろす。
「1つは…鬼利の、好きなトコに…着けてほしくて」
「もう1つは?」
キャッチを着け直した2つのピアスを掌で転がしながら静かな声で問われて、俺はこくりと喉を鳴らした。確かに針は怖ェが、俺が着ける分には俺が我慢すりゃァいいだけだ。そのくらいの覚悟はあの店でピアスを選んだ時から出来てる。
「同じ場所、に…鬼利にも、着けて欲しィな、…ッて」
綺麗な宝石で飾られた、鋭利に尖った金属の針。
広すぎる“視界”に嫌でも入り込むそれを“視て”浮かぶのは、針に貫かれる激痛なんかじゃァない。俺のことなんざどうでもいい。
俺が何より怖いのはあの鋭い金属が、滑らかな鬼利の肌のどこかに醜い傷痕をつけること。
「…成る程」
小さく息を吐きながら頷いて、鬼利はピアスを握ったままソファから立ち上がった。
あの店でピアスを買った時はただ2人だけの消えない傷痕ッて言葉に陶酔しきっちまってて、働きの悪い俺の頭はそれがどォいうことなのかを深く考えもしなかった。2人一緒の、ってェ事は鬼利にも俺と同じことをさせるってことなのに。
例え指先をちょっと切るだけでも、それが鬼利なら俺にはてめェの腕を引き千切るより痛くて辛い。鬼利の体は気絶するような激痛をよォやく痛みと認識するぐらい痛覚が鈍いが、ンなこたァ別問題だ。
「つまり、」
「ッぁぐ…!」
優しげに微笑んで俺に歩み寄った鬼利が、素足で裸のまンまの俺の胸板を上から踏みつける。だん、と背中を床に強か打ちつけられた上に肋が軋むくらィ上から体重をかけられて、ぞわりと床に密着した背骨を甘い陶酔が走ンのを堪えながら、俺は薄らと涙が滲んだ目で鬼利を見上げた。
「僕の体に、針を通したいってことだね?」
「ッ…!」
改めて言葉にされたその行為に背筋が震える。今度のは寒気だ。凍るッて表現がぴったりくるような、強い恐怖。
あァ、やッぱり鬼利に見せずに捨てちまえばよかった。他のことじゃァてんで役に立たねェくせに欲ばッかり強い俺が、あの時の甘い想像を忘れられなかったから。つくづく俺はどうしようも無い。こんなに愛して貰ってるのにそれじゃァ飽き足らず、こんな。
「ご、め…さ…ッ」
「……」
てめェの浅はかさがつくづく嫌になる。肺を圧迫される息苦しさに喘ぎながら残った酸素を掻き集めて声を絞り出した俺を、鬼利はそれでも優しく笑いながら見下ろしてくれた。
ただ見上げることしか出来ない俺からすっと足が退けられて、赤く痕の残った胸板にぱらぱらと降ってくる、2つのピアス。
「まさかお前から血を出すことを望まれるなんてね。何もピアスじゃなくても、他にも色々あるだろうに」
「……っ」
「…でも」
起き上って床に落ちたピアスを拾い上げながら顔を伏せた俺の髪に、鬼利は肩にかけたタオルを床に落としながら手を掛けた。
ぐ、と掴まれた髪を引かれて顔を上げた俺を見下ろした鬼利が、軽く目を細めて笑う。
「お前にしてはいいアイディアだね」
「……ぇ、?」
ぽん、と髪を引いていた手が労わるように乗せられるのに呆然と鬼利を見上げると、鬼利は頭の働かない俺を放って寝室へと向かった。
その背中を見つめる俺を振り返らずに鬼利は寝室の扉を開けると、それを開けッぱなしにしたまンまで間接照明で薄暗く照らされた寝室に消える。
「鬼利…?」
いいアイディアだ、って。鬼利はそう言ってくれた。頭のイイ鬼利には、俺がピアスを出した時から俺がどォしてそれを買ったのを黙ってたのかも、浅ましい俺の考えることも全部解ってた筈なのに。
のろのろと立ち上がった手の中。床に着いた手の中に握ったピアスの、キャッチから覗いた針が少しだけ掌に食い込んだが、体の奥の柔らかいトコに広がる甘さに浸る俺にそんな微かな痛みは届かない。
「問題はどこに着けるか、だね」
消毒液を含んだ脱脂綿できゅ、と細くて長い針を拭いながら、裸でベッドに座り込んだ俺を鬼利が振り返る。
「この程度なら仕事中でも着けて居られるけど、さすがにそれじゃああからさま過ぎる」
「ッぅ…き、鬼利…っ」
落ちついた声で言いながら消毒された針がす、と耳に近付けられて、間近に迫った鋭い先端に思わず俺は鬼利のシャツの裾を掴んだ。
勝手に触って怒られるかもと思ったが、俺が針が苦手だッてのを知ってる鬼利は何も言わずに耳から離した針を俺の体にそって下に降ろす。
「服に隠れる所がいいね」
「ん、…ッ…」
消毒液の冷たさを残した鬼利の指が、堪えようとしても勝手に小刻みに震える俺を宥めるみてェに胸板をゆっくりと撫でた。鬼利は優しい。いつもなら頭ン中で考えて済ませるよォなコトまでわざわざ口に出してくれンのも、針を見ると自然と体が強張ッちまう俺を気遣ってくれてるからだ。
「この中を通したら、外さないと何も出せなくなるよ。締まりの悪いお前には丁度いいかもね」
「あ、ぁ…ッ」
くすくすと笑いながら、鬼利は針の背でつぅっと半勃ちの俺のモノを撫で上げる。針への恐怖でぞくりと震えた背中を同時に甘い痺れが走って、相反する感覚がもどかしい。これが他の痛みなら血が出るくらいにされたって感じてられンのに。
「鬼利、が…イイんなら…っ」
「お前が同じ場所じゃなくても満足出来るなら、そうしてあげてもいいよ」
「ッ…ぁ、それ…は…」
「解ってる」
離された針に息を吐きながら思わず鬼利を見上げると、鬼利は本当に何もかも全部解ってるッて眼で軽く頷いた。
尿道をピアスに塞がれて排泄も射精も自由にはできなくされンのは魅力的だが、消えない傷を着けるのは同じ場所じゃなくっちゃァ意味が無い。
「後ろで手を組んで」
「き、決まった…?」
言われた通りに背中側で腕を組んでキツくてめェの腕を握り締めながら、俺は恐る恐る鬼利の表情を覗った。てめェじゃァ制御できねぇ灰色の霧にくすむ“視界”が、意識する前から鬼利の思考を読み取って問いの答えを知らせる。
鬼利がニードル代わりに針責め用の細長い針を通そうとしてる先は、俺の左側の乳首だ。確かにここなら、俺ァともかくいっつもスーツをきっちり着込んでる鬼利は間違いなく隠れる。
「じっとしてるんだよ」
「は、ぃ…っ」
「大丈夫。イイ子にしていればすぐ済むからね」
カチカチと噛みあわない奥歯が音を立てる俺の頭を優しく撫でてくれながら、鬼利は泣きそォになるくらい優しい声で囁いた。俺の感度は変態じみてるが、鬼利だって乳首は感じはしなくッても他のトコより皮膚が薄い。もしかしたら少しでも痛ェんじゃねェのかって思うと不安だが、鬼利が決めたことだ。
俺に文句を言うような権利は勿論ねェし、鬼利が選んだ選択肢は常に俺等にとっちゃァ絶対に最善だ。結果がどうなっても、それは変わらない。
「ひ、ぅ…っきり、鬼利…ッ」
「ここにいるよ。今から幽利に針を刺すのは間違いなく僕だ」
「ん、…んンっ…」
「他の誰でも無い。だから、大丈夫だよ」
消毒液で濡れた脱脂綿に拭われた乳首に、ひたりと冷たい金属が宛がわれる。
叫び出しそうになンのを堪えて奥歯を強く噛みしめる俺の頭を優しく撫でて、鬼利は震える俺の頬に小さな音を立ててキスをくれた。
それと連動して、細くて鋭い金属の冷たい、針が、
「ッい、っぁあぁああ…!」
「…イイ子だね」
つぷり、と。皮膚を破る感触を伝えた時には針は俺の左乳首を綺麗に貫通していて、慣れた鬼利に素早く刺して貰ったお陰で血の一滴すら出ちゃいなかった。
全身からどっと噴き出した冷や汗が裸の背中を濡らす。ずきり、ずきり、と鼓動に合わせて疼く小さな傷痕に荒い息を吐いている俺の頬をそっと撫でて、鬼利はサイドテーブルから消毒されたピアスを持ち上げた。
「今度はもっと痛いよ」
「あ、ぁ゛ッ…うぅう…!」
優しい声で囁きながら、さッき通された針を鬼利の指先がゆっくりと抜いていく。皮膚がひきつれるような微かな痛みを残して針を抜き取られた真新しい傷痕に、針と比べりゃァ鋭さなんてほとんど無いピアスの先端が宛がわれた。
「大人しくしてるんだよ、幽利。暴れると中で引っ掛かるから」
「ん、んっ…」
「大丈夫、これは針じゃなくてただの金属の棒だ。棒で傷を抉るだけ。幽利の大好きなコトだよ」
ぞくりと来るくらィ艶っぽく微笑んで、鬼利は握り直したピアスの先端を薄く血の滲んだ傷にゆっくりと進める。
「ひッィ…あ、あ゛ぁあああッ…!」
「…出来たよ」
小さな金属に傷を抉られる激痛に、跳ね上がりそうになる体を必死に堪えててめェの腕にキツく爪を立てた俺を、鬼利は囁きと共に優しく撫でてくれた。
知らずにぎゅっと瞑ってた眼を開けりゃァ、鬼利の手でキャッチを留められたピアスは確かに俺の乳首を綺麗に真横に貫いていて、黒い宝石が間接照明に淡く光る。
「は…ぁっ…ぴ、あす…」
「ちゃんと着いてるよ」
両手足の感覚がじんわりと痺れたよォになってる俺の腕を背中に手を回して解かせながら、鬼利は呆然と呟いた俺にくすりと笑った。
薄く血の跡がついた細い針を消毒液で拭うと、肌の上で光る宝石をぼんやりと眺めていた俺の手を取って、それを握らせる。
「幽利?まだ終わりじゃないよ」
「…え…?」
「まだ僕が終わって無い。今度はお前がやるんだよ」
別になんでもないコトみてェに言いながら、鬼利は寝巻のボタンを外して前を大きく肌蹴ると、薄い胸板に浮いた乳首に針を持たされた俺の手を引き寄せた。
鬼利の体に傷をつける。俺が、この綺麗な肌に針を。
「そ、な…ッ鬼利、そんなこと…!」
「同じ場所に着けて欲しいんでしょ?」
「…でも、っ…上手く、できるか…」
「じゃあ、他の誰かにさせようか?」
「ッ……」
「…僕はお前に開けて貰いたいんだけどね」
針を握り締めて縋るよォに鬼利を見つめる俺を愉しげに眺めながら、鬼利は消毒液を含んだ脱脂綿で自分の乳首を軽く拭うと、俺の頭をくしゃりと撫でる。
「同じ傷が欲しいんじゃなかったの?もたもたしてると気が変わるよ」
「まっ…やる、やるから、ちょっとだけ…」
ほんの少しだけ苛立ったように軽く目を細めた鬼利に慌てて針を握り直しながら、俺は深く息を吸い込んだ。
鬼利と俺は双子だが、俺と鬼利じゃァ役割が違う。俺ァ今まで何度も鬼利に血が出るどころか肉が見えるよォな傷をつけられて来たが、俺が鬼利に無意識の爪痕以外で傷を付けたことなんざ一度も無い。違うんだ、役割が。
傷つくのは俺の役目だ。俺が鬼利とひとつにならずに、わざわざ体を持ってここに居るのはその為だ。
「っ…痛かった、ら…」
「痛く無いよ。眼球や性器に刺されれば少しは痛いかもしれないけど」
「…ッ…」
針を握った手にじっとりと汗が滲んで、滑るそれを俺は何度も握り直す。指先がローターみてぇに震えてンのがいっそ面白ェくらいだ。
「大丈夫だから。幽利?」
「わ、かった…」
「なら早く」
忙しない息を必死に整える俺とは正反対に落ちつき払った声で俺を急かしてから、鬼利はもう一度針を握り直した俺を眺めて小さく息を吐いた。
呆れられたと思って小さく肩を震わせた俺の髪を、繊細な指を持つ手が優しく掴んで引き上げる。もたつく俺に苛立ってるんだろうと見ないようにしてた鬼利の表情は、俺の想像を裏切って薄く笑みすら浮かべていた。
それも少し、寂しそうに。
「お前は本当に頭が悪いね」
「きり…?」
「僕に傷を着けるとか、血を流させるとか、そういうことを考えている場合じゃ無いんだよ。2人で同じものの筈の傷痕を、お前は持っていて、僕にはまだ無い」
どういうことか解らないの?空気を震わせずに届いた声に、針と血に意識を持っていかれていた俺の、ただでさえ働きの悪ィ頭はようやく鬼利の意図を理解した。
鬼利と俺の感じ方はそッくり同じだ。人形みてェにまっさらだった俺をあの屋根裏部屋で少しずつ汚して人間にしてくれたのは鬼利だから。
俺が綺麗と思う物は鬼利も綺麗と思ってくれる。鬼利が綺麗な物は俺にとっても綺麗だ。
それなら、俺が同じものの筈なのに歪なこの入れ物が、これ以上違っていくのを怖いと思っているんなら。
つぷ。
「…あぁ、ちゃんと通ったね」
皮膚を2度、貫く感触を俺の指にしっかりと伝えて小さな肉を貫通した針を見て、鬼利は他人事みてェにそう呟いた。
「き、鬼利…っ…痛くねェ?平気?」
「いい加減煩いよ。何度も何度も」
慌てて針を手放して鬼利を見上げた俺に淡々と答えながら、鬼利は手を伸ばしてサイドテーブルに乗っていたもう片方のピアスを持ち上げる。
「さっさと済ませてよ。僕はお前と違って肉を棒で抉られるのなんて愉しくもなんとも無いんだから」
「ん、…ぅん…っ」
ぽい、と放られたピアスを慌てて受け止めてキャッチを外し、刺しっぱなしの鬼利の乳首から長くて鋭い針をゆっくりと抜き取った。真新しい小さな傷は下手糞な俺がつけた所為で薄らと血が滲んでいたが、血を透かして“視え”る小さな傷にピアスを差し込んでも、無様に泣き喚いた俺と違って鬼利は眉ひとつ動かさない。
「…鬼利、」
「なに?引っ掛かったの?」
「…できた」
震える手でかちり、とキャッチを嵌め直すと、その音を聞いてようやく鬼利は暇つぶしに俺の髪を掻き回していた手を止めた。恐る恐るその表情を覗った俺の前で、鬼利はちらりと自分の胸板を一瞥してそこに淡く光るピアスを確認すると、薄らと滲んだ血に汚れたそれを何気なくぱちりと指先で弾く。
「やっと着けられたね」
「ちょッ…そんな風にしたら…!」
「ただのテストだよ。遊んでる最中に壊れでもしたら興醒めだからね」
どんどん血を溢れさせる傷を気にした風もなくそう言って、鬼利は軽く首を竦めた。鬼利の免疫力は俺より低い、傷をつけた上に膿んだりしたら大変だからと脱脂綿を拾い上げた俺の目の前で、鬼利は滲んだ血を指先でおざなりに拭うと(ピアスも一緒に擦られて見てる俺に鳥肌が立った)、血のついた指を開きかけた俺の口に突っ込んだ。
「取り敢えずは安心したよ。安物を掴まされたわけじゃないみたいだね」
「ん、んぅ…ッ」
「デザインとしては似合わないけど。それに機能もイマイチだ」
俺の乳首を貫くピアスを冷静に観察しながら鬼利はやっと俺の舌を嬲っていた指を抜くと、俺の唾液で汚れた指で何の前触れも無く俺の乳首をそこに通ったピアスごと、指先で摘まんだ。
「ひぁ゛ッ…あ、ひッぃうぅうっ!」
そのまま、まだじくじくと鈍く痛むそこにぎゅうと潰すように力をかけられて、傷を抉られるまンまの痛みに俺は思わず鬼利の手首に手を掛ける。
「き、りッ…いた、…ホント、に痛ェ、から…ッ」
「そう。だから?」
「あっ…ひぎ、ッ!」
俺の懇願を涼しい顔で聞き流して俺をシーツの上に突き飛ばすと、鬼利は仰向けに転がった俺の腰に跨りながら薄らと血で汚れた俺のピアスを持ち上げた。
勿論、ピアスは俺の乳首に通ったまンまだ。千切れンじゃねェかってくらい容赦なく引かれて思わず体が浮きかけるが、鬼利は平然と俺の肩をシーツに押し付けて尚もピアスを引きあげる。
「あぁ゛あああぁあッ!」
「やっぱり棒状よりはリングになってる方がいいね。血が出るのは最初だけだろうけど、掴み難い」
「や、ゃめ…き、りっ…と、れちゃ…ッひぃいぃ!」
「紐をつけて引いてあげるよ。犬のリードみたいに」
くん、くん、と強弱をつけてピアスを引っ張りながら、鬼利はくすりと笑って肩を押さえてた方の手で俺の目尻を強く拭った。
「ひ、ゃめッ…鬼利、おねが…ぁッ」
「よく言うね。少し弄っただけでもうこんなにしてるのに」
「あ、ッぁあ!」
ぴん、と溢れた血で汚れたピアスを指先で弾きながら、俺の涙に濡れた指がガチガチに硬くなった浅ましい俺のモノを乱暴に擦る。優しさなんざ欠片も無い手つきで痛いくらいにカリを擦られても、俺にとっちゃァその痛みまでひっくるめて快感だ。
鬼利は俺みてェに頭ン中が見えてるわけじゃねェけど、俺なんかよりずっとずっと頭がイイ。
針が無くなった途端に俺の体がいつも通りの被虐趣味を発揮して、せっかく出来た2人だけの証を壊されンのを怖がるのと同時にどォしようもなくその小さな傷痕を苛められンのに感じてることを、俺より先に気付いてる。
「最近鞭にも飽きてきたところだし、丁度いい。今度はここを弄っただけでイケるようにしてあげようか」
「あぁっは、ぁ!ひ、ぁうぅっ…!」
「…2人だけの証が欲しい、なんて口では言ってたけど、」
ぎちり、と皮膚が引き連れるほど引かれて歪に伸びた俺の乳首を眺めながら、鬼利はくすりと笑うとピアスを引かれる度に先走りを滲ませてモノを濡らす俺の耳元に唇を寄せた。
耳朶の軟骨を歯でがり、と音がするよォな強さで噛まれて思わず甘ったるい声を漏らした俺を、俺にとっちゃァどんな楽器の音色より耳ざわりのイイ声がくすくすと嘲笑う。
「本当はこうされるのを期待して、こんなものを買って来たんでしょ?」
「ぁ、あっ、あ…!」
「アレは言い訳としては上出来だったけどね。浅ましいお前の考えそうなことだ」
鼓膜を通して直接頭ン中に染み渡るよォな鬼利の声に、ほとんど無意識の内に俺は何度も頷いた。
「ひぁッ、あ、…ご、め…なさ…っぁあ!」
確かにあの時は、ピアスを買った時はこんな事ァ考えもせずに、ただ2人だけのってェ言葉に夢中になってた筈だが、そんなことはもうどうでもいい。
言われて見りゃァあの時からこォいう事を期待してたような気もするし、そォじゃなかったような気もするが、消えない記憶をいくら探っても無駄だ。鬼利がそういうんならそれが俺には真実だ。
「あぁッあ、あッ!き、り…鬼利っ…」
「……」
「あぅっ…ぁ、…え…?」
血の滲むピアスをぐちぐちと指先に捏ねられる痛みと、それを上回る快感に射精をねだろうとした瞬間。俺の心を読んだみてェにぴたりと手を止めた鬼利が、跨ってた俺の腰の上から降りた。
「き、鬼利…?」
「寝るよ、幽利」
「…えっ…」
何か粗相でもしちまったのかとシーツから起き上った俺に平然と告げて、鬼利は小さく欠伸を噛み殺すとベッドに横向きに寝ころんでた俺の体を軽く足で小突く。
慌ててベッドから降りると、鬼利はシーツに散らばったままの脱脂綿と針をゴミ箱に放り込んで本当にベッドの中に入っちまった。
せめて今夜はこのまま苛めて貰えンのかと思ってた俺は肩透かしもイイとこで、思わずベッドの下に座り込みながら半ば呆然と俺に背を向けちまった鬼利を見上げる。
「…き、」
「おやすみ」
「ッ……おやすみ、なさい…」
当然ながら中途半端なトコでお預けを食らった俺のモノはがっつり臨戦状態のままだ。ンなこたァ鬼利が一番よく知ってるだろうに、おねだりを遮ってそんなコトを言われちゃァ俺にはもう何も出来ない。
いつもならもうちょッと遅い時間まで構ってくれンのに、なんて。さっきまで散々甘やかして貰ったのを感謝こそすれ放置されたことを寂しく思うなんざ、ホントに俺は嫌になるくらい浅ましい。
でも、散々弄られた新しい傷はまだ少しだけど血を滲ませて、熱を持ちながらじくじく疼いてる。少し…いや、かなり辛い状態だ。俺にとっては。
「……きり…?」
「……」
「……」
「……」
…でもまァ、当然そんな俺の状態なんてモノは鬼利には何の関係も無い。
恐る恐るかけた声にも反応すらしてくれねェ鬼利に、俺はひっそりと溜息を吐いた。まさか鬼利が寝てる横でてめェで抜くわけにもいかねェし、今日は我慢して大人しく寝るしかねぇらしい。
座り込んでたフローリングから立ち上がって、間接照明を消してから出来るだけ鬼利の邪魔をしないようにそっとシーツに手を着く。
暗闇も布団も寝巻も透かした俺の視界に映るのは、鬼利の心臓の位置にある薄く血を纏った黒い、小さな宝石。
体がいくら同じだって腐れば何の意味も無い。ンなことくらい俺も鬼利も解ってる。逆に言やァ、どれだけ外が違ったって中身だけはどこまでも一緒なことも。
こんな小さな傷が、一時の幸福感だけしか与えない無意味なものだってことはバカな俺でも百も承知だが、退屈しのぎにゃァ無意味なことだって偶には必要になる。
この世界には死んだって俺と鬼利は2人きりなんだから。
Fin.
No.XXXより、
「幽利がピアスを開ける話」
から、文字通り幽利が鬼利にピアスを開けて貰う話です。
多くの方からリクエストして頂いた為、リクエストNo.とリクエスト者名は割愛させて頂きました。
双子はどうしても色々と精神面を書きたくて心理描写を書き連ねてしまいます。
双子の得意技は自己暗示。2人きりで完結した世界を持つ彼等にとっては、2人でいる為の(本来彼等には無意味な)葛藤も、2人だけの世界を彩るスパイスになります。
リクエストありがとうございました!
