2013 Twins



 …面倒なことになった。

 登録者達が集まって馬鹿騒ぎでもしているのか、やたらと騒がしい廊下を自室へと向かいながら、鬼利は内心で溜息を吐く。
 勿論、少し顔を出すだけで済ますつもりだった“お呼ばれ”が、こんな時間まで延びてしまったことに、では無い。


「それでェ、旦那が『じゃァパラソルで』って…ふふっ、そンなんじゃァ掬った端から零れッちまうのに」
「……」


 右腕に絡みつき、舌っ足らずな声で先程から楽しそうに支離滅裂なことを口走っている双子の弟を、酔わせてしまったことに対してだ。
 飲ませると面倒なことになる為、外では禁酒を命じては来たが、それでも双子の弟だ。自分より多少弱いにしろ、度を超さない程度には飲めると思っていたのだが、まさか甘酒で酔っぱらう程に弱いとは。

「幽利、押して」
「だから……へ?なにを?」
「…ボタン」

 幸い誰に会うことも無く辿りついた、自室に直通の昇降機の前。両手が本と幽利で塞がっている為そう命じた鬼利は、ふらふらと一歩前に出た幽利が昇降機のパネルに手を伸ばすのを、凍りそうに無感情な目で眺め、

「…上ぇ?下ぁ?」
「……」

 疲れたようにその目を伏せると、下にしか行かない昇降機のパネルを本の角で殴りつけた。










 傑と悦がこたつに半ば足を突っ込んだまま第3ラウンドに突入し、甘い甘い年の瀬を堪能している頃。

「……」

 鬼利は膝の上に乗せた分厚い本の余白に、怖ろしいスピードで複雑な数式を走り書いていた。
 数式は頁の余白に留まらず、既に鬼利にとっては用済みとなった活字の上にも延びて行き、2頁目の半ばまで到達した記号と数字の尾がやっと1つの解らしい物を導いた所で、漸く止まる。

 家族が団欒を囲み、若者が友人同士で集い、恋人達が語らう年の瀬に、そんなものはどこ吹く風といった様子の鬼利は、長い長い数式が導き出した解を面白くも無さそうな目で少しの間見つめ、


「…詰めが甘い」

 Fが聞けば目を丸くしそうな素っ気なさで、己が導き出した数式と解の両方を切って捨てた。
 難解な問いを前にしての苦悩や、その難問に挑む高揚など微塵も感じさせぬ退屈そうな表情のまま、鬼利は暗記しているような早さで数式を走り書いていた万年筆をくるりと手の中で持ち直し、“不可”である解に、容赦なく斜線を引く。


「んンぅうッ…!」

 解を黒く引き裂いた万年筆、を持つ鬼利の中指に結ばれた、細い細い一本の糸の先。
 斜線を引くためにそれまでよりも大きく動かされた万年筆に従って、強く引かれたその糸の先は、幽利の左胸についたリング状のピアスに通されていた。銀色のリングに一度巻き付けられただけの糸は、ピアスごとそれが通った幽利の乳首を引き上げながら更に下―――いや、今は鬼利から見て左となった、幽利のモノへと伸びる。

 張り詰めた幽利のモノに糸は根元から網の目状に絡みつき、カリのすぐ下で特殊な結び目によって留められていた。引けば締まり、撓めれば緩むその結び目の所為で細い糸は痛々しく肉に食い込んでいるが、鬼利はそれを見てすらいない。


「…落としたら、歯を抜くよ」
「ふぅ…ぅ…ッっ」

 凍てついた声でそう釘を刺し、再び万年筆を動かし始めた鬼利に、ペン先が動く度に性感帯を細い糸で嬲られている幽利は、絶望とも歓喜ともとれる吐息を漏らした。





 千鳥足の幽利に片腕を取られたまま部屋に戻った鬼利は、案の定発情して性的な意味で「構って」とねだる幽利を、着物姿のまま“調教部屋”に吊るした。
 3本の太い荒縄によって、膝に閉じられないよう棒を渡した左右の足を、そして背中で組ませて纏めて縛りあげた両腕を、それぞれ天井の金具に繋がれて海老反りに吊るされ、さすがに苦しいらしく少しは静かになったが、5分も経つと慣れてきたのかまた「構って」と騒ぎだした。

 普段ならその体制のまま失神するまで犯したり、着物が布切れになるまで鞭打ってやるくらいならしてやったかもしれないが、生憎鬼利は忙しい。
 酒の肴にした傑との議論の所為で、暇つぶしに過ぎなかった論文に少しだが興味が沸いたのだ。

 鬼利の集中力は、例え後ろでフルオーケストラの演奏が始まった所で途切れるようなものではないが、何せ今日は酒が入っているし、元々騒がしいのは嫌いだ。取り敢えず2本のバイブを、1本は媚薬をたっぷりと塗りつけて奥に、もう1本は騒がしい口に突っ込んで黙らせ、何となく気分でモノと乳首のピアスに糸を繋いだ。


「ぅ…んぅっ…ふ、くぅう…っ!」


 …結果、媚薬で蕩けた内壁を押し広げたまま動かないバイブや、小刻みに引っ張られる糸や、四肢に食い込む荒縄にもどかしい快感と痛みを与えられた幽利は、時折「構って」と甘ったるい声を出す以上に騒がしくなってしまっているのだが、

「ん、んんっ…は、ぅ…うぅう…ッ」
「……」


 既に己の思考に没頭している鬼利には、そんな甘い悲鳴がいくら響いても何の問題も無かった。





「っふ…ぅう゛、うー…ッ!」

 ダイニングから(幽利が)持って来た椅子に腰掛けて本の頁を繰る鬼利の手に合わせて、モノとピアスに絡みついた糸がきゅう、と締まる。
 常人なら悲鳴を上げるような痛みだが、幽利の体は常人のようには出来ていない。細い糸にモノを締めあげられるのも、ピアスの通った乳首を千切れそうな程引っ張られるのも、被虐趣味の体は擽られるような快感として捉える。

 ましてやこうして苦痛を与えてくれているのは、愛して止まない双子の兄なのだ。
 超がつく被虐趣味の幽利にしてみれば、その寵愛に歓喜こそすれ、不平不満を抱くなど有り得ない…筈なのだが。


「んくっ…ふ…うぅー…っ」


 甘酒に酔った幽利はいつもより少しだけ、欲張りだった。

 荒縄に吊り下げられて軋む関節の痛みも、細い糸が動く度に性感帯に走る裂かれるような痛みも、解かれた目隠しの布で後ろ髪を荒縄に縛りつけられている為、下げる事の出来ない首の痛みも、物足りなくはあるがじわじわと内側から体力を削られて行く感じが好みだ。重いモーターと電池を孕んだバイブを咥えさせられた顎がだるく、今にも筋肉が痙攣を起こしそうなのも別にいい。


「んんーっ…!」

 頁を捲るのに合わせて強く引かれた細糸に、幽利はそれまでよりも大きく喘ぎながら軽く体を揺らした。荒縄がギシギシと耳障りな音を立てるが、鬼利は本から顔を上げない。
 しかもただ無視をしているわけではなく、幽利の特殊な“目”に映る双子の兄の頭の中は、3つに区切られた思考のどこを“視て”も数式と難しい論文の中身ばかりだった。幽利のことなど欠片も考えてくれていない。


「……」
「……んぅ…」

 縄や糸が与える苦痛も、じくじくと下半身に響く内壁の疼きも、折角悦に貰った着物が皺になるだとか、尋問にしたって国際規定違反の扱いをされているだとか、そういうこと全部が幽利にはどうでも良かった。
 では何が不満なのかと言えば、それは口を塞がれる前の幽利が再三口にしていた一言に尽きる。

 構って欲しい。

 こんなに手間を掛けて自分の性癖を満たす責めをしてくれていても、近くにいてくれていても、それだけじゃ嫌だ。素面の時は自分でも気付かぬ内に押し殺してしまっているが、幽利はどこかの純血種と違って人間なのだ。嫉妬心だってある。

 本当なら自分に向けられているべき鬼利の関心を、あんなよく解らない本に奪われてしまっているのが妬ましいし、悲しいし、寂しい。
 顔を上げて、こっちを見て、出来ることなら話しかけて。「煩い」の一言でもいいから、どんなに酷い言葉でもいいから。


「ン…ふ、ぅ……」

 ―――そんな幽利の一途な想いが、届いたのかは解らない。
 秒針の動きは一定だし、スーツに合うような腕時計は着物には似合わない。食事時ならともかく、人の体内時計なんてものは曖昧だ。そしてこんな“街”には物好きだと言う神様とやらの視線も届かない。

 だが、その時鬼利は腕時計を外さずにいて、様々な物事に正確な彼の体内時計もまた、正確だった。


「…おめでとう、幽利」

 つい数秒前に新年を迎えたことを示す時計をちらりと一瞥してそう言った鬼利が、約1時間ぶりに顔を上げる。
 まるで計ったようなそのタイミングの良さに、幽利が双子の間での特別な意思疎通、等と言う神秘的な現象を信じたのかは解らないが、


「あ…っ…」

 生まれてから片手の数ほどしか経験のない「願いが叶った」ことに、言いつけを忘れてバイブを落としてしまう程度には、驚いた。





 長時間、不自由な状態で拘束されいてる所為で無意識のうちに震える内腿を、羽箒が辿る。

「ぁ…あ、ぅ…はぁあ…ッ!」

 腰骨の辺りを擽り、下腹をなぞっていく柔らかな感触に、幽利は荒縄を軋ませて身を捩った。体重のかかった左肩がみしりと嫌な音を立てたが、もうそんな痛みも気にならない。


「普通なら、全身の激痛で泣き叫んでいる頃だけど…」
「あぁぁ…ッ」
「…お前は呆れるほど丈夫だね」

 呆れと言うよりは嘲るように言いながら、鬼利は中指に糸が括られた手を軽く引いた。ピアスに引かれて歪に伸びた乳首を、黒い羽箒がゆっくりと撫で上げる。

「っひ…ぁあ、ぁ…!」

 ピアスの所為で特別敏感なそこを羽に擽られるのは耐え難い程の快感だったが、もう30分余りも羽箒で嬲られ続け、イくには足りない甘い苦痛と快感に溺れさせられている幽利には、もう縛られた体を捻って逃げる力も、或いはもっと強い刺激を求めて羽に肌を押しつける力も残っていなかった。

 加えて鬼利が言った通り、吊られている体のそこかしこが激痛を訴えている。後ろ髪を引かれている所為で気道が圧迫され、呼吸も満足に出来ない状態で出来ることと言えば、掠れたか細い嬌声を上げることくらいだ。


「傷も殆ど残らないくらい丈夫なのに、どうして酒には―――」

 幽利に気が狂いそうなほどの苦痛と快感を与えながらも、常の通りに冷静な鬼利の声が、古いラジオのように途切れがちになる。

「いっそ水責めの代わり―――死なない程度に―――…幽利?」
「あ…ァ…」
「幽利」

 首筋を撫でていた羽箒で幽利の頬を軽く叩き、自分と同じ橙色の瞳の焦点が戻って来ないのを確認して、鬼利は軽く溜息を吐いた。中指の細糸を解き、壁際のハンドルを握る。
 ストッパーを外したハンドルを抑えて、滑車が幽利を床に叩き落とすのを防ぎながら、鬼利は酸欠と諸々の要因による心身の負担によって意識を飛ばしている幽利を、ゆっくりと床に下ろし―――

「……」

 少し考えて、ハンドルから手を離した。

「ッ…あ…ぐ、ぅ…!」

 床から30センチほどの位置から叩き落とされ、膝と肩を強打した幽利が痛みに呻くのを後目に、鬼利はその後ろ髪を荒縄に縛っていた目隠しの布を解くと、傍らの椅子に腰掛けた。
 椅子の斜め後ろ、昔幽利が寝床としていた大きな檻の上には、結局満足の行く解法を見つけられ無いままの分厚い本が乗っていたが、鬼利は振り返らない。


「…俗に言われる“姫始め”というのは、実は多大な誤解をされていてね」

 幽利の汗を吸って僅かに毛先が重くなった羽箒を投げ捨てながら、誰に聞かせるでもない、退屈そうな声で言う鬼利を、幽利はやっとの思いで床から見上げた。

「元旦だと思われているけど、正しくは2日に行われる。更に表記も、本来は“秘め始め”…つまりその年初めての秘め事という意味で、何も新年早々姫を手篭めにするわけじゃない」

 濃紺に淡く辻ヶ花文様の入った、幽利と揃いの着物の襟を軽く直しながら、鬼利は床に這ったままの幽利など見えてもいないような素振りで、くすりと笑う。


「もしそうなら、僕はとんだ大罪人だ」

 そう言って自嘲するように笑う鬼利の綺麗な横顔に、幽利は何故か呼ばれた気がした。
 いや、呼ばれた、というのは正しく無いかもしれない。どちらが、かは解らないが、とにかく傍にいかなくては、という気になったのだ。

「っ…ふ…」

 髪の戒めは解かれたが、両腕と足は未だに縛られたままだ。関節に加えて、床に打ち付けた両膝と肩も痛むが、幽利は全身が上げる悲鳴を全て無視してずる、と床の上を這った。
 傍に行きたい。

「人目につかない、塔の真上にでも幽閉して寵愛すべき姫様を、」

 顔を上げて、こっちを見て、声をかけて。
 それだけじゃ嫌だ。

「縛って吊るして」

 傍にいて。

「失神するまで嬲って」

 誰よりも何よりも近く。
 空気すら入り込まない程、傍に。


「鬼利、…きり…っ」

 すすり泣くような声でこの世で最も愛しい名を呼びながら、永遠とも思えるような時間をかけて、幽利は足を組まずに椅子に座っている鬼利の下に辿りついた。
 よく躾けられたペットのように鬼利の足に頬を擦り寄せる幽利の顔を、真っ白な足袋を履いた鬼利の爪先が顎を掬いあげるようにして上げさせる。

 這いずった所為で襟も裾も無いくらいに着物を乱し、肩甲骨に届くほど長い髪も滅茶苦茶になってしまった、きっとこの上なく無様な幽利を見下ろして、怜悧な橙色が愛おしげに微笑んだ。


「…こんな惨めな姿を晒させて、それを愉しんでいるんだから」
「っ……」

 言葉の通りに心底愉しげで、愛おしそうな鬼利の声に、幽利は頭の芯がじんと痺れるのを感じた。

「まぁ、お前は間違っても“姫”なんて柄じゃないけどね」
「鬼利…っ」

 胸中に溢れた、“愛”よりももっと穢らわしくて重くて深い想いのままその名を呼んだ幽利を、鬼利は背中に垂れた縄を引いて起き上らせる。
 この世の何より綺麗な橙色の瞳は幽利を映したまま。声は幽利の為だけに紡がれ、包むように頬を撫でる手は着物よりも縄よりも近くで幽利に触れていた。

「はぁ…ぁ…」

 すっと寄せられた鬼利の顔に、その体温が近づくだけでぞくぞくと背筋を震わせながら、漸く“満たされ”た幽利は溜息のような吐息を漏らす。


「だから生きている内は、…こうして苛めてあげるよ」
「ん…ッ…」

 蕩けるほど優しく、冷たく、甘く囁いた鬼利の唇に、幽利は誘われるように口づけた。


 世界は2人にとって、完全に完璧だった。
 年が変わっても、例え何が変わっても。



 Fin.



双子も当然のように平常運転。

「ひめはじめ」の意味はつい最近知りました。

Anniversary